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SFとファンタジーの境目

 SFとファンタジーの境目って案外びみょうだよね。っていうお話。


 それを言っちゃうと、そもそもフィクションの間でジャンル分けする意味がないじゃん、っていうツッコミが入ってこの話は終わってしまうので、ある程度狭い定義で、SFとファンタジーが接するぎりぎりの定義の範囲をここで考えてみたいと思うのです。


 例えば、一言で言って『魔法が出るならファンタジー』、『魔法じゃない未知の科学が出るならSF』みたいに区切ってしまうのも手、なんですが。


 某巨匠の高度に発達した科学は魔法と区別が云々、なんて言葉を引くまでもなく、そもそも、魔法と科学に何か明確な線引きがあるわけでもありません。それと同様に、SFとファンタジーも結構お互いの分野を食い合っているというのが現状ではあると思います。


 めんどくさいので(え?)、まずは私の守備範囲外のファンタジーの方から考えてみます。ファンタジーって何? と問われたら、なんと答えましょうか。これが案外難しい。すごく狭い定義で言えば、中世ヨーロッパ程度の文明や風習をベースに、神威、魔法、魔物など、当時信じられていた空想上の技術体系や存在を現実のものと考えて作られた物語、という感じでしょうか。この定義だとファンタジーと呼べるものはかなり少なくなりすっきりするのですが、もちろん、古代中国の仙人妖怪をテーマにしたものもあれば日本の陰陽師をテーマにしたものもあるし、あるいは、はるか未来の吸血鬼の物語だってあります。では、『空想上の存在を扱うものはファンタジー』ってことにしちゃいますか。


 ダメ。ですね。なぜって、そうすると、ほとんどのSFもファンタジーのカテゴリに含まれてしまいます。もちろん、SFが広義のファンタジーである、ってことを否定するつもりはありませんが、ここでは、SFとファンタジーを、重ならないぎりぎりの境界で区切りたいのです。


 では、ここで逆からのアプローチ。SFとは? と言われて。私の先鋭的な定義で言えば、『何らかの保存則に裏づけされた空想上の科学技術体系に基づく物語』みたいな感じになります。例によって保存則って言葉が出てきちゃいましたが、保存則(対称性)はすべての理論の原理。『ここで成り立つものはあそこでも成り立つ』というのが科学法則の必須条件で、それを一言で表したのが対称性=保存則ですから、『科学』を名乗る以上は保存則を伴わなければならないというのが私の考えなのです。


 と、小難しいことを書いた後で、とはいえそれではいつまでたってもファンタジーとの境界にたどり着けないよね、ってことになります。SFと呼ばれる小説の中で、保存則の存在を意識して書かれたものがどれほどあるか、って話で、私の感覚では三割に満たないイメージ。だから、この定義は、スタート地点ではありますが、一旦取り下げます。ここで条件を緩めて『空想上の科学技術体系』ってことにします。


 さて、境界が見えてきました。ファンタジーもSFも、『空想上の(科学)技術体系』を扱うものという点で一致しています。この、『空想上の』ってところの中に、何か境界がありそうですね。


 私はこう考えます。ファンタジーが扱う『空想上の技術体系』に、おまけについている一言。『当時信じられていた』って部分。つまり、何らかの形で誰かが作った技術体系、世界観を受け継いでいるものは、ファンタジーなんじゃないか、と。そもそも『魔法』って言葉もそうだし、魔法が実現可能なことは普通の技術体系では実現不可能なことで、なおかつ、精神や魂の持つ潜在的な何らかのエネルギーを奇跡に変える、そういうアイデア自体は、魔法という言葉が発明された頃から綿々と受け継がれてきたことのはずです。同じように、悪魔や妖怪や神様っていうアイデアも、古くは現実として信じられてきたこと。そういう非現実だと分かっているけれど現実と信じられてきたアイデアを、物語の中で現実にしてしまうのがファンタジーではないか、と。


 一方のSFは、どちらかと言えば、それが現実だと誰も信じたことのない技術体系を発明して、それが現実であるかのように読者をだます、というジャンルであるように思うのです。


 ファンタジーは、誰かが現実だと信じたことはあるけれどそれが現実ではないと(読者の)誰もが納得している技術体系を扱うもの、SFは、誰もそれを現実だと信じたことがないけれど現実(になる)かもしれないと読者を信じさせようとするもの。


 言い換えると、最初に『これは嘘っこだよ』という読者との合意形成が明示的にあるかどうか。


 もちろんSFだって嘘っこなんですけど、なんというか、『それでもこんな未来もありうるかもよ』という含みを残しているじゃないですか。ファンタジーは、そうじゃない。完全に虚構だという前提を最初に示す。その方法としてファンタジー作家がかつて生み出し最も普及したのが、『昔は本気で信じられてた設定群』を引っ張ってくること、なんだと思うんです。そうそう昔はこんなの本気で信じてた世界があったよね、っていう無言の合意から、ここから嘘っこという宣言になるわけです。


 同様に、流行した『バーチャルリアリティオンラインゲームモノ』とか、『異世界転生モノ』ってのも、『ゲームにダイブする』とか『転生する』っていうお約束の区切りが必ずついています。『ここから嘘っこだよ』ときっちり線を引いているわけです。私は、この辺りがジャンルとしてのファンタジーの区切りなんじゃないかと勝手に思っています。



 書きながら考えてたのでこんなところに着地するとは思ってなかったんですが、要するに、SF作家は読者をだますのが仕事ってことです(!?)。それをファンタジーとは明かさず、むしろこれはありうる現実だぜ、という立場を貫くのがSF作家なのです。そういう立場を補強する道具として、私は対称性=保存則を重視する、ってだけで、皆さんそれぞれに、読者をたぶらかす方法をぜひ考えてみるといいと思います!


(そういう話だっけ?)



つづく?



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