(3)
結果として、ブランシュの舞踏会デビューは成功となりそうだった。といっても、ラルフの後ろに隠れて俯いていただけなのだから、失敗する方がおかしいのだが。
わらわらとラルフに挨拶にくる人々の視線から隠れるように、ひたすらラルフの背後に回った。不審に思われていただろうが、やはりどうしてもラルフの隣に並ぶことができなかったのだ。
そんなブランシュをラルフは上手に匿ってくれたので、特に誰とも会話せず、舞踏会だというのに踊りもせず、会釈しているだけで時間が過ぎていった。
「ラルフ」
ラルフに挨拶に来る人が少し途絶えたところで、新たな人が現れた。呼ばれたラルフが振り向くのに続いてブランシュも振り向くと、褐色の肌に白銀の髪の男性がにやりと笑いながらこちらに近づいてくる。
彼が近づくにつれ、ラルフの眉間に皺が寄った。どうやらあまり嬉しくない相手のようだ。やってくる彼はとてもいい笑顔だが。
先ほどまでと同じようにラルフの影に隠れてやり過ごそうとしたが、この男性の目的はどうやらラルフではないようだった。2人の前までやってくると、ラルフの後ろにいるブランシュを覗き込んできたのだ。突然のことにブランシュはびくりと肩を上げ、ラルフの服のすそをぎゅっと握った。
「この子が、例の?」
興味津々に、ブランシュを上から下までじっくりと観察している。
「へぇー」
「やめろ、彼女は見世物じゃない」
「なんでだよ。いいじゃん、別に。減るもんでもないし」
「何を言ってるのやら。お前に見られたら減るし穢れるだろう」
「ひっでぇ!」
口をとがらせてきゃんきゃんとラルフに文句を言う彼は、長身な体格とは違って随分子供っぽいようだった。眉を寄せて不機嫌そうなラルフも珍しいし、彼とこんなにテンポよく会話している人も見たことがない。ブランシュは自分が見られていたことも忘れ、ぽかんと男性を見上げた。ブランシュの視線に気づいた男性がまたこちらを向き、目が合って笑いかけられ、慌てて視線を逸らす。
「ま、いいや。ちゃんと言いつけは守ったみたいだし。今日のところは帰るわ」
男性はそう言うと、にっと笑った。くるりと踵を返し、ひらひらと手を振りながら去っていく。嵐のような人だった。
ラルフの背に隠れて縮こまるブランシュに、ラルフが申し訳無さそうに微笑みかけた。
「うるさいやつだったろう? 不躾にごめんね」
言われ、ブランシュはふるふると頭を振った。大丈夫だと伝えたかったけれど、じっと自分を見つめられたのはやはり緊張して、震えそうになる体を叱咤する。その後は今まで以上にラルフが庇ってくれたので、ブランシュも段々と落ち着いてきた。
暫くは皆にじろじろと見つめられているようで今にも卒倒しそうだったが、時間と共に人々のブランシュに対する興味も薄れたらしく、視線もあまり気にならなくなった。どうやら上手く一般の人に化けられているようだ。さすがラルフの術である。
ようやく少しだけ落ち着くと、段々と場にも慣れてきたのか、周りの様子を眺める余裕も生まれてきた。びくびくと緊張していた時には気づかなかったが、会場はブランシュが見たことがない程きらびやかで、聞いたことのない程麗しい音楽が流れている。そこかしこに設置されたテーブルに並ぶ料理も、ブランシュが見たことも作ったことも食べたこともないような、美味しそうなものだった。見ているだけで涎が出てくる。
ラルフがくすりと笑ったことで、ブランシュは知らず知らず涎を啜っていた自分に気づいて赤くなった。
「何が食べたい? ブランシュ。取ってくるよ」
「いっ、いえ! そんな!」
「遠慮しなくていい。何でも好きに食べていいんだからね」
それほど飢えた顔をしていたのだろうか。目元は仮面で隠れていたはずなのに、すっかりラルフに見透かされているのが恥ずかしい。
真っ赤な顔で俯いたブランシュは首を横に振ったが、ラルフはくすくす笑いながら料理のテーブルに近づこうとした。それを止めようと、ラルフの服の裾を慌てて掴む。
「ラ、ラルフさま、本当にいいのです。いいですから、その……えっと……」
「ん?」
「…………は、離れないで下さいませんか」
美味しい料理を食べ逃すことよりも、ラルフが離れてしまうことの方がブランシュにとっては大問題だった。こんな場所で1人にされては死んでしまう。冗談ではなく、恐怖で本当に死んでしまう。
意を決して思いを口にし、真っ赤な顔でぷるぷると震えながらラルフを見上げると、彼はぴしりと固まった。
「……ラルフさま?」
「…………」
「だ、だめですよねっ、やっぱり……! 我儘を言ってすみません」
「駄目じゃない」
「え?」
「駄目じゃない。ちっとも駄目じゃない。何も駄目じゃない。駄目なことなんて無い」
「ラ、ラルフさま?」
ラルフからの返事がないので拒絶されたかと思い、前言を撤回しようとしたブランシュの手を、ラルフががっしりと掴んだ。まっすぐに見据えられる。掴んだ手を引き寄せられ、自然と寄った体に、ブランシュはパニックに陥りかけた。
「ラ、ラルフさま! こんなに近づいては呪われて、」
「しっ。声が大きいよ」
しまいます、と続くはずだった言葉を遮られる。ブランシュは慌てて口を閉じた。確かに、こんなに大勢の前で呪いなどという単語は使うべきではない。
人々は呪いに対して良い印象など持っていない。折角ラルフのおかげで人に紛れることができているのに、すべて台無しになってしまう。
「そう、それでいいんだよ、ブランシュ」
口を閉ざし、黙って身を任せたままのブランシュに、ラルフは満足げに笑いかけた。
「ブランシュが望むのに、僕が君から離れる訳ない」
「ラルフさま……」
我儘を言ってしまったが、慣れぬ場に自分を置き去りにしないよう気を遣ってくれる、ラルフの優しさに心がじんとする。感激するブランシュの右手をしっかりと握り直し、ラルフが微笑んだ。
「よし、一緒に取りにいこう」
まるで親しい仲のように繋がれた手。
驚愕で目を見開いたブランシュなどお構いなしに、ラルフはすたすたと歩き出した。引き摺られるようにしてブランシュも足を動かす。
「ちょ、え、ラルフさ、まっ!?」
そうして慌てて動かしたブランシュの足は、ものの見事に絡まった。それはそれは綺麗に右足が左足に躓き、前のめりに体が倒れていく。
「ブランシュ!?」
床にキスをする寸前で、ラルフがブランシュの体を支えてくれた。だがそれと同時に、からん、という嫌な音がブランシュの耳をつく。
ラルフの手が当たったのだろう、まとめていた髪がはらりと落ちてきた。もつれるようにして倒れこんだ男女に、周囲の視線が集り、次いでどよめきが起こった。
「怪我は!? 何もない!?」
ラルフが慌てて尋ねてきたが、その言葉は何もブランシュに届いていなかった。もちろん、ラルフに抱きかかえられるようにして支えられていることも、今は気づきもしていない。
ブランシュが見つめているのは、ただ1つ。ラルフの傍らに落ちている、見覚えのある仮面だ。
呆然としながら、自分の顔にぺたりと触れる。
仮面がない。
仮面がないということは、つまり。
ーーー顔が、晒されている。
そう認識した途端、ブランシュの顔は一気に青褪め、意識が朦朧とし始めた。
「ブランシュ!? ブランシュ!」
ラルフの呼ぶ声さえほとんど聞こえない。
ああ、どうしよう。
こんなに大勢の人の前で、こんなにも醜い自分を、晒してしまったーーー。
ラルフの術をかけられていることなど、ブランシュの頭からはすっかり抜け落ちている。ただただ恐怖と絶望に支配されたブランシュは、ラルフに揺さぶられながら、静かに意識を飛ばしたのだった。
仮面が外れた瞬間の会場のどよめきは、仮面の下から現れたとんでもない美少女に対する驚きであり。
ラルフにかけられた術は外見を変えるものではなく、一時的に呪いを弱めて本来のブランシュの姿に戻すものであり。
精霊術師に伴われていたあの美少女は一体誰かと、この先しばらく社交界を賑わす存在になることなどーーー意識を飛ばしたブランシュはもちろん、知る由もなかった。