第21話 作戦そして友
扉の前での押し問答が圧倒的不利な立場に追いやられ、これ以上の足止めは難しい。いっそのこと四人が部屋から逃げ出していることに一縷の望みを託し、扉を開けてしまおうか。
そんな悪魔の囁きがルシアの脳裏をよぎった矢先、集団の離れたところから女性の声が聴こえた。
「そこ、通してもらえますか?」
その言葉とともに、今にもなだれ込んできそうなアクソロティ協会員たちが二つに割れ、中央にできた道を歩く鮮血の長い髪の女性が視界に入った。
女性は砂漠地帯には不釣り合いな黒いパンツと革靴を履き、白いワイシャツ姿をしている。以前会った時と恰好が随分違うので一瞬見間違えそうになったが、このつかみどころのない端整な顔つきはアリティエ・ノヴァだ。
「皆さんご迷惑をお掛けしました。こちらは大丈夫ですので他の場所を探してください」
アクソロティ協会員たちはアリティエの指示を受け、渋々といった様子で散っていく。その光景を見てルシアは内心ホッと胸をなでおろす。
「魔道会議以来だね、ルシア」
「ええ。――アリティエ、あなたのおかげで助かったわ」
「助かった? どういう意味で助かったの?」
「あれよ、見られたくないものが見つからずに助かった的な――ってアリティエ!?」
安堵したのもつかの間、ルシアの脇を通り抜け、アリティエは扉を開けて部屋の中に入り込んでしまった。
「違うのよ!? それは全然違うの!」
ルシアはアリティエを追いかけて部屋の中に入る。
「ルシア。一体何が違うの?」
「だからこれは――ってあれ?」
ルシアの視界には四人の姿はない。呆然と立ち尽くすルシアを尻目にアリティエはベッドに腰かけ、シーツに手を乗せる。
「まだ温かいね。ルシアが寝てたの?」
「い、いいえ。連れの子供が一人体調を崩してしまって。それでさっきまで寝かしつけてたんだけど……あいつらまた逃げ出したのね。悪戯好きで本当に困った子たち」
「温もりは子供の体型くらいだからね。それに冷水に浸したこの包帯は熱冷まし用として使ってたみたいだし。ルシアの言ってることは嘘じゃないんだろうね。そして捨てられている包帯が一人分より多いってことは……もう一人の子供が悪戯でもしたのかな?」
アリティエの言動はまるで隠している全てを知っているかのようで、鼓動を抑えながら対話するルシアは流れ出る嫌な汗を必死に隠す。四人がどこに消えたのかルシア本人も知らない以上、室内での余計な詮索はされたくない。
「ルシアの言う子供たちって魔道会議で話してた子供たちかな? 確か名前はイズとシンク。悪戯するくらいやんちゃってことは男の子たちかな?」
状況は把握できないが、四人の気配がないということはこの部屋から脱出し、アクソロティ協会員たちの監視網をくぐり抜け、逃走しているということだ。そう考えたルシアはとにかく会話を引き延ばし、アリティエをこの場所に引き留めることにした。
「ええ。やんちゃな男の子たちよ。半年前に偶然二人と知り合ったの。八歳の子供たちが故郷を飛び出して勇者を目指すなんて言うもんだから気になってね。一緒に旅をするようになったのよ」
「そうなんだ。ルシアは昔から優しくて面倒見が良いから年下の私にも良くしてくれたっけ。イズくんとシンクくんはルシアに出会えて幸いだったね。刻限の聖天大魔導士が直々に魔術を供与してくれるんだから」
アリティエには二人に魔術を教えていることは言っていない。旅をする上でどうしても目につくため、おそらくアクソロティ協会員たちが情報を共有しているのだろう。そんなことはルシアも織り込み済みだが、アリティエの心の中すら見透かしてしまいそうな赤い瞳が、獲物を捕捉しているようで居心地が悪い。
「魔術を教えるなんて気まぐれよ。そもそも基礎程度しか教えてないし」
「それでも聖天大魔導士から教鞭をとってもらえるなんて滅多にないことでしょ? そんな二人は魔術師として見どころありそう?」
「シンクに関しては天才以外の表現が難しいくらい。知識は一般人の三倍以上のスピードで習得するし、身体能力は既に人間を超えてる。魔力量は成人以上だし、本人の希望で魔術は剣技に関するモノしか教えてないけど、きっと色好みせず魔術を学べば聖天大魔導士にも成長できるポテンシャルを秘めてるわ」
「凄いね。ルシアがそこまで手放しで褒めるくらいだからシンクくんは本当に天才なんだ。いずれアクソロティ協会に入会してもらいたいくらいだ。――なら、もう一人。イズくんはどうなの? 才能ありそう?」
「イズは……そうね。学習能力は年齢相応か、少し低い。最近は投げ出さずに勉強を頑張ってるけど頭に入らないみたいで。ただ身体能力はシンク以上かな。魔術に関しては……難しいわね。最近わかったことだけど、イズには魔術集積回路が先天的に少ないみたいで、自力で覚えられる魔術は一つか二つだと思う」
「そうなんだ」
アリティエとの会話が止まってしまった。引き留めはしたものの、このままずっと宿場に居座られてしまうとファイーナたちを逃したイズとシンクが帰って来てしまう。そうすればアリティエはきっと二人に探りを入れる。二人には申し訳ないが、どんなに隠し通そうとしてもアリティエに会話の主導権を握られ、意図せずファイーナたちのことを漏らしてしまう未来しか見えない。
「アリティエ。あなた以前飲みに行きたいって話してたわよね。仕事中だろうしお酒ってわけにはいかないだろうけど、これからどう?」
「そうしたいのは山々なんだけど。立場上、イズくんとシンクくんに事情を確認したいと思ってね」
「事情? 何の事情を確認するのよ。言ってることがわからないけど二人は何も――」
「――ルシア」
笑みを浮かべるその表情とは裏腹に、アリティエの冷たい声がルシアの背筋をゾクっと凍らせた。
「私はアレン様の命令を受けて、ファイーナ皇女を討伐するためここまで来たの。もしルシアたちが皇女を匿い、逃亡を手引きしたのならそれはアクソロティ協会への立派な背信行為。同じ学友で、同僚として苦楽を共にするあなたを疑いたくはないんだけど、皇女を逃がしたことが発覚した場合、裏切り者のルシアをアレン様に引き渡さなければならない」
そう話すとアリティエの声色が随分と優しくなった。
「だからルシア。私にそんなことさせないで」
何もかも理解している様子のアリティエにこれ以上の言い訳は通用しなさそうだ。アリティエと対立する可能性が脳裏をよぎる。しかしそれは今ではないとルシアは考えた。帰ってきた二人がアリティエの追及をうまくごまかせる可能性だってある。
そんな淡い期待を寄せながら、ルシアも強がって笑みを見せた。
「ええ。友人にそんなことさせないわ」
◆
白を基調とした簡素な内装の宿場から一転して黄色い砂の海が広がり、視界がぼやける。続けて幾分涼しかった屋内から直射日光が厳しい屋外に放り出されたせいか、体中から吹き出る汗が止まらない。
混乱しているのはシンクだけでなくイズも同様のようで、自ら降りかかった不可思議な現象が脳内で処理できず、驚愕の声を上げた。
「「な、何じゃこりゃー!」」
「突然の出来事で事態が飲み込めないと思う。驚かせて申し訳なかった。これは瞬間移動と言って――」
「「――俺たち瞬間移動したー! すげー!」」
驚愕していたのもつかの間、ようやく脳内処理が追いついた二人は想像してなかった大きな体験に衝撃を受けた。
「宿場から二キロほど離れたこの場所まで瞬間移動させてもらった。気配が瞬時に消えるので不審がられるがやむを得ない。私たちの姿を見られるよりはきっとマシだろう」
ファイーナの口調は優しいが笑顔はぎこちない。それはこれから先のことを考えてのことなのだと悟ったシンクは大騒ぎを止めた。
「瞬間移動に浮かれてる場合じゃなかったな。アクソロティ協会員たちの追求から逃れることは出来たけどルシアを置いてきちまった。それにファイーナに肩入れするなら一緒に行動したいところだが、かなりハイリスクだろうな。――イズはどう思う?」
そう問いかける。けれどイズはリュックの中身をバロンに説明しており話を聞いていない。
「食べ物、水、時計、世界地図、あと旅をするなら必要だし、ルシアの財布から黙って抜いたお金も入れておいた。俺が怒られるからお前らは心配いらないぞ?」
「おいおいイズ。お前一体何してんだよ。まるでファイーナたちを旅立たせるみたいな――」
「――旅立たせるんだよ」
イズは即答した。そのことにシンクだけでなく、ファイーナやバロンも理解が出来ないようで首を傾げる。
「旅立たせるってどういう意味だ? 確かにこのまま逃がす選択肢もあるが、ルシアと合流してファイーナを手助けするって選択肢もある。まずはこの場の四人でじっくり相談してから――」
「――選択肢は一択だぜ」
イズはこれしかないと決めたことに対してはたまに頑固なまでに意志を曲げないときがある。それはまさに今だと思うシンクは、まず否定することなく話を聞くことにした。
「選択肢は一択ってどういうことだよ。俺たちにもわかるよう説明してくれ」
「悪戯するときを思い出せよシンク。例えば家の壁に落書きしたらその反応が見たくて俺たちは近くで隠れるだろ? 悪戯された奴は近くで隠れてるかもしれない俺たちを探す。そして俺たちの悪戯がバレる」
「うーん。つまりあれか? 俺たちを捕まえようと宿場でアクソロティ協会員たちが張り込んでるって言いたいのか? 確かに疑われてる可能性がある以上、宿場で待ってるかもしれないな。けど俺たちが上手くやり過ごして、例えば別の場所でファイーナたちと待ち合わせるって方法もあるはずだ」
「それは無理だ。大人相手じゃ俺たちの嘘はすぐバレる。特にシンクが」
「確かに俺たちの浅はかな嘘じゃすぐバレる可能性はあるか。特にイズが」
互いに指を差して相手のせいにする二人。イズは話を続ける。
「そんなわけで待ち合わせするよりファイーナたちを旅立たせて、ほとぼりが冷めた頃に再会するほうがとてもいい」
「とてもいいのは賛同するが、いつどこで再会するんだよ。それと話を戻すけど、俺たちがファイーナたちと関わりを持ってることがバレる可能性がある以上、宿場に戻れないだろ? そのことも並行して考えるべきだ」
「ファイーナたちが人間社会を勉強したい。そして俺たちの目的を考えるなら行き先は大体決まってると思うぜ? それにこんなこともあろうかと俺は瞬間移動する前に荷物も用意したし、言い訳できるようにちゃんと窓を開けておいた」
そこまで聞いたシンクはようやくイズが言いたいことの大部分を理解し、大きくため息をついた。
「済まないが我らにもその話の続きを聞かせてはくれないだろうか」
ファイーナたちはどういった結論になったのか勿論理解できない。このため満足げなイズに変わり、シンクが話の続きを引き継いだ。
「俺たちはアストリーク大陸にある大都市ネオベルに向かう途中なんだ。大都市ネオベルは世界中から大勢の人が集まる。つまり人間社会の勉強には持ってこいってわけ。多分、順調に旅を続けてもネオベル到着まで十か月はかかると思う」
「なるほど。直近ではなく何か月も先ならば再会しやすいか。そのための旅支度を整えてくれるとはイズ殿は準備がよい。しかし言い訳のために窓を開けるとはどういうことだろうか。言い訳というのは三人と我らとの関わりがないと証明するための言い訳なのだろうが」
「俺たちが悪戯した際に使う誤魔化しの一つなんだが……ボロを出さないようずっと「わからない」を言い続けるって戦法だ。今回なら窓から抜け出して遊んでたからファイーナのことなんてわからないって使い方だな」
「ほう。それでその戦法の過去の勝率はどのくらいだろうか」
「勝率は低いぜ? 成功したのは漁師のシルバおじさん家に海水を引き込んで水族館にしたことと、その次は大蜘蛛を沢山捕まえてチェルダ爺さん家に投げ込んで蜘蛛屋敷にしたくらいかな」
過去の悪戯を思い出したようで、イズは目を輝かせる。
「あのときの悪戯か! 手作業だったし、海水も蜘蛛も二人の家からかなり遠くて苦労したよな!?」
「だな!」
二人は昔の悪戯を思い出しゲラゲラと声を上げて笑い、ファイーナは終始苦笑していた。
「どこまでも手間のかかる悪戯をするのだな。――しかしそこまでの悪戯で誤魔化せた方法なら期待できそうだ」
◆
それからファイーナはみんなとこれからのことを話し合って共通認識を持つと、ここでお別れすることとなった。別れはいつも寂しいものだが、五か月後に会うためのお別れならばむしろワクワクが止まらない。
何故ならこの別れは世界を掌握する大きな組織を相手取った、マレージョとメルトリア人による初めての共同作業なのだから。
一人ほくそ笑むファイーナはふとバロンに目を向けると、受け取ったバッグを手に持ち、イズと楽し気に会話をしていた。
「すまんなイズ。お前にはファイーナ様の件も含め、色々と迷惑をかけた。主に変わり礼を言おう」
豪快に笑い声を上げるバロン。それにつられて二人も笑い声を上げている。ファイーナはローブを深く被り、ジト目でバロンに視線を送る。
「バロンに言われるのは少々癪ではあるがな」
愚痴るファイーナを見て笑い声を上げる三人。
「そういやなんで二人はバラバラで、しかもファイーナは行き倒れてたんだ?」
シンクの問いかけにバロンは腕を組む。
「俺が排便をしている最中、アクソロティ協会に見つかってしまってな。ファイーナ様が囮になってくれたのだ。――まったくアクソロティ協会にも困ったものだ。安心して糞もできん」
「それで体力使ったファイーナは行き倒れたと。――バロンって家臣としてはあれだけど……友人としては最高に面白い奴だな!」
「そうだろう! そうだろう! 俺はディアタナでも陽気者として通っているのだ!」
シンクとバロンが話に盛り上がる中、背中を突かれる感覚がしてファイーナは後ろを振り向いた。そこには真面目な表情のイズが立っていた。その表情だけで内密な話がしたいのだと理解したファイーナは、声のトーンを落としてイズとの距離を詰めた。
「どうしたのだ、イズ殿」
「さっきシンクに魔術を使ってパワーアップさせたろ? あれって俺にもできるの?」
「ああ、宿場でのことか。あれはパワーアップというか……魔力の操作方法を教えたと言ったほうがイズ殿には伝わるだろうか。そういうことならば可能だ。熱暴走はしていないが、イズ殿もきっとシンク殿と同じセカンドチルドレンなのだろ?」
「ああ、よくわからないけどそうらしい」
その言葉を聞いてファイーナは微笑む。
「それならばイズ殿の言うパワーアップを手助けできるかもしれない」
「マジ!? じゃあパワーアップしてくれ! 二人にバレないようにこっそりと!」
声を抑えても感情は抑えきれないイズの瞳は輝いている。そんな顔をされてはファイーナに断るという選択肢はあるはずもなく、二つ返事で答えるとイズの胸元に手を当てた。
しかし安請け合いしてしまったファイーナはすぐに後悔した。
ファイーナは手のひらにオーラを集中させ、イズの体内に眠る肉体エネルギーを魔力炉へと強制的に流して燃焼させた。そのこと自体は何の問題もなく対応できたのだが、魔力炉で作られた魔力が体内を循環し、魔術集積回路に流れたはずが一切オーラに変換しない。
オーラ自体は可視化した魔力エネルギーなので認識できないほど微量でも変換されていれば今は無理でも訓練によっていずれ魔術を行使できる。けれどオーラに変換できないということは魔術を出力できないということだ。
魔術集積回路は訓練により増やすことも可能だが、先天的に回路が存在しない場合、訓練で増えることはまずない。
魔力炉や魔術集積回路が存在しないということは通常あり得ない。生まれつき心臓や神経がないのと同様に生物構造上あり得ないことだからだ。つまり魔術集積回路内で何かが魔力からオーラへの変換を阻害している。
けれどファイーナにはその原因は突き止められないし、いずれにしてもイズが自力で魔術を行使できないことに変わりはない。
このことを瞳を輝かせる少年にどうやって伝えれば良いのか悩むファイーナは触れていたイズの体から手を離した。
「イズ殿。その……私は急にイズ殿に意地悪をしたくなった。マレージョは気まぐれで嘘つきな生き物なんだ。だからパワーアップは――」
自分が悪者になってこの場を収めてしまおうというファイーナの浅はかな考え。その言動だけでイズは全てを悟ったようで、ファイーナの手を優しく握ってきた。
「――ありがとうファイーナ。優しいんだな。けど俺もそんな気がしてたから。それがわかっただけでパワーアップだ」
うつむいていたファイーナは顔を上げる。そこには白い歯を見せて笑うイズの眩しい笑顔があった。その笑顔に胸を締め付けられ、ファイーナは思わずイズを抱きしめた。
「私はイズ殿に力は与えてやれない。しかし力になることはできる。もし困ったことがあったらイズ殿の友として、いつでも力になろう」
「そっちのほうがパワーアップより嬉しいぜ」
そう言ってイズは細い腕をファイーナの背中に回して優しく抱擁してきた。
誘導されるまま小さな少年の胸に顔をうずめたファイーナ。イズを抱きしめたつもりだったが、どうやら抱きしめられているのは自分らしいと悟り、笑みを浮かべた。
小さな少年の、大きな胸の中で。




