04
ビショップの案内で天野が連れてこられたのは、何に使うかもわからない機械が幾つも並べられた研究室だった。
部屋自体はかなり広く、機械が向けられているスペースは二〇メートル四方はある。
恐らく、このスペースで行われる事を計測するために機械は設置されているのだろう。
室内には、天野とビショップと高峰、他に三名の警備員らしき男達がつき従っている。万が一に備えた、ビショップの護衛のようだ。
「それでは、君のカードを展開して見せて下さい。――ああ、彼らは事情を把握しているので、気にしなくて構いませんよ」
確かに、警備の都合上、事情を把握している護衛の人間がいてもおかしくない。
外にいた警備員と違って、三人はスーツを着ている事からも、特別な護衛であることがうかがえる。
天野は精神を集中し、自らに宿るカードに手を伸ばした。
「赤のエース、展開……!」
カードを手にした天野の双眸は真紅の輝きを帯びている。
満足そうにカードの展開を見届けると、ビショップは解説を始めた。
「その状態を、我々は一次展開と呼んでいます。慣れれば【銘】を口にせずとも、展開の言葉だけで発現できるようになりますよ。さて……それで、今の心境はどうですか? 恐らく、何かしらの変化があると思いますが」
「……とにかく、身体が軽いです。――――何でだろう……今までやった事もない事が、知らない事が、出来るような気がします」
「大変結構。今君が感じている通りです。カードを展開すると、様々な知識や経験の上書き、能力の向上が引き起こされるようなのです」
白衣の男との戦いで、身体がひとりでに動いたのはそういう事だったのか。
刀の構え方、刃筋の立て方、足の運び方。
剣術など未経験だというのに、経験として肉体が記憶していた。
言葉としては矛盾しているが、実感としてそう表現するしかなかった。
「いずれはカードを経由せずとも、中身を取り出せるようになります。ただし、目の輝きだけは隠せませんがね」
ちらりとビショップが高峰に目配せする。
「……展開」
高峰はこくりと頷くと、その双眸を瑠璃色に輝かせた。
ビショップの言った通り、【銘】を口にせず、カードも経由せずに水鏡を発現させ手の平に浮かべている。
「素晴らしい。実に見事です」
感心したように手を叩くビショップに、高峰がぺこりと頭を下げる。
「和哉くん、カードを自分の中に収納するイメージで握り締めてみて?」
言われるがまま、手の中のカードに意識を集中する。
水に沈む小石の如く、カードはイメージの通りに呆気なく手の平に飲み込まれたが、その双眸の真紅の輝きは消えていない。
「中津国機動隊からの情報によると、君の能力は武装型、形状はニホントウのようですね。となると、それを扱う技術がカードから入力されている筈なのですが、どうですか?」
「自分でもよくわからないんですけど……前の戦いの時、身体が勝手に動くような感覚に陥りました。多分、それの事じゃないかと」
「ふむ、前例があるのなら話は早いですね。それでは実際に試してみましょう。とはいえ、まずは身体補正を測定したいので、こちらを使ってもらう事になりますが」
そういって護衛に目配せをすると、一人が竹刀を天野に手渡した。
受け取り、握り締めてみる。
――――なるほど……初めて手にするのに、妙に手に馴染む。
ヒュンと空気を切り裂きながら、天野が竹刀を素振りしている。
「では、誰か彼の相手をしてください。ケンドウの経験がある者はいますか?」
ビショップの問いに、護衛達が何やら確認し合っている。
互いに二、三言葉を交わすと、一人が前に進み出た。
身長は一九〇前後。軽く百キロは超えるであろう、筋肉のかたまりといった容姿。
髪をオールバックにしてスーツを纏う姿は一見堅気の人間のようだが、その眼光の鋭さと岩石のような肉体が台無しにしていた。
どうみてもヤクザ稼業にしか見えない。
「専門ではありませんが、六段の自分が一番上のようです」
最高で八段の内の六段。段位が実力に直結する訳ではないが、経験者と呼ぶには十分すぎる腕前だろう。
「……あの、専門じゃないのに六段って、おかしくないですか?」
「うん、そこはほら……博士の護衛を任されるくらいなんだし……武術の達人、的な?」
かわいらしく小首を傾げているが、ちょっとそれは笑えない。
カードに知識と経験をインプットされているだけの自分が、何故にそのような猛者を相手にしなくてはいけないのか。
「……すまんが、手加減はできんぞ……許せよ、少年」
コォォと気を吐いて竹刀を構えている。
近くにいるだけで背筋に冷汗が伝うのを感じる。
素人目に見ても、凄まじい威圧感だ。
「あー、そっか……博士の前で無様な姿を見せたら、クビになっちゃうかも知れないのか。そりゃ、相手も必死になるよねぇ」
「『必死になるよねぇ』、じゃないですよ! 他人事だと思って!」
「だ、大丈夫! 向こうは経験者なんだし、そんな無茶はしないはずだよ!」
土壇場でパニックを起こしかけの天野に、高峰が慌ててなだめに入る。
「とりあえず、死なない程度でいってください。君達は若いですし、骨折くらいならすぐ治るでしょう」
「押忍!」
高峰の予想とは裏腹に、すっかり向こうはやる気になっている。
しかもビショップが護衛のやる気に鞭を入れてしまった。これはまずい。
「……いや、よく考えたら、実際に戦う必要ってないですよね? 能力を使う訳でもなく、竹刀で剣道するだけなら、別に無理にやる必要は――――」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って! それは困るよ! 博士がせっかく時間を作ってくれてるのに、『やっぱりやりません』とか凄く困るの!」
何故だろう。天野の能力の話だった筈なのに、高峰が必死になっている。
「そんな事言われても……そもそも俺の能力の話ですし、日和さんには関係ないんじゃ?」
「いや、それはそうなんだけど! 博士の時間を無駄にしちゃったなんて事が知られたら、どんなお説教を受ける事になるか! 黒崎さん、怒らせるとすっごく怖いんだよ!?」
そう言えば、昨日も黒崎なる人物の名前が出ていたが、どうやら高峰の上司のような存在らしい。土壇場でのキャンセルは高峰の不手際になるのか?
少し可哀想だと思うが、だからといって、素人の自分があれを相手にするのは――――
「フッ! フン! フッ! ハァァッ!」
ちらりと横目で見てみると、護衛はウォーミングアップに素振りをしている。
カードによって剣の知識を与えられている為、動きを見るだけで嫌でもわかってしまう。相手の剣は実戦志向の超本格派だ。あれは道を修める『剣道』ではなく、ひたすら実用性を追い求めた、『剣術』と呼ぶべきだろう。
スーツとワイシャツを脱ぎすて、上はランニングシャツ一枚という姿だが、腕やら胸元やら、はち切れんばかりの筋肉に無数の傷跡が刻み込まれている。
――――あかん。半端やない。
三善よろしく、思わず関西弁で泣きを入れたくなってしまう。
「と、ところで、防具とかは……?」
剣道ならしっかりと防具を身に付ける筈だ。
「防具……? 君の能力はニホントウでしょう。防具は含まれていない筈ですが」
一縷の望みをかけて聞いてみたが、あえなく却下された。
――――辞退しよう。うん、そうしよう。
天野の決断を察したのだろう、慌てて高峰が天野の腕にしがみついた。
「わ、わかった! じゃあ、こうしよう! もし和哉くんが勝ったら何かご褒美をあげるってのはどうかな!?」
「――ッ」
――――ご褒美。
その甘美な響きと、腕に押し付けられている柔らかな膨らみに、思わず動きを止めてしまった。
至近距離で感じる微かな香水の匂いと、腕から伝わる高峰の体温。意識するだけで頭がぼうっとしてくる。
「えー、と……そうだ! 晩御飯おごってあげるとか、どうだろう!?」
――――いや、別に食べるのに困ってる訳ではないので……
表情から食い付きの悪さを察し、すぐさま別の条件を提示する。
「じゃ、じゃあ……! ほっぺにキスとか――って、ごめん! 割に合わないよね! もっと他の――――」
「やります!」
思わず即答していた。
言ってしまってからその意味に気付き、一気に恥ずかしさがこみ上げた。
そんなので良いの? と高峰が目を丸くしているが、赤面して視線を合わせる事が出来ない。
「と、とにかく! その条件で良いですから!」
余計な突っ込みを入れられる前にさっさと護衛の方へ向かう。
――――やってしまった……いくらなんでも釣られすぎだろ……
これでは、『あなたに気があります』と宣言したも同然だ。
今更頭を抱えても遅い。あれだけ全力で餌に食いついておいて、誤魔化せるようなものではないだろう。
だが、ある意味ふっきれた。ここは一つ、全力でご褒美に挑戦――――
「コォォォ……」
素振りを終えた護衛は、独特の呼吸法で気を練っていた。
対峙した瞬間、天野の浮ついた気分は吹き飛ばされた。
既に相手は準備万端整っているらしい。叩きつけられる気迫が少々ありえないレベルになっている。
「それでは、決着はどちらかが動けなくなるまで――――」
「え!? 博士、いくらなんでもそれは!」
『一本』で終わりではないのか。それはもはや剣道とは呼べない。
再考を求めて高峰が声を上げたが、ビショップは意に介さず、穏やかに言葉を続けた。
「――――始めてください」