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人口減少が進む

 人口減少社会と言われていますね。

 SF屋としては、なぜそうなったのか、今後どうなっていくのか、雑な知識を総動員して考えてみたくなるものです。今回はそういうお話。


 ざっくりと言って、なぜ人口減少が起こるのか、その理由のひとつは、どうやら結婚年齢の高齢化が関係しているようです。もちろんそれ以外にも、収入が減ってきたとか社会的なサポートが減ってきたとかいろいろ理由はあると思います。

 話は逸れますが、私などが子育てをしていて如実に感じるのは、いわゆる地域社会との互助が希薄になっていること。私の子供の頃と比べて、今の社会って、隣人の子育てにものすごく無関心ですよね。その裏の理由は交通の発達による人の移動の自由度の向上があって、結局のところは科学文明の発達が理由なのかもしれないのですが。閑話休題。


 さて、どうして結婚年齢が上がっているのか、諸説ある中でほとんど異論を挟まれないのが、高学歴化。誰も彼もが大学に行くのが当たり前の世の中になりつつあります。高卒と大卒を比べればそれだけで四年の差です。仮に社会に出てから二年で誰かと結婚できると仮定すると、高卒なら20で結婚、大卒だとそれが24になってしまうんですよね。この近辺の4年って、結構大きい気がします。身もふたもない言い方をすれば、『生殖可能期間』が4年削られるわけです。日本の産科的高齢出産の定義だけで論じれば生殖可能期間は34歳まで。高卒なら14年、大卒だと10年。30%近くも短くなってしまうのです。

 一方で、企業などの定年年齢は60からほぼ変わっていません。再雇用制度などの充実はあるにせよ、それらはいわばイレギュラーですから、正社員として雇用されてよっぽどのやらかしもなく会社も存続していたと仮定しても、60までしか安定雇用はない。『残った安定収入期間との兼ね合いで子供をあきらめる夫婦』も統計的に必ず増えることになります。


 一般論としては上記の考え方になると思うのですが、SF屋的に、それがなぜなのかを考えてみなければなりません。すなわち、『なぜ高等教育の享受率が高まっているのか』ということです。

 質問をこういう言葉に書き換えてしまうと、一瞬で答えが分かってしまいますね。


 ヒトが生きていくために持っていなければならない知識が増えすぎたから、です。


 社会や科学技術が複雑化し、より高度な労働を求められたりただ生活をするためだけでも多くの物事を理解していなければならない社会になったから、そのための知識を学習するための時間がどんどん伸びているんです。もちろん、なんだかだで社会に出ても何の役にも立たない学校知識ってのは多いものですが、それを役立てる仕事は少数ながらも存在し、誰もが平等にその職業に就く機会を与えられるためには、誰もが平等に教育を受けなければならないというタテマエが、教育期間の延伸を生んでいるように思うのです。


 科学技術はまだまだ発達しますし、いわゆる『マイノリティ保護』だの『ダイバーシティ確保』だのといった声を背景に、もっともっとレアなケースに対応できるよう社会は複雑化していくはずです。おそらく人間が高度な知的生物として進化する上での必然の流れなのかもしれません。発展途上国でも、科学の進歩と社会の複雑化を止めることはできません。いずれどこかで臨界点を超えて人口減少に向かうと思うのです。


 こういう私なりの分析の結果、世界がこのあとたどる道筋は、二つあるのではないかと思うのです。


 まず一つ目は、今の傾向がそのまま進むこと。


 科学技術は発展を続け社会も高度化し、住む人々はそれぞれが高度な知識と能力を有したエリートばかりになる。その一方で、そんな社会に移行する過程で高度化に順応できなかった人々、というものも生まれると思います。種として劣位とかではなく、生まれた環境や偶発的な事件でわずかに高度化に届かなかった人々。今でも格差拡大が叫ばれていますが、グローバリゼーションというのは格差の許容そのもので、社会の高度化はそれをさらに推し進めると思われます。高度化一歩手前のわずかな差で取り残された人々は為すすべなく最底辺に転落してしまいます。それこそよくSFで語られる、『地上はエリートたちの楽園、地下に敗残者たちのスラム』みたいな状態に近いかもしれません。エリートとその他を隔てるのは、もしかすると国境かもしれないですし海岸線かもしれないし都市内の街区かもしれないし地表面かもしれない、とにかく、エリート化したために少数の子孫しか残せない人たちとそうでない人たちに結構くっきりと分かれるんじゃないかと、思うんですね。

 もしかするとこの状態は、最終的に『エリート0%敗残者100%』の極値に向かう途中のスナップショットに過ぎないかもしれません。人類全体が最終形にたどり着いたあと、改めて敗残者たちで社会の高度化をやり直して……というループが始まるのかもしれません。そんなループが何百回も繰り返した先の未来を物語にしてみるのも面白そうです。


 二つ目の行き着く先。この傾向がどこかで(近い未来で)ぴたりと止まること。


 もしかすると、こっちに向かっている気がするんです。

 なぜそうなるのか?

 元々の原因を考えてみましょう。それは、『一人が持つべき知識量が増えすぎたこと』でした。

 一人が持つべき知識量が何らかの方法で制限されれば、問題が解決しそうな気がします。


 そして、今われわれは、一人の人間が持つ知識量を制限することができる強力なツールを目の前にしていますね。


 インターネットです。


 ここ数年で、インターネットは飛躍的に信頼性を上げました。その大きな原動力は、人工知能です。もう少しきちんと言い換えれば、人工知能的な動きができるようになった検索ツールのおかげです。多くの検索サイトで、明らかに間違った、あるいは意図的な嘘をちりばめた情報が、機械的に検閲されつつあります。インターネットそのものが、知識の補助装置として十分な機能を持ち始めているんです。

 こうなると、一人の人がたくさんの知識をたんぱく質ベースの頭脳に収めておく必要はなくなります。必要であれば調べればすぐに答えが出るからです。調べてすぐに答えが分からないものでも、適切なコミュニティで答えを求めることができます。ネットワークが発達して誰でも参加できることにより、『知識の分業』が成り立つようになっていると思うんです。


 ぶっちゃけ、今の学校制度は、この知識の分業社会に全くそぐわないものだと思います。誰もがあらゆる分野で同程度の知識を持つように教育します。脳に知識を詰め込むことをものすごく重視して……センター試験なんて、ばかばかしいと、私は思うんです。平坦な知識が脳内にあることが無意味になる世界がすでにやってきているんです。


 それよりも、徹底的に尖った知識を持ち、知識分業体制の一端を担える人が増えていくべきだと思うし、偉い人たちがこれを理解したらきっと社会はそっちに向かうと思うんですよ。私の経験から言えば、特定分野に強い興味を持って深い洞察ができるようになるのは12~3歳頃。その頃に始めて、5~6年打ち込めば、確実に知識分業の構成員として役立つのに十分な尖った知識を持つことができるはずです。つまり、18歳には、社会に参加できるんです。そのときに、きっと人口減少は、ぴたりと止まると、勝手に思っています。


 ということで、もちろん一つ目の『ループ世界』もSF屋的に面白いですが、今の人類の持つ科学力なら、二番目の『誰もがエリート』な社会を実現することは不可能じゃないと思うんですね。果たして人類の未来はどちらか。百年後に評価してください(←え)。



つづく?

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