論文になっちゃう病
ってありませんか。
物語を書いているつもりなのに、AがBとなって、ゆえにCが起こるのである、みたいな感じに。
特にSFだと、なぜ? どうして? っていう部分をしっかりと書かないと、物語を楽しんでもらう前に突っ込みを誘発しちゃう。
と言って、最初に背景説明から始めちゃうと、論文になっちゃう。
論文の形式ってこんな感じですよね。
1.背景説明
2.従来研究の説明
3.この論文の目的
4.仮説
5.実施方法の説明
6.実施の結果
7.結論
てきとーに並べてみたんですが、7項目ありますねえ。
私の小説って、なぜか必ず7章構成になるんですねえ。
関係ありますかね。
背景説明で、社会や科学技術についての説明をします。
従来説明で、その状態でどんな問題が起こっているかを説明します。
目的説明で、主人公の目的をオリエンテーションします。
仮説説明で、目的を達した明るい未来を見せ、あるいは挫折を見せます。
実施方法説明で、仮説の未来へとつながる本当の答えを見せ、実施への足がかりを作ります。
実施結果で、それが実施され問題が解決します。
結論で、その後のことを少文字数で軽く流して終わります。
なんか合ってる気がする。
何やっても論文書くやり方になっちゃってる。
そりゃ文体もいつの間にか論文調になりますわな。
論文にならない方法として、意識的に使っている手法があります。
それは、内面描写。
と言うか、いきなり登場人物の一人の心の中にダイブして、思っていることを地の文でだらだらと書きます。
まさに散文的に。
わざと脈略なく。
ある行動の描写から、次の行動に移るまでの内面を描写することもあれば。
その直前の謎の行動について、そのときに行動者が考えていたことを後からトレースするような形にしてみたり。
あくまでテンポとの兼ね合いですけど。
他人の心なんて分かりませんから、もちろん、私も登場人物の考えていることなんて分かりません。
だから、ある程度「こいつヤクでもキめてんじゃね?」と思うくらいに思考をぐらぐらに揺らします。
こいつだったら絶対こんな風に考えるはず、っていう基本を押さえつつも、そこから不安定に揺らします。
だって、もしそのキャラクター設定通りにそいつが動くんだったら、その思考すべてに対して説明可能になっちゃう。
論理的に説明できちゃうと、論文っぽくなっちゃう。
危ない危ない。
ってことで、わざと、書いてるほうが不安になるくらい揺らします。
そうすると、論理性と首尾一貫性が失われて、論文っぽさが消えるんですね。
その周辺だけ(笑)。
論文っぽくならないように効果的に無駄な表現を使える人ってすごいですよねえ。
無駄を楽しむ、楽しませる、って才能だと思います。
つづく?