みらいのせいかつ
今から五十年前と言うと、1967年。昭和で言えば40年頃です。そのころ一体、どんな生活をしていたでしょうか。
その頃の主な科学技術のトピックスをざっとまとめて見ますと。
レーザー素子の開発
有人宇宙飛行、有人月面着陸
自動改札の実用化
衛星中継テレビの実用化
国内で本格的なスポーツカーが登場
寝台列車の実用運行開始
運輸・輸送関連の事故多発
どんな時代にも言えることですが、あらゆる科学と技術は、世界を狭くする方法を模索しているように見えます。それまで手が届かなかったところに進出し、あらゆるところへの到達時間を短くしようとしているようです。自動改札は『駅に入ってから目的地に着くまで』を短縮しようとする努力の結果ですし、衛星中継テレビなんてのも、『情報』の到達速度を高めようとする技術です。一方、スポーツカーや寝台列車のように、『移動そのものに付加価値(楽しみ)をつける』という発案もちらほらと見られます。
さて、上述のいくつかのお題に従って翻って現代の状況を整理してみましょう。
レーザー素子の開発 → 高密度ディスクや光ファイバーによる超広帯域の情報伝達
有人宇宙飛行、有人月面着陸 → 多機能進出競争は衰退しデバイスが専門化
自動改札の実用化 → 切符や専用カードが消えよりポータブルなユニバーサルシステムへ
衛星中継テレビの実用化 → 光ファイバーにより代替され、非常時手段へ
国内で本格的なスポーツカーが登場 → スポーツ指向は衰退しよりオートマチック指向へ
寝台列車の実用運行開始 → 旅客時間も含めた激しいコスト競争の時代へ
運輸・輸送関連の事故多発 → わずかでも安全軽視の姿勢が見られれば独占事業者でさえ激しい非難にさらされる
特に驚くことに、レーザーができたと思ったら、たった50年でもはやレーザー光無しでは成り立たない世界になっています。情報通信技術の発展はまさにレーザー光あってのことで、この50年、そのスペックをいかに高めるか、という試行錯誤が行われてきました。
その一方、モータリゼーションの流れは、ちょうど1960年代から80年代ころに『速さ至上主義』が頂点を極めた後、それではいかん、ということで、安全性や付加価値に重点を置いた発展を続けてきています。つまり、情報通信も、おそらくあと十数年のうちに似たような状況になると言うことです(すでに始まっているかもしれません)。
単純な未来予想は、情報通信がムーアの法則に則ったスペックアップを続けると予測した上でその未来を描きますが、いくらなんでも乱暴ですね。ムーアの法則はとっくに壊れていますし、ムーアの法則が情報通信に適用できるという証拠もありません。おそらく通信速度はまもなく上限を迎えるでしょう。技術上の上限ではなく、需要上の上限と言うべきです。そのあとは、付加価値と安全性。ちょうど、情報の安全性という観点では、量子暗号だのといった高度な暗号化や、より安全な鍵交換の仕組みが脚光を浴び、通信内容を(その受発信者に関わらず)いかに秘匿するか、という研究が盛んに行われています。今は『公共の安全性を捨てて個人の安全性を高める』時代に差し掛かっていると言えるのです。しかし私は、いつかこの流れはゆり戻しが来ると思っていて、いずれは、公共安全と個人安全がバランスするだろうと思っています。それがおそらく50年後。50年後は、個人のプライバシーは今よりも少しだけ軽視されているのではないかと思うのです。
さて、これで未来の生活を予想できたことになるか――ならないですね。50年前に発振した一筋のレーザーが記憶媒体や通信のあり方をがらりと変えてしまったように、今起こっている何かが、ほかの何かをがらりと変えてしまう、そんなことが、この先50年で必ず起こるはずです。
それが何なのか、をここで言い当てないと一級のSF屋にはなれませんね。ということで、とりあえずは、バイオ関連を挙げておきます。バイオ関連の技術は、まだまだ不確実性、不安定性が目立ちますが、そういった不安定性を補う別の技術が付け足されることで、0/1のコンピュータと同レベルの扱いやすい技術に変貌する可能性があるんじゃないかと思うんですね。それで一体何が起こるのか、というと。
先ほども書いたとおり、科学技術の発展は、概して『世界を狭くする』ことに注力しています。車輪から始まり列車だの飛行機だの通信だので隣人との距離が確実に狭まってきていますが、どうにも私には『ラストワンフィート問題』があるように思えるのです。あと30センチ。寝っ転がってスマホで世界中の情報を手のひらで閲覧できるようになっても、その画面から脳髄までの残り1フィート=30センチメートル。
バイオ技術は、その壁を乗り越える方向に向かうんじゃないかと思ったりします。遺伝子編集で人間が直接Bluetooth通信ができるようになるなんていうとっぴな予測もできますし、何らかの介在生物を遺伝子レベルで組み立てて視聴覚器官に住まわせるとか、あるいは、スマホがバイオテクノロジーで高知能化して持ち主の周囲の状況を察する(つまり『空気を読む』)ことで先回りして情報を提示してくれたり。あるいは、家中のあらゆる壁面に住み着かせたディスプレイ生物が、持ち主が近づいたときに察して必要な情報を表示するとか。
また、物質→情報、というように、より無形なもののポータビリティ向上へとトレンドが移っていった経緯から、もしかすると次はもっと無形の何か、たとえば『魂』や『意識』のポータビリティに手が着けられる可能性もあります。もちろん現時点ではまだまだオカルトですが、『意識』というものがなんなのかが万一解明された場合、人間が個体の死を乗り越える方法として『自分の子供に意識の主体を移動させる』なんてソリューションを思いつくのは時間の問題だと思うんです。
それともう一つ気になっているのが、次世代の基礎物理モデル。時空論や量子論の演算子がなぜあんな形なのかを説明できる根本のモデルが出てくると、それを応用した何かを考え始めるかもしれません。もちろん、そのレベルの宇宙の基礎構造を技術の俎上に乗せるなんてことはちょっと想像さえできませんが、偶然を頼みにしてそれを実現しちゃうやり方くらいなら、実用化できるかもしれません。それは宇宙の基礎構造に関わることですから、魂や意識、情報はもちろん、物質さえも想像を超える速さと距離で移動させることもできるようになるかもしれません。
さて、妄想は広がりますが、このへんにしておきましょう。50年ほど未来の生活は一体どんなものになるのか。私としては、上述のような予想の元、『多分スマホ的なものはもう手に持ってないと思う』といういろんな解釈のできる字面に納めておきます。
つづく?




