第10話 怒りの理由
フィアリスホールの敷地内には自然の景観を人の手で縮図化した鑑賞性の高い庭園が広がっている。
そこは来賓者の憩いの場として設けられた施設の一つなのだが、今回はロイケット社交界の意向もあって本日に限り屋外レストランとして提供されているらしい。
そんな庭園にやって来たイズの視界には美味しそうな料理に舌鼓を打ちながら談笑に花を咲かせる多くの人たちが映る。
「おお! なんか凄い盛り上がってるな!」
「うん! そうだね! それじゃあ早速行こうか、イズ!」
エリウェルに手を引かれながら屋内庭園の中心に足を運ぶイズは人混みを抜けてたくさんの料理が並ぶテーブルに辿り着いた。
どれから食べようかと悩み、でもどうせ全種類食べるつもりなので手近な料理から取ろうと手を伸ばしたとき、その手が急に弾かれる。
手をさすりながら顔を上げると嫌そうな顔をする大人たちと目が合った。
「なんだ貴様。下品な服を着て無作法をする。見苦しくてたまらん。誰のガキだ?」
「俺は誰のガキでもないぞ? ってかおっさん。もしかして俺の食事を邪魔しようって魂胆か?」
「あ、あの! この子はルシア様のお連れ様です! レテル様からもちゃんと招待を受けてます! そ、そんな言い方失礼だと思います!」
そう補足するエリウェルはイズの後ろから顔を覗かせている。相変わらずエリウェルは引っ込み思案のようだ。けれど知らない大人にもちゃんと自分の意見を言えるようになったらしい。
「おお! エリウェル! ちゃんと言えて偉いな! ――ってそう言えばずっと忘れてたけどさ。エリウェルって俺よりお姉さんなんだろ?」
「え? う、うん。そうだけど……」
「やっぱりそうなんだ。ごめんな、エリウェル。俺その話聞くまで年下だと思ってたよ。今度からお姉さん扱いするからな? それと次からエリウェルお姉さんって呼んだほうがいい?」
「そ、そんなことしなくていいよ……。今まで通りがいい。――ねえ、イズに教えたのシンク?」
エリウェルが不満げな顔をするのでイズは声を上げて笑った。このままシンクのせいにしたほうが面白いものが見れそうだとワクワクしていると胸倉を掴まれた。
「なるほど。貴族に対する礼節すら教え込まれぬ無教養の下民か」
「貴族? 貴族ってなんだ?」
胸倉を掴む男にそう問いかける。すると男は鼻で笑う。
「優れた魔術の才を持つ血筋。その家系を貴族と呼ぶ。これは単なる身分制度ではない。貴様ような無能力のゴミと我ら高貴な魔術師。その種族を区別するために設けられた制度だ」
「ふーん。人間に種族ってあるんだな。俺知らなかったよ」
「勉強になっただろう。神に選ばれた我ら高貴な血筋は貴様たちを命令し従える存在。貴様たちを上手く消費して世界をより良い未来へと導くのが我らの責務。だから貴様たち下等種族が我らと同じ空間で同じ食事をしてはならない。牛や豚や鶏が人間と同じ食卓を囲むのは可笑しいだろ?」
「うーん。でも世界を良くしたいって考えるのは俺も同じだぜ? だって俺の夢は勇者になることだ! 勇者になって世界を救うんだ! だから俺もみんなと一緒だぜ!」
そう答えると周囲から一斉に笑い声が上がった。みんなが楽しそうに笑うのでイズもつられて笑い声を上げているとエリウェルが声を荒げた。
「イズ! あなた今自分の夢を馬鹿にされてるんだよ!?」
「え!? 俺今バカにされてるのか!? ――あっはっはっは! 全然気づかなかった! これは一本取られたぜ!」
「全然一本なんて取られてない!」
何故かエリウェルは自分の事じゃないのにムキになって憤っている。イズは怒りに震えるエリウェルの手を握ると優しく微笑んだ。
「エリウェル。ここから離れようか?」
イズは降り注ぐ笑い声を背にしながらエリウェルの手を引いた。
◆
それから人のいない屋内庭園の隅までエリウェルを連れて来た。
ここに来るまでの間ずっと不満顔を見せていたエリウェルだったが、周囲に大人たちがいないことを確認してからようやく口を開いた。
「イズをこんな場所に連れて来るべきじゃなかった。前々から貴族は嫌いだったけど……イズを馬鹿にするなんて私許せない」
他人のために怒ってくれる。それはきっとエリウェルが優しいからなのだろう。でも――。
「ありがとな、エリウェル。俺が怒らないから代わりに怒ってくれたんだな。――でもなんでそんなに怒ってくれるんだ? エリウェルが馬鹿にされたわけじゃないだろ? そりゃあ俺とエリウェルは友達だし、友達を馬鹿にされるとムカつく気持ちはわかるけどさ」
そう問いかけるとエリウェルは少し頬を赤く染める。
「そ、それは……イズのこと……大好きだからだよ。イズも私のこと……だ、大好き……なんだよね?」
「勿論。エリウェルのこと大好きだぜ」
エリウェルは安堵した様子で胸を撫で下ろす仕草を見せた。
「そ、そう。よかった……。――あのね、イズ。凄く大好きな人が馬鹿にされたら自分のことじゃなくても自分が言われたように……ううん。自分のこと以上に胸がムカムカして凄く凄ーく嫌な気持ちになるの。きっとイズもわかる日が来るよ。だからね、イズ。自分がされて嫌なことは凄く凄ーく嫌な奴以外に言っちゃ駄目だよ?」
「おう! わかった! 滅茶苦茶ムカムカする奴にだけ悪口言うことにするよ! ――でもやっぱエリウェルは凄いな! さすがはお姉さんだぜ!」
イズが白い歯を見せて笑うとエリウェルもクスっと笑みを浮かべた。
「もう。イズのいじわる」
そうして二人で笑い合っていると、ふと疑問に思うことがあった。
「そう言えばさ。さっきエリウェル貴族のこと嫌いって言ってたよな? 嫌いならロイケット社交界にいるの辛くないの?」
「う、うん……。でも仕方ないの。貴族制度は五十年以上も魔術社会に根付いているものだから。その思想は簡単に変えられないし、今はそんな大人たちに頼らないとロイケット社交界は維持できないから」
「そっか。よくわかんないけど大変なんだな。ロイケット社交界ってのは」
「うん。でもごめんね……。イズはこんなところ楽しくないよね?」
「そうでもないよ。あんなに凄く偉そうな奴って今まで出会ったことなかったし。色んな人いるんだなーって面白いぜ」
そう答えるとエリウェルは小さく笑う。
「イズはいつもポジティブで……私好きだな。――あのね、イズ。今、シンクやルシア様はロイケット社交界に協力してくれないかって勧誘されてるの。それで……本当は言っちゃ駄目って言われてるんだけど……イズはロイケット社交界に入れないんだって」
それはイズも気づいていた。そもそも以前レテルと二人きりになったときシンクをロイケット社交界に入れたいから協力してくれ、けれどイズは入れられない、と言われていた。
そのときに戦力が足りないとも言っていたからきっとルシアにも声をかけるのだろうな、とは思っていたから予想通りではある。
ロイケット社交界への加入の勧誘を受けて二人がどんな答えを出すのかわからない。その答え次第では冒険者が三人になるか、二人になるか、それとも一人になるのかが決まってくる。イズにとって大きな問題だ。
けれど口は出せない。本当は口を出したいけれどそれは二人の問題だ。仮にイズが無理やり引き留めて、それで三人で冒険を続けても二人が本当に楽しい気持ちでいられるかわからない。
だからイズは待つしかない。二人が冒険を続けてくれることを信じて待ち続けるしかない。
「そっか。俺はロイケット社交界に入れないのか。それは残念。――でもロイケット社交界に入ったらさっきみたいに偉そうなおじさんがうるさそうだから結果的に良かったかも」
イズが笑うとエリウェルは優しい顔を見せた。
「イズは強いね。本当に強い。それにひきかえ私は弱くて……全然ダメダメなんだ。大人たちに……イズのこともロイケット社交界に入れてって説得する勇気もなくて、ただ大人たちの命令されるままに行動して……流されてるだけ。私が出来ることと言えば、言いつけを破ってイズに色々お話することだけだもん」
さきほどエリウェルは貴族に対して言い返したり、イズが馬鹿にされて憤っていたのは自分の不甲斐なさや後ろめたさを感じての言動なのかもしれない。
そう思うイズはエリウェルの手を握る。
「エリウェルは強いぜ。言いつけ破って俺に教えてくれるだけでも凄い勇気だ。だから自信持てよ。エリウェルは全然ダメダメなんかじゃない」
「そう……かな。そう……なのかな。――うん。ありがとね、イズ。私、イズと一緒にいると凄く勇気を貰える。イズと一緒ならなんでもできるって気がするの。私……私ね。私……イズのためなら――」
「――それ以上の発言はいけないね、エリウェル・ブラックベル。それ以上の発言はあなたを粛清しなければいけなくなる」
後方から聴こえた男の声色には優しさがある。けれど会話の内容が穏やかではない。男の姿はまだ見ていないし初対面だからどんな人物かもわからない。でもこの男は間違いなく悪者だと思える確信があった。
何故ならエリウェルの手は震え、体は硬直し、青白い怯えた顔で後方の男に目線を向けていたからだ。
イズはゆっくり手を放して振り返る。そしてエリウェルを庇うように背を向けた。
眼前に立つのは白を基調としたローブを身に纏う長身の男。腰まで伸びた銀色の髪を緩やかになびかせるその男の顔は薄ら笑みを浮かべている。
初対面のはずだがどこかで見た顔をしている。けれどどこで見たのかわからない。
「なあ、おっさん。俺とどこかで会った?」
すると背中にしがみついて震えるエリウェルのか細い声が聴こえた。
「ゼ、ゼリス……テア・クロー……ス……様。ア、アクソロティ……協会……のさ、最高……幹部」
「ゼゼリス。テアクロー。最高幹部。――ってなんだ?」
「ゼリステア・クロース。アクソロティ協会の最高幹部。つまりアレン・ローズ様に次ぐナンバーツーの称号を賜った魔術師ということだよ、坊や」
「ふーん。そうなんだ。ゼリステアって偉い人なんだな」
ようやく合点がいった。クロースというラストネームはシンクと同じだ。つまりシンクの父親……とはなんだか違う気がする。会ったこともないしどんな人物か聞いたこともないけれど何故か違う気がする。
「ところで坊や。坊やはこの場に相応しくない。今すぐこの場から消えなさい」
殺気は感じない。圧力は感じない。声も顔も至って穏やかだ。それなのに理解できない恐怖が……そう。まるで本能がこの男を警戒している。
逃げるのは不本意ではある。けれどこのまま居座る理由もないし、何よりも背中に隠れるエリウェルがとても辛そうだ。
「そうだな。ここに居てもみんなに歓迎されないし。そろそろ帰るよ。――行こうぜ、エリウェル」
ゼリステアからエリウェルを隠すように抱き寄せたイズはこの場から去る――ところで後ろから声がした。
「坊やが帰る居場所はもうないよ。シンクとルシアは間もなくいなくなり、坊やの故郷ラミアーヌ島は消滅した。マザーケトやヤエ姉や島のみんなは全て死んだ。坊やはもうすぐ一人ぼっちになる」
「は?」
頭に血が上るという意味を少しだけ理解した。苛立って頭の血流が早くなるのを感じたからだ。
不満はあっても基本的に苛立ったりはしない。でも今の話は聞き捨てならない。人には言っていいことと悪いことがある。
「でたらめ言うな、おっさん。そもそも何でおっさんが俺の故郷や島の人たちのこと知ってんだ」
相変わらず穏やかな顔のゼリステア。その表情がほんの少し。ほんの少しだけ喜んだ気がした。
「既存の事実。そして坊やたちの会話を盗み聞いた情報。その二つを総合的に判断して導き出した答えだ。坊やがでたらめだと判断するならそれで構わない」
「ならでたらめだ。もうおっさんと話すことなんてないからな。帰るぜ」
「そうしなさい。王妃ルシアの元に」
「ルシアが王妃? どういう意味だ?」
「イ、イズ……。だ、だめ……」
エリウェルは震えながらイズの裾を引っ張ってくる。ゼリステアに会話の主導権を握られていることはわかっているがもう止められない。
「もう隠し立てする必要はないから教えよう。ルシアはアレン・ローズ様から寵愛を受けて娘を身ごもった。娘の名はミウ。坊やは一度チャイルドヘイブンで会っているね」
「またでたらめか? ミウが言ってたぞ。死んじゃったけどお父さんがいたって。ルシアが他の男の子供産むわけないだろ」
そう答えるとゼリステアは薄っすら憎たらしい笑みを浮かべる。
「おやおや。嘘はいけないな、坊や。ティンバードールで初めてガルマードと対峙したとき。坊やはルシアに対するガルマードの好意的な態度やミウに対する過剰な配慮に違和感を覚えたのではないか。そしてミウの父親は要人だと感づいた。――今、父親がアレン様だと聞いて腑に落ちたのではないかな」
多くの情報を手にしているせいだろうか。まるで心の内を見透かしたように言い当ててくる。それがイズの心をかき乱す。感情が次第にぐちゃぐちゃになって苛立ちを覚えてくる。
けれどまだかろうじて怒りを抑えられる。これ以上心がかき乱される前に退散しよう。そう思ったイズは拳を握って苛立ちを堪えながら背を向けようとしたとき――。
「マザーケトも、ヤエ姉も、ラミアーヌ島のみんなも、ルシアも、エリウェルも、坊やの周りにいる者は全員ゴミ屑だ。やはりゴミ屑の坊やの周りにはゴミ屑しか集まらないのだろう。だから勇者になるなんて子供のゴッコ遊びを恥ずかしげもなく夢だと語れる。――断言しよう。坊やは夢を叶えることなく周りのゴミ屑同様、路頭で汚らしく散って死ぬ運命だ」
「――みろ」
「ん? なんだい?」
「――ってみろ」
「聞こえないな。なんだい?」
「もういっぺん言ってみろ!!」
もう自分自身を止めることはできなかった。硬く握りしめていた拳がもう限界で、ずっと心に抑え込んできた怒りがもう限界で、気づいたときにはゼリステアに殴りかかっていた。
怒りで肉体が支配され、コントロールを失ってもう自分の体なのかもわからない。そんな状況でイズの視界に映ったのは満足げに下卑た笑みを浮かべるゼリステアの顔だ。
「先に手を出したのは坊やだよ」
その言葉の直後。イズの視界は光に包まれた。




