第8話 悲しき事実
「ガラハッド! シンク! 良いご身分だな! いつまで俺たちを待たせるつもりだ!」
赤い革張りの重厚な両扉を開けて早々イザークの罵倒を受けたシンクはため息をついた。
「なっ!? シンク! 貴様ため息をついたな!」
ガラハッドに連れられてここに来るまでの道中。シンクは老若男女問わず様々な人に声をかけられては足止めを喰らい、三階から一階の来賓者に辿り着くまで実に二十分以上は費やした。
見ず知らずの多くの人と相対するのは精神的に疲れる。けれど最も疲れたのは話の内容だ。挨拶だけならまだいい。会う人みんなシンクを英雄とでも思っているかのような発言でおだて上げてくるため非常に居心地が悪かった。
そんなことがあり、ようやく解放されて一息つけると思ったらこの状況だ。ため息もつきたくなる。
「お疲れ様でございます、シンク様。そのご様子だと随分大人気だったようですね」
イザークの隣にはミーシャの姿がある。優しい言葉をかけてくれるミーシャはシンクにとって年の離れた姉のような存在だ。
「ミーシャ。相変わらずで何よりだ。――でもこんなところにいて大丈夫なのか?」
ミーシャはチャイルドヘイブンの教育実習助手だ。職場を離れてドナ・ロイケットの生誕祭に参加していたらアクソロティ協会に怪しまれるのではないだろうか。
「そちらは問題ございません。――それよりシンク様、ガラハッド様。どうぞ中にお入りください。お食事やお飲み物もご用意してございます」
ミーシャに目配せをされた。おそらく密室で話したいという合図なのだろう。このフィアリスホール内はロイケット社交界の関係者だけだと聞いていたが、随分と用心している。確かにアリティエも入り込んでいるし、アクソロティ協会派の人間がスパイとしてロイケット社交界に潜り込んでいてもおかしくはない。
「ああ、そうだな。俺は喉が渇いた」
そう言って部屋に入って扉を閉める。その直後、扉にオーラが走った。結界を構築したのだろう。
「よろしければシンク様。こちらにお座りください。すぐにお飲み物を用意します。何かご希望はございますか? 豊富に取り揃えてございます」
「ありがとう、ミーシャ。でも俺は水でいいよ」
そう答えるとイザークは鼻で笑う。
「水だと? 味気ない奴。ここには様々な果物ジュースが揃っているんだぞ? ――ミーシャ! 俺にはリンゴジュースとブドウジュースとバナナジュースを持ってこい! コップのふちまで並々に注げよ!」
「承知いたしました。――ガラハッド様はいかがいたします?」
「僕はいつもの紅茶で頼む」
「はい。それではお席で少々お待ちくださいませ」
そうしてシンクは円卓テーブルの適当な椅子に座るとガラハッドとイザークが取り囲むように座ってきた。
そのうちミーシャはカートを引いて円卓テーブルまでやって来る。コップと水の入ったジョッキがカートの一番上に置いてあったため、勝手に水を注いで飲んだらミーシャにクスクスと笑われてしまった。
「雑事は私にお任せいただいて構わないのですよ? シンク様」
「そういうのはなんか慣れないんだよ」
再びイザークは鼻で笑う。
「慣れろ、シンク。今まではどうあれこれから貴様は貴族としての振る舞いが求められる。これは人々を統べる者の作法だ。アクソロティ協会やロイケット社交界など関係ない」
「貴族? 作法? ――おいイザーク。お前何言ってるんだ?」
率直な疑問を呈するとイザークの目線がガラハッドに向く。
「ガラハッド。まさかまだシンクに何も話してないのか?」
「アリティエ様がいたんだ。話せるわけないだろ」
「ここに来るまでの道中。それくらい話せたはずだ」
「合間に話すような内容じゃない。それにこれはシンクにとって繊細な問題だ。それともイザークがシンクに説明を――」
「――おい待て。さっきから二人で何を話してるんだ?」
シンクがそう問いかけると二人は口を閉じた。説明を言い淀むほど伝え難い話なのだろうか。しかしどんな話題かは言われなくともわかる。
「まあ、なんとなくわかるけどな。どうせ前みたいに俺を据え置いて何かの作戦をするつもりなんだろ?」
「大筋は合ってるよ」
ガラハッドはそう答える。一方、イザークはテーブルに置かれたジュースを手に取ってそれぞれ味見をしている。相変わらずマイペースだ。
「それでなんの作戦なんだ? 話だけは聞くぜ」
「それはありがたいね」
そう言ってから紅茶に一口つけたガラハッド。同じく水で喉を潤したシンクは話が始まるのを待った。
「作戦っていうのは以前、ティンバードールで実行出来なかったチャイルドヘイブンの子供たち奪還作戦を再決行しようって話なんだ」
「実行出来なかったじゃなく、そんな作戦なかったって言って欲しいな」
「なんだ貴様! まだそんなこと根に持っていたのか? 根暗な奴め!」
「イザークはゆっくりジュースを飲んでいてくれ。話は僕がしておくから」
「ん? そうか? ならばしっかりしておけよ」
ガラハッドはニコッと微笑む。
「シンクは察しているだろうから隠さず話すよ。ティンバードールでの作戦はアクソロティ協会におけるレテル様の信頼を取り戻すことが目的だったんだ。そしてもう一つ目的がある。それは――」
「――レテル様のご子息を据え置き、チャイルドヘイブンの子供たちと行動を共にすること。そうすることで信頼を勝ち取り、子供たちがご子息に従えばその後にいる親もロイケット社交界に味方する……ってところか?」
「ご明察。アクソロティ協会に人質を取られている魔術師の多くは日和見ている。その多くがロイケット社交界に味方してくれればアクソロティ協会との戦争で優位に働くからね」
「以前は街を救うために勢いで子供たちのリーダーみたいなことやったけどよ。正直なところルシアと関わりがなければロイケット社交界もアクソロティ協会もどうでもいいんだ。それより……俺は一つ気に食わないことがある」
「気に食わないこと?」
「ああ。ロイケット社交界が絡む時いつも俺の親友を……イズを除け者にしてるよな? 俺は初めからあいつと二人で世界を旅するつもりで、でも事情があってルシアと三人旅になってるだけなんだ。俺にとって親は誰かとか、親の後を継ぐとか、世界がどうとかはっきり言ってどうでもいい。一番大事なのはイズで、次はルシア。それにまつわることじゃなきゃ興味ないんだよ」
「自分が関わらなければ世のことはどうでもいい。他人事ってわけかい?」
「その通りだ。俺は聖人君子じゃない。回りの大切な人たちが小さな幸せを掴めればそれでいい」
「そうか……。でもシンク。残念だけど他人事じゃないんだ」
「なんだよそれ」
そう言うとガラハッドの表情が強張り、周囲から重苦しい雰囲気が漂い始める。
「シンク……きみの故郷ラミアーヌ島に住んでいた人たちは……みんな亡くなったよ」
「は……?」
まったく理解できない。何故急にそんな話になったのだろうか。何故ガラハッドはそんなことを知っているのだろうか。
突然過ぎて何の感情も湧かないし、どう反応したらいいかもわからない。それを悟ってかガラハッドは話を続ける。
「僕たちも……いいや。アクソロティ協会は勿論ロイケット社交界の人間ですら知らない情報だった。――どちらの事情も知るレテル様に教えられなければ」
「ど、どういうことだよ……」
少しずつ胸の鼓動が高鳴るの感じながらシンクは次の言葉を待つ。
「ミーシャの祖母が幻惑の聖天大魔導士ケティシア・テンジェル様であることは知ってるよね? 超常の災害以降、二百名近い魔術師を引き連れ、アクソロティ協会を脱走したことも。そして一年ほど前、アレン・ローズ様のせいで脱走者全員が亡くなったことも。正確にはアレン様に囚われて残酷な目に遭う前に自分たちで命を絶ったらしいけど……」
「それが……俺の故郷で起きたって言いたいのか……?」
「そうだ。レテル様は二歳の頃にきみをケティシア様に預けたと言ってた。それにケティシア様たちの所在がアクソロティ協会に発覚し、何とか助けられないかと島に向かっている途中で三人に会ったとも聞いている」
確かに今の話は全て辻褄が合う。
島民が二百名ほどであることも、ケティシアとマザーケトの呼び名が似ていることも、ラミアーヌの雫という希少な石を持っていたことも、石が島の外に持ち出されたからアクソロティ協会の魔力探知に引っかかってマザーケトたちの所在が見つかってしまったことも。
何もかも辻褄が合ってしまう。でも辻褄が合うだけでそれがイコール事実であるとは限らない。レテル本人から話を聞いてしっかり確認を取るまでは別々の事柄が偶然似通っていただけの可能性もある。
そう思うのに不安が拭えない。するとミーシャが恐る恐る顔を覗かせて口を開いた。
「シンク様。今ほどガラハッド様がお話になったこと。全て事実だと思われます。その日アレン様と複数の魔術師が祖母たちの捕縛に同行したらしいのですが、その中にアリティエ様もいらっしゃったようで、レテル様にお聞きになる前から私も同様のお話をチャイルドヘイブンで聞かされました」
胸の鼓動が早くなる。とても息苦しい。立っているのが辛いくらいめまいがする。
「それじゃあマザーケトは……島がアクソロティ協会に見つかる危険性を承知で……俺たちにラミアーヌの雫を渡してくれたのか? ヤエ姉は……島のみんなは……もう二度と会えなくなるかもしれないとわかっていて……俺たちを笑顔で島から送り出してくれたのか?」
そう言葉にしたとき。心の奥底から怒りや悲しみの感情が一気に溢れ返ってきた。
「シンク。これでもまだ他人事で――」
「――うるせえ!!」
止まらない怒りと悲しみ。それがシンクの感情を埋め尽くして、思考を蝕んで、肉体を支配し、拳を握ってガラハッドの頬を殴った。
心の片隅ではこんなことをしても意味はないと理解している。怒りと悲しみの矛先は目の前の人間ではないと理解している。
それでも止まらない。誰かにぶつけるまで負の感情は収まらない。いや、こんなことで収まるものではない。
シンクに殴られたガラハッドの肉体は椅子を、テーブルを、テーブルに置かれた飲み物を押し除けて床に倒れた。
「シンク様! どうか! どうかお止めください!」
「構わない! ミーシャ!」
ミーシャが止めに入るもガラハッドはそれを制止する。そして頬を赤く滲ませながらゆっくり立ち上がる。
「そうだシンク。何度でも殴るがいい。気の済むまで。けれど過去はやり直せないぞ」
「わかってる!! そんなこと!! でもどうしようもないだろ!!」
「貴様の言う通りだ! 過去はやり直せないし、そもそも過去に戻れたとして子供一人の力ではどうしようもない!」
振り向くとイザークは椅子から立ち上がっていた。その表情はいつになく真面目だ。
「だがな、シンク。それは外界の子供ならの話だ。外界の子供ならこの理不尽に嘆き悲しめばいい。けれど俺たちは違う。俺たちは戦うための力を与えられ生まれてきた。嘆き悲しむだけでなく戦う必要がある。それはひいては力のない者たちの希望になる。そうは思わないか?」
「だから……俺をロイケット社交界に引き込みたい。一緒に戦って欲しいってことか?」
イザークも、ガラハッドも、ミーシャも頷いた。
力を持つ者の責任。それは世の理不尽と戦うこと。戦って戦って戦って。自己犠牲という高尚な自己満足を満たす。
シンクはそんなものどうでもいい。大義名分を掲げ、同志と研鑽し、己を高貴な者と偽り、世界の繁栄のため命を捧げる。
なんともおこがましい。これは生命への冒涜に等しい。
才のある者がそんなに偉いのか。魔術師とは人種を区別するほど大いなる存在なのか。
本当に、本当にどうでもいいことだ。だけど……こんなドロドロとした夢もない世界に親友を連れて行きたくない。あのキラキラとした輝きを汚したくない。
――業を背負うのは……俺一人でいい。
シンクはこのどうしようもない気持ちを両手で握りしめ、ガラハッドに目を向ける。
「ロイケット社交界には協力する。――だけど約束しろ! 今まで通りイズを殺し合いの世界に引き込むな! イズに何かあったら全力で守れ! いいな!?」
そう告げるとガラハッドは小さく頷いた。
「ああ。約束しよう」




