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親愛なる魔女へ

作者: 小松屋侑利
掲載日:2026/01/26

 ──親愛なる魔女へ。わたしを無能にしてください。


 古今東西、最強になりたいと願う人は多いが、わたしは違う。なぜなら世話を焼かれたいからだ。


 なにも完全無欠な執事を雇い、女王様のような至れり尽くせりの生活を送りたいわけではない。

 愛する人と与え与えられる関係を育みたい。

 長年、母と妹に癒しと狩りの成果を渡してきたわたしの心は、いつの間にか疲れ果てていた。


 だから、わたしは魔女を連れて家出をした。


 初日はシルバーカーを押す年配者にひっつきながら交差点を攻略し、今では交通量の多い大通りもひとりきりで渡れるまでになった。


 偏食家なので食事に悩む日もあるが、わたしのしなやかな身体とまるく大きな瞳は目立つようで、声をかけられる機会が多く、苦労知らずで済んでいる。


 時に意地悪をされたり、首輪を付けられそうになったりと危険な目にも遭遇するが、有能なわたしは回避する方法を知っている。それが魔女の力だ。


 潜在意識に願望を刷り込ませ、行動に変化を起こし現実化させる。

 ある種のおまじないのようなもので、魔女はわたしの中にいる頼もしい存在だった。


 もちろん潜在意識に沿わない願いを叶えることは不可能で、いま得たいものや、なりたい姿を純粋に思い描く必要がある。


 心の矛盾を魔女は許さない。


 例えば、空腹のときは大大大好きな好物を手に入れて喜ぶ姿を思い浮かべる。

 すると、猫脚のシェーズロングに腰掛けた魔女が、優しく微笑むのだ。



 ──ほら、来た。

 コンビニの袋を手首に引っ掛けて、公園の入り口に並んだアーチ型の車止めに腰掛ける派手めな女性。


 今日は、この人に朝ごはんを奢って貰おう。


 美しい花壇の横を小走りで駆けて、相手の表情がわかる距離まで近寄る。


 さらさらのショートヘアから覗く長い首。

 鮮やかなメイクがよく映える女性の顔立ちは整っており、射るような眼差しと姿勢の良さは安易に迎合しない強さを漂わせていた。


 猫よりも鋭い爪でミネラルウォーターのキャップを開け、ボトルに口につける。

 彼女が動くたびに、ネイルのビジューがキラキラと輝く。

 わたしの爪とは全然違う。


 ふいに、彼女の長い睫毛が揺れて、視線が絡む。


 一瞬怒られるかと思ったが女性は何も言わず、わたしをもっと近くに招くと、袋の中からお弁当を取り出し、プラスチックの四角い蓋に食べ物を分けてくれた。


 本日の朝食は、甘いさつまいもとデザートにさくらんぼを添えて。


 正直なところ、コンビニの食事に期待はしていなかったが、願ったとおりの好物の登場に気持ちが舞い上がる。

 実家の味付けより若干濃いけれど、冷たいさつまいもは嫌いじゃない。


 心優しい女性に何度もお礼を伝えて、至福の瞬間を味わう。その間、彼女はお弁当に箸もつけず、こちらをじっと観察していた。

 気になって食べるスピードを落とすと、ごめんごめんと控えめな笑い声。

 懐かしい友達に似ていたから、と親切にしてくれる理由を教えてくれた。


 その友達のことを忘れようとしても、心に居座って消えないのだと言う。


 愛するひとがいなくなって、誰からも必要とされている気がしないと涙を一粒零す。

 華やかにきらめく指先で、孤独を拭う姿に胸が締め付けられ、食事を止めて彼女を慰めた。



 わたしが家出を決行する前日、

 ──あなたはずっと家にいていいのよ。


 母にそう言われた時は、何の疑問も持たずあくびをして聞き流していたが、じゃあ妹は?


 嫌な予感がして、勢いよく二階へ駆け上がる。

 階段の小さな踊り場に、緩衝材と折り畳まれた段ボールが複数枚まとめて置かれていた。


 昨日まで無かった小さな変化に、心がざわめく。


 変化の正体を知りたくない。けれど、何も知らないままでいても焦燥感は強くなる一方で、覚悟を決めたわたしは開いた扉の影から、そっと室内を覗いた。


 妹の部屋はリビングに次いで窓が大きく、窓枠内にカーテンレールもついてあるため、ほかの部屋より天井が高く見える。

 広々として解放感のある空間は、わたしにとってもお気に入りの場所だった。


 ところが今は、廊下に出ていた段ボールと同サイズの箱からヨガマットが飛び出し、床には謎のフィットネス用品。

 母から譲り受けた年季の入った化粧台と傷だらけのチェストは部屋の隅に追いやられている。

 妹が熱心に集めていた海外のファッション雑誌の数々は、分厚いフォトアルバムと共に紐で結ばれていた。


 認めたくないが、荷造りの最中なのだろう。


 これまで妹に渡してきた狩りの成果も、邪魔になって片付けられたのかもしれない。わたしは肩を落とした。


 そんな中、部屋の持ち主はクローゼットに身体を半分ねじ込み、使い古したコートやカバンを次々とベッドに投げていく。

 どこから湧いて出てきたのか、大量の荷物であふれた部屋は窮屈そうだ。


 一度妹と話をしようと通路を確認するが、金属音の鳴るハンガーが床に散乱していて、室内に入るのを諦めた。


 何も言わない妹。何も聞けないわたし。

 妹の人生に必要な存在である自信を失い、たまらず家を飛び出したのが数週間前の話──。



 見知らぬ女性と早めの朝食を終えて、顔を洗い口元の汚れを落とす。

 ポール型の時計を見上げると七時前。

 登校中の学生や通勤する人たちが増えてくる時間帯だ。


 先程まで暗い表情だった女性も、お腹を満たして落ち着いたのか徐々に笑顔が戻っていく。彼女はこれから帰宅するらしい。

 一期一会の出会いに感謝しながら、再度お礼を言って公園を後にした。


 明るいうちに今夜の宿泊場所を探しに行こう。

 人通りの多そうな道を歩いていると、幼稚園の前で送迎バスから降りる園児たちに声をかけられたので、朝の挨拶を交わす。


 魔女は子供が好きだった。

 騒がしいが、素直でわかりやすい。邪推する必要も無い子供の無邪気さは願いごとをする際に、一番重要な心を軽くする術を教えてくれる。


 向かいで園児同士の会話も賑わい始め、そろそろ保育士にも注意されそうだ。

 結局、園児と話している様子を家の前を掃除していた人にジロジロと見られて、早急に立ち去った。


 しばらく散策をしながら、大豆のいい匂いがするお豆腐屋さんを通り過ぎたあたりで、子猫の鳴き声が響いた。


 ほかの通行人同様、わたしも周りをキョロキョロと見回すが姿は見当たらず、とりあえず歩道をまっすぐ進む。

 行き交う人々も増え、甲高い鳴き声はさらに大きくなり、立派な橋が架かったひらけた場所に出た。


 橋の上では荷物を抱えた男子高校生たちがたむろし、スマホを片手に騒いでいる。

 ランニング中の女性も、人だかりの手前で走るスピードを落とし、次第に足を止めて様子を伺う。

 杖をついた老人は、欄干から顔を突き出して何かを呟くと再び歩き始めた。


 もしかしたら、猫が川に落ちて溺れているのかもしれない。

 恐る恐る橋の上から川を覗き込む。水量はあるが、穏やかな流れの川に異変はないように思えた。


 だが、水面から視線をずらすと、堤防の斜面に必死にしがみつき、枯れそうな声で助けを求めている小動物がいた。縞模様の子猫(あの子)だ!


「あ、ちょっと!」

 子猫の姿を確認すると、足が勝手に動いた。

 河川敷に降りたわたしを、群衆の中の誰かが止めようとしたが、もう遅い。


 生い茂る雑草を掻き分けてコンクリートの階段を駆け下り、護岸ブロックのわずかな隙間に手足を引っ掛け、毛を逆立てて威嚇する子猫に手を伸ばす。

 そこまでは良かった。

 この時のわたしは、魔女に願っていた内容をうっかり失念していた。


 バシャン!

 ブロックの一部が濡れていて足が滑り、バランスを崩す。

 橋の上から大きな悲鳴が上がり、慌てて堤防まで泳ぐ。


 無能になったのだから、当然、川にも落ちる。

 今度から願いが叶うタイミングを魔女と相談したほうがよさそうだ。


 わたしが堤防を登るのに苦戦していると、欄干から様子を見ていた老人が、柄の長いタモ網を持ってきて、背の高い高校生がそれを器用に使って硬直状態の子猫をすくい上げる。

 川の中にいたわたしも、子猫と同じように網を向けられ、速やかに救助してもらえた。


 陸地へ移動して、土で汚れた手足を舐める子猫と対称的に、全身びしょ濡れのわたしの足元には水たまり。なにか身体から変な匂いもする。

 困っていると、ランナーの女性がタオルを貸してくれた。


「こんな所にいた!」

 聞き慣れた声に心臓が跳ね上がる。


 反射的に振り返ると、見覚えのないオーバーサイズのスエットとサンダルを履いた妹の姿があった。

 驚きのあまり逃げの体勢をとるが、ぶるっと寒さが身体の芯を走り、くしゃみが何発も出て止まらない。

 その隙に妹の手に捕まり、強制的に我が家に連行されるや否や、浴室に押し込まれる羽目となった。



 身体に付いた不快な匂いや汚れが綺麗に流れ落ち、今日だけは苦手なシャワーも大人しく我慢できた。


 全身が温まり心地いい眠気に誘われ、妹に連れられるまま階段を上がって妹の自室に入る。

 梱包済みの段ボールに埋め尽くされている中、無理やり作った空間にずっと未使用だった猫用のベッドが置かれていた。

 ふかふかの中央に、橋の下で鳴いていた子猫が両手を上げてスヤスヤと眠っている。


 指に真新しい絆創膏を付けた妹が、わたしの頭に手を伸ばす。

 母と妹で選んでくれた、わたし専用のヘアオイルを掌に広げて全体をコーティングする。

 目の粗いブラシで丁寧に梳かし、音のうるさいドライヤーを片手にわたしの背後にまわった。


 これは妹が小学生だった頃からの習慣で、母の仕事を真似て始めたごっこ遊びの一つだった。

 この修行(あそび)の最中は、仏像のように微動だにしないのがマイルール。

 ドライヤーの爆音の中、不平不満を伝えても大抵は聞き入れてもらえないので、ただ妹が飽きるを待つしかない。


 ──親愛なる魔女へ。一刻も早くわたしを解放してください。


 何度も願って、ようやく妹の気が済んだ頃には、わたしはクタクタでベッドに登って早く休みたかった。


 あいにく大量の服が、寝床を占拠したままだったので、仕方なくベッドの端に身体を寄せる。

 狭い領土に不満が募り、邪魔なブランケットと格闘して、割れた爪に入り込んだ糸くずを引っ張った。


「部屋が荒れてて(くつろ)げないよね」

 落ち着きのないわたしの様子に妹は苦笑い。

 ご機嫌取りをするかのように、幼少期の妹と取り合った海老のぬいぐるみを渡され、困惑するわたし。

 白い毛のついた愛用の寝巻きを手放すべきか、悩む妹。

 結局、捨てる決心がつかなかったのか、山の一部と化していた洋服類を黄色いインクで衣類その他と書かれた箱に一気に流し入れた。

 妹の豪快さや素直さは、彼女の魅力であり可愛いところ。


 やっと空いたスペースに身体を沈めると、白いカトレアの花がヘッドボードの上に置かれているのに気付く。

 以前、狩りの途中で拾った花だ。一部の花弁が茶色くなり枯れている。


 この時は狩りが上手くいかず、手ぶらで帰るのも悔しくて、妹を喜ばせる方法をひたすら考え、眠る彼女の枕元に花を置いたのだ。


「あなたが居なくなった日にね。彼氏にプロポーズされて嬉しくて報告するのが遅れちゃったの。浮かれ過ぎかな」

 さっと頬を赤める妹に可愛い以外の感情を抱くなんて思わなかった。


 ──親愛なる魔女へ。わたしを有能にしてください。


 手の筋肉に力を入れて、グーパーをしながら伸びきった爪を確認する。

 窓の外を見上げると、大きな雲が気持ちよさそうに泳いでいる。幸いなことに天気もいい。となれば、その生意気な男の素性を探るのも悪くない。


 もしも出掛けた先で、朝食をご馳走してくれた女性と再会したら、今度はとびきり綺麗な花を贈ろう。

 わたしの魔女に願えば、きっと叶う。


 次の外出計画を考えている最中、子猫が目を覚まし活動を再開し始めた。


 まず猫用ベッドの縁に足を取られ一回転。

 コロンと寝床から放り出されると、目の前の積まれた大箱によじ登る。

 ドライヤーを抱えながら電源コードを束ねていた妹が、小さな挑戦者を見つけて、段ボールから引き剥がし安全な元の場所へ。

 子猫も諦めず、何度も登頂を目指し、何度もゼロ地点に戻される。


 子猫の視点なら、高層ビル群の中に置き去りにされ、急に現れた巨人に行く手を阻まれる大型アトラクション。


 引っ越し作業中の室内で動き回り、怪我をされては困るので、有能なわたしはベッドから降り、やんちゃな子猫の傍でゴロンと横になった。

 交差させた腕に顎を乗せる。

 子猫はホカホカに温まった背中を枕がわりにし始めて、わたしは目を細めた。


 一時的に狭くなった妹の部屋。

 贈った花は枯れてしまったが、荷造りを終えた段ボールには沢山の思い出が詰まっている。


 妹は幸せになると決まっている。


 だから、彼女に世話を焼いてもらうのは最後になるかもしれない。


 家の前でトラックの停まる音がした。妹がドライヤーを床に置くのを見て、にゃあと返事をした。



 fin.

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