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第1話 豪華客船

 どこまでも広がる清々しい青空の元、豪華客船アンヌリーク・ポエル号は空気を割くほど大きな汽笛を鳴らし、西方のアストリーク大陸まで約三週間の航海をするため、大海原へと動き始めた。


 アンヌリーク・ポエル号の船内は長旅を飽きさせないよう数々のレジャー・アミューズメント施設、映画館や豪華なパーティー会場、デッキの七割を占めるほどの巨大なプールが設置され、豪華客船の名に相応しい造りとなっている。


 楽しい楽しい豪華客船の船旅が始まり、乗客たちは皆、浮かれた様子で優雅と気品に溢れたエントランスホールから自室へと散り散りになっていく。


 初めて乗る豪華客船。イズはシンクと一緒に目に映る全てに感動しながらエントランスホールを眺める。船の入口でもう既にこんなに楽しいのだ。早く客室に荷物を置いて船内を探索したい。


 抑えられない興奮を胸に早く移動したいのだが、ルシアは一向に動こうとしない。


「おい、ルシア! 休んでないで早く行こうぜ! 俺たちもう待ちきれないぞ!」


「イズの言うとおりだ! 休むなら客室でもできるし早く行こうぜ!」


「あ、あんたたち……。よくもそんなこと……言えるわ……ね」


 滝のような汗を流しながら必死に呼吸を整えるルシア。ウェーブがかったブロンドの綺麗な長髪は呼吸と一緒に乱れている。


 昨日、カラカサ共和国シム・ティキナのホテルに宿泊していた三人は翌日午前十時に出発するアンヌリーク・ポエル号に乗船するため午前八時半過ぎにはホテルをチェックアウトする予定だった。


 港に近いホテルに宿泊していたので三十分もあれば移動して、乗船手続きを済ませて、エントランスホールに辿り着ける。このため着替えと朝食の時間を考慮し、目覚まし時計のアラームを午前七時半にセットすればよかった。


 そのはずだったのだが、イズは誤って目覚まし時計のアラームを午前九時半にセットしてしまい、三人が起きたときには出航三十分前。そして出航手続きの最終リミットは午前九時半。もう既に間に合わない。


 けれどアンヌリーク・ポエル号のエントランスホールで待ち合わせをしているレテルたちのためにも是が非でも乗船しなければならない。そもそもアストリーク大陸行きの船は豪華客船を除いても三週間後にしか出航しない。今日の乗船を逃せば三週間も足止めされることになる。


 それを阻止するべくルシアは寝癖を整えるのも、メイクも、朝食も全てかなぐり捨てると、服を着替えて荷物とイズとシンクを両脇に抱え、アンヌリーク・ポエル号に全力疾走した。


 港の受付所に到着したときには午前九時五十五分だったが、なんとか強引に出航手続きを済ませ、船員たちから白い目を向けられながら午前九時五十九分にエントランスホールまで辿り着いた。


 普段、目覚まし時計のアラーム係はイズ以外の誰かなのだが、昨日はどうしてもその係をやりたかったので懇願し、シンクに交代してもらった。さらに昨日は興奮して眠りたくなかっため、半ば強引にシンクとルシアにカードゲームの相手を深夜まで付き合ってもらった。


 こうした要因が重なり、目覚まし時計のアラームは鳴らず、寝不足で朝日が昇っても誰も起きず、船に乗り遅れそうになったわけだ。


 原因は全てイズのせいなのだが、そんなこと気にしていない。それより今は豪華客船の内部を隅々まで探索したい欲求が何よりも強い。


「男の子を育てるのは大変そうね、ルシア」


 声が聴こえて振り向くと真珠色の長髪を綺麗に整えたドレス姿のレテルと花の髪飾りをつけたドレス姿のエリウェルがこちらに向かってきている。


「レテルにエリウェルじゃん! 二人とも遅刻だぞ!」


「遅刻はあなたたちでしょ。私たちは一時間前に乗船して待ってたんだけどいつになっても来ないから先に自室でドレスに着替えてたの」


「そうなの? 二人ともいつも以上に綺麗だからおめかしするのに夢中になって遅刻したのかと思ったぜ」


「あら? 上手じゃない。イズってそんなこと言える子だったのね」


「見たままを言っただけだけどね。――けど。二人を見習ってルシアにもおめかしして欲しいぜ」


「だって。言われてるわよ? お母さん?」


 ぐぬぬ、と声にならない声を上げるルシア。息が切れて言い返す余力もなさそうだ。その姿を見てイズ、レテル、エリウェルは笑い合う。


「俺はルシアらしくていいと思うけどな」


 そう言ってルシアの肩に手を置くシンク。けれどルシアは複雑な顔をしている。


「それ……褒めてる……?」


 今度はシンクも混ざって四人で笑い声を上げた。そんな会話をしていると船員たちの視線がだんだんと強くなってきた。こんなところにいないで早く自室に行け、とでも言うような視線が。


 その視線に対してレテルはニコっと微笑むと船員たちは困ったような顔で目を逸らす。レテルならこの程度当たり前にやりそうだが、イズにはそのやり取りが妙に不思議に感じた。


「さあ。そろそろ自室に行きましょう。十一時にはパーティ会場でセレモニーが始まるから三人は正装に着替えないと」


「おお! セレモニー! ――ってなんだ? 船に乗ったら参加しないと駄目なやつか? 楽しいのか?」


「駄目じゃないけど参加はしてほしいところね。楽しいとかつまらないかは別として、ありとあらゆることをなんでも貪欲に見聞きして体験して、そして経験値にしたほうが早く大きく成長できるわ」


「なるほどそういうことか! レベルアップして早く勇者になれるんだな!?」


「まあそんなところね。――というわけでそろそろ行きましょう。子供用スーツはもうこちらの部屋に用意してあるからイズとシンクは私について来なさい。ついでに寝癖も整えてあげる。ルシアはエリウェルに自室まで案内してもらってね。カードキーも渡してあるし、部屋に適当なドレスも用意してあるから」


「不気味なくらい用意いいのね。でも助かったわ、レテル」


 ようやく息が整ってきたのかルシアはしっかりと口を利けるようになったようだ。それはよかったのだが、イズは今の会話に疑問がある。


「あれ? もしかしてレテルが俺たちの部屋用意してくれたの?」


「ええ。スイートルームを手配したわ。そして豪華客船の支払いも私がしてるのよ?」


「まじか!? 俺たちの服も用意してくれたみたいだし本当にありがとな! 最近ルシアへなちょこだからしっかり者のレテルがいて助かるぜ!」


「あらあら。イズったら本当に上手ね? ――よかったらルシアじゃなくてうちの子になる? 欲しいモノなんでも買ってあげるわよ?」


「おお! それはいい話だな! 後でシンクと相談するよ!」


 そんな話をしてレテルと盛り上がると後ろから「ぐぬぬ」というルシアの声が聴こえ、四人で笑い声を上げた。



 急いでドレス姿に着替えたルシアはエリウェルと一緒に待ち合わせ場所として指定された自室フロアのレストスペースに設置されたソファに座っている。


 男の子二人の着替えなどすぐに終わるだろうし、三人を待たせてしまうのは悪いと思ったルシアは急いで身支度を整えたわけだが、どうやら随分早く到着できたようだ。これはエリウェルの功績が大きい。


 着替えのときも髪を整えるのも化粧もエリウェルが手伝ってくれたのだが、恐ろしく手際が良く毎日こなさなければ到達できないレベルだ。


 その原因はなんとなく想像できたのであえて話題には触れなかったが、時間もあるし聞いてみようかな、と考えて質問することにした。


「エリウェルって私にドレス着させるのも髪を整えるのもお化粧も上手だったわよね。もしかしてレテルに習ったの?」


「えっと。習った……と言うより慣れました。レテル様って凄く頼りになってしっかり者ですが気を抜いているときはズボラというかマイペースというか。私がお世話しないと何もしないときあるんです。最近は私に甘えてきて身の周りのこと全部任せっきりで。お世話しないと不満そうな顔するんですよ?」


 予想通りではあるがエリウェルの反応は意外だった。不満はあるだろうが愚痴をこぼすとは思っていなかった。それはきっとレテルにもルシアにも信頼を置いているからこその言葉なのだろう。


 ルシアは愚痴を聞くことは嫌じゃない。むしろエリウェルが心を開いて愚痴を言ってくれることが嬉しい。


「あらそうなの? 注意してあげたいけど、レテル昔からそういう感じだから。きっと注意してもそう簡単には直らないわ」


「注意なんてそんな。レテル様は命の恩人ですし大変お世話になっているので。これくらいお返しするのは全然苦じゃないです」


「エリウェルは大人ね。さっきはイズに褒められてたけど、あんなの外面良いだけって思わない? 元々レテルが来てくれっていうから来ただけなのに。何もなければ私だって三人分の部屋の予約と支払いくらいするって」


 そう愚痴るとエリウェルは口に手を当てて笑う。


「ルシア様にはご迷惑ばかりおかけしてすみません。レテル様に言い返すと三倍になって返ってくるので不満でも黙ってたほうがいいときありますよね。それと……私がこんなこと言うのは生意気ですけど。ルシア様のほうがしっかり者だと私は思います」


 エリウェルが優しい笑みを向けてきた。その笑顔はさながら光り輝く小さな天使のように見えた。


「エリウェルは本当に大人ね。――ねえ? もしイズとシンクがレテルの子になったらエリウェルはうちの子にならない? レテルみたいにお世話しろなんて言わないから」


「はい。そのときは前向きに検討します」


 そう言って二人は笑い合った。


 やんちゃな男の子を二人も相手にするのはとても大変だけど賑やかで毎日が楽しい。でも女の子同士でこういったお喋りをするのんびりと穏やかな時間を過ごすのも楽しい。特に癒しに飢え気味だったルシアにとって、エリウェルは心のオアシスだ。


「そういえばエリウェル。その花の髪飾り素敵ね。水色の髪に良く映えたスカイブルーだわ。レテルに買ってもらったの?」


「はい。でもレテル様買うの嫌がって。説得するの大変だったんです」


 見た目はなんの変哲もないただの花の髪飾り。雑貨屋で売っている安物にしか見えない。そんな失礼なこと聞く気もないが、レテルが買うのを嫌がったというのには興味がある。


「それは不思議ね。レテルって物欲も金欲も無いうえ、太っ腹な人だからエリウェルのお願いだったら何でも買い与えそうなものなのに。何か特別な理由でもあったのかしら」


 疑問を口にするとエリウェルは急に頬を赤く染め、恥ずかしそうにうつむいて落ち着かない様子を見せた。


「えっと。その……。全然大した話じゃないんです」


「普通の話でも全然いいわ。教えて? エリウェル」


「でも……ルシア様にはつまらない話かも」


「そんなことない。エリウェルとお喋りすること自体が楽しいんだから」


「なら……。えっと……。どの髪飾りならイズが可愛いって言ってくれそうですか? ってレテル様にお尋ねしたら不機嫌になったってだけのつまらない話です」


「とてもとてもとても面白いわ。その話大好物よ。もっとたくさんおかわりちょうだい?」


「えっ……?」


 荒れ果てた心の大地に恵みの雨が降り注ぎ、嬉しすぎて前のめりになり過ぎてしまった。エリウェルが少し引いている。


「あ、いや。ごめんなさい。突然の恵みの雨に心が躍ってしまっただけなの」


「恵みの……雨? 心……踊る?」


 いけない。エリウェルはかなり引いている。なんとか言い訳をしなければ。


「えっとね。これは心の動きを比喩として恵みの雨という私の――」


「――お待たせしすぎたようだな! ルシア! エリウェル!」


 颯爽と登場する際の英雄のようなセリフ。それは確かに困っていたルシアを救う英雄の声だった。


「イズ! シンク! 遅いじゃない! 待ちわびたわ!」


「え? そんなに待ちわびたの? 俺たちを?」


 疑問を呈するイズ。別の意味で待ちわびたのでルシアの言葉に嘘はない。


 ルシアはエリウェルと一緒に立ち上がって三人を迎えながら、スーツに着替えたイズとシンクを観察する。レテルに整えてもらったらしい髪も、黒のスーツもそれぞれ良く似合っている。


「あら、シンク。すごく大人びて見えるわね。カッコいいわ。――その腰の刀は余計だけど」


「なに言ってるんだ、ルシア。刀があるから俺のカッコよさが引き立つんじゃねーか」


「そう? でも刀は預からせてもらうわよ。亜空間にしまっておいて後で返すから。――それでイズは……あら!? 可愛いじゃない! あんた可愛い顔してるからスーツに着られてる感が出て、可愛さが引き立つわね」


「可愛くない! かっこいいって言え!」


 急に怒り出したのでびっくりした。どうやらイズに可愛いは禁止ワードらしい。それを知ったルシアはニヤリとほくそ笑み、イズに近づいた。そしてイズと肩を組んでレストスペースを往来する乗客に見せびらかす。


「とーっても可愛いわよイズ! 乗客の皆様にもっとお見せしなさい! ――そこの紳士淑女の皆様ー! うちの子可愛いですよー!」


「やめろー! これ以上俺の可愛さを乗客の皆様にお見せするなー!」


 仲睦まじい親子を見ているだろう乗客たちは微笑ましい顔で二人のバカ騒ぎが終わるまで見守ってくれた。

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