(2)
ブランシュは、生まれ落ちたその日に呪いを受けた。王都から少し離れた村の、ごく普通の家庭に生まれたブランシュに、その災厄は突然訪れたのだ。
ーーーこれは呪いだ、哀れな娘よ。
突然現れた人物がそう言葉を紡ぎ、ブランシュの姿は見る間に変わっていったのだという。
顔は赤く腫れ上がり、ボコボコとした腫れ物が顔中を覆った。その腫れで、酷い時は右目の半分も開かないほど。そんな醜いブランシュを、村民どころか両親さえも厄介者とみなし、これが当然の扱いとばかりに馬車馬のごとくこき使った。あの頃の生活を、ブランシュは二度と思い返したくないとさえ思う。
そんな家から、とうとう追い出されたのが1年前。命からがら辿り着いたラルフの家で、今は世話になっていた。
ラルフは、王都にまでその名が届いているほど高名な精霊術師である。
この世界は、そこら中に存在する精霊によって成り立っている。精霊は気まぐれに人々に幸運をもたらし、そして気まぐれに災いを引き起こす。ブランシュの呪いも、精霊によるものらしかった。
とても気まぐれな彼らと対話し、上手く力を借り、様々な恵みをもたらすのが、精霊術師と呼ばれる者達だ。人々の生活になくてはならない存在の精霊術師は、精霊同様に尊ばれており、それが力の強い者となれば尚更だった。ラルフは特に力が強いようで、偉そうな人たちが面会に訪れているのをブランシュも度々目撃している。
だが、そのラルフの力を持ってしても、ブランシュの呪いは簡単には解けないものだった。
それほど強い呪いが、今尚ブランシュを苛んでいるーーー。
「ーーーブランシュ、着いたよ」
馬車の向かいに腰掛けたラルフにそう言われたが、ブランシュは俯いたままふるふると頭を振った。フードの代わりに目元を隠している仮面をしっかりと握る。
「や、やっぱり、無理ですよっ」
「ここまできて何言ってるの。はい、降りるよ」
「いいいいやです! こ、こんな、醜いわたし……っ!」
「僕が術をかけてあげただろう? ほら、触ってみれば分かるじゃないか」
ラルフがブランシュの手を掴み、そのまま彼女の顔へと触れさせた。ぺとり、と手のひらで自分の顔を撫でる。確かに、昼間はこれでもかというほど主張する腫れ物が、今は無いのが分かる。
「なんなら、仮面を外して窓を見てみるといい」
ラルフの言葉にブランシュは即座に首を横に振った。それこそ首がもげそうなほど強く振った。そのあまりの剣幕に、ラルフもそれ以上何も言えなかった。
今のブランシュの顔に腫れ物がないのは、何も呪いが解けたわけではない。レシテ=ラザールの刻ーーー闇精霊の王が支配すると言われるこの時間は、どうやらブランシュの呪いが弱まるらしく、ラルフの力を少し借りればなんとか見られる容姿になるようなのだ。その術も、ミンス=サニタの刻の始めーーー日が昇る頃には、解けてしまうのだが。
術がかかった、レシテ=ラザールの刻の自分はまだ大丈夫。そう言われたところで、ブランシュは絶対に自分の姿を見る気は無い。ブランシュにとって、自分の姿とは何よりも目にしたくないものだった。
初めて自分の容姿を目にしたときの衝撃は、それはそれは凄まじかった。鏡などという高価なものが買える家ではなかったので、ブランシュが初めて目にした自分は水面に映った姿である。
よく晴れたある日、押し付けられた山ほどの洗濯物を抱えて小川へとやってきたブランシュは、水面に映るのが自分だとふと気づいて腰を抜かした。なんだこの化物は、と声を上げそうになり、なんとか飲み込んで、へなへなと川辺に腰を下ろした。この姿を見てしまっては村民や両親を責めることさえできない、と今まで感じていた憤りさえも消え失せてしまう。
醜い自分の姿をきちんと認識してから、ブランシュは出来る限り自分の姿を目にしないようにして生きてきた。まるでその気持ちを反映したかのように、視力もだんだんと落ちている。これ幸いとばかりに生活しているブランシュに、ラルフは眼鏡を作ろうかと言ってくれるが、いつも断っていた。
「少しずつでいいから、君は外の世界に慣れていくべきだよ」
「……はい」
ラルフの言葉は分かる。呪いが解けないからといって、いつまでも隠れて生きていくことはできない。今はいいけれど、永遠にラルフの家で世話になるわけにもいかない。そう考え、ずきりと胸が痛んだ。
外の世界に慣れるべきなのだと、少しずつ慣れていくために今回のような機会は絶好のチャンスなのだと、頭では理解している。それでも、自分の姿をラルフの術でいくら取り繕って貰ったところで、目にする勇気はーーーまだ無い。
「…………映っているのは、とても綺麗な女性なんだけれどね」
ぽつりと呟き、ラルフは小さく息を吐いた。取り繕われた偽物のブランシュをお世辞にも綺麗だと言ってくれるラルフには申し訳なく思うが、それでもやはり見ることができない。目が悪いため、というのも勿論あるが、ブランシュは未だに夜の自分の姿をしっかりと見たことがなかった。
俯いたまま、差し出された手にそろりと触れる。ブランシュはようやく重い腰を上げた。胃がぐるぐるして、今にも倒れそうである。
「……ラルフさま、吐きそうです」
「ごめんね。少し顔を出して、すぐに退散するから」
ラルフが苦笑する。手が伸ばされ、優しく頬に触れらた。びくりと身をすくませたが、ラルフは手を離そうとはしない。
吐きそうになりながらもブランシュが今ここにいるのは、すべてラルフのためだ。本当は今すぐにでも引き返したいけれど、ラルフは困り果ててしまうだろう。優しいラルフは怒らないだろうけれど、彼の迷惑になることだけはしないと決めているのだ。
それこそ、嫌で嫌で仕方のない、大勢の人が集まる場にこんな軽装で出向くことさえ、ラルフのためだからできるのだ。
彼のため。彼のため。
心の中でぶつぶつ呟き、よし、と自分に喝を入れる。ラルフにエスコートされ、ブランシュは生まれて初めて貴族の館へと足を踏み入れた。