第32話 暗躍する者
空を浮遊する超大型円形飛空艇のデッキに設置した椅子に座り、タブレット端末に表示されたモニターを観察していると悪魔のアクソロティを投与することによって発する生体電磁波の波形が突如として途絶えた。
「んっん〜ん。おかしいな~。モニターが壊れているわけでもないんだけどな~」
そう呟きながらヴォイニッチは顔を上げ、大海原の先にいるであろうガルマードに目線を向ける。
ガルマードを隔離して電磁波を遮断するか、ガルマードの悪魔のアクソロティを取り除くか、ガルマードが死ぬか、いずれの状況だとしても今まで観測できていた波長が突如途絶えるなどあり得ない。
考えられる状況は一つ。観測者たるヴォイニッチ自身が知らぬ間に固有結界の中に隔離されてしまった場合だ。それなら電磁波を受信できなくなってモニターの波長が突然途絶えることも理解できる。
粘り強く待ち、最高のタイミングで最高の魔術を行使した魔術師がいる。しかもその魔術師はおそらく悪魔のアクソロティに組み込んだアポトーシス機能を解析し、遠隔操作で強制的にガルマードを自死させたに違いない。そうでなければこのタイミングで姿を現すのは不自然だ。
とても優秀な魔術師。ヴォイニッチはその魔術師に心当たりがある。
「捕まえた」
おっとりとした優しそうな女性の声が後方から聴こえた。けれど声とは裏腹に誰にも気づかれず情報を取得し、場合によっては暗殺も行うこの超手練れの魔術師は決して可愛らしい女ではない。
ヴォイニッチだけではない。マレージョにとっても脅威の一人だ。ディアタナでは何度も煮え湯を飲まされてきた。この冥府の聖天大魔導士には。
「おやおや~。久しぶりだね~。レテル・ミラージェ」
後ろを振り向くと薄桜色の唇。真珠色の長髪。雪のように白く輝く美しい肌。ゆったりとしたワンピースドレスに身を包むレテルが優雅に扇子を仰いでいた。
「あらあら? 久しぶりと言う割に懐かしむような顔していないわよ、ヴォイニッチ。もしかしてどこかで会っていたかしら?」
「私の創作物が得た情報は定期的にバックアップするよう設定してあるからね~。対面はしていないけれど創作物を通して見ていたよ。――しかしレテル女史〜。あなたがチャイルドヘイブンでイズ少年たちに手を貸していたのは意外だったな~。血も涙もない女だと思っていたのに〜」
「意外ねえ……。一体私の何を知っているのやら」
そう言って閉じた扇子を胸元にしまったレテルは不敵な笑みを浮かべる。
「ともあれ。あなたのおかげでガルマードは処分できたし、アレンからの信用も得た。感謝するわ」
「感謝しなくてもいいよ〜。特級大魔導士の肉体を使った悪魔のアクソロティ実証実験が終わったらガルマードは処分するつもりだったし〜。それと余計なお世話かもしれないけどレテル女史の裏切り者という認定は変わらないと思うよ〜」
「知っているわ。でも表向きの……体裁上の信用でいいのよ。地球で事業を拡大しているアレンはいま手が回らないだろうし、表立って私たちと戦いたくないはず。だから裏切るとわかっていても私がアクソロティ協会に従順なフリをしているうちは何もしてこない」
「それなら私を殺さない方がいいんじゃないの〜? もうとっくに私とアレンが協力関係にあると知ってるんでしょ〜。殺すとアレンの心象悪くなるし、オルティアナ様派閥の者たちから仕返しがくるかもよ〜」
「あらあら怖い。でもあなたは本当の意味では死なないでしょ。だってディアタナに本体七十パーセントも残してきてるんだから。まあ本体三十パーセントも殺しておけば再生に時間がかかるし、来たる異世界戦争の前に少しでも戦力削っておくのはいいことでしょ?」
ヴォイニッチは肉体を分離して活動できるよう自身を改造している。レテルの言うとおり約三十パーセントを肉体から分離させてメルトリアに来ているので殺されたとしてもディアタナにいる本体約七十パーセントには影響が出ない。
そのことはディアタナの皇族や八貴族など一部のマレージョしか知らない情報だ。それなのにレテルはヴォイニッチの秘密を知っていた。しかも現在どの程度の割合を本体から分離させたかも把握している。
レテルは本当に侮れない女だ。そう思いながらヴォイニッチは薄ら笑う。
「んっん〜ん。やっぱりレテル女史は侮れないね〜」
レテルも言っていたが、分離した肉体が死ねば再生するのに時間がかかるため、無事ディアタナに帰るのに越したことはない。
だから中指で眼鏡のブリッジを持ち上げながら逃げる術はないかと観察するも、既にレテルの術式に絡め取られて隙はないし、レテルから放たれる激しい紫炎のオーラはヴォイニッチを生かして返す気などさらさらないらしい。
「それじゃあまた会いましょう、ヴォイニッチ。次はあなたをこの世界から抹殺できると嬉しいわ」
「んっん〜ん。殺されたくないから今度はレテル女史に見つからないように暗躍するよ~」
そう返答すると妖艶に微笑むレテルは終わりの言葉を口にする。
「―― 六道輪廻・閻魔・阿鼻地獄 ――」
紫炎のオーラは漆黒のオーラへと変わり激しく燃え盛る。次の瞬間、レテルを中心に漆黒の闇が展開した。
闇は色づいた鮮やかな世界の色彩をカードのように裏返して漆黒に染めていく。ヴォイニッチも、飛空艇も、空も、雲も何もかも漆黒の闇が飲み込んだ。
そのうち、ごく小さな粒子があちこちで白と黒を交互に繰り返す。光と闇、天国と地獄のように対となる二色が表と裏を繰り返している。
小さな白黒の粒子は連なって幾重の線となり、交差して網となり、四方に整列して四角となり、様々な形を織りなす。その情景は無機質で不気味だがどこか生命の尊さを感じる。
そんな神秘を眺めながらヴォイニッチの意識は闇に飲み込まれていった――。




