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第21話 犠牲無くして

 優雅に室内でティータイムを愉しむ女性。ティーカップをソーサーに置くと小さく陶器が擦れる音が響き、次いで喧騒が耳に届いた。


 女性から目線を少しそらす。窓の外ではマレージョに追われる住民。革張りのソファを跡がつくほど握り、立ちあがろうとしたところで子供たちが住民を助けてホッと胸を撫で下ろした。


「ねえレテル。私、今日ほどあなたに腹を立てたことなかったわ」


 そう伝えるもレテルは変わらず穏やかな表情をしている。ルシアは心のモヤモヤが晴れず目力を強めるとレテルは小さく笑う。


「そんなに怒らないでよ。怖いじゃない」


「そろそろ理由を話してくれない? いい加減我慢の限界なんだけど」


 そう言いながら後方に意識を向ける。ルシアが座るソファの後ろには二人の女性、ドアを遮るように一人の女性が立っている。


 ルシアは今、レテルたちに事実上、軟禁されている。何故こんなことをされるのか未だ説明を受けていない。


 イズとエリウェルが姿を消し、街中を探しているところにレテルたちロイケット社交界と遭遇した。事情を説明するとレテルに着いて来いと言われ、考えもせずにノコノコ着いて行ったら家屋の三階にある一室に閉じ込められ、紅茶とケーキでもてなされている。


 部屋から出るな、と直接的な恫喝はされていない。けれど出入りできないよう結界を構築され、さらに仲間たちをルシアの背後と扉に配置し、ずっとオーラを放出して警戒している。まるで逃げたり暴れたりしたら実力行使に出るから大人しくしてくれ、とでも言わんばかりに。


 このため様子を見て大人しくしていたルシアだったが、街でマレージョが出現し、人々が襲われても助ける素振りすら見せないレテルに苛立ちを募らせている。


「まあ確かに説明する頃合いかもね」


 そう言ってレテルは腕を組む。ようやく話す気になったようだ。


「当たり前。説明しないなら私、暴れるつもりだから」


「説明しても暴れるでしょ? だから説明しなかったの」


「ならまた私をどこかに飛ばせばいいじゃない。豪華客船でしたみたいに。本当はそのつもりだったんでしょ?」


 冗談で言ったつもりだった。しかしレテルは口に手を当てて笑い声を上げる。ふざけているわけではなく本当に面白がっているようだ。


「本当はそうしたかったけどイズが一緒じゃないでしょ? ルシアだけだと意味がないから断念したの」


「なによそれ……。ちゃんとわかるように一から説明しなさいよ」


「そのつもり。だからこの部屋に来てもらったの。誰にも聞かれたくない話だったから。だってこの街……アレン・ローズ直属部隊ゼロが監視してるじゃない?」


 チャイルドヘイブンの子供たちを外界実習するに当たり、教員が不審な行動を取らないようアレン直属部隊ゼロが街を見張っている。それはルシアも確認している。


「そうね。でもこの騒ぎだと本部に帰還してるかもね」


「ええ。それは仲間から報告が入った。ゼロたちは少し前にこの街を離れたそうよ。そうでなくちゃ困るんだけど」


「困る?」


 そう呟くとレテルは微笑んだ。


「私が世界中で仲間を集めているって話はしたと思うけど、実はアレン派閥の魔術師たちと全面戦争するにはまだまだ戦力が足りてなくてね。だからこれから奪還する子供たちにあらかじめ戦争に参加したいって洗脳しようかなって思ったの。いい考えでしょ? 子供たちが自らの意思で戦争に参加すればその親は必ず心配で参戦せざるを得ない。つまり戦力大量確保ってわけ」


「あ、あなた何を言って……」


「そのための下準備をシンクたちに行わせている。そうさせるように仕向けたって言ったほうが正しいかな。だからゼロに見られたら困るのよ」


「レテル。自分が何を言ってるかわかってるの……?」


「困難に直面したとき、頼れる者がいなければ自分たちで解決するしかない。この街がマレージョに襲われたらシンクたちはきっとチャイルドヘイブンの子供たちに協力を依頼する。そして互いに協力しあって事態を解決に導く。その成功体験は必ず子供たちの強固な結束に繋がるし、自己効力感も高まる。ひいては組織の士気も上がるわ」


「レテル。私の話を……」


「けどそのためにはルシアやイズがいると困るのよ。シンクにとってあなたたちは心の支えだから。二人がいたらシンクは独り立ちできない。それに――」


「――レテル! 私の話を聞きなさい!」


 ルシアが声を荒げるとようやくレテルは会話を止めた。これから叱責されることがわかっていてもレテルは変わらず穏やかな顔をしている。きっと覚悟を決めているのだろう。何を言われようと考えを変える気はないと。


 言いたいことは山ほどある。聞きたいことも山ほどある。けれど何よりも先に確認しなければならないことがある。


「レテル。あなた自分の息子を戦場に行かせて平気なの?」


 そう問いかけるとレテルは小さく笑う。


「ねえルシア。もし私があなたの娘を戦場に送り込んだとするわ。それなのに自分の息子は戦場から遠い場所で大事に可愛がっていたら……ルシアはどう思う? 私を憎らしく思わない? 私に命を預けて一緒に戦争できる?」


「だから自分の息子を率先して戦場の最前線に送り込むの? それはシンクの意思なの?」


「あの子の意思なんて関係ない。私が命を懸けて世界を変えると決意したときから、息子の運命は決定したの。私と息子は運命共同体。世界を変革するそのときまで息子には戦い続けてもらう。――そのために……機が熟すときまで息子の存在を隠すために……苦労してラミアーヌ島まで連れていったのよ」


 理屈としてはよくわかる。自分の息子を犠牲にしないと仲間たちも我が子を戦場に送ろうなんて絶対に思わない。


 誰かが命を懸けなければ世界の変革なんて成せない。犠牲無く変えられる世界なら誰かが既に変えている。未来を変えるために屍の山を築くのは避けられない。過去多くの犠牲を払って現在の世界があるのだ。狂人にならなければ狂気の道を歩めない。それはよくわかっている。


 それでもルシアは許せない。そんな考えも世界も許せない。偽善だってことはわかっているし、狂気の世界で戦い続ける覚悟ある者の足を引っ張ってはいけないこともわかっている。


 だからと言って今悲しんでいる人たちに手を差し伸べてはいけないのだろうか。弱い者や愛しい者を守ってはいけないのだろうか。


 絶対にそんなことないはずだ。けれどそれを強要させるのは今レテルがしていることと同じだ。強要して相手の意思を捻じ曲げることはしたくない。


 それにルシア自身迷っている。自分が考えていることが正しくて、正義の行いだなんて決して断言できない。ただ一つはっきりしていること。それは目の前の惨劇を見過ごすことはできないということだ。この街の住民はただマレージョに襲われるだけの被害者なのだから。


「もういいわ。今はレテルとこんな言い争いしてる場合じゃない。マレージョの襲撃から街の人たちを守らなくちゃ。あなたは知らないかもしれないけどこの襲撃は八貴族のヴォイニッチが――」


「――知ってるわ。私はアクソロティ協会でのいわゆる情報将校よ? ヴォイニッチがティンバードールを襲撃するって情報は前々から入手済み。襲撃すると知ってて街の人を助けないの。今言ったでしょ? シンクたちが事態を解決する必要があるって」


 怒りが少しづつ自分の意識を支配していく感覚があった。ルシアはその感情をぶつけないよう拳を握りながら立ち上がった。


「知ってて住民たちを見殺しにしてるの……? あなたがその気なら私はもう本気で暴れさせて――」


「――シンクとイズが育ったラミアーヌ島。その島を管理して二人を育てたのはケティシア先生よ?」


 十年以上前に二百名もの人々を連れてアクソロティ協会から逃げ出した幻惑の聖天大魔導士ケティシア・テンジェル。数か月前アレンに見つかり、ケティシアは島の人たちと一緒に命を落としたと聞いた。まさかイズとシンクを育てたのがケティシアだったとは。


 その衝撃の事実と同時に寒気がした。レテルのことだ。話をすり替えたわけではないだろう。きっとこれは脅しだ。ルシアの性格を知ったうえで一番効果的だと思う脅しの手札を切ってきた。


「二人とずっと一緒だったルシアならよくわかるでしょ? あの子たちがあんなにも真っ直ぐ元気に育ったのはラミアーヌ島でしっかり愛情を受けて育った証。二人にとってラミアーヌ島は自分の愛するふるさとだわ。そんな愛するふるさとラミアーヌ島が、自分たちにたくさんの愛情を注いで育ててくれた人たちが、アクソロティ協会に奪われてもう二度と戻ってこないと知ったら……二人は憎悪に身を焦がすのかしら? アクソロティ協会を壊滅させるまで止まらない復讐の鬼と化すのかしら?」


 二人が嘆き悲しみ、怒りに狂う姿を想像し、ルシアは胸が締めつけられた。もう迂闊なことはできない。これは脅しであり、従わなければ必ずそのカードを切る。レテルとはそういう女だ。


「ソファに座りなさい、ルシア。今回は大人しく私の言うことを聞いて」


 ルシアは拳を握り、レテルを睨み続けながらゆっくりとソファに腰を落とした。

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