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うんこ

 狂ってないです。


 大丈夫です。


 大丈夫か?


 一応大丈夫です。


 えーと、排泄の話。


 小説で、排泄の話をどうするか、っていう話。


 だからってタイトルが「うんこ」は無いだろとは思いますが。


 他に思いつかなかったのです。


 うそですごめんなさいちょっと狙いました。



 さて、人間生きていくには、食べて出す、どっちも必要です。


 食べる描写は、みんな結構好きですよね。


 むしろそれを売りにしている大御所もいるくらいですし。


 食べるシーンを魅力的に書けるのは素敵なことです。


 一方、出すシーン、排泄のシーンって、まあ、あまり積極的に描写しないですよね。


 いや、そっち趣味のネタとして使うってのを除いて。


 普通のお話の中で排泄のことをあえて書くことってあまり無いと思います。



 書かないほうが良い、ってことであえて書かないのならいいんですけど。


 そもそも、お話のつくりとして、排泄はどうなってんだ、ってのが気になっちゃって、リアリティが失われてる作品ってのがたまにあります。


 たとえば、「全身縛られて三日間地下牢に転がされていた」なんて書かれると。


 え、その間、トイレどうしてたの、みたいな。


 思っちゃうんです。


 余計なお世話だとは思うんですけど。



 なんかね、排泄のことをあまり考えてない舞台設定や状況設定がしてあると、すごくリアリティが薄れるんですよね。


 食べて出さない限り人間生きていけないので。


 食べるほうは、そりゃ点滴でもほどほどには生きていけます。


 でも出すほうはそうはいかない。何も食べなくても必ず何か出ます。


 小は当然として、大の方も案外出るんですよ、何も食べなくても。


 少なくとも一日以上過ごす場所について、こういうものが全く処理できないような舞台として設定されていると、ちょっとげんなりします。



 逆に私は、ちょっと話がふわふわしてきて、遠い世界の話になりそうなときに、あえてそれを引き戻すために排泄の話を使うことがあります。


 ちょっとトイレ行ってくる。


 その一言だけで、生活感が戻ってきて、ああ、生身の人間がちゃんと生きてるんだなあ、みたいな、感覚になるし。


 生身の人間がこんなすごいことをしちゃってるんだ、みたいな、ギャップによる感慨を誘える、みたいな効果があると思うんです。


 あくまで私個人の感覚なので、普遍的に使えるテクニックだとは思っていませんけど。


 排泄ネタって、汚くならない程度に使う限りは、結構便利だと思うんですね。


 もちろん、多用は厳禁なんですけど。


つづく?

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