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真理と万物のパラダイム  作者: 奥野 丁路
第四章【大禍時(おおまがとき)】
39/61

08

 毎日の殺し合いは確実に天野をむしばんでいた。

 精神は極度のストレスに晒され、脳は日常的にアドレナリンを分泌させられ、些細な事でも目が覚めてしまうほど感覚が過敏になっていた。


 高峰とのやり取りで気が緩み意識を手放してしまったが、それはあくまで疲労からくるものであって、ファウダー枯渇によるものではなかった。


 なので、過敏になった神経に何かが触れれば、当然浅い眠りから覚める事になる。


(う、ん……?)


 感じたのは些細な違和感。


 重いまぶたを気怠るく押し上げると、目に映ったのは見慣れた自室の天井だった。ぼんやりとした頭で何をしていたのかを思い出そうとする。


(ああ、そうだ……日和さんが会いに来てくれて……)


 そして色々と心配してくれて……それからどうなった? 確か、カードを展開して見せた筈――――


 ふと室内に目をやると、高峰が何かを探すようにきょろきょろと見渡している。声をかけようとしたが寸での所で思いとどまった。()()()()


 さっき感じた違和感の源が高峰である事に気付き、天野は戸惑いながらも様子を見る事を選択した。高峰の様子は何かおかしい。

 具体的に説明するのは難しいが、まるで熱に浮かされているような――何かが普段とは違うと感じていた。


 高峰は天野が目を覚ましているとは考えもしないらしく、天野の様子を窺いもせずに部屋をあさっている。机の引き出しの中を確認し終えると、次は押入れを開き中を調べ始めた。


 天野は困惑していた。薄く目を開けてそれを見届けていたのだが、高峰の意図がまるでわからない。

 行動だけを見れば泥棒のそれだが、そもそも中津国では金銭のやり取りの全てをカードで決済するため、自室に現金を置く事自体ありえない。


 もしも金目のものがあるとすれば高級装飾具くらいだろうが、学生の天野には縁遠いものだし、高峰もそれは知っている筈だ。


 仮に天野が高価なものを持っているとすれば、それはせいぜい()()――――


 その可能性に思い至った瞬間、天野は大きく目を見開いた。寝たふりも忘れ、息を飲み愕然とした表情を浮かべている。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 祈るような気持ちで高峰を見守る天野だったが、その願いむなしく、高峰はあの封筒を手に取っていた。

 しばし悩んだ末に中身を取り出そうとした瞬間、背後から近づいた天野が高峰を床に引き倒し、馬乗りの体勢で押さえつけた。


「何を……やってるんですか……?」


 大判の封筒から、中身である蛹型クリサリスの写真集がはみ出している。


 これは天野が守屋から譲り受けた大切な遺品だ。それは高峰も知っている。だから天野は高峰がこんな盗人紛いの真似をしたのが信じられないし、今この瞬間も何かの間違いだと信じたかった。


 そう、例えば所持しているだけで違法になるからその前に押収しようとしたとか、何かそんな――――ちゃんと筋の通った理由があるのではないか。そう考えたかった。


 だが、それも高峰の表情を見た瞬間、諦めざるを得なかった。


 高峰に何か正当な理由があれば、驚きはしてもすぐに弁解を始めたはずだ。しかし、高峰は罪悪感と諦観の色を浮かべるだけで、言い訳一つ口にしようとしない。


「答えて、くださいよ……何でこんな真似……どう、して……」


 爆発寸前の激情をどうにか押しとどめ、もう一度高峰に説明を求める。それでも高峰は何も口にせず、代わりに一筋の涙が頬を伝った。


 その自らの罪を認めるような反応に、ついに天野の感情が爆発した。左手で高峰の首を掴み、右の拳を振り上げる。そして、そのまま力任せに振り抜いた――――


「…………?」


 かに思えたが、ぎりぎりの所で拳は止められていた。抵抗のそぶりも見せず、高峰が不思議そうに天野を見上げている。


「うっ……!?」


 突然天野が口元を押さえて立ち上がると、真っ青な顔で台所に駆けこんだ。そのまま流しに向け、胃の中身を全部ぶちまける勢いで嘔吐する。


(俺は、何を考えて……なんて事をしようと……!)


 左手には高峰の細い首を締め上げた生々しい感触が残っている。それどころか、後ほんの僅かに正気に戻るのが遅れていれば、取り返しのつかない事をしてしまっていた。


 惚れた女を殴るなど、正気の沙汰ではない。深く信じていたからこそ裏切られたダメージが大きいのだが、どんな理由をつけても今の行動がまともとは思えなかった。


 連日の有上との殺し合いは、これほどまでに天野の精神を歪ませていたのだ。


「大、丈夫……?」


 荒い息を吐き、肩を震わせながらうずくまる天野に、恐る恐る高峰が声をかけた。その首にはくっきりと掴まれた痕跡が残り、喉を潰されかけたせいで声もかすれていたが、真摯に天野を気遣っているように見える。


「ごめんなさい……本当に……本当に、ごめんなさい……」


 いたわるように天野の背中をさすり、うわ言の如く謝罪の言葉を口にしている。しばらくそうしていたが、天野がうずくまったまま高峰の手を掴んだ。今度は過度な力はこめられていない。


「どうして、あんな事をしたんですか……お金が……必要なんですか……? あれを売ってお金にしなきゃいけないほど、生活に困ってるんですか……?」


 天野の言葉を受け、高峰の手がびくりと震えた。その反応に違和感を覚えて顔を上げると、高峰はショックを受けたように固まっている。


 心の底から驚いたような、想定もしてなかった言葉に打ちのめされたような、そんな表情だった。


「ち、違うの……私は、私はそんなつもりじゃ……!」


 大粒の涙をこぼしながら、高峰はかぶりを振っている。それが演技とはとても思えない。そして、その姿に疑問を抱く程度には天野も冷静さを取り戻していた。


 考えてみれば、さっきの高峰の行動はあまりに衝動的すぎた。本気であれを持ち出すつもりなら、他にもっと良いタイミングはあった筈だ。


 学生の天野の生活パターンはほぼ固定されているのだから、留守を見計らって侵入する事も出来ただろう。明らかに犯人が一人しかいないこのタイミングで持ち出すのはどう考えても理解できない。


「持ち出すつもりなんてなかった……! ましてや、それをお金に換えるなんて……」

「……? じゃあ、どうするつもりだったんですか?」

「私は……中を、見せてもらいたくて……本当に……それだけの、つもりで……」

「じゃあ、蛹型の写真を見たかったって事ですか……? いや、でもそれなら言ってくれれば――――」


 いや、そんな事は当たり前の話だ。

 だったら、それが出来ない理由があったんじゃないか。


 言えば何らかの不利益が生じるような。頼む事自体が許されないような。


 そもそも、どうして蛹型の写真を見たがるのか。それも人目を盗んでまで。よほどの思い入れが無いとそんな行動には出ない筈だ。


 しかし、それではまるで――――


「え……まさかそれって……」


 可能性の一つに思い当たり、ありえないと思いながらも高峰に問いかけた。その声色から質問の意図を理解したのだろう、高峰は何も答えずに視線を落とした。


「カミ隠し症候群……」


 ぽつりと漏らした言葉を肯定するように、高峰は自らの肩を抱いてうずくまり、静かに嗚咽を漏らしていた。





 初めて()()を目にしたのは十年前の事だった。


 夏休みになってある程度経った頃。再び現れた蛹型にテレビのニュースはそれ一色になっていた。昔からこの時期になると特別番組が組まれていたので、自分が生まれた頃あたりに何かあった事は知っていた。


 細かい事まではよく覚えていないが、蛹型が房総半島に現れた事で都心がパニックに陥り、たくさんの人が亡くなったとは聞いていた。その影響で物流にもダメージがあり、一時は施設でも食べる物が手に入らない状況になりかけていた。


 施設の大人達は憎々しげに、忌々しげにテレビに映るそれを睨みつけ、子供達は自分の理解を遥かに超えた存在にただ怯えていた。


 蛹型の出現から二週間後、都心のパニックが落ち着いたのを見計らうかのように、自衛隊と米軍の合同作戦が開始された。ミサイルや砲弾が連日連夜飛び交い、上空に浮かぶ蛹型に攻撃が仕掛けられた。


 そして攻撃開始から二週間後、蛹型は何のダメージも受けないままその姿を消失させた。十年前と同様、自らの周囲の地形を巻き込んで――――


 この戦いで、カミには通常の兵器が通用しないと改めて認識された。カミを倒せるのはマナ・テクノロジー以外に存在しない。そう思い知らされた戦いだった。


 蛹型が消えてしばらくした頃、ようやく新学期が開始され学校に通えるようになった。十歳の子供達の間でもカミへの怒りが口にされていたし、大人達は怒りを通り越し、完全に憎しみの域に達していた。


 だから、自分は一人戸惑っていた。

 蛹型を見たときに感じたあの感覚を誰とも共有できなかったから。


 しかし自分が異質な事は理解できた。

 故に、誰にもあの時感じた感覚を相談する事は無かった。たとえ相手が、家族同然に接していた望月や篠塚であっても。


 安らぎと懐かしさが入り混じったあの感覚――あれを郷愁と呼ぶのだと、そう理解したのは随分と時間が経っての事だった





「やっぱりこんなのおかしいよね……でも、それからあの蛹型の事を考えると、どうしようもなく高揚して仕方がなくなるの……手を伸ばしたくて、胸が焦がれるような……そんな憧れみたいな想いがどうしても拭いきれなくて……」

「いや、でも……獣型ビーストには何も感じないから普通に何体も倒してるんですよね? どうして蛹型にだけそんな……」

「自分でもわからない……でも、これを知られたくなくて……誰かに知られるのが怖くて……隠すために、誰よりもカミと戦おうとしてきたのかも……」


 目を合わそうともせず、淡々と高峰は心情を吐露している。


「……じゃあ、どうして俺には教えてくれたんですか? 望月さんにも言えなかったんですよね」

「それは……和哉くんなら、もしかしたらわかってくれるかもって……ごめん、勝手な思い込みだよね……」


 天野はこの写真集の所持が違法だと知りつつも手元に置く事を決意した。だから、もしかしたら自分と同じ想いを共有できるのかもしれないと期待したのだ。


 しかし、天野がそう決めたのは蛹型に特別な思い入れがあるからではなく、あくまで守屋から譲られた遺品だからだ。

 特別強い恨みを抱く、中津国に住む他の人間と比べればカミへの悪感情はマシなのだが、その感覚はあくまでニュートラルなものだった。


 天野は理由も無く惹かれてしまう自分とは違う。今ならそれが理解できたが、それでも高峰は今まで誰にも言えなかった想いを何故か打ち明けてしまった。


 そこには弁解や謝罪の気持ちもあったが、それでも万に一つ理解してもらえるかもしれないと期待したのだ。


「……正直、そんな事言われてもピンと来ないです」


 それはそうだろう。高峰もわかっていたので、それ以上は何も言わず目を伏せた。


「――――だから、もっと日和ひよりさんのことを教えてください。そうすれば、きっと理解できるし、受け入れられると思うんです」

「え…………?」


 聞き間違いか? と、思わず天野の表情を窺うが、天野は目を逸らさずに真っ直ぐに見つめている。


「イヤじゃ、ないの……? 和哉くんにとっても、蛹型は両親の仇みたいなものだよね……それなのに、どうして受け入れられるの……?」

「いや、それは――――」


 言い淀みかけたが、意を決して言葉を続ける。


「俺は日和さんのことが好きですから。好きな人の悩みなら、受け入れてあげたいと思うのは当然でしょう」

「――へっ?」


 一瞬、何を言われたか理解が追いつかず、間の抜けた声が漏れた。だがすぐに意味を理解し、高峰の頬が赤く染まる。


「え、ええっ!? いや、でも、そんな! だって、私はこんなだし! 気持ちは嬉しいけど、そんな事を言ってもらう資格なんてないよ!」


 慌てふためく高峰だったが、天野は構わずに言葉を続けた。


「日和さんがどんな悩みを抱えてたとしても、俺は日和さんが好きなんです。他の誰でもなく、日和さんが良いんです。日和さんじゃないと駄目なんです」

「いや、その、でもそんな……」


 絶対に嫌われるような事をしてしまったのに、軽蔑されて縁を切られるのが当然だと思ったのに、天野はそんな自分を受け入れると言ってくれている。


 自分の耳が信じられず、弱々しく戸惑いの言葉を口にするが、それは天野の気持ちを拒むものではなかった。


「……それとも、俺じゃあ駄目ですか。年下だし、今は頼りないと思われてるかもしれないですけど……俺は日和さんの傍にいたいし、日和さんに傍にいて欲しいんです」


 飾らない真っ直ぐな気持ちを告げられ、高峰が言葉を詰まらせた。戸惑いはまだある。だが、天野の言葉と気持ちを受け入れたいと感じていた。


「でも、きっとガッカリするよ……? 私、他の子みたいにお洒落とか知らないし……お化粧も下手だし……」

「日和さんはそのままでも綺麗ですよ」

「あんまり遊ぶ所とか知らないし……一緒にいても退屈なんじゃないかな……」

「なら、一緒に色んな所に行きましょうよ。二人で行けば、きっと楽しいですよ」

「それに、薬がないと変な夢見るし……きっと引いちゃうよ……」

「そんなの気にしませんから。夢くらい誰でも見ますし」

「そ、それと……たまにで良いから、あの写真集見せてくれる……?」

「持ち出されるのは困りますけど、ここでならいくらでも見て良いですよ」

「私、カミ隠し症候群だよ……?」

「それに何の問題が?」


 問題になりそうなものを列挙してみるが、天野はその全てをあっさり受け入れた。遠慮がちに、上目遣いで天野を見上げる。


「……何て言うか、その……本当に私なんかで良いの?」

「日和さんじゃなきゃ駄目なんです」


 天野は最後の確認にもためらう事無く頷いた。高峰はぐいっと涙を拭うと、ようやく照れの混じった笑みでそれに応えた。


「え、と……その……それじゃあ、改めて……ふつつか者ですけど、よろしくお願いします……」

「はい、こちらこそ!」


 人生初めての恋人にどう接すれば良いのかわからない。どうにも気恥ずかしくて頬を染める高峰に、天野は笑顔で頷いていた。





「なあなあユキオ、聞いてくれよー。日和さんと付き合う事になったんだぜー」


 あの後、しばらく二人で蛹型の写真集を見ながら他愛無いおしゃべりをし、高峰は帰っていった。部屋に残された天野は緩みきった表情でユキオに話しかけている。


「あの人は俺の彼女なんだからな。そろそろお前も愛想よくしてくれよー」


 ユキオのふわふわの背中を撫でながら仲良くしてくれるように頼み込むが、ユキオはわかっているのかいないのか、詰まらなさそうに顔を伏せている。

 もちろん天野も反応が返ってくるとは期待していない。とりあえず手近な相手に惚気ているだけだ。


「週末にデートする事になったんだ。けどお前は態度悪いから留守番な」


 ペナルティを与えるようにぐりぐりと頭を撫で回し、柔らかい頬を引っ張ってみるが、ユキオは大人しくされるがままになっている。


「そうだ、内田と三善におすすめのスポットがないか聞いてみるか。ついでに付き合う事になったのを教えてやろう。あいつら、驚くだろうなぁ」


 上機嫌でメールを打つ天野に、ユキオは呆れたようにそっぽを向くのだった。





 ――――刻一刻と世界は崩壊への道を進んでいる。


 もはや世界には十二の都市しか残されておらず、それ以外の荒廃した土地は既に人が住める場所ではなくなっていた。


 空を見上げると、無数の翼に覆われた白い楕円の存在が世界を見下ろしている。あれはこの世界の最後の希望。


 それはあまりにか細い延命策。だがそれでもやらなければならない。それ以外に人類が生き延びる方法は存在しない。


 そう、あれはあくまで時間を稼ぐための手段。本命は――真に世界を救う方法は別にある。


 そうだ。()()()()()()()()


 ()()()()()()()()――――





 ピピピピピッ ピピピピピッ ピピピピピッ


「う…………」


 目覚ましに手を伸ばし、アラームを解除する。目元を触ると、今日は特に涙の跡がくっきり残っている。やはり夢の内容は覚えていない。


 薬のおかげであの不可解な追い立てられるような感覚こそ残っていないが、代わりに薬の副作用の倦怠感がまとわりついていた。


「早く新しいお薬もらえないかな……和哉くんは気にしないって言ってくれたけど、やっぱりこんなのおかしいし……」


 これだけ涙を流しているのだ。眠っている時、自分がどんな顔をしているかわかったものではない。そんなものを見られて幻滅されるのは耐えられない――――


「――っ!?」


 そこまで考えたところで、自然にベッドを共にする前提で考えている事に気付き、高峰の顔が真っ赤になった。


「い、いやいや! 流石にそれは気が早いよねッ!? で、でも、恋人なんだからいずれはそういう事もあるかもだし、自然とそうなるならそれは私もやぶさかではないというか……」


 ひとり言い訳をするように体を丸め、布団を頭からかぶってごろごろと転げ回る。そうする間も、頭に浮かぶのは前に見た天野の引き締まった肉体。あれは立派に男性の身体だった。


「だ、駄目駄目っ! そんなの、いくらなんでも気が早すぎ! こういうのはやっぱりちゃんと段階を踏まないと!」


 布団をはねのけベッドから飛び起きると、ゆだった頭を冷やすために風呂場へと向かう。


 ドキドキと鼓動が早鐘を打っていたが、それは夢の後の不可解な焦燥感とはまったく違うものだった。





 ――――そして、その週末。


 お互いに普段の格好とあまり変わらないが、珍しく高峰は後ろで髪を結ばずにそのまま下ろしている。


「日和さん、その髪形もいいですね」

「ほ、ほら、今日はデートだし……この方が和哉くん喜んでくれるかなーって……」


 しかしどうにも落ち着かないのか、もじもじと毛先をいじっている。


「もちろん嬉しいです! 日和さんの髪、綺麗で好きですから」

「あ、ありがと……」


 容姿をほめられるのは高峰にとって別に珍しい事ではない。客観的に見て自分のスタイルが良いのは理解しているし、ライトブラウンの髪色も人目を惹くものだ。


 しかし、それが女性からの場合は嫉妬混じりに、男性からの場合は下心が透けて見えていた。果たして、今のような何の打算もない言葉をおくられたのは何時ぶりだろうか。

 まだ施設にいた頃、他の子供たちにほめられた時以来かもしれない。


「……和哉くん、結構子供っぽい所あるよね」

「えっ!?」

「もちろん、良い意味でね。それじゃ行こっか♪」


 目に見えてショックを受ける姿がまたかわいくて、高峰は自然に天野の手を取り腕を組んでいた。


 何気ない会話をかわしつつ、ぶらぶらと店を見て周る二人は何処から見ても恋人同士だった。二人が並ぶと二センチ程度、天野の方が長身だが、高峰がヒールの高い靴をはけば逆転してしまうだろう。


 それが理由ではないだろうが、高峰が動き易さを重視したスニーカーを履いてきてくれたおかげで、どうにか天野も男の面目を保てていた。


「そう言えば、日和さんいつもズボンはいてますよね」

「うん。ほら、私ってちょっと背が高めだから、女の子らしい格好は似合わないんじゃないかなって」

「そうなんですか? 別にそんな事はないと思うけど……」

「なら、見たい? ……私がスカートはいたとこ」

「日和さんがイヤじゃなければ、是非」

「うーん、久しぶりだからちょっと恥ずかしいけどね。でも前にはいたのって何時だったっけ……高校も私服だったし、中学の制服が最後かな」

「へー、日和さんの制服姿かぁ……見てみたいなぁ」


 何の気なしに呟かれた言葉に、高峰が微妙に引き気味の笑顔を浮かべる。


「……あの、ごめん。流石に二十歳にもなって中学の制服着るのはちょっと……」

「えっ? ――あ、いや、そういう意味じゃなくて! 写真とか、卒業アルバムとか、そういう意味ですから!」

「あ、ああ、そういう意味ね! ごめんね、ちょっと勘違いしちゃって」


 と言いつつも、高峰は実際にセーラー服を着てみた姿を想像してみる。


 入らなくはない筈だが、かなりキツイだろう。胸のあたりは特に。どう頑張っても、いけないお店の格好にしかならない気がする。黒崎あたりは歓喜しそうだが、流石に天野に見せたい姿ではない。


「卒業アルバムかぁ。最近見てないなぁ。ねえ、それじゃあお互いに見せ合おうか」

「良いですね。俺は中学のしかないですけど」

「あ、そっか。じゃあ和哉くんは子供の頃のアルバムも見せてよ」

「えー。それなら日和さんも見せてくださいよ」

「私のはいいよー。そもそも数があんまりないし」

「そうなんですか?」

「ほら、私は施設で育ったし、自分だけ写ってる写真なんてほとんど無いの。……あ、でも要くんのと併せたらそこそこあるかな?」


 なんとなく聞いてはいけない事を聞いてしまった気がする。なので、話をかえるために少し気になっていた事を聞いてみる。

 ちょうど名前も出た事だし、今なら自然な流れで聞く事ができるだろう。


「望月さんは、俺たちが付き合ってる事知ってるんですか?」

「え、ああ、うん……要くんって言うか、中津国機動隊の人はだいたい全員……」


 意外な答えに天野は疑問を抱いた。自分たちが付き合い始めてまだ数日だ。全員に知れ渡るには時間が足りない気がするが、どういう事なのだろうか。高峰が言って回ったのかもしれないが、そういうタイプではない気がする。


 答えた高峰が微妙に言いにくそうにしているのも気にかかる。


「……そうなんですか? 俺は別に構わないですけど、どうしてそんな事に?」

「ほら、あの日の帰りに――というか和哉くんの寮に行く時って、基本的に黒崎さんが送り迎えしてくれてたんだけど……首のあざがバレちゃって。しかも服を掴まれた時にボタンも飛んでたみたいで、ちょっと色々聞かれちゃったのよ……」

「えっ!? そうだったんですか!? すいません、あの時は頭に血が上ってて――――」

「それは良いの! 悪いのは私の方なんだから! で、まあ、その……無理やりどうこうされたんじゃないかって疑われて……かと言って、全部正直に話す訳にもいかないから……」


 あの写真集は所持が禁止されているものだし、自分のカミ隠し症候群も明かす訳にはいかない。

 だが、黒崎はあれでも仕事には手を抜かない優秀な警官だ。明確な証拠もある状態で適当に言い逃れるのは難しい。


 なので、とりあえず自分たちが付き合う事になったのを説明し、このあざも行き違いこそあったが、あくまで同意の上でつけられたものだと説明したのだ。


「細かい部分はプライバシーって事で押し切ったんだけど、何かを隠してるのはバレバレだったみたいで……ペナルティのつもりなのか、面白おかしく言いふらされちゃったの……」


 きちんと確認した訳ではないが――と言うか、確認するのが恐ろしいのだが――どうやら高峰がドMで天野がドSという噂が流れているようなのだ。

 つまり、首のあざは()()()()()()()でつけられたものだと、そう解釈されてしまったのだ。


「……あの、それで、望月さんの反応は」

「『趣味嗜好に口出しはしませんが、ほどほどに』って言われちゃった……」


 それも望月にしては珍しく、優しさを感じさせる瞳で。

 特に蔑むでもなく、あくまで高峰の性癖を尊重するようなスタンスで。


「それはそれで……キツイですね……」

「うん……自業自得だけど、ちょっと泣いちゃったよ……」


 つまりそれは、望月は前々から高峰がそういうタイプだとみなしていたという事。

 正直な所、天野は高峰と家族同然に育った望月に嫉妬を覚えていたのだが、どうやら心配する必要はなさそうだ。

 もっとも、それを知る代償は高くついたようだが。


 力なくうなだれる恋人を慰めるように、天野は高峰の背中に手を置くのだった。





 色々と見て回り、二人は休憩がてらにカフェに入っていた。


「へー、初めて来たけど良い感じの店だね」

「ですね。そこそこ人が入ってるけど、落ち着いてて良い感じです」

「和哉くん、中津国に来たばかりなのによく知ってるね。お昼食べた店も美味しかったし」

「ああ、それは友達が教えてくれたんですよ。おすすめの店だって」

「そうなんだ。良い友達だね」

「また今度紹介しますね。内田っていうんですけど、良いやつなんです」

「うん。楽しみにしてる――――」


 とその時、高峰の胸元からアラームのような電子音が響いた。

 怪訝な表情を浮かべる天野だったが、高峰はポケベルのような機器を取り出し表情を険しくした。


「ごめん、()()ができちゃったみたい」


 店員に声をかけ、支払いにカードを手渡す。


「いきなりどうしたんですか? そんな突然――――」


 店の外から、微かに以前に聞いたサイレンのような音が聞こえる。それが何かを思い出し、天野も表情を強張らせた。


 二人が店の外に出ると、中央区画の方でサイレンが鳴り響いている。周囲の人間もこれが何を知らせるものか知っているので、不安そうに中央区の方へと目を向けている。


 このサイレンは捕食型のカミの襲来を告げるもの。そして、本来非番だった高峰に連絡が来たということは、相手はここ最近準備し待ち構えていた相手。アルファ個体率いる、狼型のカミの群れだ。


「日和さんが……行かなきゃ駄目なんですか……?」


 天野は高峰の手を掴んでいる。暗に言わんとしている事を察し、高峰が困ったように苦笑する。


「ごめんね、今度必ず埋め合わせするから……だから、そのためにも……今日できっちりケリつけてくるからね」

「…………」


 恋人が危険な戦いに赴くと知っていて、行かせたい訳が無い。だが、その選択は、別の誰かにリスクを押し付ける事を意味する。

 もしも高峰が行かなかったのが原因で黒崎や望月に何かあれば、高峰は決して自分を許せないだろう。だから行かせるしかない。


 それはわかっている。頭ではわかっているのだが――――


 高峰もそんな天野の葛藤を見て取ったのか、無理やり手を振りほどく事はしない。

 その代わり、手を引いて天野を傍に寄せるとそっと顔を近づけた。


「――――え……」


 不意に柔らかな感触が唇を撫で、思わず天野は掴んだ手を離していた。


「……デートの続きは、また帰ってきてから」


 照れくさそうに笑うと高峰は中央区画へと駆けだした。


 思いがけない不意打ちに半ば放心状態になり、天野はその後姿を見送る事しかできなかった。


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