第34話 ふわふわの道すがら
雲の上に乗ってふわふわと旅をする。お日様に照らされた雲は温かくて寝転ぶと気持ちが良い。近くにお肉の毛布があったので包まることにした。柔らかくてほのかに良い匂いがする。
そんなことをしていたらなんだか眠たくなってきた。ウトウトしながら雲の行く末を眺めていると何処からともなく声が聴こえる。
「あらあら。お母さんに甘える夢でも見ているのかしら? 悪戯好きのワンパク坊やでもお母さんは恋しいのね」
それは聞き捨てならない。イズは生まれてこのかた母親が欲しいとか恋しいなんて思ったことはない。そんなことを思われているのはとてもカッコ悪くてとても心外だ。
「でもごめんなさい。私のおっぱいは私とエリウェルのものだから。ルシアお母さんの元に帰ったらたくさん甘えさせてもらいなさい」
これはムカつく。とてもムカつく。この絶対にあり得ない勘違いを今すぐ正さなければならない。そう思ったイズは大声を上げる。
「ふざけんなー!! 誰がルシアに甘えるかー!!」
そう叫んだところで景色が様変わりした。ぼやける視界にはレテルの優しい顔が映し出され、今まで見ていたものは夢だったのだとすぐに理解した。
「なんだ夢か。――ってレテルじゃん。なんでこんなところにいるの? というかここはどこ? 俺は誰?」
「しっかりしなさい、お寝坊さん。あなたを迎えに行ったらぐっすり寝てたからそのまま連れて来たの」
「違うぞ。レテルが迎えに来るの遅いから眠ってただけだぞ」
「全然遅くないわ。アリティエたちが方舟で去ったのを見計らってすぐ迎えに来たんだから。――それにしてもあの短時間でよく熟睡できるわね。思わず関心しちゃった」
「いやーそれほどでもないよ」
「まったく。ルシアの苦労が目に浮かぶわ」
呆れたように笑うレテル。白い歯を見せて笑みを返すイズは上体を起こして周囲を見渡す。
レテルの膝の上で眠っていたことはすぐにわかったが、それ以外のことはさっぱりわからない。というのも景色が流れるように進んでおり、イズとレテルは宙に浮いている。何かの魔術なのだろうか。
「なあ、レテル。俺たち今どうなってんの?」
「イズにわかりやすく伝えるなら亜空間を通ってティンバードールまで転移しているの。ちなみに私から離れたら肉体がバラバラになっちゃうから手は離さないでね?」
確かに起きた時からレテルはずっとイズの手を握っていた。これはそういうことだったのか。それにしても――。
「またこういう感じか」
ミウのことを思い浮かべながらそう呟くとレテルが首を傾げる。
「こういう感じってどういう感じ?」
「いいや。こっちの話。――あっ! そういえばチャイルドヘイブンで俺やリコのこと助けてくれてありがとな!」
イズの言葉にレテルは少し目を丸くした。
「あら? よくわかったわね」
「初めてレテルと会ったときに飛んでた綺麗な蝶がチャイルドヘイブンにもいたからな。レテルの魔術なんだなってすぐに思ったよ。それにリコに化けて子供たちと先生逃がすの協力してくれたのもレテルだろ?」
「御明察。勘が良いのね。――でもあれは偵察用の魔術なの。本当は戦闘にも協力してあげたかったのだけれど二人を守るのが精いっぱいだったわ。だからあまりイズたちを助けられなかったわね。ごめんなさい」
「そんなことないよ。凄く助かったぜ」
「あらそう? それなら良かったわ」
そう言ってレテルはイズの頬を撫でてきた。アリティエと違ってレテルの手はほんのり温かい。
「それでね、イズ。急な話なんだけど……あなたにお願いがあるの」
「俺にお願い? なに?」
そう問いかけるとレテルは少し神妙な顔になった。
「私たちロイケット社交界は近い将来アクソロティ協会と戦争をすることになる。でもまだまだ戦力不足でね。だから息子にも……シンクにも協力してもらいたい。でもシンクはイズと離れ離れになるのが嫌で協力してもらえるかわからない」
「だから俺もロイケット社交界に入れってこと?」
「いいえ。イズを戦争には参加させられない。絶対に。イズを戦争に参加させると私を……ロイケット社交界を潰そうとする者が必ず現れる。まだ敵に回すには厄介な相手なのよ」
「ふーん。そうなんだ。それなら俺に何をお願いしたいんだ?」
そう問いかけるとレテルは黙り込んだ。自分からお願いしたいと言ってきたのにとても言いづらそうな顔をしている。
握っている手が少し汗ばんできて、レテルがこれから口に出そうとしていることが言いずらい嫌なことなのだろうと推察できる。
それでもレテルにとって言わなければならないことならばこちらが後押ししようとイズは思った。
「レテル。俺、怒ったりしないぞ? だからちゃんと俺に言ってみろ」
イズの言い回しが面白かったのかレテルは少し微笑んだ。そして固く閉ざしていた口をようやく開く。
「ありがとう、イズ。――イズにお願いって言うのはね。シンクが私の元に……ロイケット社交界に入るよう後押しして欲しいの」
なんとなくそんな気はしていた。レテルはシンクを連れて行きたくて、でもイズがいるから連れて行けない。それならイズが後押しするのが手っ取り早い。
そんなお願い本来なら即答で断るところだが、レテルが勇気を出して口にしたことを考えるとむげに断るのも違う気がする。けれどシンクと冒険を終えるなんて考えられない。
だから今イズが口にする回答は決まっている。
「考えておくよ。――でも今すぐは言えないぞ? 冒険続けながらじっくりシンクと話して、それでどうしてもレテルの元に行きたいって言うなら後押しする。それでいいか?」
「ええ。それで十分。まだまだ猶予はあるから。――本当にありがとう、イズ」
「いいよ。――だからレテル。もう相談もなく勝手にシンクを連れて行ったり、俺やルシアをのけ者にしたりするな。ちゃんと話は聞くから。わかったか?」
「はーい。わかりました」
そう言ってレテルは笑顔を向けてきた。笑顔なのはからかっているわけではなく、気恥ずかしいからなのだろう。いずれにしても約束したのだからこの話はもう終わりだ。これ以上追及するべきではない。
そう考えたところでイズはレテルに聞かなければならないことを思い出した。
「なあ、レテル。チャイルドヘイブンで俺のことちゃんと助けられなかったんだから責任取って何でも質問に答えてくれない?」
「耳を疑う交換条件ね。その件に関してはむしろ色々感謝して欲しいところだけど……いいわ。一つだけなら何でも答えてあげる」
「おお! レテル太っ腹! ――でも本当に? 本当に答えてくれる?」
「ええ。本当よ。女に二言はないわ」
レテルの言質を取ることに成功した。本当はルシアやエリウェルがいるときにインタビューする予定だったが、みんなで集まったときにレテルが話してくれる保証はないし、二人きりの今なら話してくれる可能性はあると考えていた。
イズがずっと聞きたかったこと。それをようやくレテルにぶつけられると胸を高鳴らせながら意気揚々と口にする。
「よっしゃー! それじゃーレテル! シンクに初めて母親ですってカミングアウトしたときどんな気持ちだった? やっぱり緊張した? 前の夜ドキドキで寝れなかった? どうやってカミングアウトしようかってずっと頭悩ませてたの? その話誰かに相談したりした?」
聞きたいことが盛りだくさんのイズは目を輝かせながらレテルを見つめる。一方のレテルは胸元から取り出した扇子を広げると口元を隠す。そして相変わらず優しい眼差しを向けながら喋り始める。
「ねえ、イズ? ティンバードールで欲しいもの何でも買ってあげましょうか?」
「ああー!! 約束破ろうとしてるー!!」
そんなやり取りをしながら騒ぐ二人はティンバードールへと向かう亜空間の中を賑やかに進んでいった。




