第3話 桜の門出
登り始めた朝日がラミアーヌ島を照らし始め、温かい日差しが肌寒さを少し緩和させる海岸沿いには、寄せては打ち返す優しい波の音をかき消すように島民たちの賑やかな声が聴こえる。
旅立ちの日の朝。海岸には島民全員が集まり、イズとシンクは島民の大人たち一人一人と握手をして別れの挨拶を交わす。
今まで散々悪戯をした人も、昨日悪戯をした人も、一緒に過ごした学友たちも、今日は涙を流したり笑顔で激励してくれたり、みんなそれぞれの方法で二人の旅立ちを、別れを惜しんでくれる。
叱ったり言い合ったりしても、互いに嫌い合ったりなんか絶対にしない。だって島の人たちは垣根のない大家族だ。
イズたちは島の人たちと挨拶を交わし終え、最後に残るのはマザーケト、そしてヤエのみとなった。
最初にマザーケトの元に駆け寄ると腰を落とし、目線を合わせてくれた。
「あなたたちにプレゼントがあります」
そう言って手に持っていた赤い宝石付きの首飾りをイズたちに見せてきた。
「これはラミアーヌの雫。あなたたちの旅路を手助けしてくれるお守りです。外界では高価な物なので人には見せず、常に手元に置くようにしてください。高価な物と言っても一生持っている物でもありません。ですが、あなたたちはまだ、その石の力に頼らざるを得ないでしょう。その時が来たと自分でわかるまで、手放さないのが一番良い」
ラミアーヌの雫をイズ、シンクそれぞれの首にかけてくれたマザーケトは優しく手を握ってきた。
「それではイズ、シンク。女神メルトリアの御加護がありますことを。あなたたちに出会えたこと、感謝いたします」
「ありがとうマザーケト。俺たちがここまで成長できたのはマザーケトのおかげだよ。このご恩は一生忘れません」
「俺たちは必ず立派な勇者になって世界中を冒険してきたら戻って来ます。だからそれまでマザーケトは長生きしてください」
「それなら私はたくさん長生きしなければいけませんね」
三人で声を上げて笑い、それから抱き合った。マザーケトに抱きしめられたのはずっと小さな頃だったろうか。懐かしい暖かさだな、とイズは思っているとマザーケトの体が震えていることに気づいた。
マザーケトの背中しか見えないが泣いているんだな、ということくらいはわかる。
イズはシンクと顔を見合わせてほくそ笑む。どんな悪戯にも動じないマザーケトを最後の最後で動じさせたことと、自分たちのために涙を流してくれることに喜んだのだ。
マザーケトとの別れを終え、最後にヤエの元に来た。ヤエはうつむいたまま暗い表情をしている。予想はしていたがヤエの笑顔が見れないことに困惑したイズはシンクに目を向けた。
するとシンクは微笑みながらヤエの手に触れる。
「そんな暗い顔すんなよ。最後くらいヤエ姉の笑顔見せてくれよ。そんな顔似合わないぜ」
「わかってるわ。でも……」
続けてイズは暗くて物悲しい雰囲気を一掃しようと笑い声を上げた。
「ヤエ姉。笑顔だよ笑顔! 俺たちそんな暗い顔見たくないんだよ。今生の別れじゃないんだ。立派な勇者になったら必ず会いにくる。それまでのお別れだよ」
「イズの言うとおりだ。もう会えない訳じゃない。ヤエ姉がピンチになったら外界のどこに居たって駆けつける。約束だ。だから笑顔を見せてくれよ。じゃないと俺たち安心して旅立てない」
それでもヤエはうつむいたまま肩を震わせている。これ以上どうやって元気づけようか、とシンクに目を向けたとき、突然ヤエが笑い出した。
「大成功! 散々迷惑かけられたから最後に一度はあんたたちの困った顔を見たいって思って昨日の夜考えたんだけど、うまく引っかかってくれたわ。ああ、面白い! これで心残りないわ。さあ、外界でもどこでも好きなところに行きなさい。今日からあんたたちの悪戯がないって思ったら清々するわ。あぁ、私はこれからエルマーさんとのバラ色の生活が待ってるのね! まあ、あんたたちも私を見習ってせいぜい人生を楽しむことね!」
「うわー! ヤエ姉ひっでー! 俺たちこんなに心配したのに!」
「心配して損したぜ! せいぜいエルマーさんに本性見せないように頑張れよな」
「はいはい! 優しくて可愛いヤエ姉で頑張りますよーだ!」
◆
島民全員との挨拶を終えたイズとシンクは手際よくエンジンを点火させると小型船が低速で動き始めた。
二人はデッキに立って手を振り、島民たちも手を振って大声で叫んでいる。
「またなー!」
「健康には気をつけるんだぞー!」
「俺たちのこと忘れんなよー!」
島民たちは声を張り上げ、各々の言葉で二人に別れの言葉を惜しみなくかける。けれどヤエは未だ別れを直視できずに下を向いているとマザーケトが隣に寄り添ってきた。
「いいのですか? あんな別れ方で。あの子たちはああ言いましたが、これが今生の別れになるかもしれないのですよ?」
「いいんです……。あれで。あれ以上あいつらを困らせたくなかったし……。何より……話す時間が長いほど、あいつらを引き留めたい気持ちでいっぱいになりますから」
「そうですか……」
悲しげな声のマザーケト。
みんなが笑顔で別れを惜しむこの場所で、暗い顔をする自分はきっと空気を悪くする。もうこれ以上この場所に居てはいけない。そう思ったヤエは背を向けようとしたその時、海のほうから大きな爆発音が聞こえた。
ヤエは爆発音の方向に目を向けると、上空で爆ぜた色とりどりの火花が雪崩れるように海上へと落ちていく。その落ちた先にいる船上では、大きく両腕を振るイズとシンクの姿があった。
先ほどまで締め付けられて苦しかった胸。今度は高鳴る鼓動を抑えきれず胸を掴んだ。ヤエの瞳に映るのはいつもと変わらない悪戯っ子の笑顔。
満面の笑みを浮かべるイズの大声が聴こえた。
「ヤエ姉ー! 今までありがとう! どんなときもずっと! ずっとずっとそばに居てくれて! 今まで恥ずかしくて言えなかったけど! 俺たち本当にヤエ姉のこと大好きだー!」
続けて満面の笑みを浮かべるシンクの大声が聴こえた。
「ヤエ姉ー! 嘘が下手くそだなー! 何年一緒にいると思ってるんだー! 強がってるのがバレバレだぜー! でも! そんなヤエ姉だからこそ! 俺たちヤエ姉のこと大好きだぜー!」
とめどなく流れる大粒の涙とともにイズ、シンクと過ごしたかけがえのない大切な思い出が溢れ返ってくる。
泣き笑い苦楽を共にした六年間。本当の家族以上に家族だった六年間。三人で過ごした時間の中で大切じゃない思い出なんて一つもない。大切な思い出しか詰まっていない六年間。
大切な思い出が満ちて崩れ落ちそうだったが必死に堪えた。大粒の涙がとめどなく溢れ落ちるが泣き顔は隠さなかった。
だって崩れ落ちたら二人の姿が見えなくなるから。一秒でも長く二人を見つめていたいから。
ヤエは笑顔を取り戻し、涙を流しながら大声で手を振り叫んだ。
「イズー! シンクー! あんたたちと過ごした六年間絶対に忘れないからー! これが今生の別れになっても! ずっとずっとあんたたちを忘れないからー! ありがとー! 大好きよー! 愛してるわー! いってらっしゃーい!!」
イズとシンクは顔を見合わせて喜んでいる。一番見たかった笑顔が、言葉が聞けたと言わんばかりに。
「「いってきまーす!」」
穏やかな風が吹いてヤエの頬を撫でる。風に吹かれて舞い上がった綺麗な桜の花が紅白入り混じって水面に浮かぶ。
上空にはイズが投げた花火玉が爆ぜて色とりどりの火花を満開に咲かせている。
二人を乗せる船は上空に咲き誇って枝垂れる火花の門をくぐり、紅白の絨毯が敷かれる海上をゆっくりと進む。
その様子はまるで、ラミアーヌ島が二人の悪戯っ子の門出を祝福しているかのようだ。