第5話 高級ビーチリゾート
西海岸レフォールから列車を乗り継いで五日。ルシア、イズ、エリウェルはアストリーク大陸の最南部に位置するチャンドゥア地方のワルロット共和国に到着した。
ワルロット共和国は世界有数のビーチリゾート施設が軒を連ねており、一般向けから富裕層向けと選択肢は無数にある。
その中でもルシアたちは地元民ですらあまり立ち入らない断崖絶壁を降りた先にある入江でこじんまりと営むシャーデットという施設に滞在している。
わざわざこんな場所を滞在先に選んだのは利用者が少なく人目を気にせず羽を伸ばせるためという理由もあるが、それ以上にルシアはイズたちに見せたいものがあってこの場所を選んだ。
ひと足先に水着に着替えたルシアは売店で日焼け止めオイルを購入し、木製のモダンな雰囲気のオープンテラスに足を運ぶと海が見えた。
ここから観る景色は視界を遮るものがなく、湖と大海原が継ぎ目なく一面に広がっている。
左右に目をやると熱帯地域に生息する背の高い木々が等間隔で植樹されており、水着姿の人たちから甘い香りが漂ってくる。この地に自生する植物を成分とした日焼け止めの匂いだ。
「あの……ルシア様。着替えてきました……」
声が聴こえて後ろを振り向くと、水着に着替えたエリウェルが恥ずかしそうな顔で立っていた。
肩とおへそを出したトップス。フリルのついたボトムス。淡いピンクと白を基調としたセパレートタイプの子供用水着はレフォールで悩みながらエリウェルと購入してきたものだ。
エリウェルがイズに好意を抱いていることは承知している。だからとにかく可愛い水着を選ぼうとしたのだが、これがけっこう難しい。
子供用水着といえど種類は無数にあるし、エリウェルが似合ってイズが好む水着を選ぶ必要があるのだが、肝心の好みがよくわからない。
シンクは意外とむっつりなので露出のある水着を選べば喜ぶだろうが、イズはそうではない。喜ぶという一点だけを考えればド派手な水着を選べばいい。きっと目を輝かせてかっこいいと喜ぶはずだ。でもそれはエリウェルが求めるものではない。
そもそもイズは他人の顔色を窺うのは得意としており、人を見て本音を言うべきか建前を言うべきかしっかりと判断できる。だからエリウェルが選んだ水着ならなんでも可愛いと褒めるのだろう。
でもそれでは駄目だ。エリウェルのためにも、イズには少しでも本当に可愛いと思わせなければならない。
本来は恋愛というものをまだよくわかっていない子供にこんな気遣いは不要なのだろう。何も知らないまま手探りで恋をさせ、成功しても失敗しても温かく見守ってあげるのが親としての務めなのかもしれない。
けれどエリウェルの気持ちを汲むとどうしても老婆心が出てしまい応援せずにはいられない。それは子供時代に恋することのできなかった経験が要因になったのだとルシアは思う。
チャイルドヘイブンでは人を好きになるという感情とは無縁の生活を強いられる。恋するなんてもってのほかだ。口に出したくない、思い出したくもない酷いことを何度も何度も強要される。
そして魔術師としての質を高めること以外何も考えられない無機質な機械人形へと作り直される。
そんな子供時代を過ごしたため、今の時代を生きる子供達には自由に恋愛してほしいし、身近な子供が恋をしているなら成就させてあげたいと思ってしまう。
「あら! 可愛いじゃない! エリウェル! とっても良く似合ってる! これならきっとイズも可愛いって言ってくれるわ」
「は、はい!」
頬を赤く染めて緊張したエリウェルの表情が初々しくて心が温かくなる。また変な心のポエムを口に出してエリウェルにひかれないよう気持ちを落ち着かせているとドタバタと走って来る音が聴こえた。
こんな優雅な場所で走り回るのはイズくらいだろう。そう思って足音のするほうに目を向ける。
「よう! ルシア! エリウェル! お待たせー! ――っておお!? エリウェルその水着超可愛いじゃん! すげー似合ってるよ!」
イズがエリウェルを褒めるのは予想どおりだが、今日はちゃんと気持ちを込めて可愛いと言っている気がする。とりあえず可愛い水着でイズの気持ちを少しでも引きつける作戦は成功のようだが――あまり嬉しい気持ちにならない。当のエリウェルも嬉しさというより困惑という感情が先行してしまっている。
何故そんな感情になってしまうのかというと、ルシアたちの目の前にはイズ――と言っていいのかわからない全身白濁液にまみれた小さな怪物が立っていたからだ。
鼻を突くほどの強烈な甘い植物の匂いがする。おそらく日焼け止めオイルを白い怪物になるまで全身に塗りたくったのだろう。またいつものイズの悪戯が始まった。
「ちょっとイズ。どうしたのその恰好」
そう訊ねるとイズは嬉しそうに両手を広げた。
「どうだ! ルシア! 俺の日焼け対策はバッチリだろ! 全身くまなく日焼け止めオイル塗りたくってやったぜ!」
「どうってあんた……。塗りたくり過ぎて全身真っ白な怪物になってるじゃない。そもそもそんな量の日焼け止めオイルどうしたのよ。もしかして渡したお小遣い全部オイルに使ったんじゃないでしょうね?」
「違う違う。これはお小遣いで買ったんじゃなくてお金持ちのマリーンおじさんにおねだりして買ってもらったんだ! ――どうだエリウェル? 俺、かっこいいか? マーレマレマレマレ!」
そう言ってエリウェルに向かって両手を広げるイズ。その光景は美少女を襲う白いお化けのようだ。そんなエリウェルは少し困惑した様子で笑みを浮かべている。
「う、うん! なんか……ちょっと……その……イズかっこいいよ!」
何か言いたげだったが結局エリウェルはイズを褒めることにしたようだ。
ロマンチックな恋をさせてあげられないエリウェルに対し、イズの親代わりの立場としてルシアはとても心苦しい。その反面、幼稚な男の子に振り回されても恋にまっすぐなエリウェルの健気さに胸が熱くなる。
もう少しこのまま二人のやり取りを見ていたいが周囲の視線が気になってきた。ルシアはこほんと一つ咳払いしてからイズに目を向けた。
「ちょっとイズ。お金持ちのマリーンおじさんだっけ? そんな知らない人におねだりしゃダメよ。世の中物騒なこともあるし、あまり関わりすぎると余計なトラブルに巻き込まれることもあるんだから」
「大丈夫だよ。マリーンおじさんは完璧で究極な人間なんだから。マーレマレマレマレ!」
「なにその笑い方。流行ってるの?」
「流行ってるんじゃなくてマリーンおじさんの真似。マーレマレマレマレ!」
またよくわからない真似をしている。普段なら飽きるまで放っておくところだが、人の真似は本人が不快に思うかもしれない。それこそ余計なトラブルに発展しかねない。
「イズ。マリーンおじさんの真似しちゃ駄目よ。真似されたらそのおじさんが嫌な気分になるかもしれないでしょ?」
「大丈夫だよ。マリーンおじさんが真似していいって言ってたんだから。――なあ、マリーンおじさん?」
そう言ってイズの目線がルシアの後ろに向く。同じくルシアの後ろに目線を向けるエリウェルは唖然としている。嫌な予感がしたところでルシアに大きな影が差した。
ますます嫌な予感がして恐る恐る振り返る。そこには身長三メートルはあるお腹が出た恰幅の良い大男が立っていた。
「そのとおり。ガンガン私の真似をして構わない。もしよかったらお母さんも真似して構いませんよ? マーレマレマレマレ!」
お腹を叩きながら豪快に笑う大男は真っ白な肌をしている。イズが日焼け止めオイルを塗りたくっていたのは単に日焼け対策ではなく、マリーンの姿を真似ていたようだ。そう考えるとよく似ている。白濁液の怪物という印象も間違っていない。
ルシアは自分でもわかるくらい笑顔をひきつらせながらイズに目を向けた。
「ね、ねえ? イズ? このお方はその……言いにくいんだけど人間で合ってる?」
「何言ってるんだ、ルシア。誰がどう見ても完璧で究極な人間だろ? マリーンおじさん本人も人間だって言ってるし」
「だってその……どう見ても白いタコじゃない? タコと巨漢のおじさんが合体した感じじゃない? 海の怪物じゃない?」
「ルシア! 見た目で判断するなんてマリーンおじさんに凄く失礼だぞ! ――なあ! マリーンおじさん!」
「そのとおり。人の心に寄り添えるとても優しい完璧で究極な人間だ。――さあ、これを受け取りなさい。マーレマレマレマレ!」
大きな太鼓腹を揺らしながら笑い声を上げるマリーンは数枚のお札をイズに向けた。イズはそのお札を受け取ろうとしたため、ルシアはその腕を引っ張った。
「ちょいちょいちょい! なに思いっきりお金で懐柔されてるのよ! 世の中には悪い人間……悪いおじさんも沢山いるんだから甘い話に乗っちゃ駄目! 欲しいものがあるなら私が買ってあげるから!」
「えー! やだ!」
「やだじゃない!」
イズは抵抗するようにルシアの脚に掴まってきた。
「そんなカリカリするなよールシアー。俺がルシアの左脚だけオイル塗りたくってあげるからさー」
「イ、イズ! ヌルヌルしてくすぐったいから掴まるのやめて! それに日焼け止めはムラなく塗らないと意味ないし、左脚だけ塗ってもしょうがないでしょ!」
そんなやり取りをしていると両肩を力強く掴まれた。これはまずいと思ったルシアは冷や汗をかきながら後ろを振り向く。
「お母さん。私、バイトをしてくれる人間を募集中だったのですが、心優しい息子さんが私のバイトを引き受けてくれたのです。もし良かったらお母さんもどうですか? バイト代は弾みますよ? マーレマレマレマレ!」
「い、いや……。ちょっと私はご遠慮します。お金に困ってませんので……」
そう返すとマリーンの鋭い眼光がエリウェルに向けられた。エリウェルは胸の前で両手を握りしめながら何を言われるのか身構えている。
このままだとエリウェルが危ない。なんとかしなければ。
「あ、あの! この子は――」
「――そこの可愛いお嬢さん。もしかしてイズの恋人かな?」
「え、えっと! 違いますけど広い意味ではその通りです!」
「え……?」
思っていた反応と違う。エリウェルは頬を赤く染めながら瞳を輝かせている。恋は盲目だというがマリーンの言葉が嬉しすぎてマリーンの姿が見えなくなっている。
そもそも広い意味で恋人とはどういう意味だろうか。拡大解釈しすぎているのではないか、とルシアは疑問に思う。
「そうかそうか。それならばお嬢さん。ガールフレンド役としてイズのバイトを手伝ってはくれまいか? バイトをしてくれる人間がいなくて困っているのだ」
「で、でも。急にバイトと言われても……」
「いやなにやることは至って簡単だ。バイト期間中だけイズと恋人同士になってちょっと色々してもらう簡単なお仕事だ」
「わ、私! イズの恋人として――じゃなかった! 困ってるマリーンさんのためにバイトお手伝いします!」
恋する女の子を簡単に懐柔したマリーン。続いてマリーンの目線がイズに向いた。
「おいで。バイトを頑張っているイズにはたんまりとお金をあげよう」
「マジで! お金たんまりくれんの!?」
そう言ってイズはマリーンの元に駆け寄るとお札を受け取った。
「やったー! ありがとうマリーンおじさん!」
「なんのなんの! ――そちらのお嬢さんもおいでなさい。恋人役の前払いとしてバイト代をあげよう」
恋人という言葉につられたのかエリウェルもマリーンの元に駆け寄りお札を受け取った。こうして子供たちを上手に懐柔したマリーンは声を上げて笑い始める。
「マーレマレマレマレ!」
そしてイズだけじゃなくエリウェルまでもマリーンの笑い声を真似し始めた。
「「マーレマレマレマレ!」」
まずい。このままでは非常にまずい。このマリーンという大男。明らかに人間じゃなくマレージョだ。それなのに何故か周りの人たちはマレージョを見ても騒ぎ立てる様子はないし、マリーン自身もこのリゾート地に人間として溶け込んでいる。
暴れようものなら倒してしまえるが、ファイーナの件もあるし人間たちと調和しているこの状況で下手にマリーンと敵対できない。
とは言えこんなところアクソロティ協会に見つかったら大変なことになる。だから穏便に話し合いでこの場を立ち去ろうと決めた。
「あんたたちマリーンさんのモノマネ上手ねー! でもバイトなんかしなくてもたくさんお小遣いあげるわよ? ――と言うわけでマリーンさん。ご迷惑をおかけしましたが二人のバイト取り止めさせていただきますね。もちろんバイト代はお返ししますから」
「いやいや。そうはいかん。一度渡したお金は必ず受け取ってもらう。そして二人をこのままお返しするわけにはいかない」
「そ、そんなこと言わずに……」
必死に抵抗するルシア。するとマリーンの笑顔がルシアへと急接近した。
「このまま逃すくらいなら私の餌にしてもいいのだが?」
「え、餌!?」
ルシアがそう叫ぶとマリーンは太鼓腹を叩きながら大笑いを始めた。
「マーレマレマレマレ! マレージョギャグだ! 笑いたまえ!」
「「マーレマレマレマレ!」」
イズとエリウェルは揃って笑い声を上げる。もう自分でマレージョと言ってしまっているし、そもそも断る方法を思いつかないルシアは顔を引きつらせながら小さな声でマリーンの笑い声を真似た。
「マーレマレマレマレ……」