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第1話 二人の悪戯っ子

 雲一つない澄み渡る青空とどこまでも広がる穏やかな海の境界線が混じり合った先にある、まだ見ぬ世界へと想いを馳せる。


 これは新しく何かを始めようとする感覚に似ているなと不思議さを覚える黒髪の少年イズ・アスタートはラミアーヌ島の山頂で親友を待ちながら眼下を望む。


 中腹には薄紅色の、海岸沿いには純白の桜が見事に咲き誇っている。麓には平屋の学舎やマザーケトが営む赤い教会が離れて建ち、その先には素朴な外装の人家がこじんまりと群がっている。


 穏やかな気候、穏やかな村。この穏やかな島も今は昼時で、島民たちは昼食を取りながら他愛のない話題に花を咲かせる頃合いだ。


「今日も悪戯日和だ」


 穏やかな時間が流れる穏やかな日常。そしてこれから行うイズたちの悪戯もラミアーヌ島の変わらぬ日常である。


「めちゃくちゃ疲れた。流石にバイクを山頂まで運ぶのは骨が折れるな」


 イズより十数分遅れで山頂に到着した銀髪の少年シンク・クロースは傷だらけのバイクを傾斜の緩やかな岩肌に寝かせ、滝のように流れる額の汗を拭う。


「早く行こうぜシンク! 昼時の人がいっぱいいる今がチャンスなんだから!」


「わかってるけど、少しくらい休ませてくれ」


「待てない! なら俺が運転するからシンクは後ろで休んでろよ!」


「俺が山頂まで運んで来たんだから最初は……ってまあいいか。じゃあ俺は後ろで休憩するからしっかり運転しろよな」


「わかってるって。まかせとけ!」


 車体を立ててバイクに跨ったイズはクラッチを握ってセルを回すと単調なエンジン音が鳴り響いた。


 シンクはやれやれ、と言いたげな表情で立ち上がるとタンデムシートに腰を下ろし、グラブバーを握る。


 準備ができたことを確認したイズは正面を向いた。


「それじゃあ、そろそろ行くぜ!」


「よっしゃー! 行けー!」


 掛け声に合わせてイズは勢いよくバイクを走らせた。


 勾配のある山頂から高速で駆け降りるバイクはちょっとした小石でも横転しかねないほど危険だが、イズは速度やタイヤの接地部分を調整しながら軽やかに山を下っていく。


「おい、イズ! せっかくだから学舎の横を通ってみんなを驚かそうぜ!」


「お、いいじゃんそれ!」


 イズは学舎のほうに車体を傾け、速度を落として目を凝らす。学舎内は机を組み合わせて昼食の準備をしているところだった。二脚の机だけは持ち主に移動させてもらえず、未だに授業をする体制のままだ。


 イズはアクセルを余計にふかしながらわざと目立つようにアピールする。そして学舎を横切る瞬間、教室にいる人たちと目が合った。


「見たかイズ。アドン先生のあの驚きよう。めちゃくちゃ面白かったぜ」


「ああ見たぜシンク! アド先って驚くとスゲーカエル顔になるから面白いんだよな」


「それにエリックとトーマスなんて不思議そうな顔してたぜ。あれも傑作だな」


「それはシンクが今日みんなには内緒で島を出て行くなんて嘘ついたからだろ?」


「とにかく大成功だな!」


 みんなの反応に満足しながら村まで下ってきた。村の中を走りながら辺りを見回すイズは、相変わらずいつもの光景にほくそ笑んでいると、後方がやけに騒がしいことに気づいてバイクミラーを覗き込む。


 そこにはバイクを無断で拝借してきた新聞屋のバルンおじさん、養鶏場のニワトリを全て屋根の上に移動させた飼育員のマグルードおばさん、大蟻の巣から駄菓子屋まで角砂糖を置いて大蟻を大量に引き込んだパメル爺さんが叫び声を上げながら鬼の形相で追いかけてきていた。


「おい見ろイズ! 最高傑作だぜ!」


「しっかり見えたよ。バルンおじさん、マグルードおばさんにパメル爺さんだろ」


「いやそれだけじゃない。右だ。右を見ろ」


「はあ? 右って一体……ぷっ!」


 右に目を向けると一台の農業用トラクターが豪快に土埃を巻き上げながらこちらに突進してくる。この島で唯一四輪車を所有するハイネスおじさんだ。


 農業用トラクターは深夜のうちにガルウィングドアに改造していたため、翼を広げたカモメのような形状をしている。けれどそれだけではつまらないと思い、スプレーでフロントガラスにハイネスおじさんの顔を落書きしておいた。


 やはり自分たちのデザインセンスに間違いはないとイズは目を輝かせる。


「凄いカッコいいな! やっぱり俺たちセンスあるよな⁉」


「ああ! 流石は俺たちってところだぜ!」


 イズは大笑いしながら後ろに乗るシンクとハイタッチをした。次の瞬間、前方の街路樹とぶつかってバイクから投げ出されてしまった。


 持ち前の運動神経が功を奏し、宙を舞いながら体をひねって着地のポーズを決めるくらいには余裕がある。ただし無断借用したバルンおじさんのバイクは走行困難なほどに大破してしまったが。


 その無残なバイクを眺めたのもつかの間、後ろから追いかけてくる大人たちから逃げるべくイズは走り出した。


「やっべー! 逃げるぞ、シンク!」


「このバカ! 俺が運転してればこんなことにはならなかったのに!」


「仕方ないだろ。はやく行くぞ!」


 この島にとって日常茶飯事な鬼ごっこが再び火ぶたを切った。イズとシンクは村の中を縫うように逃げ回る中、村人はまた始まったと言わんばかりに声をかけてくる。


「悪ガキども、今日は何したんだい?」


 庭のベンチに座って昼食を取りながら談笑する三人の老婆。その内、声をかけてきたオッド婆さんの質問に足を止めたイズはいつもの調子で答える。


「えーと。バイクを無断で借りて壊したり、ニワトリを屋根に移動させたり、駄菓子屋に大蟻の大群を招待したり、車を改造したくらいだよ」


「おやおやそうかい。よくもまあそんなに悪戯を思いつくもんだ。またげんこつ喰らわないように逃げることだね」


「おう任せとけ! ――それより腹減ったなあ……」


 無情にも鳴り響く腹の音を鳴らすイズ。昼食をとっていないことを思い出したらしいシンクのお腹も鳴り出した。そんなイズは編み込んだ木製のバスケットに敷き詰められたサンドイッチを発見し、わざとらしく目線を送る。


 そのことに気づいた老婆三人は声を上げて笑い、続けてオッド婆さんはバスケットを差し出してきた。


「持ってきな泥棒! しっかり食べて立派に育つんだよ」


「ありがとう! それじゃーね!」


 イズとシンクは再び悪戯に怒り狂う島民たちとの鬼ごっこに戻ることにした。



 ラミアーヌ島は大海原に浮かぶ直径三十㎞程度の島で二百人も満たない島民が生活している。島の子どもはイズとシンクを含めても四人しかおらず、島でこれほど悪戯をするのはイズとシンクだけである。


 この島では誰がどんな性格で、今頃どんなことをしているか島民であれば誰でもわかる。血が通わなくても家族同然なのだ。実際に困っている人がいれば島民全員で助けるし、悩み事があれば島民全員で相談に乗る。


 通貨はあっても実際は必要としない。なぜならお腹が空けばパンを貰えるし、服が破れれば縫ってくれるし、無償で譲って貰える。診療所に行ってもお金がなければ支払わなくていいと言われるし、学舎だってお金が無くても通えるのだ。


 島民は全員で支え合い全員で生活をする。良い子だって悪ガキだって子どもは島民全員で育てる。叱る役目がいれば慰める役目もいて、役割はその時々で変わったりする。


 だからイズとシンクは今回の叱る役目の者が近づいて来ないか互いに監視しながら、村外れの森に身を潜め、小川に流れる透き通った水で喉を潤しながら休息を取っている。


「ようやく撒いたかな。いつもは二人くらいだから四人から逃げるのは大変だな。――なあシンク。そっちは大丈夫か?」


 木に寄り掛かり、村の方角に目線を向けて監視しているシンクは額から流れる汗を拭っている。


「今のところ大丈夫だぜ。多分上手く逃げられたっぽい。――まあ、イズがバイク壊さなけりゃもっと余裕で逃げられたんだけどな」


「おいおい。もうそれ言うの無しにしようぜ。失敗は誰にでもあるだろ?」


「わかったよ。それよりこれからどう――あはは……」


「どうしたんだ? シンク。顔青いぞ?」


 シンクの不自然な態度を見てイズは全てを察した。いつもなら夕方に登場するラスボスなのに今日に限っては随分とお早いご到着だ。


「今日早くね⁉」


 そう口走った瞬間、イズの頭部にげんこつが落ちた。頭をさすりながら目を向けると仁王立ちでこちらを睨みつける女性ヤエの姿があった。


「ヤエ姉……お元気そうで何よりです……」


「元気じゃなければあんたたちにげんこつ出来ないもんね。そうでしょ? イズ、シンク?」


 本日の鬼ごっこは早すぎるラスボスの登場でゲームオーバーなのだと理解したイズはシンクと顔を見合わせ、肩を落とした。


「「はい。ヤエ姉の仰る通りです……」」



 ヤエに手を引かれて悪戯をした四人の自宅に足を運び、こってり絞られたイズとシンクはいつもの調子で謝った後、ようやく謝罪行脚から解放された。こうして三人揃ってマザーケトが営む孤児院へと帰路に就く。


 逃げ回っていたときは昼過ぎだったが、帰路に就く頃には既に日が暮れかかっていて、どれだけの時間説教されたのか窺うことができる。


 そんなイズとシンクは食べ盛り真っ最中だ。オッド婆さんに貰ったサンドイッチだけでは腹は満たされず、謝罪中も腹の虫が協奏曲を奏でていた。


 孤児院への帰路で腹の虫が鳴るといつもならヤエがクスっと笑い、マザーケトが作る夕飯のメニュー当てクイズが開催される頃なのだが、どうやら本日は中止のようだ。


「それにしてもあんなに説教しなくてもいいよな? いつものことなんだから大目に見てくれたっていいのに。イズ、そう思わないか?」


「そうだな。それにしても腹減ったよな? 昼もろくに食べてないから力が入らない。今日の夕飯何かな……」


 夕飯の話題を口にしてみたが、やはり夕飯当てクイズは開催されない。けれど空腹なのはヤエも同じのようで、小さな腹の音を鳴らした。


「何言ってるの。あんなに悪戯して説教されるに決まってるでしょ。それにあんたたちのために私までお昼食べてないんだから。今日の事はマザーケトに御報告するわ。明日の船出を延期してもらわないと」


 育ての親であるマザーケトに頭が上がらない二人にとって告げ口は非常に困る。それに明日は待ちに待った船出の日。絶対に延期されたくない。


「それは勘弁してくれよ、ヤエ姉。俺たちの悪戯も見収めなんだし大目に見てくれよ」


 心情に迫る作戦に出たイズ。


「それに来年エルマーさんと結婚する予定なんだろ? 怒った顔より笑顔のヤエ姉のほうがエルマーさんも喜ぶって。笑顔だよ笑顔、ヤエ姉」


 続けてシンクの話題変え作戦。


「怒った顔にさせてるのはイズとシンクだからね」


 けれど作戦虚しくヤエは表情を曇らせたままだ。


 エルマーとは先月ヤエに婚約を申し込んだ青年である。婚約の話題を持ち出すとヤエは決まって煩わしそうな顔で話をはぐらかすのだが、今回はいつもと違い、エルマーの話題を自分から語り始めた。


「エルマーさんはいい人だけど、優しすぎるっていうか、頼りないっていうか。なんか面白くないのよね」


 初めて広がりを見せるエルマーの話題。けれど思っていた反応と違ったようでシンクは首を傾げる。


「えーなんでだよ。エルマーさんからかうと面白いぜ」


 空腹が限界に近いイズはトボトボと力ない歩き方に変わっていく。


「シンクの言うとおりだぜ。それにエルマーさん家は養豚所経営してるんだ。毎日豚肉食い放題でいいじゃんか。――ああ、考えたら腹減った……」


「私は豚肉より鶏肉のほうが好きなの。あんたたちも知ってるでしょ? それにエルマーさんと会話しても途中で詰まるし。あんたたちとは途切れることなくずっと喋ってられるのに」


「エルマーさんは寡黙な人だから仕方ないね。それにヤエ姉みたいなおてんば娘を貰ってくれる変人は他にいないんだからチャンスだって思わなきゃ」


 イズは再びヤエのげんこつを喰らう。それを見たシンクは腹を抱えて笑っている。


「イズの話はさておき、歳が離れてるから会話が噛み合わないだけなんじゃない? エルマーさんは二十九歳でヤエ姉は十七歳だろ。十歳以上も離れてるとそういうのあるんだって」


 シンクのもっともらしい指摘に感嘆の声を漏らすヤエ。けれどそうではないと言わんばかりにしかめっ面を見せた。


「そうかしら。私もっと歳の離れた人と喋るけど会話は続くわよ? いきなりプロポーズされて流れで承諾しちゃったけど、やっぱり私には合わない人なのかも……」


 イズは頭をさすりながら笑う。


「変なヤエ姉。じゃあヤエ姉はどんな人タイプなの?」


「一緒にいて楽しい人よ。楽しければどんなに辛いことが起きても乗り越えられるでしょ?」


「エルマーさんがダメだと、この島若い人少ないからおじさんと結婚することになっちゃうかもな。そうだ! ハイネスおじさんなんてどう?」


 イズはとっさに手で頭を覆うがげんこつは飛んでこない。目線を向けるとヤエは気落ちした様子を見せている。今日のヤエは一日中様子がおかしい。確かに二人が悪戯をするたびに怒ったりしかめっ面をすることはよくあるが、それ以上に笑顔や笑い声も多い女性だ。


「あんたたちだって七年待てば十五歳、成人の儀を終えるわ。そうすれば……私の結婚相手として立候補することができるわよ?」


 遠回しに伝えてきたヤエの気持ち。それが何を伝えたいのか理解できない。だからいつも通り接するため腹を抱えて大笑いをした。


「あっはっはっは! ヤエ姉と結婚って……めちゃめちゃ笑えるじゃん。なあシンク?」


「あっはっはっは! 最高に傑作だぜ。結婚生活とか波乱過ぎてまったく予想できないな」


「あ、あんたらー!」


「うわ! ヤエ姉が怒った! 逃げるぞ、シンク!」


「よっしゃー! 行くぜ、イズ!」


 ヤエに追いかけられて逃げるイズとシンク。そうやって孤児院へと帰る道中は三人にとっての日常だ。


 そのときのヤエの笑顔は夕日に染まりながら美しく輝いていた。

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