事件発生
陽が落ちてきた頃、乗り合い馬車は街道沿いの森で停車した。
開けた場所で、乗客達はそれぞれ夜営の為のテントを組み立てる。
私達も協力してテントを三つ組み立てると、ジオナール様は皆を振り返った。
「それでは、聖女様お二人は中央のテントをお使い下さい。左のテントを私とテオ、右のテントをレオとセイシンで使います。見張りについては、私達四人が他の乗客とも相談の上、交代に行ないますので、どうぞご安心の」
「え、あ、あの……この人と同じテントを使うのですか? ……わ、私、あまり知らない人と同じ場所で眠るというのは、ちょっと……まだ挨拶くらいしか話した事は、ありませんし……」
「え」
ジオナール様の言葉を途中で遮って、日野春菜さんは遠慮がちにそう言った。
何故か途中チラチラと、まるで恐ろしいものを見るような目を私に向けながら。
……うん、その目はちょっと、失礼じゃないかな?
確かに私達はほぼ見知らぬ他人だよ?
でもこの状況なら、同じテントでも仕方ないんじゃない?
同性なんだし。
ていうか、『大丈夫ですか? 頑張って下さい』って言うだけでテントの組み立てを少しも手伝わなかったくせに贅沢言うな!
「……これは……配慮が足らず、申し訳ございません。どうぞ中央のテントはハルナ様お一人でお使い下さい」
「え」
「わぁ、ありがとうございます! すみません」
「え」
私が軽く批難の目で日野春菜さんを見ていると、ジオナール様は眉を下げそう言った。
すると日野春菜さんはすぐにお礼の言葉を口にして、テントへと入って行ってしまう。
私はそれを呆然と見送ると、まるでギギギと音がするような動きで首を動かし、テントの独占をあっさり許したジオナール様に視線を向けた。
「あの……それじゃあ、私はどこで寝れば……?」
テントは三つ。
うち一つは日野春菜さん専用、他二つはそれぞれ男性二人が使用。
……まさか、そのどちらかに加わって寝ろと言うのだろうか?
冗談じゃない。
私はジオナール様を睨みつけた。
「……御者に交渉して参りますので、馬車をお使い下さい。小柄な貴女一人ならば、座席に横になれるはずです。寝心地はあまり良くはないとは思いますが……。次に立ち寄る街で必ずもう一つテントを購入しますので、それまでは我慢なさって下さい。申し訳ございません」
私の視線を受け止めたジオナール様は、本当に申し訳なさそうな顔をしてそう言いながら視線で馬車を示し、最後に深々と頭を下げた。
王子様、しかも王太子様という立場の彼にこんなふうに謝罪されてしまっては、文句も言えない。
けれど気が収まらない私は、せめてもの意思表示として憮然とした表情をつくり、無言で馬車に向かった。
それくらいは、許されてもいいはずである。
いくつものテントが建てられた所から少し離れた場所にある馬車に乗り込む際、最後にちらりと横を見れば、御者の人に向かって深々と頭を下げているジオナール様達四人の姿が、視界の端に映り込んだ。
★ ☆ ★ ☆ ★
あれから、どのくらい経ったのか。
瞼の向こうにゆらゆらと揺れる明かりを感じて、眠っていた意識が浮上した。
何だろう、と不思議に思いながら、重い瞼を開ける努力をする。
すると。
「ほお~! 女がいてラッキーと思えば、それがなかなか可愛いときた! こりゃ高く売れるな! 今日はついてるぜえ!」
「え?」
ふいに聞こえた声とその内容に一気に頭を覚醒させ、直ぐ様ぱちっと目を開ける。
途端に眩しい光が目に入り、暗闇に慣れた目にはたまらずに、それを細めた。
どうやら顔のすぐ近くに、ランプが掲げられているようだ。
その方向に手を動かし、光を遮るように掌を広げると、その向こうにある人の姿が認識できた。
けれどその人物を見た途端、私は再び目を大きく見開いた。
その人物は初めて見る男だった。
一緒に乗っている乗客の中にはいなかったはずだ。
もしかして、歩いて旅をしていたところに偶然馬車を見つけて、今更ながら乗る事にした新しい乗客なんだろうか?
でも、それなら……さっき聞こえた言葉は何?
嫌な予感を感じ、まるで答えを出す事を拒否しているかのように頭が働かず、ただ男を凝視していると、ふいに男がニイッと下卑た笑いを浮かべた。
「起きたか、女。離れた場所にある馬車に一人で寝るなんて事はしちゃあ駄目だぞぉ? 悪い奴らに馬車ごと奪われて売り飛ばされるからなぁ? ……こんなふうによ?」
「!?」
そう言われて、気づく。
外から車輪がガラガラと回る音がして、馬車が揺れている。
動いているのだ。
「な、何で……み、見張りは、見張りが、いたはずじゃ」
「見張り? ああ、それなら寝こけてたぞ? 旅慣れない一般客や、新人の冒険者なんかにはよくあることだ。だから、俺達の商売がうまくいくのさ」
「!!」
ついに事態を正確に察した頭は、次いで恐怖に支配され、ガタガタと体を震えさせる。
目には涙が浮かび上がり、それはすぐに溢れ出た。
終わった。
その一言だけが、ただ頭に浮かんでいた。