SFって何だろう?
シリーズ第一回は、大胆にも「SFって何だろう?」なんてタイトルで書いてしまいます。
SFって何だろう?とよく考えます。
SFの中にもいろいろあるということは分かっているんですけど。
SFではいろいろな科学ギミックが出てきます。
その科学ギミックの扱い方そのものがテーマであることもありますし、ただの小道具として話をSFチックに見せたいがために使われていることもあります。
たとえばの話。
『宇宙人が攻めてきた。宇宙人は人間を溶かす光線中と核兵器にも耐える防御シールドを持ってて歯が立たない。地球人はがんばって宇宙人の弱点を探し、あるいは、協力し合って立ち向かい、光線銃とシールドの秘密を解き明かして宇宙人をやっつけた』
どこをどう見てもSFですよね。でも、言葉をちょっと変えてみると。
『ゲルマン人が攻めてきた。ゲルマン人は曲がらない剣と槍や矢が効かない強力な盾を持っていて歯が立たない。ローマ人はがんばってゲルマン人の弱点を探し(以下略)』
成り立っちゃうんですね。
たとえば、『宇宙空間でロボットに乗って戦う』って話があったとします。無重力だからこんな芸当ができちゃうとかこんな制限があるとか、空気が無いからあれができるとか、何なら太陽表面のフレアの発生を予測してその閃光の瞬間大逆転の必殺技を叩き込んで勝利するとか、まあ、そんな話は腐るほどあるんですけど。
これも、話をあらすじ化してしまうと、『AとBが戦うことになった。劣勢に追い込まれたAだが実は事前に環境の特徴を利用したXという策略を用意しており、それを利用してBに打ち勝った』と一般化できちゃいますよね。あらすじとしてなら、これがSFでもファンタジーでも時代劇でも何ででも成り立ってしまうじゃないですか。
私はこういうSFはあまりSFだと思っていません。単に用語を入れ替えるだけで成り立っちゃうSF、ファンタジーや架空戦記にSF用語をオーバーライドしただけ。
私が好きなのは、科学や技術そのものの自己考察や自己制限から生まれるドラマ。
何らかの新しい科学を拓いたり技術を確立したりするのなら、その過程で科学者や技術者がきっと何かのトレードオフや副作用に悩まされているはずなんです。その結果、きっとその科学は、何かの制限や隠された奥深さを持っているはずなんです。
そういったルールからどんなことが起こると想像できるか、それを夢想するのが好き。
陳腐な例を挙げると、たとえばタイムマシンを発明した、ってことにしてみます。
ただ何も無いところからタイムマシンができるわけが無いですね。
そこで、ちょっとした理屈付けをしてみるわけです。
このタイムマシン、実は、過去のすべての宇宙の状態を記憶していて、タイムマシンに乗ったもの以外の全宇宙の状態を、過去の指定した時間の状態に書き換えてしまうのです。
そうすると、このタイムマシンは未来には行けないことがすぐに分かります。
ですから、作品中、「このタイムマシンは未来にはいけないんだ」という制約を博士は主人公に語ります。基礎理論のことを無理に説明せず。
冷凍睡眠的な仕掛けも盛り込みましょう。すると、ともかく時間を進ませて未来には行けます。
でも、過去に戻って、睡眠して未来に戻ると、そこは知っている世界ではありません。宇宙の条件こそ決定しても、その先は、主人公が来たために宇宙はちょっとだけゆがんで、違う時間を刻んでしまうからです。
博士を襲うテロリストから逃げるためにタイムマシンに飛び乗った主人公は過去に到着し、未来の博士向けの手紙を残して未来行きの冷凍睡眠スイッチを押します。ところが、未来では、博士は別の事情でとっくに亡くなってたりするんですね。
ここで主人公が絶望する話にしてもいいでしょう。
ところが、主人公は、このタイムマシンの本当の仕組みを探る旅に出ます。世界中の偉い学者のつてをどんどん手繰っていきます。「あああの気が触れた先生の助手ね」などと鼻で笑われながら。
そしてついに、このタイムマシンがすべての過去を記憶するマシンだと知ります。
すると主人公はひらめきます。そうか、だったら、一番最初に経験した「戻る前」の宇宙も記憶しているはずだ。メモリからそれを呼び出す方法を考え、そして、実現。すると、本当の本当に一番最初に主人公がいた「現在」に戻っているんですね。博士がテロリストに襲われる直前の「宇宙」が再現され、そこで、博士を救ってめでたしめでたし。
こんな話が、私は好きなんですね。
私が好きなのは、こういった新科学とその裏づけ、制限と苦悩があり、それを人が手にしたときの『人の反応』なんです。
ある新技術を手にしたとき、人類はどんな反応をするだろうか。
要するに社会学、人間学に近いもの。
その技術に支えられた社会が、不可避のひずみを持っていく話を書いてもいいし。
その社会のひずみに気づいた主人公がそれを解決するために四苦八苦する話でもいい。
そこで、その新技術の裏づけ、真の姿を知った主人公が、それを使って大逆転する物語なんてのが、大好物です。
アシモフのロボット~ファウンデーションのシリーズは、ほとんどこのノリを実現していますね。私の最愛読シリーズです。
基本的に私の書く小説は、これを目指しています。
一つか、あるいはいくつかの新技術。
それによって変化していく人類社会。
その技術があるからこそ生まれる、人と人の関係。
私が書きたいものは、基本的に「人」なんです。
だから、必要が無ければできるだけ人を殺しません。
物を壊しません。
確かに、強い敵を打ち破ったりするのは爽快感があるでしょうけど。
私は人を傷つけるのが嫌いなので。
臆病者なので。
人の心を持った主人公が人を殺すのは、とても嫌なものです。
科学がもたらした問題なら同じ科学が解決できるはず。
そんな救いのある話が好き。
話がそれてきちゃいましたが、私のSFは、つまり、「ハードSF」と呼ばれる中でも特に狭い範囲、「科学技術そのものとそれに対する人(社会)の反応」をテーマにするものです。
なんでもありの無敵のライトセーバーとかは出しません。
何万年前に滅びた文明のロストテクノロジーによる無敵のロボットとかも出てきません。
人の心が通じるかどうかも分からない異性人やモンスターも出ません。
だけど、SFです、と。
これこそがSFです、と。
胸を張って言えるものを書いていきたいと思っています。
つづく?