第9話 ティンバードール
シャーデットを立った後、ルシアたちは適当な街を転々としながら旅を続け、レテルとの約束三日前にはアストリーク大陸で二番目に大きな都市ティンバードールに到着した。
何日間ここに滞在するかわからないため長期間ホテルを確保し、レテルたちの到着を待ちながらティンバードールの街を満喫して三日目を迎える。
オウロピア大陸ではあまり馴染みのない先進的な科学技術や現代文化に触れるイズ。見るもの全てに瞳を輝かせながら喜ぶ姿を見るとルシア自身も嬉しくなる。
何でも体験させて知識と経験を積ませることを教育方針としているルシア。今日はイズとエリウェルをティンバードール名物公営賭博場まで引き連れてきた。
初めは賭博施設を見学するだけのつもりだったが、イズにせがまれたルシアはこれも経験だと思い、軽い気持ちで賭博をすることになる。
最初はルーレットで遊ぶことになり、エリウェルに言われた数字に賭けたが外れてしまった。続いてイズに言われた数字に賭けると見事当選。それが五回連続当選して賭け金が二百倍に増えた頃、周囲の不穏な視線を感じて遊ぶのを止めた。
次にスロットマシーンに向かい、エリウェルを膝の上に乗せて遊ぶも当たらない。続いてイズを膝の上に乗せて遊ぶと見事ジャックポットに当選。それが五回続いて賭け金が五百倍に増えた頃、やはり周囲の不穏な視線を感じて遊ぶのを止めた。
そんな調子で次々に賭博に勝ち続けて大はしゃぎするイズ。やがて周囲から殺意にも似た視線が集まってきたのでルシアは身の危険を感じ、賭博施設を後にした。
ここでもう賭博は終わりにしようと思ったのだが、大金を儲けたことが後々いろんな人の恨みを買わないか恐怖を感じたルシアはふと考えて二人を競馬場に連れて来た。
賭博で儲けたお金を全額下馬評に賭けて無くしてしまおうという魂胆だ。そうすれば結果的に公営賭博が行われている地域に儲けたお金を戻すのと同じである。
こうしてイズを説得しようとした矢先、自ら一番不人気の馬に全額賭けたいと申し出てきた。
そのことが不安で仕方ないルシアだが、お金をこの地域に落とす方法は他にないため、結局一番不人気の馬に全額賭ける。
こうして観覧席にやってきたルシアたちは会場内にいる五千人以上の熱気溢れる声援を肌で感じながら出走馬を眺めているとアナウンスが流れた。
そして発馬機のゲートが開き、一斉に馬が走り出す。
会場全体から聴こえる熱い声援。その声援が罵声と歓声に二極化し始めた頃、観覧席のフェンスに掴まり立ちしながら黒髪を大きく揺らすイズは大声を上げた。
「行けー! 俺のビクトリークレイジー!」
「ええー!? すごいすごいー! イズー! 本当に勝っちゃうかも!」
イズの隣で大はしゃぎしながら水色の髪を揺らすエリウェル。
二人の後方に立つルシアは最下位から次々と追い抜いていくビクトリークレイジーを食い入るように見つめながら手を重ねて神に祈る。
「お願いお願いお願い! お願いします! 神様! お願いします神様ー!」
五千人以上の視線を釘付けにするビクトリークレイジーは遂に先頭を走るブラックマグナムの後方に張り付いた。
芝生を力強く駆け抜けながら赤毛を激しく揺らすビクトリークレイジーは最終コーナーを曲がった直線でブラックマグナムと横並びになり、会場内の観客が一斉に沸き立つ。
激しく競り合う赤毛と黒毛の両雄。優劣がつけられずどちらが勝ってもおかしくない。会場内には息を呑み、永遠にも感じる時間を過ごす者たちがいる。
そんな者たちにも終わりは等しくやってくる。勝負の終わりが。
ラストスパートをかける両雄。ゴール板が目前に迫る最後の勝負所でイズは大声を上げた。
「飛べ! 俺のビクトリークレイジー!」
まるでイズの言葉を理解し、その言葉に従うようにビクトリークレイジーは飛び跳ねた。
その直後。芝生の整備不良なのかブラックマグナムの体がわずかに傾いて失速した。一方、芝生に着地したビクトリークレイジーは勢いを落とさず先頭に躍り出る。
そして世紀の一戦と言っても過言ではない大熱戦を繰り広げた勝敗は下馬評を覆した競走馬ビクトリークレイジーによって競馬界の歴史とともに栄光の勝ち星を手にした。
「「「ぎゃー!! やったー!!」」」
賭けに負けた客たちが投げたおびただしい数の馬券が宙を舞う中、雄たけびを上げながら激しく抱擁して喜びを分かち合うイズとエリウェル。けれどルシアは頭を抱えながら別の意味で雄たけびを上げた。
「なんで勝っちゃうのよー!!」
イズが購入した馬券の倍率は三千百五十倍。本来ならば喜ぶべきだが、ルシアは冷や汗を流すほど恐怖を感じている。
「よっしゃー! この調子だ! この調子でどんどんお金増やして国を買うぞー! イズ・アスタート王国の建国じゃー! ついてこい! エリウェル! 俺が王様になったあかつきにはエリウェルをお姫様にしてやるぞー!」
「ほんと!! やったー!! 私どこにでもついていくー!! 止まるなイズー!!」
「おうよ! 今の俺は誰にも止められないぜー!」
そう息巻く二人は馬券を換金所へと持って行こうとしているため、ルシアはイズを羽交い絞めにするような形で抑えつけた。
「止めて! もう本当に止めて! お願いだから換金せず全額辞退して! こんなに稼いだら命を狙われちゃうから! この街から無事に出られなくなっちゃうから!」
けれどギラギラした目を向けるイズは言うことを聞かない。勝負に勝ちすぎて我を忘れている。
「嫌だー! 俺はお金を稼いで国を買うんだー!」
「買えないから! どんなにお金があっても国は買えないから!」
「じゃあこの街を買う! そんでこの街のおもちゃ全部俺のモノにする!」
「街もお金じゃ買えないの! それにおもちゃならもう買ったでしょ! その変身ベルトで十分じゃない!」
「嫌だ! 超合金ロボットも買うんだ!」
「超合金ロボットも魔法少女変身セットも買ってあげるから!」
「魔法少女変身セットはいらん!」
ルシアはこれも経験の一つだと賭博を許してしまった浅はかな自分の判断に後悔しながらエリウェルに目を向けた。
「エリウェルお願い! 一緒にイズを止めて! このままだと本当に大変なことになるわ!」
「は、はい……。わかりました……」
残念そうな顔をするエリウェルはポーチに手を入れる。そして三枚のチケットを見せびらかした。
「イズ。お金はいつでも稼げるし、そろそろ劇場版仮面戦士ビクトリークレイジー観に行かない? もう開演一時間前だし、ここから映画館までちょっと距離あるから早く行かないと間に合わないかも」
「おおー! もうそんな時間か! そんじゃービクトリークレイジー観に行こうぜ!」
周囲からの冷たい視線を受けながらルシアは溜息をついた。
「た、助かった……」
◆
劇場版変身仮面ビクトリークレイジーを観終わった後、ルシアたちは少し遅めの昼食をとるため大きな樹木を中心にカラフルなテーブルが並ぶテラスレストランまでやって来た。
「なあルシア。昼飯食べ終えたらまたギャンブルしていい?」
「絶対に駄目! ってかもう賭け事は禁止! イズのおかげで人生で初めて賭けが外れてくださいなんて神様にお祈りしたんだから!」
「良い経験できてよかったじゃん。俺に感謝しろよ?」
人ごとのように答えるイズはご当地グルメを手当たり次第に貪っている。ルシアは小さく溜息をついた。
「それはどうもありがと」
呆れながら感謝の言葉を述べたルシア。コーヒーを飲みながらふとエリウェルに目を向けるとハンバーガーを両手で持ったまま硬直していた。どうやら何かを見ているようだ。
不思議に思ってエリウェルの視線を辿ると黒ローブを被った集団がこちらに向かって来ている。
明らかに怪しい集団だ。そう思っているとエリウェルは突然席を立ってイズに抱きついた。顔は青ざめ、体は震えている。
「どうしたんだ? エリウェル。お腹でも痛いのか?」
震えるエリウェルを胸に引き寄せて優しく抱きしめるイズは不思議そうにこちらを見つめてくる。しかしルシアもエリウェルが怯える理由はわからない。
「子供を引き連れて旅をしていると聞いたが……まさか本当だったとはな、ルシア」
後方から声が聴こえた。ルシアは急いで振り向くと黒の軍服を纏うスキンヘッドの男が立っていた。片目が潰れ、頭や手の甲は傷だらけ。老齢だが鍛え上げられた肉体に衰えは感じさせない。
その老齢の男を見た瞬間、昔の記憶が蘇り、懐かしさとほろ苦さを思い出した。同時に思いがけない人物との出会いに胸が高鳴る。
ルシアが旅をする理由。一つはラミア石を見つけること。そしてもう一つは聖天大魔導士のルシアにすら秘密にされているチャイルドヘイブンの場所を特定し、囚われている娘を見つけ出すこと。
アクソロティ協会でもほとんど顔を見せないチャイルドヘイブンの教員はまれに学徒を引き連れて外界に姿を現す。神の子供達計画の教育プログラムに従い、外界実習をするためだ。
どうやらレテルはこの外界実習の日程を知っていたらしい。実習する学徒は全員ではないため、外界に連れ出した子供達だけ連れ去っても解決にはならないが、引率が終われば必ずチャイルドヘイブンに帰る。つまり引率する教員の後を追えばチャイルドヘイブンの場所がわかる。
レテルとはまだ再会できていないがこのチャンスを逃す手はない。ルシアはそのことを悟られないように慎ましく笑みを作った。
「ガルマード卿。子供達をたくさん引き連れて何してるんですか?」
そう言いながらガルマードの後ろに目を向ける。ガルマードの後方には黒ローブを被って姿を隠す二十人ほどの子供達が隊列を組んでいた。
「ふざけたことを抜かすな。なんならもう一度貴様を教育し直してやろうか?」
「いえいえ。先生の愛あるご指導は二度とごめんです。――それでガルマード卿はチャイルドヘイブン学徒たちの引率ですか? こんな場所で珍しいですね。まさか教え子たちを連れてギャンブルをしに来たわけでもないでしょうし」
ふん、と鼻を鳴らすガルマードはルシアを睨みつける。
「まさか俺に立ち話させる気か?」
ルシアは微笑みながら隣の椅子を引いた。
「どうぞお座りください。よかったらコーヒーでもいかがですか?」