小説読むのなんて無駄?
小説なんてさ。
読むのも書くのも時間の無駄だよね。
その時間を、
労働に充てたら数万円は稼げる。
勉強に充てたら一つ二つの資格は取れる。
友達と遊べば楽しい思い出の一つ二つは作れる。
思い出に浸ればいなくなったあの人に会える。
なんてことは、分かってますけどね。
無駄な時間って、無駄だからいいんですよね。
時間を無駄にしたいから小説なんぞ読んでるんです。
これはゲームとかも同じですよね。
いかに時間を無駄に使うか。
娯楽なんて時間を無駄に使えば使うほどいいんです。
何も残らないものならもっといい。
よく、ネトゲで課金してる人に「それただのデータだよ?」とか突っ込んでるのを見ますけど。
だからいいんだよね。
時間もお金も無駄にするからいいんだよね。
何か残そうとか何か得ようとか、そんなことを考えちゃう時点で無駄じゃないですよね。
その行為から「無駄」っていうタグが取れちゃう。
無駄じゃなくなった行為は無駄じゃないから。
無駄な時間を過ごしたいっていう本来の欲求は満たせなくなっちゃう。
人生一度きりだから一秒だって無駄にしたくない。
うんうん、分かります。
私も極端な臆病者なので。
死んじゃう日が近づいてきているのが怖くて怖くて。
一秒も無駄にしたくないなんて想いに取り付かれることもあります。
ていうかほとんど毎日です。
だけど、それって苦しいんですよね。
高級フランス料理でお皿にちょっと残ったソースを何とかこそぎ取ろうとがんばってる感覚。
高い料金払ったんだから絶対に無駄にしないぞとがんばってる感覚。
だけど、その残ったソースを気にせず次のお皿に進んだほうがずっと幸せですよね。
無駄な時間って、その残ったソースみたいなものだと思うんです。
無駄なことばかりして一日が終わった日曜日の夕方には泣いちゃうこともありますけど。
でも、無駄な時間があるから次のお皿が出てくる。
それが、何の役にもたたない荒唐無稽な作り話を読むことならとても幸せなことで。
何の役にも立たない荒唐無稽な作り話を書くことならもっと素敵なことで。
なぜならそれはそれを読む人にも無駄な時間を提供できるから。
なんてことを思うわけです。
つづく?