第11話 悪意との対峙
一面に広がった眩い光が薄れて視界が回復してきた頃、最初に見たのは紫炎のオーラ。次に黄金のオーラ。最後に紅蓮のオーラに包まれた女性の背中が見えた。
「アリティエ。あなたが私の邪魔をするなんて以外でした」
ゼリステアは薄ら笑みを浮かべている。一方、背を向けるアリティエの顔はこちらから見えない。
「お戯れを。事を荒立てずドナ、レテル、ルシアの三名を足止めしろと命じたのはゼリステア様ではありませんか。この子を殺せば穏便に話し合いはできませんよ」
アリティエの返答にゼリステアはくすくすと笑う。
「坊やがいけないですよ。嘲罵されても平静を偽るその姿勢が私の愉悦を掻き立てる。おかげで辛抱たまらず化けの皮を剥がしてしまった。あぁ……公衆の面前で恥ずかしい」
ゼリステアの思考がわからない。普通の人間の感覚ではない。
わからないと言えばこの状況もだ。突然眩い光に包まれたこともそうだし、殴りかかったはずなのにゼリステアとは距離を置いていることもそうだ。
わかっているのはさっきまでの怒りがずいぶんおさまっていること。これはきっとルシアに抱きしめられているからだ。
隣にはエリウェルを抱きしめるレテルの姿があり、飛散して宙を舞う紅蓮の粒子は何かの魔術を相殺した残滓なのだと考えれば、前方に立つアリティエはきっとイズやエリウェルを守ったのだろう。
そんなアリティエは少しだけ怒っているように見えた。
「時間稼ぎは終わりました。そろそろよろしいのでは?」
「そうですね。ですが……アリティエ。今のあなたは穏便に済ませたいから、と言う理由で坊やを庇ったようには見えない。嘘をつかず私に本当のことを話しなさい」
その問いかけにアリティエは何かを噛み締めるように間を置いてから口を開いた。
「もう子供の死ぬ姿は見たくない……という理由ではいけませんか?」
「なるほど。あなたが産んだ子は魔力測定で非魔術師だと判定され殺処分されたのだった。――けれどそんな光景もうじき何度も見ることになる」
「そうだとしてもです。見なくて済むならそれに越したことありませんから」
もうじき何度でも見る、とはそんな凄惨な状況が訪れるという意味なのだろうか。少なくともアクソロティ協会が何か企んでいることは明白だ。
それにしてもアリティエが子供を産んでいたなんて知らなかった。今の会話だともう亡くなってしまったらしいけれど、時折垣間見せるアリティエの優しさはこれが要因なのだろうか。
「私の庭で馬鹿に愉しんでるじゃないか、ゼリステア。あんたいつの間に私に盾突けるほど偉くなったんだい? ガキの頃はあんなに可愛かったのに」
声が聴こえて目を向けるとドナがこちらに歩いて来ていた。
「ドナ様には敵いませんね。私を子供扱いできるのはあなたとアレン様くらいなものです」
慎ましく微笑むゼリステア。ドナは鼻で笑う。
「言葉やツラほどあんたの行動は謙虚じゃないね。――で? 今日はどうしたんだい? 準備が整ったから宣戦布告に来たのかい?」
ドナがそう問いかけるとゼリステアはくすくすと笑う。
「そうです……と本来なら伝えるべきところでしたが……ドナ様。いえ、ここに集まるロイケット社交界の方々にも朗報があります」
「なんだって?」
訝しげな顔をするドナをよそにゼリステアは空に目を向けた。その視線を辿るようにみんなが空を仰ぐ。しかし特に変わった様子は見受けられない。
これもゼリステアの策略かと思っていた矢先、遥か上空に突如として強力な波動を感じた。震えた大気から伝播した波動が建物を、人々を揺らし、言い知れぬ恐怖を呼び起こす。
周囲の人々が次々に不安を吐露する中、突如、空が漆黒に爆ぜた。
上空に浮かぶ巨大な漆黒の球体。いや、よく見るとそうじゃない。円球状に空間が歪んでいるから球体に見えただけだ。
発生した漆黒の歪。その周囲を色彩豊かな光のカーテンが覆う。その光景を見た人たちのざわめきが大きくなった。
幻想的で美しい歪。あの歪をイズは一度だけ見たことがある。
超常の災害以降、発生が観測されるようになった歪。メルトリア、ディアタナ、地球の異世界を繋ぐ門。――要の門だ。
方舟で見た人工的な要の門はかなり小規模なものだった。つまりあれは自然発生した要の門なのだろうか。しかし、ゼリステアの言動から察するに要の門が開いたのは偶然ではなく必然。
そう考えていると開門した異世界から超巨大飛空艇が一隻顔を覗かせた。
何もすることが出来ずにただ静観していると超巨大飛空艇が歪を抜け、次第に要の門が閉じていく。そして超巨大飛空艇の中から一つの黒い影が飛び出した。
地上へと急降下を始める黒い影。まるで卵に見えるがあれはなんだろうか。そう思っていると黒い卵の落下が緩やかになり、空中に静止した。
すると次の瞬間、卵が割れ、外殻が漆黒の翼へと変貌し、大きく羽ばたいた。
現れたのは背中に羽を持つ全身真っ黒な人ようなコウモリのような怪物。その怪物は顔いっぱいまで口角を引き上げると鋭利な白い歯を晒した。
「イーッヤッハッハッ! こんにちわこんばんわおはようございます! 初めましての方は初めまして! ご機嫌はいかがかな!? 異世界紳士淑女の皆様方! 俺はマレージョ八貴族にしてハルマトラン様派閥の一人! 名は――」
「「――ダーウィン!!」」
ルシアとレテルが同時に叫んだ。
マレージョはこれまで何人も見てきた。けれど今、空を浮遊するダーウィンと名乗るマレージョは今までとどこか雰囲気が違う。強いとか弱いというものではなく、根本的な何かが異なる。そう、まるで制御が外れたような力を感じる。
そんなダーウィンは大袈裟に肩を落とす。
「本来なら俺のとっておきでおもてなししたいところなんだが……適度に街を破壊して、適度に人間を殺さなきゃならないらしい。だから俺のとっておきはまたの機会に披露させていただきたい。楽しみにしていた皆様には本当に済まないと思っている」
だから……と口走った後、戦慄するほどのプレッシャーがダーウィンから放たれた。その瞬間、黄色・緑・黒が混じった槍のようなものが創造され、それが空を埋め尽くした。
「質ではなく量でおもてなしすることをご容赦いただきたい」
両手を広げて口角を上げるダーウィン。陽気な道化を演じているのだろうか。それが今ほど発した言葉と相まって不気味さを増している。
「おぉ怖い! なんてことだ! マレージョが襲撃してくるとは! 早く本部に戻って対策本部を設置しなければ! ――アリティエ! 早く本部に戻りますよ!」
わざとらしく焦るゼリステア。けれど表情は演じきれておらず、愉悦を感じて笑みが溢れてしまっている。
そんな様子を見ていたドナの眼光が鋭くなった。
「ゼリステア! これがあんたの言う朗報かい!?」
ドナの言葉にゼリステアは薄ら笑みを浮かべる。
「朗報は後日、全アクソロティ協会員に伝達されることでしょう。それまで楽しみにお待ちください、ドナ様」
そんな話をしている二人。ふと気配がして顔を向けるとそっと近づいて来たアリティエがルシアに何かを手渡し、小声で話を始めた。
「ルシア。あとで話があるから」
「あとで?」
ルシアが疑問を呈したときには既にアリティエは背を向けており、オーラを放出しながらゼリステアに近寄った。
「本部に瞬間移動します」
「よろしくお願いしますね、アリティエ。――それではドナ様。そしてロイケット社交界の方々。健闘を」
そう言い残したゼリステアはアリティエとともに姿を消した。
周囲から苛立ちや不安の声が漏れ聞こえる。そんな中、上空からダーウィンの声がした。
「おいおいおい! 降らせるぜ〜? 死の爆弾! スミェールチ・イスカンダー!」
ダーウィンが創造した死の爆弾から次々と激しいオーラが放出され始めた。魔術のことに詳しくないイズでもわかる。あんなものが街中に落とされたら大変なことになる。
そう考えた直後、フィアリスホールが真紅の壁に包まれた。周囲を見渡すと鮮やかな赤が一面に広がっている。まるで宝石の中にでもいるようだ。
「レテル! ルシア! ここはビューラに任せてあんたたちは街の人たちを守りな!」
ドナの怒号。ルシアとレテルは互いに顔を見合わせる間もなくオーラを放出した。
「亡霊の隠匿」
「神界の刻限」
紫炎と黄金のオーラが街に広がっていく。しかし、それより早く空を埋め尽くすおびただしい死の爆弾が超高速で街に落下した。
目で見える視界いっぱいあちこちで爆発が起こって建物が壊れていく。瓦礫が吹き飛び、黒煙がのぼり、かけがえのない命が散っていく。
フィアリスホールを覆う赤い宝石のおかげでイズたちは何の被害もない。けれどそれだけに目を覆いたくなる凄惨な光景が、耳を塞ぎたくなる死の爆音が、安全地帯から嫌というほど感じる。
ルシアとレテルの魔術でどれだけの人が救われたのかわからない。けれど街中に魔術を展開するほどの時間はなかったため、きっと被害は少なくない。
そうしてようやく空襲が終わり、後に残ったのは見るも無残な街の惨状。そしてダーウィンの高笑いのみ。
「イーッヤッハッハッ! 待たせたなお前ら! 少しの間のお楽しみタイムだ! サクッと遊んでサクッと撤退するぞ!」
ダーウィンの言葉を受け、超巨大飛空艇から歓声とともにおびただしい数の影が飛び出していく。きっとあれは全てマレージョたちなのだろう。
「あんたたち!! なんとしてでもこの街の人たちを守るんだよ!!」
ドナが発した号令の直後。フィアリスホールにいた魔術師たちが一斉にオーラを放出し、赤い宝石の外へと飛び出していく。
ルシアも、レテルも、エリウェルも、大人も、子供も、男も女もみんなみんな。自分が出来ることをしようと安全地帯から飛び出していく。
その光景を見て街の人たちを助けなきゃ、自分もみんなの後を追わなきゃ、そう思うのに体が言うことを聞かない。
今の惨劇を見て恐怖したとか、みんなの勢いに尻込みしたとかそんなんじゃない。
ただ、確信してしまった。
ゼリステアは明らかにマレージョの登場を知っていた。ということはアクソロティ協会とマレージョは通じ合っている。この際そんなことはどうでもいいのだが、肝心なのはアクソロティ協会がためらいなく大勢の命を奪う判断をしているという点だ。
アクソロティ協会の悪行は何度も聞いてきた。けれどどこかでそこまで悪者じゃないのでは、と思っていた。
でもそうじゃなかった。アクソロティ協会は本当にためらいなく大切なモノを奪う。
それなら先ほどゼリステアが言っていたラミアーヌ島の話。あの話は本当だったのだと確信してしまった。その事実がイズの体をがんじがらめに縛り付ける。
――嫌だ。そんなの信じたくない。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
――戦え。目の前の人たちが困ってる。自分の感情より今を優先しろ。
二つの意見が心の中でぶつかって葛藤に苦しむイズ。すると突然、左頬に衝撃を受けた。
左頬がじんわり痛み始め、撫でながら意識を外に向けるとシンクの顔があった。右手が拳を握っているのでおそらくイズの顔を殴ったのだろう。
「痛いじゃねーか! 何すんだよシンク!」
「イズ! ようやく正気に戻ったか!? こんなところでボーっとしてないで俺たちも困ってる人助けに行くぞ! 早くこい!」
「お、おい! 待てよシンク!」
シンクに無理やり手を取られ、引っ張られるイズ。思考はまだぐちゃぐちゃで考えはまとまらない。でも今はシンクの言うとおり街の人たちを助けよう。余計なことを考えるのは後回しだ。
そう考えたイズはシンクと一緒に戦場へと走り出した。




