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呪われもの、初めての舞踏会(1)


 ーーーこれは呪いだ、哀れな娘よ。




 呪いは癒えない。傷が癒えない限り。


 傷は癒えない。お前がお前である限り。






《呪われもの、初めての舞踏会》






 からからから。

 軽やかな音を立てながら、ブランシュは井戸の水を組み上げた。冷たく澄んだ水に、キラキラと差し込む太陽が眩しい。

 その水面にぼんやりと映り込んだ自分の姿を見て、ふうと息を吐いた。フードを目深に被ったブランシュの顔も、下を向いて水面を覗き込むとしっかりと見えてしまう。

 もう一度ため息をついてから、ふるふると頭を振り、気持ちを切り替えた。早く水汲みを終えて、洗濯物を干してしまおう。まさに快晴と言うに相応しい今日は、絶好の洗濯日和だ。


「ブランシュ」


 せっせと洗濯物を干すブランシュの名が、柔らかく呼ばれた。ともすれば木の葉の囁きに紛れてしまいそうな程の、耳に心地よい低めの声だが、ブランシュの耳にはすっかりと馴染んでいるおかげで、するりと滑りこんできた。

 振り返ると、ふわりと微笑みをうかべた男性がブランシュの方に近づいてきていた。榛色の髪に、同色の瞳。透き通るように白い肌は太陽に溶けてしまいそうな程。加えて容姿も作り物めいた美しさときた。

 今日も変わらず、天が創り給うた彫刻のように麗しいこの男性は、ブランシュが敬愛してやまない人で、ラルフという。


「ラルフさま。おはようございます」

「おはよう。朝から精が出るね、ブランシュ」

「はい、今日は絶好の洗濯日和ですから。ミンス=サニタがご機嫌なのでしょうね」


 ふふ、と笑うブランシュを、ラルフが柔らかく見つめる。すっと腕が伸びてきて、フードからこぼれていたブランシュの髪をひと房掬いあげた。


「ラルフさま?」

「こんなところに陽の子がいたよ。彼らも楽しそうだ」


 そう言って、ラルフはブランシュの髪を見ている。ブランシュには見えない『彼ら』だが、ラルフには楽しそうな様子が見えているのだろう。


「私の傍にもいるのですか? 陽の子はとても優しいですね」


 思わずそう呟いたブランシュに、ラルフが眉をしかめた。しまった、と思った時にはもう遅い。ラルフが一気にブランシュのフードを下ろし、わしわしと髪を掻き乱した。


「わ、わっ! そんなことをしては手が呪われてしまいます! お止めくださいっ」

「またそんなことを言って。呪われないよ。何度言ったら分かるんだか」


 びくりと肩を揺らし、ラルフから距離を取ろうと身を引いたブランシュに、ラルフは呆れたように息を吐いた。今度は恐縮して身を縮める。

 こんな風に、ごく普通の人に対するようにブランシュと接してくれるのは、ラルフだけだ。それがとても嬉しい反面居た堪れず、『普通』に慣れていないブランシュは時々、どうしていいのか分からなくなってしまう。

 視線をあちこち彷徨わせた後、どうにかして髪を撫でるこの手をどけて欲しくて、ブランシュは必死に頭を働かせた。


「……あっ! そうだ、ラルフさま、郵便が届いていましたよ」

「おや、なんだろうね」


 ごそごそとエプロンを漁り、手紙を引っ張りだしてラルフに渡した。ラルフの手が止まって手紙へと伸ばされ、ブランシュはほっと息を吐く。慌ててフードを目深にかぶり、容易く脱がされないようきつく端を握った。

 手紙を受け取ったラルフは、くるりと裏面を見て差出人を確認すると、近くの木陰に腰を下ろした。この家の庭には沢山の木々が植えられているし、一歩敷地の外に出れば鬱蒼と茂る森である。これほど日差しの強い日でも木陰はあちこちにあった。

 木陰に落ち着いたラルフは、どうやらここで手紙を読むらしい。封を破り、中を確認し始めたのを見て、ブランシュも洗濯を再開させた。ラルフにちょっかいをかけられないうちに終わらせてしまおう。

 2人分の洗濯物を慌てて干し、振り向くと、ラルフがちょうど手紙を読み終えたところだった。その顔は、先程までと打って変わってとても険しい。滅多に見ないラルフの表情に、中に何が書かれていたのかとブランシュは首を傾げた。

 立ち上がったラルフはすたすたとブランシュの元へやってきて、彼女を上から下までじっと見た後、苦しげに息を吐いた。


「…………ブランシュ」

「はい?」

「落ち着いて聞いてくれ。僕と舞踏会に参加してほしい」


 そう言われ、始めブランシュは何を言われているのか分からなかった。ぽかんと口を開けたまま数秒思考停止した後、ようやく意味を理解して、わなわなと震え始めた。


「むっ無理です! 無理! 無理無理! 何をおっしゃるんですか!」

「仮面舞踏会らしいし、顔はほとんど隠れるから、誰もブランシュと気付かないよ」

「そう言われましても! やっぱり無理ですよっ」


 ブランシュがラルフに伴われて人前にでるなど、とんでも無い。しかも夜会とくれば皆が正装で、ブランシュだけ顔を隠すわけにもいかない。仮面舞踏会といえど隠れるのは目元だけで、外に出るときはいつも目深に被るフードだって、ドレスにはついていない。

 そんな状態で、しかもラルフの同伴など、夢のまた夢。ブランシュにとっては夢に見るのもおこがましいことだ。


「無理じゃない。僕の気持ち的にはすごく複雑なんだけれど、これはまったくブランシュは悪くない。まあとにかく、ブランシュには何も問題ないし無理じゃないから。というか、ブランシュじゃないと駄目なんだ」

「い、意味が分からないですからぁ!」


 訳が分からなすぎて半泣きになる。


「大丈夫、僕が保証する」

「大丈夫じゃないですぅぅ!」


 顔を真っ赤にしてプルプル震えるブランシュに、ラルフが真剣な顔で言った。


「ーーーお願い、僕のブラン。僕を助けてくれないか」


 フードなしで人前に出るなんて断固拒否! 何がなんでも拒否! と思っていたブランシュの決意は、その言葉でいともたやすく崩れ落ちた。

 ラルフが、ブランシュに願い事。こんなこと滅多にあることではない。実際、ブランシュがラルフと暮らし始めて1年経つが、お願いらしいお願いなんて夕飯の献立くらいしかされたことがなかった。


「う、うう……」

「ブランシュ」

「…………わ、分かりました……」


 がっくりと項垂れつつも是と返事をしたブランシュに、ラルフはほっとしたように頬を緩めたのだった。


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