第0話 囚われのプリンセス
閉じられた空間には四季折々の花が可憐に咲き誇る大きな庭園が広がっている。
その美しき花を愛で、小鳥の歌に酔いしれながら道なりに歩くと突き当たる巨大な門扉。そこに設置された呼び鈴を鳴らすと大きな両扉が重々しく開かれ、純白のお城が視界いっぱいに映り込む。
すぐに従者のウサギが訪問者をお出迎えして、黒のシルクハットを脱ぎ、深々とお辞儀する。
ウサギに誘われるままお城の中に入ると城内から軽快なラッパが鳴り、猫のメイド、羊の執事、ゴリラの近衛兵、ライオンの隊長たちが訪問者を歓迎する。
訪問者をお姫様の部屋へと案内するのはお喋り好きのペンギンとお調子者のカエル。他愛もない会話で訪問者をおもてなししながら赤い扉まで連れてきた。
扉の前に立っていた白い狐のメイド長はこほん、と一つ咳払いをした後、コンコンコンコンと四回ノックする。
「もしもし。魔法の鏡さん。お客様がいらっしゃったので元の鏡に戻ってください」
そう告げると金の装飾が施された姿見にフリルがついた純白のドレスを纏うブロンド髪のお姫様が現れた。
サファイアブルーの双眸には紅茶を保存する木製のティーキャディと花柄のお皿の上に乗るクッキーが映る。お化けのキャサリンとモーゼフが用意してくれたものだ。
「準備……よし!」
気合を入れて立ち上がると扉の前へと向かう。
「どうぞお入りください」
過去にクラスメイトが自室を訪ねて来たことは一度もない。ここに来て間もなく六年になるが友達と呼べる者は一人としてできたことがない。
だから期待に胸が膨らむ。自分にも友達ができるかもしれない。だって今日初めてクラスメイトが自室を訪ねてきたのだから。
扉が開き、顔を覗かせてきたのは綺麗な黒髪の女の子。前髪を真っ直ぐ切り揃え、心まで見透かされそうな大きな瞳を持ち、雪のように白い肌をしている。
手を前に組んで微動だにしない姿勢は気品に溢れて美しい。もしドレス姿だったらお姫様に見えたかもしれない。
「こんにちは。えっと……クラス委員長のリコちゃんですよね? 今日はどうしたんですか?」
物珍しいのか部屋の中を見渡すリコ。手にはピンクの紙袋が下げられている。
「お母さんからの荷物だ! もしかしてわざわざ私のために届けてくれたんですか?」
そう尋ねるとリコはようやく目を向けてくれた。けれど凛子に笑顔はない。感情のない無機質な人形のようだ。
「先生に頼まれたから……来たの」
ぶっきらぼうに紙袋を手渡してきた。あまり好意的に思ってはなさそうだけど、こんなチャンスは二度と来ないかもしれない。自分から積極的に話しかけなきゃ駄目だ。
「あ、あの! もしよかったら紅茶を飲んでいきませんか!? 美味しいクッキーもあるんです!」
凛子の表情に陰りが差す。クラスメイトをおもてなししたいけれど、どんな方法なら喜んでもらえるのかわからない。だから一生懸命考えた。お茶のお誘い以外にも喜んでくれそうな候補はたくさんある。
「紅茶とクッキー以外にもたくさんあるの! お人形もあるしオモチャとか本もいっぱい! 最近はゲームも買ってもらったし! だから一緒に――」
凛子が持っていた紙袋が床に落ちた。ずっと手に持っていたから疲れたのかもしれない。そう思って手を伸ばしたら紙袋が飛んでいった。
後ろを振り返ると部屋中にお人形、ドレス、本、ノート、ペン、雑貨、便箋がぶち撒けられていた。
「さすが高貴な血筋のお姫様!」
胸を締め付けられるのを感じながら空っぽの紙袋を見つめる。
「素敵なお城に住んで! 愉快で楽しい動物たちに囲まれて! 綺麗なドレスを着て! 何でも好きな物買ってもらえて! 何でも好きなことして! 本当に……本当に羨ましい! 聖天大魔導士ルシア・フェルノール様の娘――ミウ様にもなるとこんなに贅沢な暮らししてるのね!」
嫌われていることくらいわかっている。憎まれていることくらいわかっている。その理由もしっかりとわかっている。
泣きそうになったが必死に堪え、罵倒を浴びせてくるリコに顔を向ける。そして怒りと憎しみが入り混じるリコの瞳をミウ・フェルノールはしっかりと見つめた。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい? 私に? 何のために謝ってるの? 贅沢してごめんなさいってこと?」
「そうじゃないけど。でも……」
「じゃあなに!? 身分の低い私を煽ってるの!? 言っておくけどね! チャイルドヘイブンの学友たちは全員あなたのこと大嫌いだから! 先生に頼まれたから嫌々来ただけなのに勝手に舞い上がって! あなたと仲良くするわけないでしょ!」
「ごめんなさい」
「あーもううるさい! さっきからごめんごめんって! セカンドチルドレンの最高傑作様は人をイライラさせる天才なの!? それともアレン様に寵愛されるほどの天才魔術師様は人を見下していいわけ!?」
「そのとおりだ、リコよ」
そう声がしたと同時に小さな蜘蛛たちが絨毯の上を這いまわる。その蜘蛛たちは一つの塊となり、巨大な蜘蛛となってリコを壁に押しつぶした。
「この世は魔術優生主義。アレン様に寵愛されしミウ・フェルノールは貴様ごとき地球の下等種族とは比べられぬほど高貴な存在だ。――そう、何度も授業したはずだが。まだわからぬか、貴様は」
「ガルマード……先生。ご、ごめん……なさい」
声を振り絞るリコ。先ほどまで瞳に入り混じっていた怒りと憎しみは恐怖一色に染まっている。顔から血の気が引き、焦点が定まらず、身震いが止まらない。
黒の軍服を纏うスキンヘッドの男。片目が潰れ、頭や手の甲は傷だらけで古強者といった風貌のガルマード。もう老齢だがそれを感じさせないほど圧巻の肉体を保っている。
その性格は暴力的で残酷なことを好む。特に魔術の成績が悪い者や規律を乱す者には容赦なく折檻する。クラスメイトたちに折檻する光景は何度も目にした。
「謝って済む問題ではない。己の立場を知り、上の者には絶対に逆らわぬよう躾ける必要がある。これは魔術社会の秩序を保つためだ」
「ごめんなさい……。ガルマード先生……」
「さきほど謝ったミウに対し、うるさいと一蹴したのは貴様だろう、リコ。立場が変われば言い分も変わるか。その品のない粗末なプライドは魔術社会に要らぬ。今回は徹底して可愛がってやる必要がある」
「お願いします……。許してください……。ガルマード先生」
「心配するな、リコ。何度壊れてもしっかりと治してやる。そして何度も何度も……その体に愛を刻み込んでやろう」
巨大な蜘蛛の口に捉えられたリコは恐怖に呑まれて嘔吐した。その姿を見て楽し気に高笑いするガルマード。二人の光景を前にミウは何もすることができない。何とかしたいという気持ちはあるけれど体が震えて動かない。
ひとしきり笑ったガルマードが歩き始めるとリコを咥える巨大蜘蛛もそれに追随する。結局いつもどおり傍観することしかできなかった。そう思いながら去り行く背中を見つめていると突然巨大蜘蛛が霧散し、支えを失ったリコは廊下に倒れた。
「一体どういうつもりだ、アリティエ」
そう吐き捨てるガルマードの目線を辿るとこちらに歩いて来る女性の姿があった。
真紅の瞳、鮮血の長髪、白い肌。ドレスを着ていれば王女様に見えたかもしれないけれど、パンツスーツのため王子様に見える。
この女性は最近チャイルドヘイブンの教員となった聖天大魔導士アリティエ・ノヴァ。暴力と恐怖で子供達を支配する大人たちの中でもかなり異質な存在だ。
「新米教師には慣れない仕事ばかりで。だからミウ・フェルノール宛の荷物をリコに頼んだのですが……私が横着したせいでガルマード卿に指導されるのは不本意です」
「ほう。それで俺に魔術を向けたのか? アリティエ。貴様も聖天大魔導士に昇格し、チャイルドヘイブンの教員を任せられるほど成長したと思っていたが……子供の頃のようにまた俺の寵愛を受けたいか?」
「勘弁してください、ガルマード卿。あなたの寵愛は懲り懲りです」
「ならばその道を譲れ。今回だけは許してやる。俺はこれからリコに長時間じっくりと愛を教えねばならない」
そう言ってガルマードは笑みを浮かべる。しかしアリティエは嘲笑うように笑みを重ねてきた。
「嫌です。今回の件はクラスメイトたちの関係を知らず、リコに使いを頼んだ教師としての私の失態です。だから今回はリコの態度を不問にしてください」
「なんだと? 貴様……この俺に楯突くか?」
ガルマードは睨みを利かすが、アリティエは依然として余裕の笑みを浮かべる。
「ガルマード卿に偉ぶる気も楯突く気もありません。同僚になったとは言え子供の頃から色々とお世話になっていますし、新米教師としてご指導いただきたいこともあります。ですが……私は聖天大魔導士。そしてガルマード卿は特級大魔導士ですよね? 私より階級が下なのですからガルマード卿の言葉全てを聞き入れる必要はありません」
「なるほど。あくまで俺に楯突くということだな。貴様には特別な指導が必要だな」
ガルマードからオーラが放たれる。それでもアリティエは一貫して笑みを絶やさない。
「楯突いているのはガルマード卿ですよ」
「なんだと?」
「さきほどリコに言ってましたよね? 上の者には絶対に逆らわぬよう躾ける必要がある。これは魔術社会の秩序を保つためだって」
アリティエの言葉を受けてガルマードの表情がほんのわずかに曇った。
「これは魔術社会を創り上げた魔道の父アレン・ローズ様のお言葉でもある。ガルマード卿はそれを否定する……という理解でよろしいでしょうか」
ガルマードは黙ってアリティエを睨む。当のアリティエは相変わらず余裕の表情だ。周りの空気が重くなって息苦しい。そんな時間が続く中、遂にガルマードは口を開いた。
「次は必ず指導する」
「寛大なご沙汰感謝いたします」
アリティエは感謝の言葉を述べたが、オーラを消したガルマードは鼻を鳴らし、踵を返して歩き出した。その背中を見てからリコに目を向けるとアリティエが寄り添っていた。
「ごめんね、リコちゃん」
うずくまるリコの背中をさするアリティエがミウに顔を向けてきた。
「私はこれからリコちゃんを医務室に連れていきます。心配しないでいいからミウちゃんはお部屋に戻っていなさい」
そう告げられてしまってはもう何もできない。
「はい……。アリティエ先生……」
アリティエに微笑みを送られながらミウは自室に戻って扉を閉めた。頭の中がぐちゃぐちゃで何も考えられない。
ふらふらとソファに向かって力なく腰かけるとお尻に違和感を覚えて手を差し込む。どうやらここまで便箋が飛んできたようだ。
手に取った便箋の封を切って中身を確認すると母からの手紙だった。母から送られてくる手紙はチャイルドヘイブンで一番の楽しみだ。
ミウは文字に目を落とすと手紙を読み上げる。
「ミウ、お元気ですか? 母さんは今、豪華客船に乗るため港町に滞在しています。本日、悪戯っ子Aが街中に設置された巨大な機関銃に興味を示しました。これはマレージョの軍勢が押し寄せた際に使う武器なので、あれだけ引き金を引いては駄目と言ったのに、「よーし! あのおばさん像を蜂の巣にするぞー!」と言って街の英雄の銅像を蜂の巣にしました。悪戯っ子Bは笑ってばかりで止めてくれません。母さんはとても困っています。どうしたらいいでしょうか?」
手紙を読みながらミウは吹き出して笑い声を上げた。
半年くらい前から母と旅をするようになった二人の悪戯っ子。二人との旅の話はどんな本を読むより面白い。特に悪戯っ子Aはミウのお気に入りだ。
見たこともない人の姿を想像するだけで何故か勇気が湧いてくる。嫌な気持ちが吹き飛ぶ。
「悪戯っ子Aさん。一度でいいから会ってみたいな」
そう独り言ちたミウは便箋を抱きしめながらまだ見ぬ悪戯っ子Aに想いを馳せた。