第2章:王宮の光と影
エリノア・ヴァンセルは、王宮の庭園での茶会から数日が経った今も、あの出来事が夢だったのではないかと思うことがあった。ヴィンセント・ルグラン王子が彼女に放った言葉――「君のような女性が、僕には必要だ」――は、彼女の心に深く刻まれていた。あれは本当に求婚だったのか、それともただの気まぐれな言葉だったのか。エリノアには確信が持てなかったが、胸の高鳴りは抑えきれなかった。
その日、ヴァンセル家の屋敷に再び王宮からの使者が訪れた。クラリスが慌ててエリノアの部屋に駆け込んできた。
「エリノア様! また王宮からのお召しです。今度は正式な晩餐会にご招待だそうです!」
エリノアは目を丸くした。晩餐会への招待は、貴族の中でも特に選ばれた者だけが与えられる名誉だった。しかも、王子の個人的な招きとなれば、その意味はさらに重い。彼女は急いで支度を始め、クラリスに手伝ってもらいながら、淡い水色のドレスを選んだ。胸元に大きな飾りはなく、シンプルながらも彼女の気品を引き立てるデザインだ。鏡を見ながら、エリノアは一瞬ローランドの言葉を思い出した。「貧相な体型」と嘲られたあの屈辱が、脳裏をかすめた。だが、彼女は首を振ってその記憶を振り払った。
「もう、そんな言葉に縛られるのはやめるわ。」
エリノアは小さく呟き、決意を新たにした。
王宮に到着したエリノアは、その壮麗さに圧倒された。ルミエール公国の王宮は、魔法の結晶が埋め込まれたシャンデリアが輝き、大理石の床には精緻な模様が刻まれていた。晩餐会の会場には、貴族たちが華やかな衣装で集まり、笑い声と音楽が響き合っていた。エリノアが会場に入ると、一瞬ざわめきが起こった。彼女の婚約破棄の噂はすでに広まっていたが、今や王子の茶会に招かれたという新たな話題が加わり、好奇の視線が彼女に集まった。
「エリノア・ヴァンセル嬢、おいでいただき光栄だよ。」
ヴィンセント王子が近づいてきた。彼は深紅のマントをまとい、黄金色の髪が燭台の光に映えて輝いていた。エリノアは丁寧に礼を述べ、彼の手を取って席に案内された。驚くべきことに、彼女の席はヴィンセントのすぐ隣だった。これは、王子が彼女に特別な関心を示している証拠に他ならなかった。
晩餐会が始まると、ヴィンセントはエリノアに穏やかに語りかけた。
「君がローランド・デュモントと縁を切ったと聞いて、正直驚いたよ。彼のような男が君を見限るとは、信じられない愚行だ。」
エリノアは一瞬言葉に詰まったが、正直に答えた。
「殿下、彼は私の体型が気に入らないと言って、イザベル・フォンタン嬢を選びました。私には屈辱的な理由でしたが、今はもう過去のことです。」
ヴィンセントは彼女の言葉を聞き、眉を寄せた。そして、静かに、だが力強く言った。
「その程度の価値観で人を測る男が、貴族を名乗る資格はない。君の美しさは、目に見える形だけではない。知性と優しさ、そして芯の強さ――それが僕にははっきりと見える。」
エリノアの胸が熱くなった。王子の言葉は、彼女がずっと求めていた肯定だった。ローランドに否定され、貴族社会で嘲笑われた彼女にとって、それは救いにも似た響きを持っていた。晩餐会の間、ヴィンセントは彼女に国の未来や、魔獣が跋扈する辺境の平定計画について語り、エリノアの意見を真剣に求めた。彼女は自分の知識を総動員して応じ、そのたびにヴィンセントが感心したように頷くのを見た。
一方、その晩餐会の場に、ローランド・デュモントの姿もあった。彼はイザベル・フォンタンを連れて参加していたが、エリノアがヴィンセントの隣に座る姿を見て、顔が青ざめた。イザベルは派手な赤いドレスで胸元を強調し、ローランドに媚びるように笑っていたが、彼の目はエリノアに釘付けだった。
「ローランド、どうしたの? 顔色が悪いわよ。」
イザベルが不満げに言ったが、ローランドは答えなかった。彼の心中には、嫉妬と後悔が渦巻いていた。エリノアが王子と親しげに話す姿は、彼が想像もしなかった光景だった。
晩餐会の後、ヴィンセントはエリノアを庭園に誘った。夜空には二つの月が浮かび、魔法の光が庭を幻想的に照らしていた。
「エリノア、君には王宮にいてほしい。僕のそばで、ルミエールを共に支えてくれる人になってほしい。」
ヴィンセントの言葉は、茶会での発言よりも明確だった。エリノアは息を呑み、彼を見つめた。
「殿下、それは……私のような者を、ですか?」
「そうだよ。君だからこそ、だ。」
ヴィンセントは彼女の手を取り、優しく握った。その温もりに、エリノアの心は決まった。
「殿下、私でよければ……喜んでおそばに。」
その瞬間、二人の間に静かな絆が生まれた。エリノアは初めて、自分が誰かに必要とされていると感じた。そして、その夜、彼女は王宮に留まることを許され、客室を与えられた。
翌日、ローランドのもとに衝撃的な知らせが届いた。ヴィンセント王子がエリノア・ヴァンセルを正式に婚約者として迎える意向を示したのだ。貴族社会は騒然となり、ローランドの名は笑いものとなった。
「あの女を捨てたばかりに、王子の婚約者を逃した愚か者」と囁かれ、彼の評判は地に落ちた。イザベルでさえ、彼への態度を冷たくし始めた。
「ローランド、あなたって本当に見る目がないのね。私だって、王子と比べられたら恥ずかしいわ。」
彼女の言葉に、ローランドは歯を食いしばった。
エリノアは王宮で新しい生活を始めていた。ヴィンセントは彼女に、国の歴史や魔法の知識を教え、彼女を側近として育て始めた。ある日、彼はエリノアに小さなペンダントを贈った。青い宝石が輝くそれは、ルミエール王家の象徴だった。
「これは君への信頼の証だ。エリノア、これから僕たちは共に歩む。」
エリノアは涙をこらえ、感謝の言葉を述べた。彼女はもう、ローランドの嘲笑に縛られることはなかった。
一方、ローランドは自らの選択の愚かさを噛み締めていた。彼が捨てたエリノアは、今や国の未来を担う存在となり、彼には手の届かない高みに立っていた。貴族たちの冷たい視線と、イザベルの軽蔑する態度に耐えながら、彼は初めて自分の浅はかさを呪った。




