01
沈む夕焼けを背にし、人通りの絶えた街に白い巨獣が佇んでいる。
「クソが……これだけ離れてるってのに、身体の震えが止まらねぇ……!」
「落ち着け! 中津国機動隊の配置が完了したらしい。後は連中に任せるぞ」
巨獣を遠巻きに包囲する、緑を基調とした迷彩服に身を包む完全装備の陸上自衛隊員達。
言葉では表現できぬ圧倒的な存在感。彼らが包囲するのはコードネーム巨鹿。
獣型に分類されるカミと呼ばれる存在だった。
悠々と無人の道路を闊歩する、身の丈3メートルを超す巨大なヘラジカ。爪先から角の先、更には瞳の色まで輝かんばかりの純白の姿。一目でこの世のものではないとわかる、異様な外見。
静まり返った街に突如轟音が響き渡った。その音が何によるものかに気付き、自衛隊員の一人が愕然とした表情を浮かべる。
銃声と呼ぶにはあまりに過剰な砲声。射程2kmを超える超長距離狙撃銃、対物ライフルの銃声だった。
「馬鹿な! こんな街中で対物ライフルを使用したのか!?」
隊員が抗議の声を上げる間にも、砲声は響き続ける。
「機動隊より通信! 南側に出現した巨鹿・甲沈黙! これより巨鹿・乙の制圧に移るとの事です!」
「曹長、我々も避難するべきでは! この距離では対物ライフルに巻き込まれます!」
「落ち着け……彼らと組むのは初めてか? ここで何も問題ない。すぐにわかる」
巻き添えを恐れた隊員が進言するが、曹長は動こうとしない。
弾のリロードらしき間を置き、再び砲声が響き渡る。砲声と同時に巨鹿の片方の大角が吹き飛ばされた。流れ弾に備え、隊員が身を伏せるが、周囲に被害は見当たらない。
「これは……地面に着弾!? 馬鹿な、真上から狙撃したとでも言うのか!?」
双眼鏡を覗いて確認すると、アスファルトに大穴が空いている。上空を見てもヘリの姿は無い。仮にヘリからの狙撃だったとしても、巨鹿の立ち位置と穿たれた穴の位置から察するに、狙撃ポイントは巨鹿の真上あたりの筈だ。
――――有り得ない。周囲のビルの屋上からの狙撃だとしても、やはり計算が合わない。
戸惑う隊員をよそに、砲声は繰り返される。その度にアスファルトが舞い上がり、地面に大穴が穿たれていく。
銃撃を受けた巨鹿はいななき荒れ狂うが、周囲に倒すべき相手は見当たらない。頭の半分を吹き飛ばされても、胴に大穴が空いても、巨鹿の活動は止まらない。
石膏像を砕いたかの如くその傷口は純白だが、それがさらにカミの異様さを強調していた。
「なんだ、あれは……? 浮遊物? だが、どうやって浮いて……?」
巨鹿の動きを双眼鏡で見張る隊員だったが、巨鹿の頭上に浮かぶ不可思議な浮遊物に気がついた。CD程度の大きさ、極薄の硝子の如く透き通った円盤。
隊員が訝しんだ次の瞬間、その円盤の真下を撃ち抜かれ、巨鹿の胴体は両断されていた。
響き渡った砲声は計六発。そして地面の大穴も計六つ。全てが巨鹿を撃ち抜き、真下に着弾した事になる。ここまで破壊されて、ようやく巨鹿は動きを止めた。
「巨鹿・乙沈黙! これより回収作業に移ります!」
「よし。回収班、急げ!」
仕留めたカミの残骸はマナ・テクノロジーの研究所に運び込まれ、新たな技術を得る為に解析される。本来、あらゆる干渉を受け付けないカミの障壁を撃ち抜く事が出来るのも、カミの残骸から得られたマナ・テクノロジーによるものだった。
「そ、曹長、あの浮遊物はいったい……? 私には、まるであれが巨鹿を狙撃したように見えたのですが……」
「……余計な事は考えるな。中津国機動隊の活動内容は最高機密だ。私も聞かされていない」
困惑する隊員だったが、撤退命令が出され、その場を後にするしかなかった。
自衛隊員達から少し離れたビルの屋上。全長140センチを超える長大な狙撃銃、それを四つん這いになって伏せ撃ちの体勢で構える若い女の姿。周囲には長大な銃身に見合った大型の薬莢が幾つも転がっている。
伏せた女は通信用のヘッドセットと分厚いゴーグルを装着し、灰色を基調とした都市用迷彩に身を包んでいた。
「青の女王、作戦は終了だ。よくやったな」
隊長からの通信を受け、女はほっとしたように表情を緩めた。身体を起こすと、ゴーグルを外し、窮屈そうな胸元のボタンを外す。後ろで縛り上着に収納していた長い髪を解放し、額に浮かんでいた汗を拭うと、大きく伸びをした。
「すでに後片付けは向かわせている。人員が到着し次第、お前は本部に帰還してくれ」
「了解です、隊長。……あの、今日の犠牲者は……?」
「今日はゼロだな。積極的に人を襲う捕食型でなかったのが幸いだったが、誰も負傷しなかったのはお前の働きのおかげだ。胸を張って良いぞ」
「良かった! 私もしんどい思いをした甲斐がありましたよ」
ライトブラウンの髪と瞳の女は、嬉しそうに目を輝かせ笑顔を浮かべていた。
――新興都市、葦原中津国市。2020年04月12日現在、市民総数13万6803人。
この都市はカミ殺しの為に設計・建造されており、ここでのみ適用される特別法により運営されていた。その為、同じ日本国内でありながら出入りの際には検査と手続きが必要になる。
現在、とうに陽は落ち、辺りには夜の静けさが広がっている。だが検査所は年中無休の二四時間営業。今も一人の少年の入場手続きを行っていた。
「はい、荷物のチェックは問題無し。後は小銭とか紛れてないか、ポケットも確認してね」
中年の職員に言われた少年が、ポケットに手を突っ込んで確認する。
「大丈夫です。持ち込み禁止の物は持ってません」
艶のあるクセの無い黒髪。身長170と少し、といった感じの細身の少年だった。
「それじゃ、最後にこれを書いてくれたら手続きは終わりだよ」
すらすらと、流れるような筆運びで書類に自分の情報を記入する。
――天野 和哉 年齢16歳。市立第二高校、第二学年在籍。
天野は職員に礼を言うと、分厚い門を潜り、葦原中津国に足を踏み入れた。
門の先でぐるりと周囲を見渡し、検査の為に別れた同行者の影を探す。すぐに市内側の職員の傍で行儀よく座りこむ家族の姿を見付け、足早に駆け寄った。
「えーと、天野さんですね。はい、確認しました」
本人識別のための半券を受け取り、まだ若い女性の職員が天野にリードを手渡した。
純白の毛並に淡い灰色の模様が入った、狼に良く似た雑種の中型犬。天野がリードを受け取ると、すっくと立ち上がり、大きく伸びをした。
「もう聞いてると思うけど、市内では現金が使えないから、市民証を失くさないよう気をつけて。もし失くしちゃったら、警察に届け出れば再発行できるから。忘れないでね」
――葦原中津国は他の都市には無い実験的な取り組みが多数組み込まれている。
これもその内の一つ。市内ではすべて市民証によるクレジット決済となっており、現金の類の一切の持ち込みが禁止されていた。
「はい、覚えておきます。ところで、タクシー乗り場はどこに?」
職員に会釈し、同行者――ユキオを連れて教えられた場所に向かう。
時刻は23時を少し過ぎた頃。四月の夜はまだかなり冷え込む。白い息を吐きながら、天野は周囲の様子を眺めてみる。
時間が時間な為、人の姿は殆ど無い。周囲の建物も、今くぐってきた人の出入りを監視する重厚な門しか見えなかった。タクシー乗り場の方向を見てみると、客待ちをしているタクシーが何台も停車している。これならすぐに乗れそうだ。
「あのー、犬連れなんですけど、乗せてもらえますか?」
タクシーの運転手は愛想よく了承すると、手慣れた動きでトランクから動物用のシーツを取り出して後部座席に広げた。ペット連れがタクシーを使うのは珍しくないのだろう。
――葦原中津国では現物での資産を持つ事が推奨されておらず、乗用車を購入するよりタクシーやレンタカーを利用した方が経済的になるようにシステムが構築されていた。
極度に合理性を突き詰めたこれらの仕組みは、何時いかなる時であっても、住民が素早く市外へ避難できるシステムの一環であった。
「えーと、『第二高校学生寮』までお願いします」
運転手が頷くと、天野とユキオを乗せたタクシーは夜の街へと走り出した。
「お客さんは学生さん? 春休みって、確か今日までだっけ。こんな時間に一人でゲートにいたって事は、外を旅行でもしてきたのかい?」
車を走らせながら、運転手が親しげに声をかける。
「あ、いえ。旅行というか引っ越しですね。明日から第二高校に転入なんです」
「何だ、それなら引っ越して来たばかりなんだね。この街は色々と変わってるけど、お客さんくらい若い子なら、きっとすぐに慣れると思うよ。それで、今まではどちらに?」
「小さい頃は関東で、それから兵庫に引っ越したんですよ。それでまた一人になったので関東に戻ってきたって感じですね。」
「あー、そうなのかい……お客さんも大変だったんだねぇ……」
運転手が言葉を濁し、会話を打ち切った。天野の年齢で住みなれた土地を離れ、一人でこの街に転入してくるという事、その理由はあまり多くない。肉親との死別により身寄りが無くなったのだろうと、運転手は天野の表情から察していた。だが、この街の成り立ちを考えれば、それは特に珍しい話ではなかった。
葦原中津国にはカミを打ち倒す事とは別に、もう一つ存在理由が設けられていた。それは、二度に及ぶ大規模カミ隠しによる被害者の救済を担うというものだ。
2000年のカミ隠しによる行方不明者が20万人以上。2010年のカミ隠しによる行方不明者約三千人、死者約二万五千人以上と、どちらも史上類を見ぬ大惨事だった。
結果、親を失った子、子を失った親、どちらもあまりに多過ぎて、他の自治体で受け入れられるような数では無かった。
そして、そんな彼らを受け入れたのが葦原中津国だった。
2010年のカミ隠しの混乱で家族を失った子供達。十年後の今、自立する為の生活を求め、彼らは葦原中津国に身を寄せているのだ。
「やあ、君が天野君だね。私はこの寮の管理人をしている浅田といいます。来る途中で事故渋滞に巻き込まれたんだって? ついてなかったね」
学生寮の駐車スペースにタクシーが到着すると、眼鏡をかけた若い男――浅田が天野を待っていた。既に夜も遅く、周囲も静まりかえっているが、浅田は穏やかに微笑んでいる。
「学生寮って……もしかして、これ全部がそうなんですか?」
目の前にあるのは大きな十階建てマンション。前もってイメージしていた『寮』と違い、天野が戸惑うように浅田を見ている。
「うん、第二高校は全寮制だからね。三階までを一年に、六階までを二年に、九階までを三年に割り当ててるんだ。あ、ちなみに十階は食堂だよ。君は二年の男子でシングルルームだから四階になるね」
葦原中津国の高校は全部で四校あり、東西南北の位置にそれぞれ配置されている。一校あたり千人を超す規模のため、それぞれの寮もそれなりに大規模になるという訳だ。
「それにしても、その子は変わってるね。初めて来た場所なのに、凄く堂々としてるし。見た目は中型犬サイズの狼って感じだけど、ハスキー犬と何かの雑種なのかな?」
初めて出会う相手を警戒するでもなく、初めての場所を興味深々に嗅ぎまわるでもなく。ユキオは天野の隣に寄り添い、同じペースで静かに歩いている。首輪は付けず、リードとハーネスで繋がれてはいるが、たわんだリードはその用をなしていない。
「じいちゃんと住んでいた山で拾ったので、どういう生まれかはわからないんです……ちょっと愛想は無いですけど、滅多に吠えないし、大人しくて良い子なんですよ」
歩きながらユキオの頭を撫でてやると、どうかしたのかと問うように天野を見上げるが、何事も無いとわかるとまた前を向いた。
「うんうん、賢そうで何よりだね。とは言っても、部屋の防音は割としっかりしてるから、多少吠えちゃっても、周りに迷惑はかからないけどね。……と、話してる内に到着だよ。今日からこの第二高校付属寮、第三棟が君達の家になるよ」
オートロックの自動ドアを抜けると、各部屋用の郵便箱が並んでいる。荷物預かりの為の窓口も設けられているが、勤務時間外なので担当者の姿は見えない。通学時の混雑に備える為だろう、エレベーターも入口付近のここだけで六基と多めに設置されている。
「ここに限らず、中津国の建物は全て2000年以降に建てられてるからね。一般的な寮のイメージとは違うかも知れない。でも大丈夫、すぐに慣れるよ!」
天野の表情から考えてる事を察し、浅田が元気づけるように軽く背中を叩いた。
「ここが君達の部屋の4001号室だよ、外出する時は必ず鍵をかけるようにしてね。」
そう言って部屋の扉を開くと、細長い鍵を天野に手渡した。
ワンルームの部屋の広さは十二畳。備え付けのベッドや冷蔵庫など、一通りの生活必需品は揃っている。安家賃の学生寮としては破格の待遇だろう。部屋の隅には、事前に送っておいた私物の段ボールが二箱、丁寧に並べられている。
「送った荷物に不足は無いかな? 問題なければ、この確認書に記入してね」
天野の記入した内容に不備が無い事を確認し、浅田は満足気に頷いた。
「今日はもう遅いし、引っ越しの挨拶をするなら明日にしようね。ここは一番端だから、お隣さんは一人だけだし、そう急ぐ必要も無いでしょう」
明日から新学期という事もあってか、部屋まで移動する途中で誰かと顔を合わす事も無かった。隣の部屋の前を通る時に見た限りでは、明かりは消えているように思えた。浅田の言う通り、引っ越しの挨拶は明日に回すべきだろう。
案内を終えた浅田が引き上げ、部屋には天野とユキオだけが残されている。時計に目をやれば、零時十分前。ぎりぎりで日をまたがずに済んだ、といったところか。
「それにしても……なんか綺麗すぎて変な感じだなぁ。じいちゃんちとは大違いだ」
山奥の祖父の家と比べると、この近代的な部屋はどうにも落ち着かない。
「でも、『住めば都』って言うし……きっとすぐに慣れるよな」
ユキオはと言えば、普段と変わらぬ様子でベッド脇に身を横たえている。初めての場所であろうと堂々とくつろぐ姿に、自然と天野も緊張が解けて頬が緩んだ。
今日はもう疲れたし、明日からは新学期。自分もゆっくり身体を休めるべく、天野は風呂場へと姿を消した。
――午前三時。
深夜の街はしんと静まり返っている。ただし、この一画を除いて。
無精ヒゲを生やした男がコートを脱ぎすて、ゆっくりと袖を捲くり上げた。露わになった両腕は逞しく鍛えられている。
対峙するのは、スーツのジャケットの代わりに白衣を羽織った、病人のような青白い肌の痩せ細った男。かなりの長身だが威圧感は無い。だが、その細い手足と相まって、まるで枯れ木のような不気味さがあった。
灰色の長い髪が顔を覆い隠しており、その表情は窺い知れない。僅かに覗いた口元が、笑みの形に吊り上がった。
それを契機に無精ヒゲの男が動いた。身を屈め、地面を踏み込み一気に間合いを詰める。
その右手には金色に輝くカードのような物が見えている。白衣の男を見据える双眸は、カードと同様の黄金色の光を帯びていた。
「黄の五、展開!」
男が吠えた瞬間、右手のカードが閃光と共に消滅し、消えたカードの代わりに輪状の刃、戦輪が両腕に五枚ずつ嵌まっていた。距離を詰めながら左腕を振るい、目の前の白衣に投げつける。
正面から飛来する戦輪をかわすため、白衣の男が横に飛び退く。
体勢が崩れた所を狙い、右腕の戦輪も白衣目掛けて襲いかかった。連続で回避する事は出来ず、盾にした両腕に戦輪が容赦なく打ち込まれる。
「ぐ……ッ……! う……?」
腕で防いだ白衣の男が、不意に襲ってきた背後からの衝撃によろめいた。背中には最初にかわした筈の戦輪が打ち込まれ、無精ヒゲの男の指が手繰るように曲げられている。
間合いを詰めた無精ヒゲはついに白兵戦の距離まで踏み込んだ。既に満身創痍の白衣に対し、骨ごと砕く殺意を乗せ、握り締めた拳を顔面に打ち込む。
「ちぃ……」
無精ヒゲが忌々しげに舌打ちをする。必殺のタイミングで放った拳は、空しく空を切っていた。
「自動追尾……いや、違う……これは任意操作か」
まるで何かの数式でも解いているような、抑揚の無い声。戦輪を打ち込まれた白衣がじわりと朱に染まっていくが、まるで堪えていないように見える。
白衣の不気味さを警戒してか、無精ヒゲは追撃を繰り出さずに様子を見ている。
既に相手に失血死に至るダメージを与えた余裕だろうか。距離が開き過ぎないよう間合いだけは調節するが、自分から仕掛けようとはしない。
「ああ、そうか……あまり時間は掛けられないか……仲間が来ると面倒だ……」
相変わらずの、抑揚の無い呟き。だが、それを聞いた無精ヒゲは、両手の指を白衣に向けて突き出した。
その瞬間、打ち立てられていた戦輪が高速で回転し始める。が――――
「ぐ、これは……!」
戦輪は自分の意のままに動かせる。
故に、軌道を制御する事も、高速回転による切断も、戦況に応じて自在に行える。
だというのに、高速で回転していた戦輪が万力のような力で締め付けられ、全く動かす事が出来ない。
「多勢でも負ける事は無いが……無駄なリスクを背負うのは合理的じゃないな……」
耳を澄ませば、遠くからこちらに向けて複数の車両が向かって来ているのが聞こえる。
街は深夜で静まり返っているというのに、耳を澄まさなければ聞き取れないエンジン音。これは普通の車両では無い。
「これ以上の隠し技も無さそうか……よし、終わりにしよう」
両腕の傷口から、血液とは異質な何かが零れおちた。街灯を反射するメタリックな液体。
それは鈍い光を放ちながら自らの質量を増していく。白衣から滲み出た液体金属が、意志を持つかの如く、戦輪に絡みついていた。
「そうか、それが貴様のカードか!」
戦輪の動きを止めたモノの正体を知り、無精ヒゲは勝利を確信した。
相手の能力は防御型。ならば仲間の到着を待ち、数の勝負に持ち込めばこちらの勝利だ!
「青の三……硬軟自在の液体金属を操る隷属する液体……それがこのカードの能力」
厄介な能力だが、複数の火力で押せば勝てる!
だが、次の瞬間、勝ちを確信していた無精ヒゲは、驚きに目を見開いた。
「黄の従者……構造を把握しているモノを自在に形成する物資の調達……それがこのカードの能力」
虚空から無数の弩が現れ、触手のように無数に枝分かれした液体金属がそれらを受け取り、相手へと向けた。
無精ヒゲの男が呆気に取られ立ちすくむ所に、弩の矢が一斉に襲いかかった。
反射的に身体が反応し、どうにか回避行動には移れた。だが、全てを避ける事は出来ず両脚に複数の矢が突き刺さる。
「馬鹿な……カードの行使は一人一枚のみ……こんな事、有り得ない……!」
両脚を射抜かれ、地に伏せて呻き声を上げる無精ヒゲの男に、白衣が言葉を続ける。
「戦闘経験は豊富でも……所詮は末端資格者か……いや、そもそも……こいつは基幹資格者の存在を知らされているのか……?」
白衣の男の言葉が理解できず、無精ヒゲの男が戸惑いの色を浮かべている。それを見て白衣の男は呆れと同情混じりに嘆息した。
「その力の何たるかを考えもせず……カミと戦える便利な道具とでも思ったのか……? 哀れ……実に哀れだ……いや、むしろ……真実を知らせぬ事で、眷属以外の駒をも運用する皇帝の手腕を褒めるべきか……」
地面に這いつくばりながら、無精ヒゲの男はその戸惑いをさらに強めていた。
「緑の十……指定した範囲の気圧を自在に操る均衡の調整……さようなら、皇帝の走狗……そのカードは私が引き継ごう……」
耳鳴りと共に周囲の気圧が急激に変化し、無精ヒゲの男が死の恐怖に慄く。
――パン!
何かが弾ける音が響き渡り、周囲は夜の静寂に包まれた。
「緑の十は相手の足を止めなければ使い物にならないが、殺傷力は抜群か……だが逆に黄の5は殺傷力はそれ程ではないが、かなり使い勝手が良さそうだ……悪くない」
考察と納得を織り交ぜながら、一人満足気に頷きを繰り返している。自分の世界に浸っていたが、視界の先にヘッドライトの明かりが映ると、すぐに虚空へと姿を消した。
闇に溶け行くその手には、無精ヒゲの男が手にしていた黄金色のカードが握られていた。