第15話 お化け屋敷
真っ暗闇の中で滝のような雨が降る外。やけに鮮明に見える赤髪の女性の後ろ姿。
気になって近づき、声をかけると独り言をつぶやいている。とても気になったため、赤髪の女性の肩を叩く。ゆっくりと振り向くその女性の顔は――。
「――ギャー! 出たー!? ――ん? 何だ夢か……」
イズは毛布を弾き飛ばして目を覚ました。額から流れる汗を拭いてから目をこすり、辺りの暗さを見てまだ朝ではないということ、尿意があることを確認した。
普段なら夜中に目を覚ますことなく朝までぐっすりなのだが、今晩はルシアの怪談話を聞いたせいか夢見が悪く、こんな時間に目覚めてしまった。しかも最悪なことにこんな恐ろしい夜に再びトイレに行かなくてはならない。
尿意は我慢して寝てしまえるようなものではなかったため、トイレに行くため寝ているルシアを揺すって起こそうとするが、穏やかな寝息を立てるばかり。
イズはふと考えて荷物から化粧品を拝借し、ルシアの顔をおばけ風にメイクした。完成したルシアの顔を見て思わず吹き出しそうになる。
「起きたらきっとびっくりするだろうな。このまま朝まで寝かせてやろーっと」
朝、ルシアが起きたときのリアクションを想像しながら満足げに外のトイレに向かうイズは既に恐怖を忘れてしまっている。
踏みしめるとギシっと音がなる古びた木の廊下を通り、天井の組まれた薄黒い柱を眺めながらイズは独り言ちる。
「えっと、魔力炉という目には見えない臓器が肉体エネルギーを燃焼させると魔力エネルギーが作られて、見えないはずの魔力エネルギーが魔術集積回路を通ると魔力エネルギーが見えるようになる。この魔力エネルギーをオーラという――ってことで良かったよな?」
勉強は苦手で何度も投げ出しそうになるイズだが、シンクやルシアがいないところではこうやって一人学んだことを復習している。
学びたいという意欲は十分にあるのだが、如何せん頭に入ってこない。そんなイズは二人にこそ焦りを見せていない。しかし知識の習得が異常なまでに早いシンクとの開きを感じて、最近は少し焦りを感じている。
けれどそんなことは口が裂けても相談できない。だからイズは一人コソコソと復習を続けている。少しでもその距離を取り戻せるように。
そうして個室のトイレまで辿り着いたイズは用を足した。そして寝床に戻ろうとすると、降りしきる雨の中にぼんやりと青白い光が見えた。
イズはその青白い光をじっと見つめていると次第にその光が近づいてくる。
なんだろうな、と思っているとその光がイズのすぐ目の前まで近づき、突然、人の顔が浮かび上がったのだ。
「ギャー! やっぱり出たー!」
イズは必死に逃げる。逃げながら後ろを振り向くとなんとその青白い光が追ってきている。目に涙を浮かべながら寝床に戻り、シンクを叩き起こした。
目をこすって機嫌の悪そうなシンクは口を開く。
「なんだよ……こんな夜中に」
「で、で、でた……」
「はあ、何が出たんだ? おしっこか?」
「バカ違げえよ。お、お、お、おばけだ……おばけが出たんだ!」
「おばけ? どうせ寝ぼけてたんだろ」
「んな訳あるか! 俺は見たんだ。青白い光がボーっと近づいてきたと思ったら突然人の顔が浮かんできて、しかもその光、俺を追いかけてきやがった。とにかくお前も来てくれ」
イズはシンクの手を引っ張って外に出る。シンクは念のため腰に刀を差し、いつでも戦える体制をとっている。
しかし寺院の周りを一周したが結局おばけは見当たらず、寺院正面扉の階段まで戻って来てしまった。
「本当だって! 本当に見たんだって! 嘘じゃねえんだって!」
「わ、わかったから少し落ち着けイズ! こういうのは怖い怖いって思うから見え――ん?」
シンクの会話が急に止まり、顔が青ざめていく。
「だから俺がトイレから出てきてふと雨の音がポツン、ポツンと――」
「――イ、イズ!? あ、あ……」
「はあ? あ、ってなんだよ」
「あ、あ、あれ見ろあれ!」
「なんだよあれって」
「う、後ろ!」
後ろを振り向いたイズの瞳には青白く光りながら宙に浮く、顔の無い女が映る。どうしていいかわからず、とりあえず挨拶することにした。
「こ、こんばんわ……。お元気ですか……?」
その瞬間、女がもの凄い速さで二人に近づいてきた。
「「ギャー! 出たー! おばけ超出たー!」」
二人は雨の中でも構わず飛び出して寺院の庭を駆け回る。女はもの凄い速さで二人を追いかけてくるため、一瞬だって気が抜けず、ただひたすらに逃げ回る。
「な、なあイズ。ルシアを起こそう。ルシアならおばけの退治の仕方とか知ってるかもしれねえ」
「ダ、ダメだ!」
「はあ!? なんでだよ! このままじゃ俺たちおばけに呪い殺されるぜ!?」
「ダメだ! ルシアの顔におばけメイクしたんだ。朝起きて驚くルシアの顔が見たい!」
「イズ。――ちっ! なら仕方ねえ!」
恐怖を上回る悪戯心。とは言えルシアが起きる朝までこうしておばけとの追いかけっこは続けられない。
覚悟を決めた二人はおばけに立ち向かうことにした。まず、イズが囮になっておばけをおびき寄せ、その隙に背後から忍び寄ったシンクがおばけを叩き斬るという作戦だ。
イズは立ち止まり、大声をあげて注意を引く。
「やーいブス女! ここまでおいでー!」
作戦通り女はイズ目がけて突進してくる。追いかけられるイズは直線に走りながらシンクが斬りやすい状況を作り出す。シンクは茂みに隠れ、イズとおばけが目の前を通過した瞬間、走り出しておばけの背後に回り、抜刀した。
刀は確実におばけに当たったが、刃は空を切るように通過してしまった。シンクは連続で二撃、三撃と刀を振る。しかしいずれもおばけを斬ることはできない。
おばけは自分が斬られていることを知り、逆上したのか追いかける対象をシンクに変える。その瞬間を見逃さず、イズはおばけの背後から拳や蹴りを入れるがやはり空を切る。
結局、逃げに転ずる二人。涙を浮かべるイズは諦めてシンクに提案する。
「これは……あれだ。ダメだ。ルシアを起こそう。もうどうしようもない。だっておばけ怖いもの」
シンクは何度も頷く。
「絶対にそのほうがいい。よし。早速戻るぞ」
急いで寺院正面扉に向かう。二人で走って走って、もう少しで辿り着くところでイズは盛大に転んだ。
「痛っ!」
「おいイズ!」
それに気づいたシンクは立ち止まり、泥まみれで倒れるイズに手を差し伸べてきたが、その目線がおばけに向いた。
「すまんイズ。俺はお前の屍を超えて行く」
そう謝罪するシンクは非情にも一人で走り出そうとする。そのひとでなしのシンクのズボンを引っ張り、盛大に転ばせてやった。
「はっはっは! このバカめ! お前だけ生きようったってそうはいくか! シンクも道連れじゃー!」
「やめろー! 離せーイズ! 俺のことはいいからお前はここで死ねー!」
「いいや! お前も死ねー!」
そんな言い合いをしていると眼前のおばけが大きく腕を広げた。もう呪い殺される寸前。イズはシンクと一緒に涙目で抱き合った。
「「ギャー! 許してー!」」
◆
草木がわずかに揺れ、ぽつぽつと小雨になっていく夜陰から音もなく現れた影。その影は小さく寝息を立てるルシアの枕元に立った。
一見すると寝込みを襲う光景にも捉えられる。しかし枕元に立った影は片膝をついて小さく頭を下げた。
「ルシア様。お休みのところ失礼いたします。アレン・ローズ様から緊急招集です」
寝息を止め、代わりに溜息をついたルシアは瞼を開くと、上体を起こして毛布を跳ね除けた。周囲にイズとシンクがいないことを確認した後、声をかけてきたその者に目線を向ける。
「お休みのところ本当に失礼しちゃうわね。――で、何の命令かしら?」
雨が止み、雲の隙間から月明りが差し込むと影の者を照らし出す。その者は太陽のような絵の中に『A』という文字がねじれて中心線の入った紋様が描かれた白地の仮面を被っている。
この紋様はアクソロティ協会のロゴマーク。つまりアクソロティ協会員なのだが、その中でも白仮面を着けるのはアクソロティ協会長アレン・ローズ直属の戦闘部隊『ゼロ』だ。
ゼロは密命の遂行や暗殺を専門とする部隊。このためゼロの接触は大概ろくでもない話なのだが、アレン・ローズからの緊急招集と聞けばそれ以上に面倒な話であることは説明を聞くまでもない。
「内容は今から二十分後にムーンレミイで開催される緊急魔道会議に大魔導士以上は必ず参加せよ、とのことです」
「ムーンレミイって中央のシャンディア大陸じゃない。しかも二十分後って。なんでそんなに急なのよ」
「申し訳ありません。ルシア様が街を転々とするものですから姿を見失い……伝達が滞ったためです」
魔術師には十二の階級がある。
アクソロティを媒体に単一の魔術だけを扱う者を能力者と下位に位置づけ、そこから下級魔術師、中級魔術師、上級魔術師、大魔術師、特級大魔術師の六つから構成される魔術師階級。
魔術師階級の上に位置するのが魔導士階級。下位から下級魔導士、中級魔導士、上級魔導士、大魔導士、特級大魔導士、聖天大魔導士の六つから構成される。
魔術社会は上下関係が厳しいものの、ゼロはこの階級に属さない役職を当てられている。しかし大魔導士以上ともなるとだいぶ気を遣ってくる。特に十二階級の頂点に立つ聖天大魔導士ならばその気の遣い方は顕著になる。相手が悪くても自分が悪いとへりくだるくらいには。
このため嫌味を言ったように聞こえるゼロの発言は本来珍しいことだ。それを指摘したりするルシアではないが、言われたままでは面白くないので愛想よく笑いつつ、意地悪な返しをすることにした。
「まあ頑張ってるようだから今回は多めに見ましょう。でも中央大陸にはどう急いでも三日はかかるわ。残念だけど出席は無理ね。ごめんなさい。上司にそう報告して」
「魔術でローカルエリアネットワークに接続し、思念体を飛ばせば今この場で会議に出席可能です。お願いします」
至って真面目な返し。冗談が通じない相手にこれ以上の意地悪は無意味だと悟ったルシアは渋々承諾した。
「わかった。わかりましたよ。会議に出席するから準備をお願い」
そう返答したルシアの表情をゼロは無言で見つめてくる。
「まだ何か?」
「その顔……いえ。やはりなんでもありません」
そう呟くとゼロは会議の準備を始めた。