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短編集

your chance

作者: 毬藻

 

 言葉が存在しなければ、どうやって私たちは何かを信じられるだろう。





「増田さん」

「…はい?」

 相変わらず無表情で何の愛想も見せない。私はそんな彼が苦手だけれど、敢えて話しかけてしまう。

「明日、おにぎり新作出ますね、梅じゃこ納豆。売れるといいですねえ」

 午前10時過ぎのコンビニ。早朝の出勤ラッシュが一通り落ち着いて、店内は90年代の懐メロの音楽だけが響いている。

「どうですかね、今人気のものを合わせたってだけで、大して目新しくないでですし」

 増田さんはおにぎりの補充の手を休めずに、淡々と話す。

「…そうですよねえ」

 アハハ、と私の笑い声が浮いて響く。増田さんは私の方を見向きもせず、黙々と商品陳列を続けている。いつもと何も変わらない。

「さっ、私もあと一時間、バイト頑張ろうっ」

 気まずい空気を払うように、そう呟いてレジの方へ向かおうとすると、「木下さん」と声がかかった。

 振り返ると同時に、何かが弧を描いて飛んでくる。

「わっ」

「ポケットに入ってたんで、コレ、あげます」

 掴んだ手を開いて見てみると、包装紙に包まれた小さな丸い粒だ。

「これ…チョコ?」

 ハッとして顔を上げると、増田さんが横目で外を確認しながら頷いた。

「お客さんに見つからないように食べてくださいね」

「…あ、ありがとうございます」

 何事も無かったように再び仕事に戻る増田さんを見て、これだからこの人は面白いんだよなぁ、と胸の中で呟いた。


 午前11時。仕事が終わり、私服に着替えて店裏に出ると、増田さんが煙草を吹かしていた。

「お疲れさま」

「お疲れ様ですー」

 丁度煙草の火を消している所だったので、私も何となく立ち止まる。

「今日はまだバイトですか?」

 増田さんはバイトを掛け持ちしているらしく、いつもはコンビニの仕事が終わるとすぐに次のバイト先へと急いでいた。

「いや、今日はシフト入ってないんで、ゆっくりしてます」

「あら、貴重なお休みですね」

「ですね。木下さんは大学生だからこれから学校?」

「私も今日は授業無いんですよ。なので午後はお休みです」

「そうか、奇遇だね。昼飯でも食べますか?」

「!!」

 増田さんからこんな誘いを受けるとは思いもよらず、私は本当に驚いてしまった。だっていつもは基本的には私が話しかけて、増田さんが無愛想に答えて、変な空気が流れて…。

「嫌ならいいですけど」

「嫌じゃないです!行きましょう、どこ行きましょう!?」

「え、ああ、近くのファミレスとかでいいですか?」

「はいっ、勿論です」

 けれども、たまにこういう素敵なことがあるのだ。増田さんの笑顔といえば、接客上でもろくに思い浮かばないのだけれど、こうした人の不意の優しさを感じると、私は無性に嬉しくなるのだった。


 午前11時30分。

 まだ店内は人がまばらで、空席が目立っていた。その中で私達は店の奥にある窓側の席を素早く見つけ、そこに席を決めた。

 ウエイトレスの女性がグラスの水とおしぼりを持って来るまで、私達は黙ったままだった。このままで果たして会話が成り立つんだろうかと、私は今更そんなことを考える。誘われてそれは嬉しいけれど、楽しく過ごせるかどうかは自信が無かった。

「木下さんは何食べます?」

 増田さんがメニューを差し出して私に尋ねる。傍には立ち去ったはずのウエイトレスがいつの間にか再びそこにいて、不思議そうに私を見ていた。

「えっ、ああ、えーと。今日の…ランチメニューにしようかな」

「一緒。…じゃあそれ、二つください」

「はい、かしこまりましたー」

 水を飲みながらゆっくり増田さんを覗き見る。何だか不思議。二人でこんなところにいるなんて。

「良く考えたら、初めてですね」

「 なに?」

「増田さんと二人でご飯食べたりするの」

「ああ…確かに、そうですね」

 ウンウンと頷きながら、増田さんは細い眼を更に細めた。真黒で、少し長め髪のが邪魔そうだった。

「増田さんって、普段何してるんですか?」

「んー、何って、バイトしかしてないからなあ」

「私、バイトの時しか知らないし、普段の増田さんって、想像できないなあって…」

 すると増田さんは困った顔をして私を見た。

「バイトの時しかって言われても、俺は普段からこうなんですよ。だから、木下さんが期待してるような答えなんて何もないですよ」

「……」

「お待たせしましたー、本日のランチメニューでございます」

 丁度料理がやって来た。ハンバーグとライス、カボチャのスープにシーザーサラダ。

「ごゆっくりどうぞー」

 ウエイトレスの場違いに高い声。少し重かった空気が途切れる。

「美味しそう、いただきます」

「いただきます」

 目玉焼きの付いたハンバーグは、中を割るとトロトロと肉汁と絡まって良い匂いがした。私も増田さんも暫く黙ってご飯を食べていた。気まずいとか、そんなことは気にならなかった。

「俺…」

 ふと顔を上げると、増田さんは既に食べ終わっていて、片手でグラスの氷をカラカラと揺らしている。

「木下さんのこと、好きですよ」

「!?」

 ガシャン!!

 フォークを落とした。

「大丈夫ですか?」

「あ、はいっ」

「ああ、好きっていうのは、別に変な意味じゃないですよ。人として、というか。バイトでも、俺なんかにもちゃんと気を遣ってくれていて、凄く優しい人なんだなあというか」

「は、はあ…」

 どうやら私は一瞬勘違いをしてしまったようだが、それでも何だかこっ恥ずかしかった。こんなに真正面から褒められるようなことは滅多に無い。

「そんなこと、無いですよ。私は、何も特別なことしてません」

「だからですよ。嫌味が無いんです。俺に突っかかってくる奴はたくさんいますし、それは仕方の無いことですけど、ただそれだけなんです。何も感じません。嫌いとか、好きとか」

「……」

「だからね、木下さんと話すのは、結構好きです」

 そう言って微笑む。

 …何なの?

 更に分からなくなる。増田さんが一体どういう人なのか。これまではただ無愛想で無口な、ときどき優しい変な人。でも今はそうしたイメージとは違う、自分の気持ちを素直に話す人、笑顔まで見せて。

「…私のこと、からかってます?」

「どうして?」

 増田さんが真っ直ぐ私を見つめる。その瞳からはどんな思いも見透かすことが出来ない。

「いえ…」

「何か、困らせちゃったみたいですね。とりあえず、出ますか」

「そんな、」

 私が反応しようとした時には、増田さんは伝票を持ってレジに向かっていた。私も一口水を飲み、急いで席を立つ。

「ま、待ってください」

 会計を済ませた増田さんは、既に店から出て石段を下りている所だった。

「あ、これ代金…」

「お金はいいですよ。俺が誘いましたから」

 振り返らずにそう言う。後ろ姿から顔は分からないが、再びいつもの無愛想な増田さんに戻った気がした。私はそれがとてつもなく不安で、怖くて、嫌だった。

「じゃあ、また。明日のバイトで」

「!!」

 これで終わり?何ソレ?

「増田さん!」

「…はい?」

 こういう興味の無さそうな返事は本当に苦手だ。でも。

「せっかくのお休みですし、もう少し、付き合ってもらえませんか?」

 増田さんが不思議そうに振り返る。

「あの、増田さんが嫌じゃなければ、ですけど…」

 特に何をするなんて考えていた訳ではないので、とっさに呼び止めた理由が見つからない。言葉に詰まっていると、増田さんはゆっくり私に近付いてきて、少し、唇を上げた。

「行きましょうか」


 バイト先のコンビニも、昼ご飯を食べたファミレスも丁度繁華街の中にある。私達は何をするでもなく街並みを歩き、多くの人々の中にすっかり埋もれていた。

 雑貨屋を眺めたり、ゲームセンターでゲームをしたり。お互いの事を語るのではなく、一定の距離間を保っている。それ以上は踏み込まないように、ただ思ったこと、感じたことを口にしているような感じだった。

 

 午後7時。

 たくさんのカップルが川沿いに並んで座っている。繁華街の大通りを突き抜けた先に橋があり、その下に大きな川が流れているのだ。この場所は、夏になるとこうしてカップル達が寄り添いながら語り合う、恋愛スポットとして知られていた。既に7月にもなると、こうしたお馴染みの光景が川べりに広がっていた。

「いっぱいいる」

 橋の上からカップル達を見下ろす。もう暗くなり出した空と、静かな川の流れが不気味さを醸し出している。

「ですね」

 増田さんも橋の欄干にもたれかかり、ぼんやりとカップルを眺めていた。隣には同じように橋の上からその光景を見ている人、興味無さそうに足早に通り過ぎる人…。

「座ります?」

 私が冗談でそう言うと、

「ああ、いいですね。座りましょう」

「……」

 増田さんはさっさと橋の手前にある石段を降りていく。一歩送れて私も石段を降りる。

「ここ、空いてますよ」

 カップルとカップルの間に、程良い感覚を空けて私達は地べたに座り込んだ。先ほどと違い、目の前で眺める黒い川は更に怪しく揺れている。

「あー、足気持ちいい」

「大分歩きましたから。ちょっと休まないと明日に響きますよ」

「ですねえ」

 ショートパンツから出た足を手で揉みながら、もしかして心配してくれたのかな、と考える。私がこうして増田さんを連れ回しているのに。

「何か今日は…すみませんでした。私、増田さんを疲れさせてしまっただけで」

 そう、ただの私の興味のせい。あの時は、あのまま別れるのが嫌だった。いつもと違う増田さんを見て、それを失いたくなかったし、今ならもっと知れるんじゃないかって、欲張りたくなった。でもファミレスで感じたような、いつもと違う雰囲気は今のところ何もない。

「謝ることじゃないですよ。俺は疲れてないですし」

 無理矢理言わせてるみたい。誤魔化そうとしてくだらない言い訳が口をついて出てくる。

「私、最近遊んだなあってことしてなくて、だから今日増田さんも空いてるって聞いたから、つい誘っちゃって、でも何も考えてなかったから…」

「そういうのいいですよ」

 増田さんの声は優しかった。自分が情けない。こういう時こそ、もっとうまく振舞えれば世渡り上手にやって行けるのに。

「私、いつもこうなんですよ。悪気は無いんですけど、気づくのが遅いっていうか。ああ、あの時こうしてれば良かったって、思うことが多くて。…って、また言ってますね、言い訳…」

 そう、後悔してばかり。だからそうならないように勇気を出しても、こうして増田さんを振り回す結果になってしまったり、どこかで間違えてしまっているような気がする。

「それは、当り前のことじゃないですか?誰でも後悔したくないって自分らしく生きようとしてますけど、それでも後悔せずに生きられる人って、いるんですかね。いませんよ」

 ぼんやり川面を眺めながら、増田さんが言う。

「だから、後悔するってのは、人として当たり前のことなんです。木下さんがどうとかじゃなくて、誰もがすることなんですよ」

「そう…なんですか?」

「そうです、だから何も悪い事じゃないんです」

 何だか極端な理論。でも増田さんが至極当然のように言い放つのを見ると、不思議と説得力を感じられる。

「ああ、でも、これだとちょっと違うな…。今日のことを後悔する必要はないんですよ。俺も空いた時間を、一人で無駄に過ごさずに済みましたし」

 増田さんが焦ったように付け加える。表情には出ないけれど、その不器用な姿に、増田さんが本心から私を励まそうとしてくれたんだな、と感じた。

「あはは、ありがとうございます」

 さっきまで自分に嫌気が刺していたけれど、今は気持ちが軽くなって自然と笑顔になってしまう。不思議。

 ザワザワと木々の鳴く音や、甲高いカップル達の話し声。私達は黙っている。それでも心地よい空間だった。夜空を見上げると、歪な形をした月が綺麗に目立っていて、いい天気だな、と思った。


 どのくらいそうしていただろう。ちらほらとカップル達も姿を消していく中、遠くでガラガラとシャッターが閉まり出す音が聞こえた。デパートやファッション店は既に閉店時間となり、開いている店の大多数は居酒屋やレジャー施設となっていた。

「そろそろ、行きますか」

「そうですね」

 川辺から立ち上がり、大通りに向かおうとしたところで、急に誰かとぶつかる。

「どこ見てんだよボケ!」

 瞬間的にヤバい、と思ったけれど、既に遅かった。私は明らかにガラの悪そうな、二人組の男に囲まれていた。

「す、すみません」

「すみませんじゃねーんだよ、そんなんで許すわけねえだろ!」

「当然それなりの賠償してもらわねえとなあ」

酒臭い息がかかる。男達はニヤニヤ笑いながら私の腕を掴んできた。

「なっ…」

「何か用ですか?」

 その腕に増田さんが手を掛けて告げる。いつもの、無愛想な顔。

「何だテメー。文句ありそうな顔しやがって」

「文句あるんですよ。手、離してくれますか」

「ウゼーなあ、テメーが放せよ。それかとっとと消えろ」

「ま、増田さん…」

「木下さん、落ち着いてください、大丈夫ですから」

「無視してんじゃねークソガキッ」

「!!」

 もう一人の男が突然増田さんに殴りかかった。不意のことで、拳が増田さんの頬に直撃する。増田さんは少しよろけて後ずさったが、それでも片手は男の腕を掴んだままだった。

「ギャハハハハッ」

「あ、あ…」

 私だけがパニック状態で、何とか言葉を発していた。こんなことは初めてで、どうしていいか分からない。いざとなれば周りにはまだぽつぽつ人がいるし、大声を出せば誰か助けに来てくれるかも…。

 プッ、と増田さんが唾を吐いた。そしてゆっくり振り返り、殴りかかった男を見据える。男はまだ笑いながら、指をパキパキ鳴らしていた。その瞬間、再び男が動く。

「あっ」

「ガキはテメエらだっ!!」

 増田さんは早かった。男の動きを読んでいたようにスルリとかわし、空いた男の頬を殴った。私も男達も、一瞬のことに唖然とする。その瞬間、私の腕を掴んでいた男の力が緩んだことに気がついた。その隙をついて、私は肘を思い切り引く。

「がっ」

 男の横腹にヒットする。その場を離れようと一歩後ずさったところで、今度は増田さんが私の腕を掴んだ。

「行きましょう!」

 ほんの数秒の間だった。私達は全速力で石段を駆け上がり、大通りを突っ走った。昼間とは違い、数えるほどしか人がいない。サンダルの音と自分の息遣いが異様に大きく響いて、更に心臓の鼓動を早くさせた。

 小道をいくつも回りくねりながら再び大通りに出たところで、ようやく立ち止まる。二人ともハアハアと息を切らし、まともに話せる状態ではなかった。

「…木下さん、大丈夫ですか?」

「は、はい、増田さんこそ、ほっぺた…」

「ああ、そういえば、殴られましたっけ」

 思い出したように頬を擦っている。そこでもう片方の手にも気づいたのか、そっと私の腕を離した。

「えっと、ありがとうございます。増田さんのおかげで、助かりました」

「いえ、俺は何も」

「増田さんのおかげですっ、私一人だと、どうにもなりませんでしたから…、ホント、良かったあっ」

 力が抜けるって、こういう感じなんだろう。頭のどこかでそんなことを考えながら、私はその場に座り込んだ。良く考えたら、私は結構危なかったんだ。増田さんがいなければ、一体どうなっていただろう。

「木下さん、もう、大丈夫ですよ」

 増田さんがポンポンと軽く肩を叩く。私は頷きながらハイ、ハイ、という力無い返事しか出来なかった。

「あ、最終、何時でしたっけ」

「!」

 増田さんの声に、一瞬で現実に引き戻されてしまった。ハッとして時計を見ると、すでに11時近くを指している…。

「ヤッバー、ない」

「木下さん、バスでしたよね」

「そうなんです、もう止まってますー」

 今度は別の意味で力が抜けた。どうしてこんなに運が無いのか。

「増田さんは…」

「俺は自転車ですよ、バイト先に停めっぱなしなのですぐに取りに行けます」

「はあ~、どうしましょう…」

 明日も朝6時からコンビニのバイトがある。電車を使っても駅から家まではかなり時間がかかる距離だ。

(じゃあタクシーを拾うべき?でもそんなお金なんて持ってない…!もうこのまま帰る方法を探すよりはいっそ…)

「よしっ、ここならマックもネカフェもあるし、明日になるまで待機しますっ」

「じゃあ一緒に付き合いますよ」

「ええっ」

 私の結論が分かっていたようにサラリと答える増田さん。

「そんな、ダメですよ!そこまで付き合わせるわけにはいきません!私といても良いことなんて…」

「良いことなんて期待してません。まあ当然ですよ、またさっきみたいなことがあったらどうするんですか?」

「…、それは…」

「じゃあ決まりです。とりあえず、何か食べましょう。お腹すきました」

「……」

 困るような、嬉しいような。ズンズンと歩いて行く増田さんの後ろ姿は、妙に頼もしく見えた。


 ファストフード店は夜中でも相変わらず人が多い。友達同士で話し合うグループがいくつもあって、店の中は賑やかだった。三階まで上がり、唯一残っていたソファの席に座る。

「この階はまだマシですね。勉強している人が多いですし」

「ですね、何とか落ち着けそうです」

 ポテトを摘みながら店内を見回す。音楽を聴いている人、勉強したり読書をしている人、うつ伏せで寝ている人…様々だ。

「増田さん、あの…」

「謝るのとか、別にいいですから」

「……」

ハンバーガーを頬張りながら言われる。

「違います。そうじゃなくて、今日は、本当にありがとうございました」

「いいえ、俺も良い休日になりました」

 にこりと微笑む。

「…からかってますよね?」

「本心ですよ」

 もぐもぐ。

「…なんか、違和感あるんですよねー」

 ムッとしてそう言い返すと、増田さんは面白そうに私を眺めた。

「よく言われます。だから笑わないようにしてるんですよ。そうすると誰も話しかけて来ない。木下さんぐらいですね。だから、木下さんと話すの、面白いんですよ」

 やっぱり面白がっているのか。

「いつも笑っていれば、珍しくないし、変に思われないですよ?」

「そうでしょうけど、面白くないのに笑うのは、苦手ですから」

「……」

 結局こういう人なのだ。誰だって面白くないのに無理に笑わなきゃならないなんてウンザリに決まってる。でもそうして自分の気持ちに正直過ぎると、周りと上手くやっていけるわけが無い。それでも自分を貫こうとする増田さんは、すっごくマイペースな人ってことだ。

「何考えてるか、分かりますよ」

「そうですかあ?」

 私もハンバーガーに噛り付いて、知らない振りをする。

「木下さんは、本当に分かり易い人ですね。良く言えば素直で可愛らしいってとこですか。今日一日で、よく分かりました」

「!」

 思わずむせそうになった。この人は一言の威力がたまに重い。

「またっ、変なこと言って。それに、今日だけで私のこと分かったようなこと…」

「それはこっちも同じですよ。それで俺のこと、分かったつもりですか?」

 その時、何故かハッとした。今日ファミレスで増田さんがいつもと違っていたこと。あれはもしかしてわざとだったんじゃないか。増田さんは私に興味を持たれていることに気付いていて、それであの時あんな態度を取った。私はまんまとそれに引っ掛かって、増田さんを観察していたつもりだったけれど、逆に私自身が増田さんに観察されていたんじゃないか。

「どうしました?」

「いえ…」

 これはただの私の想像。実際はどうかなんて、知っても何の意味も無いことだ。しかし、ふいに浮かんだその想像は、私の胸にゆっくりと突き刺さって、鼓動を早くさせた。今日感じた私の増田さんのイメージが、急に自信のないものとなって歪んだ。近く感じた存在に、再びぼんやりとモヤがかかる。目の前にいるのに遠くなる、そんな感じ。


「もし言葉が無かったら、私達、どうやって何かを信じられるんでしょうね」


 唐突に、そんなことを思った。

 言葉が存在しなければ、人はどうやって、愛情や、怒りや、悲しみを相手に伝えることができるんだろう。表情だけでもそれなりに相手の気持ちを感じ取ることはできるけれど、その理由が分からなければ、本当に真剣に相手の気持ちを感じることはできない。

「何ですか、突然?」

 増田さんがコーラを飲みながら、不思議そうに私を見る。

「えっと、つまり、言葉が無ければ、人って何も信じることができないと思うんです。相手のことを知りたいとか、自分のことを知ってもらいたいとか、そういうのってただ見てるだけじゃ本当に理解する事はできなくて、ちゃんとお互い話し合わないと、ああこの人はこういう人なんだって、信じることはできないっていうか」

 今日一日を通して感じた増田さんの像。それがすべてではない。けれどバイトの時に感じていた増田さんのイメージと、今のイメージはまた違っていて、それは今日の増田さんの一言一言から得られたものだった。

「でも、嘘をつく人もいますから。言葉に信用性なんて無いですよ」

「そう、ですね。だけど、嘘をつくのにも、言葉を使いますから。人が何かを信じるためには、言葉が必要だと思うんです、やっぱり」

 ジャラジャラと、氷が入りすぎたアップルジュースをストローでかき混ぜる。

「結局、俺がどんな人であろうと、木下さんが持っている俺のイメージが、木下さんにとっての俺だって、そういうことですね」

「はい」

 こんがらがりそうだが、要するに言いたいことはそれだけだ。

「私は、今日一日を無駄にしたくないんです。お昼、ファミレスでご飯を食べているとき、これは増田さんのことを知るチャンスなんじゃないかって、そう思いました。だから…たとえ増田さんが私を試して、自分を偽っていたとしても、今日話して、感じたこと…、増田さんは無愛想で正直でマイペースで、でも凄く優しい人なんだって…、信じたいんです」

 そんなつもりは無かったのだが、私はもの凄くハッキリと、増田さんに告白していたのかもしれない。好きだと。それでも恥ずかしくならず、全くそんな雰囲気にならなかったのは、増田さんも私の言葉を素直に聞き入れてくれたからだろう。

「何となく、分かります。俺も、自分の持っている木下さんのイメージを、信じたいですから」

 その場にもたくさん人がいるのに、その声は遥か遠くに聞こえた。けれどみんな同じだろう。誰も自分達の会話に集中しているのだから。

「一応言っておきますが、俺は自分を偽っていませんよ。でも、木下さんの話を聞いていると、俺にとってもチャンスだったんじゃないかって思いました。あのファミレスは。俺のことを知ろうとしてくれる人なんて、なかなかいませんから」

 コーラを置き、増田さんはソファの背にもたれかかる。その顔はぎこちなく笑っていた。今までの違和感のある笑顔ではなくて、自然で、幼い。

「朝になるまで、待ちましょうか」

 そう言って増田さんは目を閉じた。私も机の上のゴミを綺麗に片づけた後、そこにうつ伏せになって目を閉じる。最後に見た増田さんの笑顔が目に浮かんだ。でもそれはやっぱり、ぎこちなかった。


 再びザワザワと周囲が騒がしくなって、ハッと目が覚めたのは午前5時過ぎだった。私達もバイトに行くために軽めの物を食べ、支度を始める。化粧は軽く直せたけれど、風呂に入っていない気持ち悪さは残った。それでも増田さんも同じ状況ということが、何とか私の救いだった。

 店を出て大通りに向かうと、車はいくらか走っているものの、やはり人通りは少なかった。既に太陽は眩しく輝き始め、私達の眼をクラクラさせた。

「気持ちいいですね」

 増田さんが呟く。まだ熱気は無いものの、既に空気は夏の匂いがした。小学生の、夏のラジオ体操を思い出す。

「昨日のことが、だいぶ昔のことみたいです」

 数時間寝ただけで、頭がぼんやりとして上手く思い出せない。増田さんと話した色々なこと。凄く大事な時間だった記憶はある。

「でも、俺は楽しかったですよ。いい時間を過ごせました」

 増田さんを見ると、違和感のある笑顔。もう分かった、この人がこういう笑顔をするとき。

「増田さんって…」

 突然目の前が暗くなって、気付いたら私の唇と増田さんの唇が合わさっていた。本当にごく自然で、驚きはしたけれど、当然のような感じもした。

 ほんの数秒。

「行きましょうか」

 増田さんは私から離れるとスタスタと大通りを歩き始める。何それ?

「待ってくださいよっ」

 小走りで追いかける私を後ろ目で見ながら、増田さんは笑顔で言う。

「梅じゃこ納豆、売れるといいですね」

「もちろん!頑張りましょう!」

 大通りの中は、私達の声だけが響いていた。


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