第30話 イズの中で
左右を見渡しても、上下逆さまになって見渡しても、世界全てに水玉模様が広がっている。
ここはどこだかわからない。いま何時かもわからない。自分が何者かも何故ここにいるのかもわからない。何もかもが不鮮明で何もかもが不明瞭な世界。
そこに光り輝く何かが現れた。それはとても荘厳で、とても神聖で、温かい何か。その何かが伸びて、こちらを握ってきた。
意識が熱を帯びるように広がっていくと自分がイズ・アスタートだと理解する。続いて握られたのは右手で、握ってきたのはミウ・フェルノールだと理解したところで世界が形作られた。
白を基調とした世界。そこには一本道が続いている。両側の壁には巨大なモニターが並んで特撮ヒーローなどの映像が流れており、中央の白線以外は本やおもちゃが乱雑に置かれていた。
この世界にいるとなんだか心が高揚する。まるで自分の好きが詰め込まれた世界だ。
「ここどこだ? 俺の好きが詰め込まれた世界だけど。もしかして俺をワクワクさせようとミウがサプライズしてくれたのか?」
そう呟くとミウがクスクスと笑う。
「面白い感想ですね。でも好きが詰め込まれた世界っていうのはあながち間違ってないかもです。だってここイズくんの中ですから」
「俺の中?」
「はい。ここはイズくんを構成する情報全てを書き起こして、イズくんの脳を借りて立体データに変換して、それを私の魔術で意識とともに具現化させたんです」
「はい? なんだって?」
「小さくなった私たちがイズくんの頭の中にいるって思えばいいです」
「マジか!? 俺いま自分の頭の中にいるの!? すげー!! こんなの探検しなきゃじゃん!!」
そうしてミウの手を離すと突然意識が遠くなっていく。すぐにミウが手を握り直すと遠ざかった意識が元に戻る。
「あれ? いま俺、意識飛んだぞ?」
「イズくんは今自分の意識の中を雲みたいにふわふわ飛んでる状態です。だから私が握ってないと実体化できないんですよ」
「へえ。そうなんだ。じゃあミウと一緒じゃなきゃ俺の頭の中探検できないんだな」
「探検してる場合じゃありません。現実世界ではリコちゃん一人でガルマード先生を足止めしてるんですから。私たちはその間にイズくんの核を少しいじらせていただいて秘めたる力を解放します」
「マジ!? 俺をいじって秘めたる力解放させんの!? もしかして俺変身出来たりする!?」
「どうでしょうね。変身出来るかはちょっとわかりません」
「正義の仮面戦士ビクトリークレイジーだってナイトメアーに改造されて変身したろ? だから俺も絶対変身出来るって!」
首を傾げたミウの表情がすぐに曇った。イズが何を言わんとしているのか理解したらしい。
「もしかしてイズくん私を悪者だと思ってます?」
「だって俺一度もミウにゲーム勝てなかったじゃん? あんなの絶対おかしい。絶対イカサマしてるとしか考えられない! だからミウは悪者の可能性がある!」
「あ、そういうこと言うんですか。そうですか。それなら今度イズくんとゲームするときは手加減して負けてあげますね?」
そう言ってミウは薄ら笑みを浮かべる。手加減して勝たせてもらうなんて絶対に嫌だし嬉しくない。
「手加減すんな! 本気で戦え!」
「はいはい。ではその話は歩きながらしましょうか。現実世界でリコちゃんが待ってるので」
ミウと当初会ったときはお城に閉じ込められた気弱なお姫様という印象だった。けれど人柄を知るとまるでルシアのように口が達者だ。
これは遺伝なのだろうか、と思いながらイズは返事をする。
「わかったよ。それじゃあ行くか」
イズが一方踏み出したところで手を引っ張られた。振り返るとミウが呆れた顔をしている。
「探検に行くわけじゃありません。話聞いてましたよね?」
「えー! こんな機会ないんだから俺の中探検したい!」
「いけません。強がってますけどリコちゃん本当はガルマード先生が怖くてしょうがないんですから」
「でも」
「でもじゃありません!」
ミウの頬がプクっと膨らんだ。自分の体を探検できるなんて普段体験できることじゃない。だから少しくらい見て回りたいところだが、確かにリコはガルマードを怖がっていたので二人きりは可哀想だ。
「まあ仕方ないか。俺の体の探検はまたの機会にするよ」
後ろ髪を引かれる思いだがミウと手を繋ぎながらずっと遠くに見える扉まで向かうことにした。
こうして左右にあるモニターの映像や床に置かれたおもちゃなどを眺めながら白線の上を二人で歩く。
目的地に進むにつれて大きくなる扉。あの先に何があるのだろうと思い、ワクワクしているとミウが顔を覗き込んできた。
「どしたの?」
「私、お母さんの手紙でイズくんのことは知ってたんです。手紙の中のイズくんはワンパクな男の子でしたが、実際はなんというか……頼れる男の子なんですね」
「ルシアが手紙でどんなふうに書いてるかわからないけど俺は勇者になる男だぜ? 頼れるカッコいいに決まってるじゃん!」
「そうですね。イズくんカッコいいですよ」
クスクスと笑うミウ。イズは胸を張り大人ぶって見せた。
「でも……お母さんの手紙だとイズくん凄く子供っぽい印象を受けました。もしかしてイズくんお母さんの前だと甘えてます? お母さんのこと大好きなんじゃないんですか?」
そう言ってミウはニヤニヤと笑う。
「はあ!? そんなわけないじゃん! ふざけんな! 俺ルシアになんか全然甘えてない! むしろルシアが俺に甘えてるんだ!」
「はいはい。そうですね。ごめんなさい、イズくん。私の勘違いでした。許してください」
言葉の上では考えを訂正して謝っているがミウはとても嬉しそうな表情を浮かべている。手のひらで転がされ、いいように遊ばれている感覚だ。
「仕方ない。特別に許してあげよう。というわけで別の話にしようぜ? 何か話題ある?」
「あります! 私、恋バナしたいです!」
「恋バナ? 俺そういうのよくわからないんだけど……それでもいい?」
「大丈夫です! こんなことあろうかと私、恋愛小説や漫画で予習済みです! 私がお話リードしますので安心してください! ではイズくん。誰か好きな人います? もしくは誰かに好きって言われたことあります?」
「うーん。好きって言われたことはあるかな。エリウェルに。頬にキスもされたし」
「ええー!? エリウェルちゃんってセカンドチルドレンの女の子ですよね!?」
「そだね」
大した事ではないと思って話したのだがミウは随分と食いつきが良い。サファイアブルーの双眼がキラキラと輝いている。
「すごーい! エリウェルちゃん大胆! 大人しくて引っ込み思案な女の子だと思ってたけど好きな男の子には積極的なんだー! イズくん結構やり手ですねー?」
ミウは何故か自分のことのように喜んでいる。その姿はルシアと重なって、やっぱり親子なんだなとしみじみ思わせる。二人とも恋バナ好きだ。
「別に何もしてないけど。でも俺そのことで少し悩んでるんだよなー」
「ええ!? 恋の相談!? 私に恋の相談ですか!?」
興奮しすぎて噛みつきそうなほどミウは顔を近づけてくる。
「いや全然そういうわけじゃ――」
「――任せてください! こんなことあろうかと私、いつでも恋の相談受けられるように数々の恋愛シミュレーションゲーム攻略済みなんです!」
自分では相談するほどの悩みでもないと思っている。けれど楽しそうなミウをしらけさせても詰まらない。ここは相談するしかなさそうだ。
「うーん。そうだな。言葉で上手く伝えられないんだけど。俺さ。友達の好きはわかるんだけど恋の好きってよくわからないんだよ。エリウェルがせっかく俺を好きになってくれたからお返しに何かしてあげたいんだけど。気持ちがわからないから何をしたら喜ぶかわからないんだ。どうしたらいいかな?」
これが恋なのかすら自分でもわからないことを初めて相談するとミウは真剣な顔で話を聞いてくれた。そして話し終えるとミウは顔を上げて黙り込んだ。
返答を待つ間も二人で歩き続けていると指を絡ませて握る右手が汗ばんでいることに気づきミウに申し訳ない気持ちになった。何故こんな気持ちになったのか自分でもよくわからない。
そんなことを考えているとミウが笑みを向けてきた。
「今のままのイズくんで居てくれればエリウェルちゃんは嬉しいと思います」
「今のままの俺? そんなんでエリウェル喜ぶの? 何もしなくていいのか?」
「はい。イズくんの性格をもとに色々考えましたがエリウェルちゃんはきっと飾らない今のイズくんが好きなんです。深く考え込む必要はありません。この手の問題は考えすぎると逆に悪い方向に進むものです」
「そっか。でもやっぱり何かはしてあげたいって思っちゃうけどな」
ミウは口に手を当ててクスクスと笑う。
「イズくんは優しいんですね。――でもそうですね。もしイズくんが何かするのであれば……甘えたらいいんじゃないでしょうか。きっとイズくんが甘えればエリウェルちゃん喜ぶと思いますよ」
「甘える? そんなんでいいんだ。でも例えばどんな甘え方すればいいの?」
「例えば……今日はお別れのキスしてくれないんだ、残念……って言ってみるとか」
「それって甘えてるの? それでエリウェル喜ぶの? 俺には全然わからないぞ」
「なら一度試してみてください。多分喜ぶと思いますよ」
「わかった。今度試しにエリウェルに言ってみるよ。相談乗ってくれてありがとな、ミウ」
白い歯を見せて笑みを浮かべるとミウも笑顔を返してきた。
「はい。ご用命があればまたいつでも相談に乗りますよ」
そんな話をしていると巨大な両扉の前に着いた。
とても重そうな扉が二人を遮る。けれど想像の世界だからなのか、軽く押しただけで扉が開くイメージが脳裏に浮かぶ。本当にこの先に秘めたる力を解放する何かがあるのだろうか。
疑問に思いながら扉を見上げていると右手が引っ張られる。目線を下げるとミウが扉に手を触れていた。
「イズくんは左の扉を押してもらえますか? 鍵もなさそうですし軽く押したら開くと思います」
「なんか俺の中って攻略簡単じゃね? 普通こんなもんなの?」
「いいえ。セキュリティ緩すぎです。人間に免疫機能があったり、精神的ストレスを受けて防衛機制が働くように、この世界で歩き回ろうとすれば肉体的・精神的に負荷が生じ、様々な干渉や大きな抵抗を受けるはずなんです。魔術耐性の無い一般人ですら大きな抵抗を受け、手練れの魔術師でも人間の中に入り続けるのは困難だと聞きます。それなのにイズくんは何の抵抗もしてきません。皆さんようこそお越しくださいました状態です」
「おお! 俺の社交性の高さがうかがい知れるってわけね!」
ミウはニコっと微笑む。
「難なくここまで来れたので助かりましたが……でもやっぱり心配なので今度からは誰も自分の中に入れないよう気持ちを強く持ってくださいね。優秀な魔術師ならこの術でイズくんの肉体や精神を改造することだってできるんですから」
「わかった。今度からそうする。――でも警戒してないのはミウだからだぜ?」
「私だから? でも昨日初めて出会ったばかりじゃないですか」
「でもルシアの娘だし。俺ルシアのことシンクと同じくらい信頼してるから。だからルシアの娘も信頼するんだ」
「シンクさんって悪戯っ子B――いえ、イズくんの親友ですか?」
「ああ。シンクは親友だぜ」
「そうですか。親友のシンクさんと同じくらいお母さんのことも信頼してるんですね。――私お母さんのこと褒められるとなんだか凄くポカポカした気持ちになるんです」
「そっか。ミウにとってルシアは自慢のお母さんだもんな」
「はい。世界で一番の、自慢のお母さんです」
嬉しそうなミウを見ながらイズも扉に手を触れる。ミウの言うとおり軽く押したら扉が開きそうだ。
そんなミウと目で合図して一緒に扉を押した。思ったとおり扉はとても軽い。少し力を入れただけで巨大な扉がゆっくりと左右に開いていく。その様子を見ながらルシアとミウが再開した光景を想像すると胸が温かくなった。
「今のことルシアに直接言ってあげてくれ。ルシア絶対喜ぶからさ」
「そう……ですね。そんな日が来たら……きっと……」
ミウの横顔はどこか悲し気な顔をしていた。何故そんな顔をするのかイズにはわからない。ルシアはもう目的のラミアーヌの雫を手に入れている。そして今イズはミウと一緒にいる。つまりこのままイズがミウをルシアの元に連れて行けばハッピーエンドだ。ルシアの喜ぶ顔が目に浮かぶ。
確かにそこに至るまでの道のりは険しい。でもガルマードを倒せばルシアの夢が叶うのだから何としても連れて行きたい。きっとこんなチャンスなかなか訪れない。
「そんな日がもうすぐ来るよ! ルシア今ミウのこと探してるんだ。だから俺が連れて行けばすぐにでもルシアと会える! そんで二人でアクソロティ協会から逃げたらいいよ!」
「そう……出来たら良いですね。でも……私は無理なんですよ。私は……アレン・ローズ様の大きな計画の一部ですから。絶対に見逃してもらえません。誰もアレン様には逆らえないんです」
「そんなことないって! 諦めるな! 諦めなきゃ――」
「――さあ! 中に入りましょう! イズくん!」
気がつくと両扉が完全に開いていた。強がるような笑顔で扉の中へと足を踏み入れるミウはこれ以上何も話す気はないらしい。そんな寂しくて小さな手に引っ張られて扉の中に足を踏み入れたイズの視界に闇が飛び込んできた。
ミウと目を合わせた後、闇の中を歩くと次第に赤い塊が広がっていき、それが翼なのだとわかると次いで巨大な宝石のような丸い瞳が現れた。
「巨大な鳥か?」
そう呟くと巨大な鳥を中心に光り輝いて部屋の中が彩りで満ちる。周囲を見渡すと鉄格子のようなもので囲まれており、その中央には巨大な鳥が鎮座していた。ここはまるで鳥籠の中だ。
「うそ……。もしかして神鳥……? でもなんで……」
「神鳥? この赤い巨大な鳥が?」
問い返しながらミウの顔を覗き込むと唖然としていた。イズは再び巨大な鳥に目を向ける。
神鳥は一度だけ見たことがある。鳥にしては大型だったが眼前の鳥ほど巨大じゃないし赤色ではなく青色の鳥だった。
「ミウ。本当にこれが神鳥なの? 前に見たのは俺より少し背が小さくて青色で味付けしなくても美味な――」
「――あんな感じですか?」
ミウが指を指した。その先を目線で辿ると綺麗な青色の鳥が巨大な神鳥の足に隠れていた。
「そうそう! あんな感じ! でも一度しか見てないし本物かわからないから捕まえて食べてみれば――」
「――あれは多分雛鳥です。成長すると赤色になるんじゃないでしょうか」
「ふーん。そういえば初めてルシアに会ったときそんなこと聞いたような、聞かなかったような。そのことは忘れちゃったけどさ。でも俺の口は覚えてるから食べてみれば――」
ミウが右手で思い切り口を塞いできた。横目を向けるとミウが頬を膨らませている。
「イズくん。わざとやってますね? 神鳥さんの前で嫌なこと言わないでくださいよ」
「よくわかったね。流石ミウ頭いいな。でもこいつら生きてないし別に怒らないだろ?」
親子のように寄り添う二羽の神鳥。見た目だけなら今にも翼を広げて羽ばたきそうだが、そんな行動は起こさないだろう。
何故なら二羽の神鳥から生気を感じられず、剥製のように固まって微動だにしない。ただそこに器が存在するだけだ。
「例え生きていなくても……私は存在した命に敬意を払いたいです。生きていないから何を言ってもいい。そんな悲しいこと……言いたくないんです」
まるで自分のことのように悲しい顔でミウは語る。昨晩、ミウは自分のことを鳥籠の鳥だと表現していた。目の前の出来事と自分を重ねているのかもしれない。
「ごめんな、ミウ。俺、何も考えずに思ったこと言っちゃった。――神鳥もごめんな。嫌なこと言って」
そう言ってイズは頭を下げた。
神鳥を食べたことにはなんの贖罪もないと思っているし罪悪感もない。生き物は食べないと生きていけないからだ。でもミウの言うとおり敬意は足りなかった。
「ありがとうございます。私の勝手な考えでイズくんを振り回したのに寄り添ってくれて」
顔を上げるとミウは微笑んでいた。けれどその笑顔はとても物悲しく感じる。そんなミウは続けて神鳥へと目線を向ける。
「イズくん。ここはイズくんの核となる場所です。そこに神鳥がいるということは……」
「ええ!? もしかして俺の正体鳥だったの!?」
「いえ。そうではなく……イズくん。もしかして一度死んでるんじゃないですか?」
「え? そうなの? 俺死んでる可能性あるの?」
「小さな頃に死んだことがあるのでは、と言う話です。少し前に話しましたけど神鳥と呼ばれる所以は不死であるからです。実際には完全な不死ではないようですが……そんな神鳥がイズくんの核に据えられている。ということは死んだ肉体を神鳥が補っているのではないでしょうか。そんな話聞いたことありませんか?」
「うーん。よくわからない。でも死んだとしたら産まれた直後くらいかな。俺、二歳の頃に孤児院に預けられたんだ。島のみんながそんな凄いことできるとは思えないし」
「そう……ですか。いずれにしてもイズくんが魔術を使えないのはこのことが原因でしょう。多分、肉体と魔術集積回路の間で何かしらの不具合が起きてるんだと思います」
「そっか。それでどうするの? ここに来たのは俺をパワーアップするためなんだよな? そんなことできるの?」
そう問いかけるとミウは神鳥に手を掲げた。
「はい。神鳥がイズくんの力を阻害しているのですから神鳥の力を一時的に低下させればいいわけです。でもその分イズくんの肉体に凄く負担が掛かるかも――」
「――楽しみだなー! パワーアップ! 早くやってくれ! リコも俺がパワーアップして帰って来るの楽しみに待ってるぜ?」
イズは白い歯を見せて笑みを浮かべた。少し唖然としていたミウだったが次第に表情が和らいでいく。
「そうですね。リコちゃんも楽しみに待ち侘びてますよね。では……行きます」
微笑みを浮かべたミウの体から黄金のオーラが立ち昇る。イズは大きく頷くと神鳥に目線を向けた。
「よっしゃー! 行けー!!」
掛け声と共に視界が輝かしい紅蓮で満たされ、巨大な氷像が溶けるように神鳥の姿が世界に混ざり合っていく。そうしてイズの意識は紅蓮の光に奪われ、遠のいていった。




