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第23話 反撃の勇者見習い

 焼けつくような熱波が消えて心地よい風が頬を撫でる。ほのかに潮の香りがして、海が近いのかと考えたところで視界が色を取り戻した。


 船の、デッキの上にいる。そうではない。一度乗ったことがある。そう思ってイズは顔を上げた。


「ここは……飛空艇?」


「そう。ここは私が率いる組織が所有する飛空艇の上」


 声の主に目線を向ける。太陽を背にして色濃い影ができる女性の顔はやけに不気味に見えた。


「瞬間移動できるんだな、アリティエ」


 アリティエは小さく笑みを浮かべる。


「へえ。瞬間移動経験してるんだね。驚かなくてちょっと残念」


「アリティエも瞬間移動使えるのはちょっと驚いたぞ」


「瞬間移動は聖天大魔導士に昇格する条件の一つでね。珍しいけどすごい自慢にはならないんだよ」


 ルシアの名を聞いてイズは周囲を見渡す。ルシアもシンクの姿もない。あるのはアクソロティ協会員らしき者たちの姿のみ。


「シンクとルシアはどこだ?」


 アリティエはデッキの縁に体を預けるとどこか遠くに目を向けた。その表情がとても冷たく感じて、妙な胸騒ぎを覚える。


 急いで縁に向かって身を乗り出すと海が見えた。どこまでも続く水平線。目線を少し上げると澄み渡った晴れ晴れとした空がある。


 飛空艇が空を切る風に背中を押されながらアリティエの視線の先を辿るとずっと遠くで小さな砂の山が見えた。


「もう死んじゃったんじゃないかな、二人とも。ルシア、魔術を使えない状態だったし」


 仲が良かったかどうかはわからない。けれどアリティエにとってルシアはよく知った人物だったはずだ。それなのに何事もなかったように平然と人の死を口にする。


 その姿がイズにはとてつもなく不気味で、感じたことのない恐怖を覚えた。


「どうしてそんな酷いこと言えるんだ」


「これがメルトリアの、世界の在り方だから」


「世界の在り方?」


「そう。世界の在り方はアクソロティ協会の在り方。アクソロティ協会に楯突く者はこの世界で生きてはいけないの。アクソロティ協会を裏切ろうとしているレテルや敵対しているマレージョの王女につく可能性のあるルシアは……生かしておけない」


「そんなのおかしい! 嫌なこと強要されて、我慢して生きていくなんて……そんなの絶対に間違ってる!」


「何が間違っているとか、何が正しいとか、そんなことは問題じゃない。どうでもいいことなの。アクソロティ協会長アレン・ローズ様が創り上げる世界で生きるためには、アレン様が創るルールの中で生きるしかない。――だからね、イズくん。きみにも世界のルールを強要させる」


 そう言うとアリティエの体から紅蓮色のオーラが放出した。メラメラと燃え上がる紅蓮の炎。その勢いを強めながらアリティエはゆっくりとイズの元に近づいて来る。


 恐怖で足がすくんでいるわけではない。怯えて動く気力がないわけではない。けれど体が縛られたように身動きが取れず、逃げることができない。


 そうして目の前まで近づいたアリティエは身を屈め、無理やりイズを抱きしめてきた。


「イズくんは一生私の奴隷として側にいてもらう。泣いても怒っても力で無理やりイズくんを従わせる。嫌だと思っても逃げ出したいと思っても無理やりイズくんを縛り付ける。――見ものだね。イズくんがいつまで勇者を目指すなんて夢を言ってられるのか」


 恐怖は死ぬことじゃない。相手を力でねじ伏せて心も身体も支配する。相手を縛り付け、相手の人生を支配する。そんな力への恐怖。弱い者が強い者に支配される力の世界。それは自然の摂理だ。


 今、アリティエはそんな弱肉強食のルールをイズに遵守させようとしているようだ。そして今のイズにアリティエが強要するルールを押しのける力はない。


「魔術が使えないとアリティエから逃げられそうにないな。これが世界のルールなの?」


「そのとおり。アレン・ローズ様が創り上げる世界は魔術優生主義。近い将来、アレン様が制定した魔術師を更なる高みへと到達させるための神の子供達計画によって人類は選定されることとなる。魔術師だけが人権を持つ世界が訪れる」


 アリティエの声に耳を傾けながらイズは温もりを感じる。冷たいことを言われても、冷たい態度を取られても、抱きしめられるとアリティエの体は温かいのだと嫌でも理解する。


 温かい血が全身を通っているのだ。きっと心にも温かい血が通っているはずだ。


 まだ出会っていないだけで、世界にはもしかしたら血も通っていないような悪人がいるのかもしれない。けれどそれはアリティエではない。

 

 だってアクソロティ協会のルールのせいで悩んで、誰にも相談できなくて、一人で頑張って、自分の夢を叶るためにあんなにも苦しんでいたのだから。


 ルシアやレテルのことを使おうとしているのは悪いことだけど、でも何度も話し合えばきっと理解し合える。


 何故なら力を持つものがルールだと言いながら教え導こうとしている。それはアリティエの優しさだ。


 本来、アリティエは優しい人なのかもしれない。そんなアリティエが変わったのだとしたら、それは変わらなければ生きていけなかったからだ。強くならなければアクソロティ協会が、アレン・ローズが創り上げるこの世界で生きていけないからだ。


 そう考えたとき、イズの心に何か熱いものが芽生えた。


「そうなのか。アクソロティ協会は魔術師だけの世界を創ろうとしてるんだな。――でも、そんな世界が嫌いだからアリティエは悩んでいるんじゃないのか?」


 そう問いかけるとアリティエは抱きしめるのをやめ、代わりにイズの肩を掴み、見つめてきた。アリティエのルビーのような紅い瞳には確固たる決意を持ったイズ自身の顔が映っている。


「聞き分けの悪い子。でももうお喋りは終わり。無理矢理にでもイズくんを連れて行くことに決めたから」


 イズの心の奥底から沸々と沸き上がる強い気持ち。それは怒りにも似ているし、喜びにも似ている。


 血潮が沸き立ち、今にも燃えてしまいそうな熱が体中から放出している気がした。


 このよくわからない熱くて強い感情はアリティエに向けられているものではない。向けられているのは自分自身。己の進むべき道が見えたことに対する歓喜の熱だ。


 ヤエも、マザーケトも、ルシアも、アリティエも。結局はアクソロティ協会のせいで悩み苦しんでいる。みんな自分の心を偽って生きている。


 これから出逢うであろうまだ見ぬ誰かもきっとアクソロティ協会のせいで悩んでいるのだろう。そう考えたら何をすればいいのかはっきりとわかった。


 ――イズの身体中に決意が満ち溢れた。


「ありがとう、アリティエ。俺が勇者として何をすべきかはっきりしたよ」


 まずは拘束を解かなければならない。イズは両肩を押さえつけているアリティエの両手に触れる。なるべく痛がらないように加減しながら手首を握り、強引にアリティエの両手を持ち上げる。


 すると紅蓮のオーラが反発するように稲光を放ち、火花のように荒々しい音をまき散らす。


「イ、イズくん!? 何を――っ!?」


「――俺が戦うのはアクソロティ協会! そしてアレン・ローズ! ――でもその前にヴェルフェゴールのところに行かなきゃな。悪いことしたらげんこつしなきゃ駄目だ!」


「ま、魔術の使えないイズくんが行ったところで何もできない! 無駄死にするだけ! なんでそれがわからないの!?」


「魔術が使えなくたってげんこつくらいできるだろ? それにな、アリティエ。俺は勇者になる男だ。勇者はどんな困難に直面しても勇敢に立ち向かい、悪者と戦うすげーかっこいい奴らだ! そんな男に俺はなりたいんだ!」


「いい加減に夢を見るのはやめて! 人生は物語のようにうまくはいかないの! 世界の何もかも想いの力で解決できるわけないでしょ! なんで理解してくれないの! 世界で誰もなったことのない……勇者になんてなれるわけないでしょ!」


 苦しそうな顔を見せるアリティエに向け、イズは白い歯を見せて笑った。


「なら俺が世界で最初の勇者になれるってことだな! ――ってことでアリティエ。俺、ちょっと勇者になってくる! アリティエが信じられなかった想いの力でな」


 アリティエの両手を強引に持ち上げて拘束を解いたイズは後方に飛んで距離を置き、そして思いきり走り出す。


 止めに入るアクソロティ協会員たちの間隙を縫い、アリティエの制止する声を無視し、イズは縁を飛び越えて飛空艇から身を投げ出した。



 業火に焼かれる。命を落とす。何もかも消えて無くなる。


 そう考えたら恐怖する。体が震えて、手足が自由に動かせなくなって、考えられなくなって、何も出来なくなる。


 一度、経験したことのある感情だ。


 けれど何故だろう。今日はそんな感情を覚えない。守りたい人がいるからかもしれない。守られて、育てられてばかりの自分にうんざりしたからかもしれない。


 そんな自分に飽きたからかもしれない。まだまだ子供だけど、まだまだ未熟だけど、そろそろ命を懸けて戦ってもいいと……思ったからかもしれない。


「あらあら愉快。少し見ない間に立場逆転したの? ルシア」


 この声と嫌味な言い回しに覚えがある。


 シンクはゆっくり瞼を開くと薄紫色の光が差し込んできた。その光と重なって赤い炎が燃え盛っている。


 こんな状況でも冷静な自分に不思議さを感じつつ、声の先に目を向ける。そこには真珠色の綺麗な長髪をなびかせる女性が扇子を仰いでいた。


「レテル・ミラージェ……か?」


 会ったのは一度だけだったが妙に印象深い女性だ。だから見間違いはしないのだが、何故こんなところにいるのか理解できない。すると誰かに優しく背中を叩かれた。


「シンク。かばってくれてありがとう。でも……そろそろ息苦しくなってきたから……」


 胸の中からルシアの声がした。ようやく状況を理解したシンクはがむしゃらになって抱きしめていたルシアから離れた。


「困ったら頼れと言ったけど……頼り過ぎじゃない?」


「こんなに頼れるくらい成長したのよ……シンクは」


 扇子を口に当てて上品に笑うレテル。その後ろから顔を出した小柄な少女がいた。


 透き通った鮮やかな水色の髪。水色の左目。紫色の右目。以前に出会った頃と変わらない。


「エリウェルじゃねーか! 久しぶりだな!」


「うん! 久しぶり、シンク!」


 相変わらず気恥ずかしそうに小さく手を挙げて挨拶するエリウェルにシンクは駆け寄る。そのタイミングで視界に映っていた炎が消え、同時に紫炎のオーラが色濃く映し出された。


「ちょっとレテル。あなたなんでこんなところにいるのよ。待ち合わせは豪華客船でしょ?」


「それはこっちのセリフ。ルシアはなんでアリティエと一緒にいたの? まさか私との約束破ってアリティエにつく気?」


 レテルは怪訝そうにルシアを見つめてくる。


 今は色々と状況が良くない。説明の仕方一つでレテルかアリティエのどちらかに肩入れすることになるし、そもそもじっくりと立ち話をする余裕はない。いつヴェルフェゴールの攻撃が再開されるかわからないのだから。


 とはいえ二人の間にシンクが入る余地はない。下手に口出しして二人の関係が悪化したらそれこそ目も当てられない。


「そうじゃないけど。まあ……色々あったの。――それであなたは何でこんなところに? レテルのおかげで命拾いしたけど、グッドタイミング過ぎて怪しいわよ」


 ルシアも負けじと言葉を返す。不審がるレテルに応戦する形で。会話の引き延ばしを考えているのかもしれない。


「マレージョの魔力を追って来たら偶然あなたたちを見つけたの。――それとね、ルシア。気づかなかったのでしょうけど、私は間に合っていないわ」


 レテルは扇子を閉じ、縦に一閃振り払うとルシアに纏わりつく黒い炎が切れて霧散した。


「え? それはどういう――」


 さすがにレテルは気づいているようだ。もう少し後から打ち明けて自慢したかった。けれど今が種明かしの場面だろう。そう考えたシンクは疑問を呈しながら立ち上がるルシアに胸を張った。


「――俺だぜ、ルシア! 俺が魔術を使ったんだ!」


 ルシアの表情が一瞬硬直したが、すぐに笑って返してきた。


「そんなわけないじゃない。今のは量子化させた肉体を多次元に配列し続けながら質量を保ち、物体を透過する大魔術の一つ。緻密な演算と高度な技術を用いる、天才的な才能とセンスが成せる技。教えられても早々に身に着く魔術じゃないの」


「じゃあ俺が天才過ぎるってことだな! 亡霊の隠匿(ゴーストレーテー)って名前の魔術だろ? 前に一度見たし、なんかできるような気がしたんだよ!」


「うそうそ! 一目見て真似できるなんてありえないわ。こう言ったら悪いけど魔術を覚えたてのお子様にこんな神がかった魔術を使えるわけない。レテルから遺伝でもしない限り――」


「――ルシア。シンクの言ったことは全て事実よ」


 最初、ルシアは冗談だと思ったようだ。けれど真面目な顔のレテルを見て、今の発言が本当なのだと確信したようで顔がこわばった。


「えっ? う、嘘……よね? でも。だって。そうしたらシンクは……」


 もっと喜んだり驚いたりすると思ったのに。何故、ルシアがこんなにも動揺した、悲し気な顔を向けてくるのかシンクには理解できない。


 静まり返ったこの空気。さてどうしたものかと考えた矢先、エリウェルが慌てたように疑問を口にする。


「あ、あれ!? ねえ、シンク! イズは一緒じゃないの!?」


「イズ? ああ、イズならそこに……ってあいつ! いつの間にかいねーし! そしてアリティエもいねえ!」


 そう叫んだ瞬間。突然、目の前に全身ずぶ濡れのイズとアリティエが現れた。



「お? 砂漠に戻ってきた」


 どんなに凄い魔術でも日に三度も瞬間移動を体験させられてはさすがのイズも驚きはしない。


 アリティエに服の襟を掴まれていたイズは乱暴に手を離され、四つん這いの体制で砂漠に着地した。手足に砂の熱がジリジリと伝わるが海に飛び込んだおかげでそんなに熱く感じない。


 後ろに目をやると不機嫌な顔をしたずぶ濡れのアリティエがイズを睨みつけている。どうやって機嫌を直してもらおうかと考えているとシンクの声が聴こえた。


「おいイズ! どうしたんだ!? 突然現れたと思ったらずぶ濡れじゃねーか!?」


「おお! シンク! よかったぜ! 無事だったんだな!」


 両手を広げてシンクに近づこうとするが嫌な顔をされる。


「びしょびしょで俺に近づくな! なんか頭に海藻ついてるし! 磯臭いし!」


「暑かったからちょっと海水浴したくてさ。瞬間移動でアリティエに連れてってもらったんだ。結構楽しかったぜ」


「また突飛なことやりやがって。でも楽しかったって言う割にはアリティエめちゃくちゃキレてねーか? イズのこと睨みまくってるぞ。まったくこの短時間で何があったんだよ」


 アリティエが憤慨しているのは知っているし、機嫌を直す策も思いつかないので放っておくことに決めた。


「イズ! 久しぶり!」


 名前を呼ばれて顔を向ける。そこには麦わら帽子を被ったワンピース姿のエリウェルが立っていた。熱いのか頬がほんのり紅く染まっている。それに何故か恥ずかしそうだ。


「おお! エリウェル! 久しぶりだな! こんなところで何やってるんだ? そのワンピース似合ってるじゃん! 可愛いぜ!」


 矢継ぎ早に喋りながら拳を前に突き出して挨拶する。エリウェルはそれが挨拶だとわからなかったようでイズの拳を両手で優しく握る。


「イズも! その……今日もカッコいいよ!」


「いや、それは嘘だろ! 頭に海藻ついてるし!」


 シンクのツッコミはいつも容赦がない。そう思いながらレテルに手のひらを向ける。


「久しぶり、レテル。元気だった?」


「ええ。あなたは相変わらず元気ね、イズ」


 レテルはほほ笑みながら手のひらを合わせてくれた。挨拶を終えたイズは続けてルシアへと飛びつく。


「ちょっとイズ!? びしょ濡れじゃない! 抱きつかないでよ! しかも頭に海藻ついてるし!」


「いいじゃん! 俺とルシアの仲だろ?」


「あんた出会ってから一度だって抱きついてきたことないでしょ! 悪戯するときだけ抱きついてきて! もう本当に調子良いんだから!」


「随分と楽しそうだね、きみたち。でもその続きはあの世でしてくれないかな? 僕が連れてってあげるからさ」


 ヴェルフェゴールが突然地上に現れてみんなの顔がこわばる。自分の存在を無視して楽しげに喋っている者たちがいれば直接文句を言いたくなるのは心情だ。


 だからイズは危機的状況と知っていても楽しげに振る舞った。だって地上まで降りてきてもらわないとヴェルフェゴールにゲンコツができない。


 イズは急いでルシアから離れ、拳を握りながら跳ぶようにヴェルフェゴールの懐へと入り込む。腰をしっかりと落として振りかぶり、ヴェルフェゴールに笑みを向けた。


「この拳を受けてみろ! ヴェルフェゴール! 俺の一撃は強烈だぜ!」


 イズはこれまで本気で拳を振るったことはない。振るう必要もなかった。でも今日は本気で拳を振う。そう決めた。


 振るわなければならないとわかったから。そうしなければ護れないものがあるとわかったから。だからイズは拳を握る。決意を込めて。夢を込めて。勇気を込めて。万感の思いを込めて。


 今、イズは自分が戦わなければならない敵に向け、人生で初めて本気の拳を振り下ろした。


「―― ―― ――ッッ!?」


 イズの拳は衝撃と威力によって大気が震え、空気が弾け飛ぶ。砂の海が波紋となって荒れ、清涼な風を周囲に贈る。


 拳を直撃した肉体は衝撃波が突き抜け、ヴェルフェゴールは後ろによろけて膝をついた。


「なんで……僕がダメージを受けた? 魔術ならともかく物理攻撃なんか効くわけない。僕の体は炎でできてるんだぞ?」


「お? 本気出せばなんとかなるな。よし! ヴェルフェゴール! 試しにもう一撃俺の拳を受けてみろ!」


 そう言ってイズは飛び跳ねる。空中で拳を握りながら大きく振りかぶり、今度はもっと強力な一撃をお見舞いする。


 その反撃を食い止めようとヴェルフェゴールは炎を纏う。


「空中で自由が利かないくせに地面から足を離すなんて。愚か者だね。――インフェルノ・スパーダ――」


「――愚か者はそっちだぜ? ヴェルフェゴール!」


 どんな時でも二人は一緒。楽しいことは二人締め。悲しいことは二人別け。困ったときは二人で解決。イズの一手を先読みしたシンクは気配を消してヴェルフェゴールの後方へと移動し、抜刀の体制を取っていた。


 そして攻撃の際に生じる一瞬の隙をつき、紫炎のオーラを解き放ったシンクは立ち上がろうとするヴェルフェゴールの両足に一閃をお見舞いした。


 炎の勢いが弱まり、体がふらついたその瞬間、イズは渾身の拳をヴェルフェゴールに振り下ろす。


「最高のタイミングだぜ! シンク!」


 言葉の終わり。顔面はひしゃげ、再び発生した衝撃波とともにヴェルフェゴールの肉体は地面に叩きつけられた後、大きく跳ねて宙を舞った。


 巻き上がる砂しぶきの中。飛び上がったヴェルフェゴールは両手を広げて炎を纏う。


「インフェルノ・グングニル! もう容赦しないよ!」


 空を覆いつくす灼熱の槍。業火の赤。その赤が霞んで見えるほどの紅蓮がイズの目の前に現れた。


終焉の書(ブックオブディマイズ)。崩壊の章。空間の節」


 腕を組むアリティエの目の前に赤い表紙の本が宙に浮いて現れ、その本は自動的にめくられて目的のページを開く。


 紅蓮のオーラを激しく燃やすアリティエは上空に浮かぶヴェルフェゴールを睨みつける。


「かの者が放つ悪しき炎に侵食を及ぼせ」


 呪文の刹那。空を覆いつくしていた灼熱の槍も、ヴェルフェゴールが纏う炎も、爽快な破砕音とともに全てが砕け散って消失した。


 残されたのは砕け散ったガラス片のようなものだけ。そのガラス片は陽光に反射して空から降り注ぎ、光の雨のように美しい。


「くそ! 炎が使えない! ――何故きみがそちら側についている! 聞いていた話と違うぞ!?」


 ヴェルフェゴールがこちら側を睨みつけている。続けて燃え盛る紫炎のオーラが目の端に映り、隣を見るとシンクの前に扇子を空へと掲げるレテルが立っていた。


「上、廻、下々。冥府の墓地ゲヘナ・グレイヴヤード


 呪文の刹那。晴天は闇夜へ、美しい砂の海は荒れた汚泥の土へ、焼けつく熱波は凍てつく寒波へ、そして周囲は地平線の持たぬ漆黒の世界へと変化して静謐が覆う。続けて大小様々な墓石が続々と出現し、異質な世界に冥府の彩りを飾った。


「支配者エウリュディケー。死者の眠りを妨げる愚かな墓荒らしに冥府の裁きを下しなさい」


 命令を受け、眼前に立つ巨象だと思われたモノが色を取り戻し、女性の姿に変貌を遂げる。エウリュディケーと呼ばれた女性はヘビを模した剣を握り、震えながらゆっくりと鞘を引き抜く。


 すると攻撃の過程が一切わからないまま、ヴェルフェゴールは斬撃を受けて肉体から赤黒い粒子が飛散する。


「斬撃が……見えない……!?」


 エウリュディケーの震える手が一回、一回、段階を踏んでゆっくりと引き抜くたび、ヴェルフェゴールは斬撃を受け、赤黒い粒子を飛散し続けながら唸り声を上げる。


 その光景を見上げていると突然、後方から荘厳なる女神の如き輝きが放たれた。急いで振り返るとルシアが黄金のオーラを激しく放出し、両手を開きながら腕を前に差し出している。


聖なる冠(ホーリーサークレット)七つの宝玉(セブンスジュエル)


 ルシアを中心として円球状に白い光が展開した。白い光は文字を創り、同時に出現した七つのクリスタルはそれぞれ七つの色を帯び始める。


 その直後。純白のオーラへと切り替わったルシアは宙を浮き、後を追うように七つのクリスタルも空へと昇っていく。ルシアの周囲を規則的に円環し始めたクリスタルは主人のオーラと同調するように純白のオーラを放つ。


 ルシアは奏者さながらに両手を振って指揮するとクリスタルは前方に移動し、所定の位置につくと魔力を大気中に圧縮させながらそれぞれの作業に取り掛かる。


 一つは大きな球体を創り続け、二つは小さな球体を数珠のように創りながら大きな球体に巻き付けて飾りつけをする。


 三つは鋭利な光刃を、四つは円形の光刃を、五つは星状の光刃を創り続けながら簡素だった空間をさながら豪華なパーティ会場へと飾りつける。


 六つはたった一個の巨大な球体を創り上げることに専念し、七つは他のクリスタルが創り上げた多彩な魔力の塊を芸術的に配置し、さらにそれらをコーティングして強度を上げる。


 その光景はとても芸術的で、とても幻想的で、まるで夢を見ているようだ。一人の人間が創り上げた世界とは思えない。


「イズくん。よく見ておきなさい」


 アリティエの声がして目を向ける。


「あれが神の領域に足を踏み入れ、神の如き力を操る魔術師の頂点。聖天大魔導士。その聖天大魔導士たち全ての頂点に君臨する男こそアクソロティ協会長アレン・ローズ様。――勇者を目指すうえでイズくんの前に立ち塞がる魔王の名前。イズくんはあれほどの力を持つ者たちすら従える魔王を倒すことができる?」


 アリティエの問いかけ。その問いかけに対して今はまだ何も答えることはできない。今できるのはあまりにも高く大きすぎる壁を前にしても逃げずに見つめて、いつか必ず乗り越えてやると自分を奮い立たせることだけだ。


 そう思いながらイズは再びルシアに目を向ける。純白に輝く魔力の集合体たちは何物も寄せつけないほどに強大なプレッシャーを放ち、間もなく爆発の極致へと至ろうとしていた。


 ルシアは片手を前に突き出し、魔術の名を語る。


女神の咆哮(ビアクラロスニーケ)


 オーラを激しく放出させたルシアは構築した魔術を解き放つ。するとレテルの創り上げていた冥府を一瞬で破壊し、世界は蒼天と砂の海と焼けつく熱波を取り戻した。


 爆発するように発射された極大の高密度エネルギー帯はヴェルフェゴールを一瞬で白い光に染め上げる。レテルの攻撃を受け続け、逃げる隙も回復する隙も与えられなかったヴェルフェゴールには、ルシアの攻撃をまともに受けることはできないだろう。


 ぐったりと宙を浮きながらヴェルフェゴールは声を荒げた。


「おのれ刻限の魔女! おのれ冥府の魔女! おのれ終焉の魔女! おのれセカンドチルドレンども! 僕は絶対にお前らを――」


 最後まで言葉を残せぬヴェルフェゴールは高密度エネルギー帯の中に飲まれ、視界に映る全ての空を純白に染め上げながら地平線の彼方まで広がり、そして消えていった。

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