中編
放課後の教室から聞こえてくる憧れの先輩の声に、途端に跳ね上がる私の心臓。
それは驚きと嬉しさと……。
『放課後の教室に、二人きり』
二人の仲がいいのは話を聞いていてなんとなく分かっていたけど、実際一緒にいるのを見たことはなかった。
だからだろうか、今まで考えもしなかった不安が一気に押し寄せてくる。
「あーもううっさい!」
私が廊下に息を殺して立ち尽くす間も続く仲の良さげな掛け合いに胸の痛みが増す。
二人の声を、工藤先輩の声を、聞けば聞く程嫌な予感が増していく。
「工藤こそ塾は?」
「今日は休みだ」
「へえー」
そこまで聞いて、やっと体が動いた。
「……先輩?」
控えめにガラリと扉を開ければ、こちらに向けられるふたつの顔。
「羅奈ちゃん? あれ、どしたの? 何かあった?」
ひとつは心から驚いた様子のいつも見慣れた優しい顔。
「知り合いか?」
もうひとつは驚きと、それ以外の……どこか不機嫌さの混じった綺麗な顔。
「部活の後輩の羅奈ちゃん、可愛いでしょ?」
私の隣まで来て笑顔で紹介してくれる、なんて優しい先輩だろう。
「……初めましてっ」
でも今はその優しさを素直に受け止められない自分がいる。
「あ、そうだ、たまに言ってたよね私。工藤のフ」
「理沙先輩っ!」
「へ?」
「先生が呼んでました! 早く来いって」
「ま、まじで?」
「まじです」
「うわー遅くなりすぎたかー」
「やっぱり馬鹿だな」
「お前は煩い!」
「あの、私、先戻ってますね?」
「あ、待って待って!もう終わったから一緒に行こ?」
「……はいっ」
待たせては悪いと慌てて帰り支度をする理沙先輩はすごく可愛らしい。
見た目もそうだけど、それより何より人間中身から滲み出るものがあると思う。優しさとか強さとかずる賢さとか、想いとか。
敵いっこない。
「急がねーと、後輩が待ってるぞ」
私と同じく理沙先輩を見ているだろう工藤先輩の方は最初見て以降あまり見れなかった。
「だから煩いって!」
見たらきっともっと辛くなるから。
だって、工藤先輩からも滲み出てる。
理沙先輩を見る目が、呼ぶ声が、特別だって言ってる。
「工藤ばいばい」
「おー」
明るくさよならを言う理沙先輩のあとに続いてぺこりと軽くお辞儀をし教室を出た。
こんなに近くにいれただけで私は幸せ者だ。
「先生怒ってるかな?」
「多分大丈夫ですよ」
「だといいな~」
「……理沙先輩!」
「ん?」
「私、工藤先輩のこと、好きじゃなくなりました!」
「……は?」
その夕方を境に私は工藤先輩のファンでいることを止めた。
見込みのない恋はしないタチだから、どうせ敵いっこないんだから、そう言い聞かせて。
優しい理沙先輩は工藤に何かされたのかとか仕返ししてやろうかとか、また気を遣って心配してくれた。
でも笑って否定してるうちにそれも収まっていった。
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「ちょ、クレープクレープ!」
「え?……うわっ!」
あの日の放課後を思い出して止まっていたらしい。手の中では大事なクレープから生クリームが流れ出て悲惨なことになっている。
「きったな~」
「う゛ー」
「ね、それ食べたらさ、上の階回ってみる?」
「え」
「うそうそ、言ってみただけ! んじゃあー次行こか」
「全然行くよ! 大丈夫!」
「……まじで?」
「うん、理沙先輩からただ券もらったし、行かなきゃ損でしょ!」
さっきの私の様子から何か感じとったんだろう、こちらを見る目が、本当に大丈夫かって言ってる。
でも私は大丈夫、大丈夫だから。
「よし食べた! 行こ行こっ」
「う、うんっ」
戸惑う皐月を連れ、理沙先輩の教室のある方へと向かった。