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真理と万物のパラダイム  作者: 奥野 丁路
第一章【葦原中津国(あしはらのなかつくに)】
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10

 ――――カリカリカリカリカリッ!


「待て、ユキオ! お座り!」


 天野が部屋の扉の前に立つと、扉の向こう側から必死に引っ掻く音が漏れてきた。高峰が反応しかけたのを手で制し、扉の向こうのユキオに落ち着くよう命じる。

 声をかけた途端、扉の向こうの動きがピタリと治まった。


 いきなり飛び出してこないよう、ゆっくりと扉を開く。


「ごめんなー、ユキオ。心配させちゃったよな……よしよし、良い子だ」


 扉のすぐ向こう、お座りの姿勢で待っていたユキノの頭をガシガシと力強く撫でてやる。

 天野が帰宅した喜びを抑えきれず、普段は愛想の無い尻尾が激しく左右に振られていた。


「この前会った時も思ったけど、すっごく綺麗な子だよね! 狼みたいだけど、何て犬種なの?」

「犬種は……じいちゃんの山で拾ったんで、多分、雑種ですね」

「雑種なんだ、道理で見た事ないと思った! ね、ちょっと触らせてもらって良い?」


 手を伸ばすのを必死で我慢し、キラキラと少女のように目を輝かせている。どうやら、かなりの犬好きらしい。


「ええ、どうぞ。人懐っこくはないですけど、噛んだりもしない、大人しいやつですよ」

「へー、賢いんだね! ユキオちゃんって言うんだ、よろしくね――――」


 ――スカッ。


「あれ?」


 ――ヒョイッ。


「え、ええ?」


 ――スカッ。スルリ。ヒョイヒョイッ。


 上から下から横から、撫でようとした手は全て軽快な動きでかわされた。


「……もしかして……私、嫌われてる?」


 ユキオに接触を拒まれ、高峰が泣きそうな顔で振り返る。


「い、いや、どうなんでしょうね? 牙を剥いてないので、嫌われてる訳じゃ無いと思いますけど……」


 天野としてもこれは初めて見た反応だったので、上手くフォローできない。本気で触られるのが嫌なら、毛を逆立てて唸り声を上げるのだが、これはどういうつもりなのだろう。

 心なしか、冷淡な目に見えるのも気になる所だ。


「そ、そうだよね!? あ、もしかして誘ってるのかな? 遊んで欲しい、的な?」

「いや、そういう性格じゃ無い筈なんですけど……珍しく、今はそういう気分なのか?」


 飼い主は首を傾げているが、ここは敢えて都合良く解釈する。お邪魔します、と断りを入れ、高峰は靴を脱いだ。


「ほーら、怖くない怖くない……って、ちょっと! 何で全部紙一重でよけるの!?」


 ユキオは巧みに身をよじらせ、高峰が手を伸ばすのをことごとく回避する。

 だが、回避を続ける内に、とうとう部屋の隅に追い詰められてしまった。


「ふふふ……もう逃げられないぞー。さあ、観念してモフられなさい――――」


 ついに撫でられる! と手を伸ばそうとした瞬間、ユキオが唸り声を上げた。


 口吻にしわを寄せ、鋭い牙を剥き出しにした、低く獰猛な唸り声。全身の毛を逆立て、僅かに頭を下げた体勢から、睨みつけるように威嚇する。

 いきなり豹変したユキオの姿に高峰は手を引っ込めて身を竦ませた。


 ――――ガウッッ!


「きゃっ!」


 鋭く吠えられ、飛び退くようにへたり込んでしまった。


 ユキオはあっさりと威嚇を解くと、腰を抜かした高峰の頭上を軽々と飛び越え、離れた場所から成り行きを見守っていた天野に駆け寄り身を寄せた。


「…………天野くーん」


 そんな涙目で自分を見られても困る。指に鼻先を押し付けるユキオはこの上なく上機嫌に見えるのだから。


「も、もしかしたら、初めて会う人だから緊張してるのかもしれませんね!」

「そ、そっか! なら仕方ないよね!? 初対面だもんね!?」


 ――――だがその時、高峰は見た。


 腰を抜かした自分を見下ろし、ユキオが鼻で笑うのを。


「あ、天野くん!? 今、ユキオちゃんが鼻で笑った! 完全に馬鹿を見る顔してたよ!?」

「え、まさかそんな……気のせいじゃないですか?」


 ユキオを見ると、こちらを見上げてハッハッハッと短い息を吐いている。

 特に変わった様子は見られない。普段通りの表情だ。


「動物には好かれる方なんだけどなぁ……次はお土産用意しようかな……」


 しょんぼりと項垂れている高峰の姿に、天野は苦笑するしかなかった。





「えー、と……それじゃあ、そろそろ私はお暇するね……ほら、天野くんも一人になりたいだろうし……」


 また頬を染めて目を逸らしている。そういう事に興味があるのは否定しないが、だからといって誤解されたままなのは引っ掛かる。


「だ、か、ら、これはそういう写真集じゃないんですってば! 別に違法な物でもないし……多分、芸術品としても価値があると思いますし……」


 何となくだが、これまでに見てきた高峰の人となりから考えて、あまり細かい気配りは必要ない気がしていた。むしろ、下手な気配りは空回りの原因になる気さえしていた。


「――――え、これって……」


 表紙を見ただけで、これが何の写真集か理解できるだろう。

 青空に浮かぶ、無数の翼に包みこまれた純白の球体。世界に初めて現れたカミ、蛹型クリサリスの姿が表紙になっていた。


「嘘……これって、もう回収されて……絶対に手に入らないって聞いたのに……」


 信じられないといった様子で、ぱらりぱらりと頁をめくっていく。その指先は微かに震えているようにも見える。


「あの日、バイトが終わった後……それをオーナーから渡されたんです。そんな高価な物を受け取る訳にはいかなかったので、急いで返しに行ったんですよ。そしたら……」


 白衣の男と出くわし、カードの力を宿す事になったという訳だ。


「そう言えば……黒崎さんが言ってた……もしかしたら、自分が殺される事を守屋さんは知ってたんじゃないかって……」


 知らない人物の名前が出たが、そんな事はどうでも良い。()()()()()()()()()()()とはどういう意味だ?


「あの書店の扱いとか、資産の処分とか……そういった、自分の死後に発生する手続きを、前もって全部弁護士に指示してあったみたいなの」


 それどころか、葬儀の方法やその支払いも。何時死んだとしても、誰の手も煩わせない。そんなレベルの対応が事前になされていたのだ。


「それと、こんなタイミングで言うのも何なんだけど……実はこの写真集――というか、これに限らず、カミを好意的に捉えた書籍って発売禁止なんだけど、知ってた?」

「え!?」


 そう言えば、もっと安く手に入らないかネットで調べてみたが、ヒットすらしなかった。ただの品切れだろうと思ったが、まさか国が規制していたとは。


「カミは倒すべき存在なのだと国が規定したんだから、そういう規制が入るのは理解できるんだけど……もしかしたら、これを持っていたら、何かしらの問題が発生するかも……」


 かと言って、守屋の遺品を捨てる事など出来ないだろう。だが、自分に預けてくれれば、国の管理下に置く事で適切に保管する事も出来る。

 高峰はそう申し出た。


 守屋なら何を望むだろうか。共に過ごした時間は短かったが、その記憶に思いを馳せる。


 ――――それをどうするかは、君に任せるよ。


 ああ、そうだ。守屋は自分の判断に委ねたのだ。だったら、守屋ならどうするかを考えるのは責任転嫁にしかならない。自分の意志で、どうしたいのかを決めなければ。


「……俺が渡された物ですし、俺が責任をもって受け取ります。もし、それで何か不味い事になるとしても、それでもやっぱり俺が受け取るべきなんだと思います」


 守屋がどう思うかはわからない。だが、他ならぬ自分がそうしたいと思うのだ。

 ならば、何も迷う事は無い。利益も不利益も、覚悟を決めて受け入れるまで。


「そっか……うん、そうだね。守屋さんも、きっとそれを望むと思うよ」


 開いていた写真集を静かに閉じ、天野に手渡した。

 それを受け取った天野に高峰が手を伸ばす。

 クセの無い黒髪をすくようにして、優しく頭を撫でた。


「……お疲れさま。君が死なずにすんで、本当に良かった……」


 にこりと笑い、頭から手を離す。


「それじゃあ、またね。ユキオちゃん、今度はお土産持ってくるから、仲良くしようね」


 くぁぁあ、とユキオに気の無い返事を欠伸で返され、苦笑いを浮かべる。


「天野くん、明日の返事……期待してるから」


 それだけを言い、高峰は帰って行った。





 ――――顔が熱い。


 あれは不意討ちだった。


 ――――心臓が痛いほど早鐘を打っている。


 あんなに優しく頭を撫でられるとは思わなかった。


 ――――喉がカラカラに乾いている。


 本当は、最初にあった時から目を奪われていた。


 ――――別れの挨拶も言葉にならなかった。


 そして、今日。こんなにも呆気なく、心を奪われてしまった。


「中津国機動隊に所属すれば……もっと一緒にいられるのかな……」


 あの人と肩を並べられるのなら、どんな危険も怖くない。心からそう思えた。









「――――それで、要はどう思う? 天野君は素直に頷いてくれるのかね」


 中津国機動隊本部へと戻る車中での会話。運転席の黒崎が、助手席の望月に尋ねる。


「そうですね……十中八九、上手くいくと思いますよ」


 黒崎はにやりと笑い、その判断に至った理由も尋ねた。


「天野君の守屋さんへの想いは、僕達の想像以上に大きかったようです。守屋さんの仇を討てると言えば、彼は喜んでこちら側につくでしょうね。後は……念のために高峰さんに送り届けてもらいましたし、健全な少年を釣り上げるには十分な理由になるでしょう」

「おいおい、お前は心配じゃないのか? そんな健全な少年と二人きりにしちゃって」

「まあ、見た所、天野君は常識をわきまえているタイプみたいですし、いきなり無茶な事はしないでしょう。それに……仮に、()()()()()()()()()()()()、僕達には好都合ですし」


 望月の口元に浮かぶ冷たい笑みに、黒崎は苦笑いを返す。


「お前と日和ちゃんは家族同然じゃないのか? もうちょっと、こう、何と言うか……思いやりってもんをだな」

「施設で一緒に育ったのは高峰さんだけじゃないですから、特別扱いする理由はありませんよ……それに、そろそろ男を知ってくれた方が、僕としても助かるんです。もう二十歳だというのに、あれはちょっと落ち着きが足りない」

「いや、お前が落ち着き過ぎなんだよ……」


 望月と高峰は中津国機動隊でも特に若いグループに属する。隊長である黒崎が今回直接面会しなかった理由は、同じような年齢の隊員と会わせる事で、天野に親近感を持ってもらう為だった。しかし、『白衣の男』の情報は重要事項なので、その聞き取りを能力の無い隊員に任せる訳にはいかない。


 望月はその実務能力を、高峰はその男受けの良さを、それぞれ見込まれ選ばれていた。


 勿論、これは黒崎が判断した事なので、二人にその理由は明かしていない。だが、望月は自分たちが選ばれた理由を見抜いているようだ。高峰の扱いの端々にそれが現れている。


「褒め言葉として受け取っておきます」


 呆れ顔の黒崎に、望月はしれっと皮肉交じりに返していた。

 黒崎は懐から煙草を取り出すと、確認を取るように望月に視線を向ける。お構いなく、そう頷かれ、煙草を口に運ぶ。


「天野君には是非とも頑張って欲しいもんだ……『白衣の男』をおびき寄せる――――」


 音も無く、煙草の先端が小さく燃え上がり、車内に独特の匂いが広がる。


「――――【餌】としてな」


 紫煙をくゆらせ、そう呟く黒崎の双眸は真紅の光を帯びていた。





「うわぁ……すげぇ数の着信とメールが……」


 携帯を開くと、十数件の着信と同じくらいの数のメールが届いていた。着信とメールは主に内田と三善からだった。内容を見ると、ざっとこんな感じだ。


 From――内田 直人 

『どうしたー? いきなり寝坊かー? もしかして、バイトでお疲れ?(笑)』

『あーあ、こりゃもう遅刻確定だな。まあ二限目から登校すりゃ良いんじゃね?』

『竹村先生が天野は休みとか言ってるけど、病欠? 何か変な雰囲気だったんだけど、もしかして何かトラブった?』

『何か、警察っぽい人からお前の事聞かれた奴がいるらしいんだけど、マジでどうしたの?』

『返信できないような状況なのか? 竹村先生に聞いても教えてもらえないんだけど……大丈夫だよな? ちょっと変な噂になりつつあるぞ。メール見たら返信してくれ!』


 From――三善 晴名

『さっそく遅刻ですかー。天野くんは大物やなー(笑)』

『遅刻やんね? ちょっと寝坊してるだけやんな?』

『竹ちゃんが休み言うてるけど、どうかしたん? 電話にも出てくれへんけど、大丈夫?』

『やっぱりあの後何かあったん? すごい心配なんやけど……あかん、またメールするわ』

『うちのクラスの何人かが天野君の事聞かれたらしいんやけど、ホンマに何やらかしたん? 警察に事情聞かれるとか、めっちゃ大事おおごとやんか……』


 他にもアドレスを交換したクラスメートから天野を心配するメールが届いているが、特に内田と三善からが目立って多い。それだけ心配してくれているのだろう。


 まだ夕方だ。メールを返して、放課後に顔を合わせる事は出来る。だが、いったい何と言って説明すれば良いのか――――


 頭を抱えていると、更にもう一件メールが届いた。

 きっとまた内田か三善だろうとあたりをつけながらメールを開く。


「――ッ!?」


 差出人の名前に、天野が目を見開いた。こんな、まさか、ありえない――――


 From――守屋 正継


 昨夜死んだはずの守屋からのメールが、今この瞬間にメールボックスに届いていた。


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