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【フィオナ編】三年間、馬の脚の話に耐えた私へのご褒美は「自由」でした

自家発電したくなりました。文才ないのでAIも活用して書いてます。

「フィオナ・ルーベンス! お前との婚約は本日をもって——」

「ありがとうございますっ!」


ぱん、と。

見えない幕が引き裂かれたように、大広間の空気が止まった。

卒業記念パーティーの燭台の灯りが、磨き抜かれた床にきらめいている。金糸銀糸の礼装、宝石、香水、楽団の余韻。華やかであるはずの空間のど真ん中で、第一王子エドワードの断罪宣言は——最後まで言い切られることなく、真正面から叩き割られた。

フィオナ・ルーベンスの、今この瞬間のために三年磨き上げたような、とびきりの笑顔によって。


花が咲いた、では足りない。

牢の扉が開いた瞬間に差し込む朝日のような笑顔だった。

胸の前で両手をきゅっと握り、頬を染め、瞳をきらきらと輝かせる。

婚約破棄を告げられた令嬢の顔ではない。

長年の病が癒えた者か、戦勝報告を受けた将軍か、あるいは——死刑囚が無罪放免を言い渡された瞬間の顔だ。


「ありがとうございます、殿下! 本当に、本当に、心から!」

「……は?」


エドワードが間の抜けた声を漏らした。

その隣にいた聖女候補セリーヌも、さすがに目を丸くしている。

けれど彼女の表情が固まったのは一瞬だけだった。すぐに白百合のような微笑を取り戻し、王子の袖にそっと指を添える。


「まあ……フィオナ様。そんなにお喜びになるなんて。殿下もお優しいですこと」


やわらかな声。

だがその目は、よく磨かれた針のように冷たかった。

フィオナは見逃さない。

この娘は、わかってやっている。

エドワードの退屈さを。

あの、石臼みたいに同じ話題を何百回でも繰り返し、人の時間をすり潰していく鈍重さを。


それに気づけないほど愚かか、あるいは気づいたうえで、王子の機嫌を取るために全肯定している計算高い女か。

どちらにせよ、ろくでもない。


「三年! 三年間お待ちしておりました! 今日という日を!」


言い切った瞬間、大広間のざわめきが一段深くなる。

エドワードの顔が、わかりやすくひきつった。

どうやら彼の用意していた筋書きには、泣き崩れる婚約者も、すがりつく令嬢もいても、晴れやかに卒業証書を受け取るような元婚約者はいなかったらしい。

当然だ。

普通はいない。


でもフィオナにとってこれは、まぎれもなく卒業だった。

退屈という名の、三年越しの拷問からの。



三年前。

フィオナ・ルーベンス、十五歳。

侯爵令嬢。

社交界デビューの夜。


王命によって、第一王子エドワード・フォン・グランハイムとの婚約が発表された。

周囲は祝福した。

王家との結びつきを強める名誉。

将来の王妃。

誰もが羨む立場。


——フィオナ本人を除けば。


理由は単純明快だった。

エドワードが、信じがたいほど退屈だったのだ。


顔は整っている。

金髪碧眼、長身、王子らしい華もある。

剣もそこそこ使えるらしい。


だが会話がだめだった。

天気。

狩り。

馬。


以上。

三年経っても、以上。


驚くべきは、それが単に話題の幅が狭いという話ではないことだ。

彼は本当に、更新されないのだ。


「今日はいい天気だね、フィオナ」

婚約一日目。


「今日はいい天気だね、フィオナ」

婚約百二日目。


「今日はいい天気だね、フィオナ」

婚約三年目、九百何日目。


フィオナは内心で正の字を刻んだ。

いち、に、さん、よん、ご。

また、いち、に、さん、よん、ご。


ついに千を超えた頃には、もはや感動すらなかった。

今日はいい天気だという報告を、婚約者に千回以上される人生がこの世にあるとは、十五歳の自分は想像もしていなかった。


しかも恐ろしいのは、それが王子としての無害な癖で済まないことだ。

エドワードは、相手に興味がない。

フィオナが何を考えているか。

何を学んでいるか。

どんな本を読み、何に心を動かされ、何に向いているか。

一ミリも、興味を示さなかった。


婚約者は対話する相手ではなく、自分の話を聞く背景。

相槌を打つ壁。

時折「すごいですね」と言うための、よくできた置物。

それが、彼にとってのフィオナだった。



婚約一年目の秋。

忘れられない出来事がある。


「今日は特別な場所に連れて行きたい」


そう言われて、フィオナは少しだけ期待した。

秘密の花園かもしれない。

王宮の古塔かもしれない。

王族に伝わる書庫、あるいは夜景の綺麗なバルコニーかもしれない。


連れて行かれたのは、厩舎だった。


「見てくれ、この馬の脚」

「……脚」


「素晴らしいだろう。蹄の形が理想的なんだ。肩から繋にかけての角度も美しい。筋の入り方も——」


一時間。

きっかり一時間。

フィオナは馬の脚について拝聴した。


左前肢、右後肢、歩幅、筋肉、骨格、血統。

風は冷たく、藁の匂いが鼻につき、途中から自分が令嬢なのか馬番なのかわからなくなった。


心の中で、正の字を刻む。

ひとつ、ふたつ、みっつ。

五つで線を引き、また五つ。


七百を越えたあたりで、エドワードが満足げに言った。


「ああ、そういえば今日はいい天気だね」


その瞬間、フィオナは理解した。

この男は、進歩しない。

会話というものを、相手と積み上げていく発想自体がないのだと。



二年目の冬はさらにひどかった。


王宮主催の舞踏会。

外交も兼ねた華やかな夜会。

各家の令嬢と令息が立ち振る舞いを競い、視線と視線で情報を交換し、笑顔の裏で縁談も同盟も動く場。

そこは次期国王たる者が、最も公共性を示すべき舞台のひとつだった。


フィオナは三日かけて髪飾りを選び、深い青のドレスを仕立てた。

星空を映したような刺繍。

夜会にふさわしい装い。

そして、エドワードとのダンスに備えて足運びも完璧に練習した。


いざワルツが始まって。


「フィオナ」

「はい、殿下」


「今朝、猪を仕留めた」


始まった。


「……そうですか」


「百五十キーレはあったな。右へ逃げたから、私は左へ回り込んで——」


ワルツの拍子に乗って語られる、猪の突進ルート。

楽団の音色に重なる、猪の体重。

きらびやかな外交の場で、次期国王が熱く語るのが領地の税制でも隣国の動向でもなく、猪の進行方向。


控えめに言って、終わっていた。


「殿下」

「なんだ」


「そのお話は……踊り終わってからでも」


「ああ、そうだな」


少しだけ希望が灯った、次の瞬間。


「ところで今日はいい天気だったね」


フィオナは完璧な笑顔のまま、心の中で何かが折れる音を聞いた。

ぱきり、と。

骨ではない。

期待だ。



その日から彼女は、耐えるために学び始めた。


王宮図書室。

茶会までの空き時間。

晩餐会前のわずかな隙。

婚約者を待たされる時間。


婚約者の話に付き合わされることで削られた心を埋めるように、経済学の本を読んだ。

税制。

街道整備。

穀物価格。

交易路。

治水。

労働力の再配置。


ルーベンス家は代々、数字と記録を武器にしてきた家だ。

領地経営に強く、実務に強く、帳簿と統計の束から未来を読む。

フィオナの血にも、その気質は流れていた。


だから学べた。

だからわかった。


この国に必要なのは、晴天の報告でも猪の武勇伝でもない。

変化を読み、数字をつなぎ、手を打つことだと。


何度か、エドワードに話そうとしたこともある。


「殿下、北部街道の補修費についてですが——」

「そういえば新しい馬を見たかい?」


「西方との交易量が昨年比で——」

「昨日の狩りで鹿を三頭」


「王都の物価が上がっていて、今の税率では——」

「今日はいい天気だね」


全部、流された。

国益につながるかもしれない提言も。

王子妃候補として身につけた知識も。

ルーベンス家の娘として鍛えられた実務感覚も。

彼の退屈さの前では、存在しないのと同じだった。


それはただつまらないだけではない。

有能さを、芽の段階で踏み潰す退屈だ。

静かな暴力だった。


日々を変えず、

相手を見ず、

昨日と同じ今日を千回繰り返すことで、

少しずつ誰かの時間を殺していく暴力。


だからフィオナは数えた。

正の字を。

天井の模様を。

舞踏会の燭台の数を。

窓枠の彫刻を。

話が終わるまでの拍数を。


数えなければ、削られる。

数えなければ、自分が空っぽになる。



そうして三年。

一〇九五日。


フィオナは毎朝思った。

今日こそ終われ。


毎晩思った。

明日こそ終われ。


そして卒業パーティー当日の朝。

侍女のアンナが駆け込んできた。


「お嬢様。聖女候補のセリーヌ様が、殿下と親しくしておられると」


「来たわ」


「え?」


「来たわ、アンナ。ついに」


顔が勝手に上がる。

頬が緩む。

胸が跳ねる。


「お嬢様、お顔が……」


「輝いてるでしょう」


「はい……それはもう、驚くほど」


「三年待ったのよ。輝くに決まってるじゃない」


フィオナは迷わず白いドレスを選んだ。

花嫁の白ではない。

解放の白。

再出発の白。

もう誰の色にも染まらない、真っさらな白だ。


「お嬢様、今日の白は少し目立ちすぎるのでは」


「いいの。今日は祝いの日だから」


「祝い……」


「私の人生が動き出す記念日よ」



そして現在。

大広間。


エドワードはまだ状況を理解できていない顔で立ち尽くしていた。

セリーヌがすかさず王子の腕に身を寄せる。


「殿下……おかわいそう。婚約を解消してさしあげるのに、こんな無礼な喜び方をなさるなんて」


ああ、やはり計算高いほうだ、とフィオナは思った。

そのうえで、セリーヌは続ける。


「わたくしでしたら、殿下がお話し中に数え事なんていたしませんわ。時計を見ることも、退屈そうに窓の外を見ることも。殿下のお話はいつだって学びに満ちていますもの」


大広間の空気が、ぴしりと鳴った気がした。

それを聞いたエドワードの顔に、安堵が差す。

あろうことか、彼は本気で救われたような顔をした。


つまりそういうことだ。

フィオナが三年間どれほど耐えたかではなく、

セリーヌが自分をどれほど気持ちよくしてくれるかにしか、意識が向かない。


しかもセリーヌは畳みかける。


「殿下、素晴らしいですわ。猪の突進ルートをあれほど情熱的に語れる方、他にいらっしゃいませんもの。厩舎の馬の脚一本から、美しさを見いだせる審美眼も」


褒める場所が、ことごとく駄目だ。

いや、駄目な場所を選んで褒めているのだろう。

この娘はちゃんとわかっている。

王子の欠点を美点と言い換えて、気づきの芽を全部摘んでいる。


フィオナは内心で感心した。

ここまで徹底して王子を甘やかせるのは、ある意味才能だ。


どうぞ持っていってほしい。

返品不可で。


「殿下、これで私は自由ですわよね?」


「いや、その……」


「自由!」


フィオナは両手を広げた。


「自由ですわ! 三年ぶりの自由! 本当にありがとうございます!」


笑顔のまま、くるりと踵を返す。

スカートの裾を摘み、大広間の中央を一直線に進む。


背中に視線が刺さる。

百人を超える貴族たちが、呆然と見ている。


知っている。

侯爵令嬢はこんな歩き方をしない。

婚約破棄された令嬢は、なおさら。


けれどもう知ったことではない。


「待て、フィオナ!」


呼び止められて振り返る。


「なんでしょう、殿下。——ああ、もう殿下とお呼びする必要もありませんわね。エドワードさん」


「さん!?」


どよめきが広がった。

扇が止まり、グラスが揺れ、何人かが本気でむせた。


王子に「さん」付け。

宮廷史に残る珍事かもしれない。


「ではエドワードさん。どうぞセリーヌさんとお幸せに」


フィオナは深々と一礼する。


完璧な礼。

角度も、姿勢も、指先の揃え方も、非の打ちどころがない。

侯爵令嬢として叩き込まれた礼法の完成形。


だからこそ異様だった。

その礼は婚約破棄された女のものではない。

長らく苦しめられた課題を提出し終えた優等生の礼だった。


「——本当に、本当に、ありがとうございました」


言い切って、走った。


白いドレスが翻る。

高く結い上げた髪から、細い金の飾り紐がほどける。

大理石の床を打つ靴音が、かつん、かつん、と軽やかに跳ねる。


まるで檻から飛び出した白い鳥だ。

大広間の扉へ向かって一直線。


途中で片足の靴が脱げた。

だがフィオナは止まらない。


ちらりと後ろへ飛んだ靴が、くるくる回って赤絨毯の端へ落ちた。

その一瞬を切り取れば、きっと画家たちがこぞって描きたがるだろう、と頭の隅で妙に冷静な自分が言った。


もう片方も次の角で脱げた。

だったらいっそ、とフィオナは走りながら残る靴を蹴り飛ばした。


裸足。

磨かれた床の冷たさが、足裏から駆け上がってくる。


けれどそれすら気持ちいい。

窮屈な靴も、窮屈な婚約も、まとめて脱ぎ捨てた気分だった。


後ろで誰かが叫ぶ。

アンナだ。


「お嬢様ー! 走らないでくださいませー!」


無理。

今のフィオナを止められるものがあるなら見てみたい。


王宮東翼の回廊を駆け抜ける。

石柱の影が流れ、甲冑の飾りが一瞬ごとに視界を横切る。

渡り廊下ではステンドグラスの光が白いドレスに降りかかり、赤、青、金の色がはじけた。


中庭へ出れば、薔薇の垣根の向こうで庭師が目を剥く。

衛兵は敬礼の途中で固まり、片腕を上げたまま彫像になった。


「……今の、ルーベンス侯爵令嬢か?」

「たぶん」

「裸足だったな」

「裸足だったな」

「笑ってたな」

「笑ってたな」


フィオナは聞こえないふりで走る。


砂利道。

白い裾が汚れる。

足裏が少し痛い。

それでも止まらない。


三年分の息苦しさが、一歩ごとに抜けていく。


「アンナ! 馬車! 実家に帰るわ!」


「お嬢様、靴が!」


「靴なんかいい!」


「侯爵令嬢としてよくありません!」


「今の私は元婚約者よ! 少しぐらいよくなくて結構!」


馬車に飛び込む。

肩で息をしながら、フィオナは窓の外の王宮を見た。


あそこには三年間、自分の時間を置いてきた。

笑顔で。

礼儀正しく。

きちんと務めを果たして。


でももう、取りに戻る必要はない。


「アンナ」

「はい」


「私、今日から何をすればいいと思う?」


「それは……お好きなことを」


「好きなこと」


その言葉が新鮮だった。


三年間、予定はすべて王子基準だった。

茶会、晩餐会、視察の付き添い、舞踏会、贈答品選び。

その隙間に図書室で本を読むのが精一杯だった。


やりたいこと、という発想自体、久しぶりだった。


「……お茶会以外のことがしたいわ」


「それはわかります」


「もう紅茶の香りだけで、条件反射で『今日はいい天気ですね』って返しそう」


「重症です」


「でしょうね」


馬車が動き出した。

王宮の塔が少しずつ遠ざかる。


フィオナは窓からその景色を見送りながら、胸の内にふっと空いた場所を感じた。


失ったのではない。

空いたのだ。

ようやく何かを入れられる余地ができたのだと、わかった。



翌日。

ルーベンス侯爵邸。


「お帰りなさい、フィオナ」


母クラリッサは、いつも通り涼しい顔で娘を迎えた。

四十代半ば。

美しい人だ。

やわらかな微笑みの裏に、鋭い計算と、簡単には揺らがない芯を隠している。


フィオナは昔から知っている。

この母は、優しい。

そして、怖い。


「ただいま戻りました、お母様」


「婚約破棄されたそうね」


「はい!」


「その晴れやかな顔をやめなさい。使用人たちが反応に困るわ」


「だって嬉しいんですもの」


「知っているわ。あなたがエドワード殿下を心の中で何と数えていたかも」


フィオナの背筋がぴしりと伸びた。


「……何を、ですか」


「『今日も天気、一。狩り、二。馬、三』と正の字を刻んでいたのでしょう」


「なぜそれを」


「ルーベンスの女を甘く見ないことね」


クラリッサは優雅にソファへ腰かけた。


「私たちの家は、記録と計数で財を守ってきた一族よ。収穫量、税率、街道の通行量、井戸の水位、冬越しの麦の残量。数えて、記して、次を読む。それがルーベンス家」


淡々とした声音。

けれどそこには誇りがあった。


「あなたが耐えるために数えていたことくらい、見ればわかるわ」


フィオナは口をつぐむ。

母は続ける。


「婚約の夜、あなたは鏡の前で言ったでしょう。『三年で終わらせる』と」


「……聞いていたのですか」


「壁は耳を持つものよ」


たぶん壁ではない。

アンナだ。

いや、それ以前に母自身が気づいていたのだろう。


「止めようとは思わなかったんですか」


「思ったわ。何度も。でもね」


クラリッサの目が細くなる。


「あなたに必要だったのは、ただ逃がしてもらうことではなく、自分の足で外へ出ることだった」


フィオナは息をのんだ。


「聖女候補のセリーヌが殿下に近づいていたのも、知っていたわ」


「……やはり」


「泳がせたの。あなたの出口になるなら、その程度のことはする」


恐ろしい。

だが同時に、胸の奥が熱くなる。


「お母様は……私のために」


「当然でしょう」


クラリッサはあっさり言った。


「ルーベンスの女は退屈では死なないわ。でも、退屈に殺されることは許さない」


部屋の空気が変わった。

やわらかな朝の光の中で、母の言葉だけが刃のように冴える。


「王家の男たちは時々、天気と狩りと馬で思考を止めるの。けれど領地は、それでは回らない。税も、道路も、備蓄も、人の暮らしも、そんなもので守れはしない」


クラリッサは笑った。

優雅に。

冷ややかに。


「文明を停滞させる退屈に、娘の人生を食わせる気はないわ」


その瞬間、フィオナははっきり理解した。

母は最初から見ていたのだ。

娘が王子に恋していないことも。

耐えていることも。

その耐える間に、ちゃんと力を蓄えていたことも。


「王宮の図書室で読んでいた本、無駄ではなかったのでしょう?」


どきりとする。


「ご存じでしたか」


「経済学の棚の貸し出し記録くらい確認するわ」


さすがルーベンス家。

怖い。


「北部街道の補修計画。組める?」


「……組めます」


「昨年の穀物流通量の増加分を踏まえて、宿場町の再配置案は?」


「三案あります」


「冬季の除雪費用の平準化は?」


「人足の配置を変えれば可能です」


答えるほどに、胸の中で何かが灯っていく。


これは相槌ではない。

飾りの会話でもない。

ちゃんと聞かれ、ちゃんと返せる会話だ。

こんなにも呼吸が楽なのかと、フィオナは今さら知った。


「結構」


クラリッサは満足そうに頷いた。


「では明日から働きなさい。自由になったのなら、次は実力を使う番よ」


「はい」


「コーヒーは書斎に用意させるわ」


「……ありがとうございます、お母様」


「礼は結果で返しなさい」


フィオナは笑った。

母も笑った。


同じ目。

同じ口元。

ルーベンス家の女の笑み。

その奥にあるものまで、たぶん少し似ている。



翌朝。


フィオナは日の出前に目を覚ました。

誰の予定も入っていない朝だった。


茶会の支度もない。

王子への挨拶もない。

話題の予習もいらない。

今日の天気を褒める準備も、猪の話に感心する練習も、馬の脚にうなずく義務もない。


寝巻きのまま窓を開ける。

冷たい空気が流れ込んだ。


東の空が白み、丘陵の向こうから光が滲んでくる。

ルーベンス領の畑。

街道。

森。

朝もやの中に沈む家々。


世界が、ゆっくり色づいていく。


フィオナは深く息を吸った。


胸が、痛くない。

窮屈なドレスもない。

誰かの話を遮らないように浅く呼吸する必要もない。


「……書斎の本棚を整理しよう」


声に出してみる。


自分の予定を、自分で決める。

それだけのことがこんなにも甘美だとは思わなかった。


「北部街道の地図を取り寄せて……コーヒーを淹れて……窓を開けたまま、予算案を引こう」


次々に思いつく。


やりたいことがある。

学んだことを試したい。

見て、考えて、組み立てたい。


誰かの隣で笑うためではなく、

自分の足で立つために。


ノックの音がした。


「お嬢様、コーヒーをお持ちしました」


アンナだ。


「入って」


湯気の立つカップを受け取る。

一口飲めば、苦みの奥にかすかな甘みがあった。


紅茶とは違う味。

けれど、嫌いじゃない。


「お嬢様」


「なに?」


「とても、いいお顔をされています」


フィオナは窓の外へ目を向けた。

ちょうど朝日が地平線から顔を出すところだった。


金の光が丘を撫で、畑を染め、街道を照らし、これから自分が歩く場所すべてを明るくしていく。


「そうね」


フィオナはカップを持ったまま、ゆっくり笑う。


「だって、ここからが私の人生だもの」


退屈に削られた三年は終わった。

壊れたのではない。

壊したのでもない。

止まっていたものが、ようやく動き出しただけだ。


ルーベンス家の女は、

自由になった瞬間から——強い。

あとがきのような王子視点が続きますが、基本この1話で完結です。

王子視点は4月2日投稿目指して頑張ります。

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― 新着の感想 ―
侯爵令嬢は解放されて読んでるこちらまでスッキリしましたが、が、 この王子様は現代だと何か病名が付きそうな? 盤面に傷が付いたレコードの様に、朝が来る度記憶のリセットでもしてるのか?ってくらい、3話題…
「何でしょう殿下。あ、もう殿下とお呼びしなくてもよろしいですわよね。エドワードさん」 殿下を殿下と呼ばなくていいって、なぜ?
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