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第7話 刻限を司る魔女

 時計の秒針が規則的な音を鳴らしながら時を刻む。近くから、遠くから。時を刻む秒針の音が聴こえる。


 起きているのか、眠っているのか。生きているのか、死んでいるのかわからない。けれど時を刻む秒針の音は鳴りやまない。


 長い間か、短い間かわからない。耳を傾けていた時を刻む秒針の音。その音が突然、カチ、と嚙み合うような大きな音を発したとき、視界が鮮明に広がった。


「やっと起きたのね。お寝坊さんたち」


 シンクとイズの目の前には切り株に腰掛けて懐中時計を閉じたルシア・フェルノールの姿。風になびくブロンドの長髪は夕焼けに照らされて美しく反射し、サファイアブルーの双眼は優しく二人を見つめている。


 先ほどまで身をもって体験した惨劇と視界に広がる平穏はシンクの認識を狂わせる。


 間違いなく飛空艇に乗って、ゴルフィートの応急処置をして、天から降り注ぐ炎の槍に刺し殺されたはずだ。


 身体が、脳が、魂が、それを覚えている。初めて受けた死の恐怖。決して忘れるはずがない。けれどルシアは何事もなかったように振る舞っている。それがシンクを余計に混乱させる。


「どうしたのあんたたち。怖い夢でも見た?」


「違う! さっきのことは絶対に夢なんかじゃない!」


 己の恐怖を振り払うようにシンクは叫んだ。ルシアは「何を言っているかわからないけど」と白々しく前置きしてから会話を始める。


「夢か現実かわからないのは、あんたたちに力がないから。力を与えましょうか? 現実を生き抜く力を。勿論、交換条件だけどね」


 小さく首を傾けて妖艶に微笑むルシアを睨みつけたシンクは立ち上がってイズの手を握る。そして困り顔のイズの手を引いてルシアの脇をすり抜けた。


「無視しないでよ! 旅に出るなら私も誘ってよね!」


 これ以上会話をしないと決めたシンクはルシアの制止を振り切って立ち去ろうとした。けれどルシアが間を置いて言った「もしかして私が怖い?」という言葉が心に纏わりついてシンクは足を止めた。


 強がりたいという気持ちに反してシンクの肩が小刻みに震える。考える気力も、拒否する気力もほとんど残っていない。この世界で生き抜くための知識、経験、力、何もかもが足りていない。


 イズと二人旅を始めるにはまず成長することから始めなければならない。そのためにはルシアのような大人の助力が不可欠だ。


 そんなことは理解している。けれど出会ったばかりのこの女性を信用するには時間も密度も何もかも足りなすぎる。そしてシンクはルシアを信用できない致命的な材料を持っている。


「あんた……もしかしてアクソロティ協会の人間なんじゃないか?」


「あら? よくわかったわね。もしかしてゴルフィートに教わったのかしら?」 


「教わったのはアクソロティ協会についてだ。あのときあんたがレストランで隠れたのは関わるのが面倒なんじゃなくて、面が割れていたからじゃないのか? 自己紹介で東方の三賢者って名乗ってたよな。子分を見逃して親玉の巣を探ろうとしてたんじゃないのか?」


「大正解。八歳の子供だと侮ってたわ。本当に頭が良いのね。――東方の三賢者とは十年前に起きた『超常の災害』でメルトリアの東大陸をマレージョの侵攻から守り抜いた三人を称えた呼び名よ」


 その答えを聞いたシンクはルシアを睨む。ルシアの顔は子供を怯えさせないような優しい顔をしており、それが悔しくてシンクは奥歯を噛み締めた。


「指名手配犯には私の顔は知られているからね。シンクの言う通りゴルフィートのアジトを探るために泳がせたわけ。ちなみにあのとき住民たちを見捨てたわけじゃないわよ。本当にやばそうだったら助けに入るつもりだったし、怪我だって一瞬で治せる。――あとゴルフィートの怪我は治療して部下と仲良く牢屋に入ってもらったから安心して」


 それと、と言ってルシアは腰に手を置くと自慢げに胸を張った。


「改めて自己紹介するわ。私は東方の三賢者にしてアクソロティ協会所属の聖天大魔導士。聖天大魔導士っていうのは十二階級ある中で最高位の魔術師であるということ。あと私の二つ名は刻限。刻限の聖天大魔導士って言われたら私のことね」


 今の話を聞いたシンクはより警戒心を強めた。


 世間の本当の評価はわからない。けれどシンクの出会ってきた人間は全てアクソロティ協会に対して否定的な意見を持つ者ばかりだった。特にあの夜。ヤエとマザーケトの話が脳裏から離れない。


 何故か旅について来ようとするルシア。魔術師相手は初めてだが、本気を出せば逃げられるだろうか。それとも説得すれば考えを改めるのだろうか。


 いずれにしてもアクソロティ協会員と一緒の旅はできない。


 時間にしてはほんの数秒間。けれどその数秒間で必死に考え抜いたシンクは次に投げかける質問を決め、握っていたイズの手を離した。


「ルシア。あんたは神の子供達計画のセカンドチルドレンって言葉を知っているか?」


 真剣な顔を向けるシンクに敬意を払ったのか、ルシアは子供に向ける優しい眼差しをやめた。


「勿論よ。アクソロティ協会員でその言葉を知らない者はいないわ」


「そうか。どうやら俺たちはセカンドチルドレンってやつらしい。――ルシア。あんたは俺たちがセカンドチルドレンであることを知って旅に同行したいのか?」


 シンクはセカンドチルドレンという言葉にどういった意味があるのか知らない。


 けれどラミアーヌ島の人たちが、ヤエとマザーケトが苦悩しながらも八歳の子供たちを島から巣立たせる決断をさせ、ヴェルフェゴールに命を奪われる存在だということはこれまでの経験で理解した。


 だからこれはシンクがルシアを信用に足りる人物か図るために出せる最後の切り札だ。ルシアの返答次第ではシンクは信用できない相手だと烙印を押す。


 ほんの少しだけ生じた沈黙。そのうち、ルシアの口が開く。


「私の娘もセカンドチルドレンなの。その関係で娘の居場所と……ラミア石を探して世界中を旅していたのよ。――ねえ、こうしない? 私はあんたたちを守りながら旅をして知識や経験そして生きる術を教えてあげる。その見返りにラミア石を一つ私に譲って? 見返りの時期はあんたたちの判断でいい。乱暴に取ったりしないって約束するわ」 


 ルシアの提案は二人にとってこれ以上ない破格の条件だ。けれど大切なラミアーヌの雫を渡すということもあるし、そもそもルシアが口先だけで約束を守るとは限らない。


 判断に悩んだシンクはずっと口を閉ざしたまま何の発言もしないイズに意見を伺うため隣に目を向けると、ポケットに手を突っ込みながら退屈そうに欠伸をしていた。


 どうやら話に飽きてしまったようだ。二人の会話はいつ終わるんだ、とでも言いたげな顔をしている。付き合いが長いので顔を見れば考えていることなどすぐにわかる。


「イズ、退屈そうにしてる場合じゃねーぞ。お前はどう思う? ルシアの話。旅に同行してもらって色々助けてもらえるなら俺たちにとってこの上ない話だ。けどこの話が本当かどうかもわからねえ。ルシアが悪者じゃないって証拠もないからな。だから一緒に旅をすれば大きなリスクも伴ってくる」


「別に仲間に入れていいんじゃね?」


「はあ? 結論じゃなくてそう思った理由も言えよな。俺はイズに意見を聞いただけなんだぜ。俺たちの意見をまとめて合理的な判断のもと適切な結論をだな――」


「――そんな難しいのパス! シンクは考える係、俺は決断する係! いつもそうだろ?」 


 二人はついさっき死にかけたばかりで、今は自分たちの人生に関わる大事な決断を迫られている。そんな大事な場面でもイズは相変わらずマイペースだ。けれど一緒に喋っているとなんだか緊張が和らいでいく。なんだか勇気が湧いてくる。


 そこでシンクは思い出した。どんな時でも二人は一緒。楽しいことは二人締め。悲しいことは二人別け。困ったときは二人で解決。小さい頃からずっとそうしてきたはずなのにすっかり忘れていた。


「そう……だったな。――じゃあ、なんか決め手はあったのか?」


「俺がこいつを気に入ったからだ。だって強いし、頭いいし、おばさんだし、面白いだろ? 絶対悪い奴じゃないよ」


 白い歯を見せて満面の笑みを向けてくるイズ。恐怖に怯えて真剣に悩んでいた自分が馬鹿らしく感じ、シンクは大きく溜息をついた。


「ああ、もうどうでもいいや……」


 その言葉を聞いたルシアは嬉しそうに手を差し出してきた。


「それじゃあ私はあんたたちの仲間ね! これからよろしく。イズ! シンク!」


 イズは笑顔で、シンクはぶっきらぼうに、ルシアの手を取った。


「よろしくな! おばさん!」


「俺たちを裏切んなよ? おばさん!」


「誰がおばさんだー!」


 夕日に照らされる賑やかな三人の姿が沈みゆく太陽へと向かう。すると地面に映し出された三人の影が突然追いかけっこを始めた。


 闇夜に染まりゆく世界を三人の喧騒で切り裂きながら。

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