第4話 静かなる決起式
海鳥の鳴く声。船の汽笛。賑やかな人々の声。周囲に目をやると大きなフェリーターミナル施設と頭の上を何本も通る連絡橋が見えた。
レテルに瞬間移動で飛ばされ、豪華客船アンヌリーク・ポエル号のパーティ会場から港町へとルシアの視界が移り変わる。
突然のことではあったが一目見てこの場所がどこかルシアは理解した。ここはアストリーク大陸でも海の大きな玄関口。西海岸の港町レフォールだ。
そしてルシアはレフォール港の中でも人の流れが変わる分水嶺。人々が船を乗り降りする中央大階段に立っていた。
「レ、レテル……! あの腹黒女ー!!」
ルシアは周りに人がいることなどお構いなしに叫んだ。白い目で見られようと、こうでもしなければ沸き上がる怒りが収まらない。
今すぐ瞬間移動で豪華客船に戻りたいところだが正確な座標がわからなければ飛ぶことはできない。間違えれば大海原に落ちることになるし、そもそも移動し続ける船に乗り込むのは難しい。目視できるのなら話は別だが。
「な、なんじゃこりゃー!! ここどこー!?」
明らかに聞き覚えのある声。目を向けると右手にチキンを、左手にエリウェルを握るイズの姿があった。どうやらイズもレテルに飛ばされたらしい。
「イズ! 大丈夫!?」
そう言って駆け寄るとイズの顔がこちらに向いた。
「ルシアも一緒だったか! ってことはルシアもレテルに瞬間移動させられたのか?」
「ええ! イズも一緒だったのはよかったわ! ――それでイズはどこまでレテルに話を聞いたの? この場で言える範囲でいいから教えて?」
そう訊ねるとイズは周囲を気にしながら顔を近づけてきたので中腰で耳を傾けた。
「なんかレテルはシンクの母親で、シンクに勇者の修行したいからルシアと先に冒険してなさいって。あと待ち合わせ場所と時間はエリウェルに聞いてってさ」
そう言いながらイズの目線が左に向いた。エリウェルは申し訳なさそうな顔で深々と頭を下げた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
何度も謝罪するエリウェル。イズと目を合わせてから腰を落とし、エリウェルの肩を優しく掴む。
「主犯のレテルが悪いの。エリウェルは悪くないわ。――でも事情は話してくれないかしら。レテルにどんなお願いされたの?」
ルシアはなるべく優しい口調で問いかけた。事情は間違いなく知っていたのだろうがエリウェルを責めるのはお門違いだ。そもそもエリウェルはレテルの命令で動いているのだから。エリウェルの意思でそうしたわけじゃない。
顔を上げたエリウェルは少し涙目になっている。きっと怒られると思ったのだろう。そんなエリウェルはようやく小さな口を開いた。
「レテル様からは一か月後に第二都市ティンバードールまで二人を連れて来てって言われてます。そこで例の計画を実行するって。――ルシア様にはお話するって言ってましたけど……聞いてます?」
「ええ。ついさっきレテルに聞いたわ。それに反対したから……私は今ここにいるの」
例の計画。それはチャイルドヘイブンにいる子供たちを奪還する計画。それ以外のことは何もわかっていない。
いつ、どこで、どんな内容で、誰と、どんな方法で実行するか何も聞かされていない。聞かされる前に船を追い出された。
一か月後にティンバードールまで来い、ということはそこにチャイルドヘイブンがあるのだろうか。それともそこに集合して別の場所に向かうのだろうか。そもそも当初の目的は大都市ネオベルにいるドナ先生に会いに行くはずだった。それはどうなったのだろうか。
「ねえ、エリウェル? エリウェルは計画の話聞いてる?」
「はい。私が聞いてる範囲ですけどお話します。――でもここは人が多いので……」
確かにそのとおりだ。先ほど声を荒げたせいで周囲から注目を集めている。大階段に留まっているのも要因の一つではあるが。
「そうね。まずはこの階段を下りましょうか」
そういって三人で階段を下りる。下りながらイズはぶつくさと文句を言っている。
「それにしてもレテルの奴腹立つぜー!」
イズは文句を言いながら冷めたチキンをひとかじりした。わざわざ聞く気はないがおそらく瞬間移動させられる前にチキンを手にしたのだろう。食い意地を張るイズのやりそうなことだ。
「本当よね? 次に会ったら文句言ってやらなくちゃ」
「ああ! 俺、豪華客船に乗るの楽しみにしてたのに全然楽しめなかった! まだ料理しか堪能してないんだぜ!? くそー! 巨大プールとかカジノとかしたかったー!」
思わず階段から滑り落ちそうになった。こんな状況でもイズはマイペースだ。親友の身を案じるより楽しいことが優先らしい。
「イズ。あんた、シンクのこと心配じゃないの? 仲の良い人もいない船の中で軟禁されているようなものなのよ? それにイズは詳細に聞いてなかったかもしれないけど、シンクはレテルたちに鍛え上げられて戦場に立たされるかもしれないの。シンクの意思も確認しないでこんなこと許せないじゃない。もしかしたら辛くて一人泣いてるかもよ?」
「大丈夫だよシンクは。そんなにやわじゃない。レテルだって厳しくすることはあっても冷酷な奴じゃないよ。それはルシアがよく知ってるんじゃないの?」
「ま、まあ……。それはそうだけど……」
「それに俺とシンクは冒険するためにラミアーヌ島を旅立ったんだ。楽しいだけの冒険は冒険じゃない。嬉しいことや楽しいこともあれば、辛いことや悲しいこともあるさ。それを覚悟して俺とシンクは冒険してるんだぜ? だからルシアもあんまり心配すんな。どうせシンクとは一か月後に会えるんだ。それまで俺たちも冒険楽しもうぜ?」
そう言ってイズは白い歯を見せて笑った。イズと喋っているといつの間にか毒気が抜かれていく。心に沈殿した鬱憤も今ではすっかり消え去っていた。
イズは本当に不思議な男の子だ。天然で言っていることもあれば、ちゃんと考えたうえで言っていることもある。いずれにしてもイズの言葉は人を元気にさせる。
「そうね。確かにそうよね。いくら心配してもシンクと会えるのは一か月後なんだし。楽しまなきゃ人生損か。――よーし! それじゃあ手始めに高級リゾートでバカンスでも楽しみましょうか!」
「ええ!? マジ! 高級リゾート行くの!?」
目を輝かせて喜んでいるイズの隣ではエリウェルが気落ちした様子でトボトボと歩いている。ルシアはもう気持ちを切り替えたが、どうやらエリウェルはまだ責任を感じているようだ。
「行くわよ? 高級リゾート! 腹いせにいっぱい楽しんでリフレッシュしましょ! エリウェルも一緒にね!」
顔を上げたエリウェル。その肩を組んだイズは嬉しそうにはしゃぎ始めた。
「よっしゃー! 高級リゾート! 俺初めて行くんだよなー! エリウェルは行ったことある?」
「わ、私も無い……かな」
「よーし! それならエリウェル! 俺と一緒にバカンス楽しもうぜー!」
肩を組みながら浮かれるイズ。そんなイズの陽気さに当てられたエリウェルも次第に笑顔を取り戻し、楽しそうに肩を組みながら階段を下っている。
そんな様子を微笑ましく見ながら階段を下りた。しばらく歩くとイズは突然立ち止まり、エリウェルと一緒に振り向いた。そして内緒話がしたそうな顔でルシアに近寄ってきたため中腰で耳を傾ける。
「そういやレテルってさ。シンクに自分は母親ですって伝えたのかな?」
「多分そうじゃない? イズに話したってことはシンクにも話したでしょ」
「そっか……」
イズはにやけ面を見せた。何か考え事をしているようだが無性に気になるにやけ面だ。
「それがどうかしたの?」
そう訊ねるとさらに距離を詰めてきたので本格的に腰を落とし、三人で屈みながら顔を突き合わせた。
「考えてみろよ。あの場で伝えるってことは面と向かって話したってことだろ? レテルは何度かシンクと会ってたのにずっと隠してたんだぜ? それなのにレテルは覚悟を決めて今日シンクに告白したんだ。自分は母親ですって。――それって凄く勇気いるし凄く緊張するんじゃないか? そんなレテルの心境聞いてみたくないか?」
ロイケット社交界や計画の話などに気を取られていたが、言われてみれば確かにそのとおりだ。その発想は無かった。イズらしい面白い着眼点だ。
レテルはどんな気持ちでシンクにカミングアウトしたのだろうか。単に母親ですと伝えるだけじゃない。その先には何故シンクをラミアーヌ島の孤児院に預けたのか、どうやってアクソロティ協会の監視網を掻い潜ったのか、などという話に発展する。シンクとしては父親はどんな人か、という話も興味あるかもしれない。
それら全ての話を問われる可能性があるのだから一時の緊張だけではないはずだ。
「なるほどね。いつもスカしてるレテルの動揺した顔見れるチャンスかも。いい仕返しにもなりそうだし」
「だろだろ? だから次に会ったらレテルにどんな気持ちで母親ですってカミングアウトしたか三人でインタビューしようぜ?」
「それ凄く面白そう。私もレテル様の困った顔見てみたい」
エリウェルも乗り気だ。こうして全会一致でレテルへの直撃インタビューが決まったところで妙な高揚感が胸に湧き上がってきた。悪戯するわけではないのだが、それに近い気がしてドキドキワクワクする。
そう考えているとイズに肩を組まれた。
「よーし。そうと決まれば決起式やろうぜ。ルシアとエリウェルも肩組めよ。掛け声はえいえいおーだからな?」
「え? ここでするの? なんか恥ずかしくない?」
「大丈夫だよ。こうして固まってれば顔見えないし。みんなにバレないように小声でやるんだぞ?」
エリウェルと顔を見合わせながら肩を組む。こういうときイズは一度やると言ったら耳を貸さない。素直に従ったほうが正解だ。
「肩を組んだな? それじゃー行くぞ?」
そう言いながらイズは目配せをしてきたのでエリウェルと一緒に頷いた。
「「「えいえいおー」」」
肩を寄せ合いながら身を縮め、小声で勝ち鬨を上げたせいかいまいち盛り上がらない。するとその雰囲気が面白かったのかエリウェルは楽しそうに笑い始めた。
その様子を見ているとイズと目が合い、自然と笑みが零れる。そして三人で声を上げながら笑い合った。