第12話 それぞれの戦い
遠くから「捕まえたぞー」という声が聴こえ、村の外れにある山林近くを探索していたイズ、シンク、エリウェルは互いに顔を見合わせる。
予想が外れたイズは腕を組んで唸り声を上げた。
「おかしいなー。絶対ここら辺に逃げ込んだと思ったんだけどなー。明らか不審者」
「明らか不審者ってなんだよ。この街は酔っ払い多いから不審な行動する連中も多いだろ? それと見間違えたんじゃねーの? ――ってかイズ。なんだその右手に持ってる変な鼻髭眼鏡帽子は」
イズは帽子、眼鏡、鼻髭が一体となった鼻髭眼鏡帽子をシンクに見せつける。
「屋台で売ってた。絶対に似合うと思って買ったんだよねー。――どうだ? 俺、似合うだろ?」
イズは笑顔で鼻髭眼鏡帽子を装着した。シンクは苦笑いし、エリウェルは口に手を当てて笑っている。
「お小遣いで買ったのバレたらルシアに小言言われるぜ?」
「へーきへーき! ルシア結構ちょろいし」
「ま、それもそうか」
二人で笑い声を上げていると、エリウェルがイズの背後に回って背中にしがみついてきた。まるで何かから身を隠すかのように。
何事かとイズは後ろを振り向こうとしたそのとき。シンクが大声を上げて前方を指差した。
「な、なんじゃありゃー⁉ 明らか不審者だー!」
シンクが指差す先には緑色の長髪をなびかせ、紫色の燕尾服を着た長身の人物がいた。その人物はシャツのボタンを外して必要以上に胸をはだけさせ、イズと同じ鼻髭眼鏡帽子を装着していた。しかも鼻息で髭が伸びる仕様のものだ。
「あっ⁉ あいつだー! 俺が探してた明らか不審者! あんなダサい鼻髭眼鏡帽子買うとかマジでセンスを疑うレベルだぜ! だから一度どんな気持ちで買ったのか感想聞きたかったんだ!」
「お前が探してたの泥棒じゃねーのかよ! しかもその鼻髭眼鏡帽子とどう違うんだよ⁉ 悪いがどっちもダサすぎだぜ!」
「髭が伸びるほうがダサいだろ! ふざけんな!」
「いやお前がふざけんな!」
「喧嘩しているところごめんね、坊やたち。ここら辺で白髪の美しい女を見なかった?」
目を向けるといつの間にか不審人物が目の前で腕を組んでいた。白髪の美しい女という問いかけですぐにレテルのことを思い浮かべたが、喧嘩中の二人はそれどころではない。
「「知らん! 他を当たってくれ! 俺たちは今忙しいんだ!」」
「あらそう? なら仕方ない――って見逃したいところなんだけど私、鼻が利いてね。坊やたちからあの女の匂いがするのよ。忌々しい冥府の聖天大魔導士レテル・ミラージェの匂いが」
イズはシンクと顔を見合わせる。この人物の言葉には棘があり、穏やかな関係じゃないことはすぐに理解した。イズの背中で顔を隠しながら震えるエリウェルと関係があることも。
鼻髭眼鏡帽子を脱いだイズは男性か女性かわからない人物に笑みを浮かべた。
「こんにちは。えーと、お兄さん? お姉さん?」
「お兄さんで結構よ、坊や」
お兄さんと答えた人物も鼻髭眼鏡帽子を脱ぎ、素顔を晒す。イズは張り付いた笑顔の裏側に言い知れぬ違和感を覚え、警戒すべき相手だと悟った。
「俺の名前はイズ。よろしくな、お兄さん」
「はいよろしく。――それでさっきの答えを教えてくれない? イズくん」
「名乗ったらお兄さんも名乗り返す。世間の常識だろ? 俺はそう習ったぜ?」
答えを急いできたがイズは相手のペースには乗らない。会話を続けて自分のペースに引き込むのがイズの特技だ。
男は考え込むように押し黙ったがすぐに名前を口にした。
「常識の無い、美しくない答えだったわ。――私の名前はバランドーア。改めてよろしく、イズくん」
「ああ! 改めてよろしくな、バランドーア! ――バランドーアって男なのに綺麗なんだな。美容に気を使ってるのか?」
バランドーアは口に手を当てて上品に笑う。
「あら! 嬉しい! イズくんはとても見る目があるわ!」
けれど、と言ってバランドーアは目力を強める。
「男なのに、は余計よ。固定観念で相手を判断し、言葉に乗せる人間はとても美しくない。私が崇拝して仕えるオルティアナ様は世界の美しさをかき集めたような御方。オルティアナ様は美しいものなら一切の固定観念を持たず、手元に置く女性なの。だから私にお声がけがあった。美しい私を側に置きたいがため。私はオルティアナ様を女王にして差し上げたい。よって私とオルティアナ様は運命共同体。私の美を穢す者は愛するオルティアナ様を穢すのと同じこと。だからそんな者たちは私が――」
「――そうだったんだな! ごめんなさい! バランドーア!」
イズは深々と頭を下げた。そして顔を上げると会話を続ける。
「バランドーアの大切な人を穢すつもりはなかったんだ。俺だって大切な人の悪口言われたらムカつくもん。今度から気をつける。だからごめんなさい。仲直りしてください」
イズは再度頭を下げるとバランドーアは押し黙った。それからイズの肩に優しく触れてきた。
「とても美しいわ。己の穢れを認めて謝罪する人間。いい、とてもいい。とても素敵よ、イズくん」
再度顔を上げたイズは満面の笑みを浮かべる。するとイズに肩を軽くぶつけながらシンクが前に出てきた。
それが何を意味するか。言葉を交わさなくても瞬時に理解した。六年間毎日一緒に悪戯してきた仲だ。お互いの半身と言えるほど濃厚な日々を過ごしてきた仲だ。
どんな時でも二人は一緒。楽しいことは二人締め。悲しいことは二人別け。困ったときは二人で解決。小さい頃からずっとそうしてきた。
自分の得意分野は自分で受け持ち、相手の苦手分野は言われずともフォローする。これが二人のやり方だ。
「バランドーア! 俺の名前はシンクです! 俺も美しいに興味あるので是非ご教示ください! 本気です! よろしくお願いします!」
純粋な子供を演じるシンクのお願いにバランドーアの瞳が輝く。そして足を交差し、後ろに重心を置き、斜に構える奇妙なポーズでシンクに指を差してきた。
「ビューティフォー! その向上心! いいわよ!」
笑顔を取り繕うシンクに気を良くしたバランドーアは熱弁を繰り広げており、意識がこちらに向いていない隙に、イズは後ろを振り返ってエリウェルを見た。
恐怖に震えながら血の気が引いて真っ青な顔をしている。イズはエリウェルの冷たい手を握って暖めながら、笑顔を向けた。
「怖いよな、エリウェル。でも大丈夫だぞ。俺やシンクがついてる。絶対無事にレテルの元まで連れ帰るから。安心して俺たちを頼れ」
エリウェルの虚ろな瞳がイズに向いた。
「イズたちは……この男を知ってるの?」
「ディアタナのマレージョだろ? 多分、王家に使える八貴族って奴の一人かな?」
「うん。知ってたんだ……」
「まあね。俺たちも一度ヴェルフェゴールって奴に殺されかけたから。それにマレージョはセカンドチルドレンを狙ってるらしいからな。エリウェルもきっと命狙われたんだろーなってすぐわかったぜ」
「知っているのなら……イズは怖くないの? マレージョは凄く強いんだよ? 私たちなんてすぐに殺されちゃうんだよ? 殺されたらもう大切な人たちと会えなくなるんだよ? それなのに……イズは本当に怖くないの?」
イズが暖める手を震えながら握り返してくるエリウェル。瞳は恐怖で染まっている。そんな恐怖で凍りついているエリウェルの心を暖められるように、イズは精一杯の優しい笑みを向けた。
「どんな困難に直面しても勇敢に立ち向かい、悪者と戦うすげーかっこいい奴ら。それが勇者だってさっき話したろ? 俺たちが勇者を目指してるってことも。――だから怖いとか怖くないとか関係ない。俺たちは立ち向かうんだ。悪者と」
恐怖に染まるエリウェルの瞳が少し和らいだ気がした。先ほどまで強く握り返してきた手も今は震えてない。
「それにか弱い絶世の乙女は優しく接しなきゃ駄目ってルシアに言われたばかりだし。――あと、エリウェル可愛いから悪い奴らに素顔見られて捕まらないようにこれやるよ」
「わ、わたしがかわいい……!?」
イズは素っ頓狂な声を上げるエリウェルの頭に鼻髭眼鏡帽子を被せる。
「これなら誰が見てもエリウェルだってわからないな」
「わたしが……かわいい……」
頬を桜色に染めて恥ずかしそうに深々と帽子を被るエリウェル。イズは満足しながら腕を組むと後ろからシンクの小声が聴こえ、振り向いた。
「おいイズ。聞いてなかっただろうから教えてやるけど。バランドーアは鼻髭眼鏡帽子で溢れる美を隠して醜い姿に変装してたらしーぜ。そんなバランドーアでもイズの持ってた髭が伸びない鼻髭眼鏡帽子は機能美に欠けて、ダサくて被れなかったってよ」
「ふざけんな! どう考えたって髭が伸びたらダサいだろ! ――なあ!? エリウェル!?」
イズは声を荒げてエリウェルに目線を向ける。その瞬間、悪意を具現化したような醜悪なプレッシャーが三人を覆った。
「何故か突然、私の魔力探知から消えて探し回っていたのだけれど……その子がエリウェルちゃんなのね。創造の聖天大魔導士エリス・ブラックベルの娘。――愛しい愛しいセカンドチルドレンちゃん!」
イズは辺りを見渡す。周囲には黒紫色の泥が三人を取り囲んでおり、生物が脈動するようにウネウネと蠢いている。
「ごめんシンク! 間違ってエリウェルの名前呼んじゃった!」
「いや、俺も今する話じゃなかった。悪かったな、イズ」
ジリジリと迫ってくる泥に目を配りながらシンクは腰の刀に手を置き、イズはエリウェルを背にしながらシンクの方に近づいた。
三人を取り囲む生き物のような泥。生まれて初めて見る現象だが、間違いなく触れては危険なモノだと警戒しながら距離を置く。
「ふ、二人とも! 瘴気には触れないで! 触れたら死んじゃう!」
再び恐怖で震え始めたエリウェル。触れるなと言われても瘴気と呼ばれた泥は津波のようにうねりながら迫って来ており、もう逃げ場がない。
「それなら叩き斬ってやるぜ!」
シンクは姿勢を下げ、腰に差した剣を抜刀した。しかし渾身の一刀は空を切ったようにすり抜け、瘴気に触れた刀身は綺麗に無くなっている。
さらに欠けた刀身から瘴気が剣を侵食し始めている。そのことに気づいたイズは声を荒げる。
「シンク! 剣捨てろ!」
シンクは瘴気が持ち手まで侵食していることに気づき、急いで投げ捨てる。宙を舞いながらも剣を蝕む瘴気は黒紫色の波にのまれるより前に消失してしまった。
「あっぶねー! ――サンキュー、イズ! 危うく右腕無くすところだった!」
「よかったな、シンク! 俺が指摘しなかったら今日から左利きになってたぜ!」
「そういう問題じゃねーっつうの!」
こんな状況でもユーモアは絶やさない。けれど状況は刻々と悪化の一途を辿る。すぐに真面目な顔に戻したイズは周囲を見渡すも活路は見いだせない。
「おいシンク。何かいい作戦ないか? こういうときはシンクが作戦立てる係だろ?」
イズの問いかけに唸り声を上げるシンク。その目線がエリウェルへと向く。
「作戦じゃねーけど。あの瘴気ってドロドロはきっと魔術で作ったものだ。だから魔術で対抗できると思うんだが……」
言いずらそうな顔をするシンクだが意を決したように口を開く。
「レテルに口止めされてるんだろうけど今は一刻を争う。なあ、エリウェル。魔術使えるんだろ? エリウェルには酷なことお願いするが……魔術で何とか隙を作れねーか? 俺とイズじゃあこの状況を打破できる方法はない」
未だ怯えて体が震えるエリウェルは鼻髭眼鏡帽子を脱ぐと瞳いっぱいに溜まっていた涙が溢れ出した。
「無理だよ……。戦えない。私、怖いの……」
「それはわかってる。こんな状況で怖いと思わないほうが無理だ。けど戦えって言ってるわけじゃない。形勢逆転のチャンスを掴むために魔術で俺たちの活路を見出して欲しいんだ」
シンクは説得を試みる。けれどエリウェルは大粒の涙を流しながら首を何度も横に振る。
「そうじゃない。魔術が怖いの。私、魔術を行使したとき、悪魔に右目を奪われたの。それからずっと……魔術が怖くて……」
生きていれば恐怖は誰しも等しく経験する。恐怖を経験して克服するたびに心が強くなっていく。けれどエリウェルは取り返しのつかない辛い経験をしているようだ。
その恐怖の感情を汲み取ったらしいシンクは押し黙ってしまうが、イズはエリウェルの手を握ると笑顔を向けた。
「エリウェル。将来の夢はあるか? なりたいもの、やりたいことは?」
思っていた言葉ではなかったのだろう。叱責されるとでも思っていたようなエリウェルの顔。そして瞳から涙が止まった。
「わ、わたしは……お医者さんになりたい」
「そっか。エリウェルはどうしてお医者さんになりたいんだ?」
目前に迫る瘴気を気にする素振りを見せたシンクだが、何も言わずイズとエリウェルにギリギリまで近づいてきた。もう身動きも取れないほど逃げ場はない。しかしイズは辛抱強くエリウェルの言葉を待った。
「は、半年間だけ一緒に旅した……お母さんが言ってたの。お母さんは……お医者さんなんだって。だから私……お母さんみたいなお医者さんになるって言ったら凄く喜んでくれて。だから……必死に勉強してお医者さんになろうと。天国にいるお母さんとの……約束なの」
イズは感嘆の声を上げる。
「おぉ! 医者の卵ってやつだな! エリウェル凄いな! 夢のために勉強頑張ってるのか! 感心するぜ! ――なあ、シンク? お前も少しはエリウェルを見習って勇者になる勉強しろよ!」
シンクは声を上げてゲラゲラと笑う。
「俺は勉強してるっつーの! 勉強して偉くなって世界を統べる勇者になるんだよ! ――そういうイズこそ勉強しろよな!」
「俺は世界を救う勇者になるんだ! だから強ければいいの! ――ってか世界を統べるって魔王側じゃね?」
「ま、魔王というか……王様? ううん。皇帝? でも世界の全ての人を統べるから……総帝かな?」
会話に混ざってきたエリウェルに目線を向けたイズとシンク。互いに顔を見わせた後、声を上げて笑った。その笑い声につられてエリウェルも笑顔になる。
「総帝か! いいじゃねーか! ならこれから俺は勇者で総帝を目指さなきゃだな!」
「よかったな! シンク! エリウェルのおかげで勉強が無駄にならないで済みそうだぜ!」
「勉強は無駄になんねーっつうの!」
笑い声を上げる三人。ひとしきり笑った後、イズはエリウェルに目線を向ける。
「よし! エリウェル! そんじゃあこんなところさっさと逃げ出して夢に向かおう! 俺たちも手伝うから……三人ならいけるか?」
エリウェルは大きく深呼吸をする。そして清々しい表情を浮かべながら声を上げた。
「うん! イズ! シンク! 私も戦う! 夢のために!」
決意の言葉とともにエリウェルの体から暖かく力強いエネルギーが湧き上がり、透明な蒸気が激しく湧き上がった。続けて透明な蒸気は一瞬にして緑色に変化し、炎のように燃え上がる。
「イズ、シンク。オーラの中から出ないでね」
「オーラ? この緑の蒸気のことか?」
シンクが尋ねるとエリウェルは頷いた。
「魔力エネルギーを可視化したものをオーラって言うの」
言葉の終わりにエリウェルの背中の右側から細長く白い羽が生えた。まるで片翼の天使のようだ。
「エリウェル! なんか背中に羽生えたけど⁉ しかも片っぽだけ!」
イズの反応が面白かったのかエリウェルは口に手を当てて笑う。
「待ってて、二人とも。今すぐ瘴気を消すから」
エリウェルは祈るように素早く両手を合わせた。パチンという乾いた音が周囲に響き渡るとエリウェルを中心に緑色のオーラが波状に広がっていく。次の瞬間、二人の視界に奇妙な光景が広がった。
黒紫一色だった景色は玉のような水滴に変わり、波状に広がる風は大地の息吹を思わせる。
続いて土、草木、水滴が生き物のように脈動すると弾丸のように、あるいは鋭い槍のように変化し、バランドーアへと高速で射出された。それらはバランドーアを穿ち、肉体を粉々に粉砕してしまった。
これで勝敗は決した。そんなことを考える隙を与えないバランドーアの歓喜の笑い声が周囲に響き渡った。
「構成する物質を即時に理解し、分解・再構成する! これは創造の聖天大魔導士エリス・ブラックベルの魔術! そしてその背中の翼はエリスの得意とした創造大魔術! ――思い出すわ! 十年前の大戦争! エリスは飄々として感情を表に出さないつまらない女だった。けれどメルトリア魔術師の誰よりも美しい魔術を行使した。そして不死に近い私に、甘美なる死を与えることのできる唯一の女だった!」
粉砕した肉体の粒子がまるで時を巻き戻したかのように集まってバランドーアを形作っていく。
ものの数秒で肉体を再生させたバランドーアの背中には悪魔のような黒い羽が生えており、自己を主張するように大きく翼を広げた。
傷が痛むのかエリウェルは右目を手で覆いながら何度も浅い呼吸を繰り返す。その手を取って優しく握りしめたイズは苦しそうなエリウェルに笑顔を向けた。
「魔術を使うのに何かを差し出すなら俺も手伝うぜ。ってかエリウェルは右目を失ったんだから今回は俺たちで分け合うぜ。俺は小指、シンクは腰から下全部な」
シンクは空いているエリウェルの左手を握るとイズに目を向けてきた。
「今回は俺たちが飯おごるぜ的なノリで差し出すな! それに俺の代償だけおかしいだろ! 分け合うって言ってるのに俺は下半身全部差し出してるじゃねーか!」
両手を握られるエリウェルは嬉しそうに声を上げて笑った。イズとシンクも笑顔のエリウェルを見て笑う。
どんな困難にも逃げずに立ち向かう。ユーモアと笑顔を忘れない。これがイズとシンクの目指す勇者への道だ。
それを感じ取ったのか、エリウェルは誇らしげな顔でバランドーアに目を向ける。瞳にはもう一切の恐怖はない。瞳にあるのは夢へと続く希望の光だけだ。
そんな万感の想いを込めたエリウェルの顔を見ながらイズは声を上げる。
「よっしゃー! それじゃあ……三人で行くぜ!」
イズの掛け声とともにエリウェルはオーラの放出を強め、肉体からマグマのように沸々と力強い魔力エネルギーが湧き上がる。
「原初の創造」
エリウェルがそう唱えると緑のオーラが激しく燃え上がる。次第にオーラが人の形を作り、色を帯びて神々しい光を放ち始めた頃、バランドーアが指を鳴らした。
再び現れた瘴気が四足歩行の動物へと形を変えていき、それが犬のような姿に見えたが、大きな口が四つに裂けた。
口の中に広がる無数の歯。その奥に見える赤黒い光が収束して今にも放出しそうだ。
「ナイトメイル。私を美しく吠え称えなさい!」
バランドーアは指揮者さながらに両腕を広げ、指を振るとナイトメイルは一斉に遠吠えをした。
「エリスの娘。あなたの力を見定めてあげる! さあ、私に美しき英知の輝きを示しなさい!」
言葉の終わり。ナイトメイルの口内から圧縮されたエネルギーが一斉に放出された。光線となったエネルギー帯は真っ直ぐイズたちの元へと飛んでくる。
絶体絶命の状況下。三人を死に追いやる赤黒い光線はエリウェルが創り上げた存在によって侵攻を阻害される。
「「うわー! すげー!」」
歓喜の声を上げるイズとシンクは巨大な白い翼に包み込まれている。その両翼が開き、力強く羽ばたいた。
すると翼は先ほど受けた赤黒い光線を弾き返すように眩い光線をナイトメイルへと放つ。光線を受けたナイトメイルは体を貫かれ、あるいは切断されて黒い霧となり消えていく。
「私はガブリエル。創造の天使ガブリエル。――私を呼び出した者よ。約定に従い、真の名を明かしなさい」
頭上からゆっくりと舞い降りてくる神々しい女性は綺麗な羽衣で目元を隠し、純白のドレスを身に纏っている。女性の背中に生える大きな翼は羽ばたくたび、自身のブロンドの長髪をなびかせ、イズたちに心地よい息吹を贈る。
「私は……エリウェル。エリウェル・ブラックベル……です」
緊張した面持ちでエリウェルは答えた。すると地面に足が着くギリギリまで降りてきたガブリエルは口角を緩ませ、隠れた瞳でエリウェルの顔を愛おしそうに見つめる。
「そう。エリスは娘と会えたのね」
ガブリエルは雪のような指でエリウェルの頬を撫でながら、紫色の義眼へと向かう。
「なんて酷いことを。最初に呼び出したのは私ではなく、よりによってサタナエルだったのね。――辛かったわね、エリウェル」
慈しむように見つめるガブリエル。悪い奴ではなさそうだが、それでもこれは魔術によって現れた女性。エリウェルのためにもイズは聞かなければならない。
「お姉さん! 魔術を使った代償が必要なら俺とシンクから取ってくれ! だからエリウェルからもう何も奪わないでくれ! お願いだから! ――ちなみに代償の割合は俺一、シンク九で頼む!」
イズの言葉にシンクも続く。
「ガブリエルだったな! イズの言うとおりエリウェルからは何も奪わないでくれ! エリウェルは天国のお母さんとの約束で医者を目指してるんだ! また目を奪われたら医者になれない! 夢を奪わないでくれ! ――その代償は十割イズが負担するから!」
「おい! シンク! なんで俺が十割負担するんだよ! おかしいだろ⁉」
「イズ! お前が始めた物語だぞ⁉ お前が折半しないなら俺も折半しない!」
言い争いを始めるとエリウェルは愉しそうに笑った。それを見ていたガブリエルも小さく微笑んだ。
「よかったわね、エリス。あなたの娘を大切に想ってくれる友達が二人もできたみたい。――でも、相手は男の子だからあなたは少し嫉妬するかしら?」
独り言のように語るガブリエルはゆっくり背中を向けた。
「使い魔は召喚した契約者から対価を求める。――でも心配しないで、エリウェル。貰うべき対価はもう既に充分いただいている。あなたが成長して立派な女性になるまで、充分過ぎるくらいにね」
そう告げるガブリエルは翼を大きく広げ、純白のオーラを放つ。眼前にいるバランドーアを迎え撃つために。
話が終わるまで待っていたらしいバランドーアは自身を抱き締めながら身震いしている。
「美しき親子愛ね。ゾクゾクしちゃう。けれど知っているかしら? 愛は儚く散るから美しいのよ」
「美に盲目な愛なき獣。果てなき荒野で朽ち果てなさい」
ガブリエルは祈るように手を重ねる。気がつくと周囲には視界を埋め尽くすほどのナイトメイルと大型のナイトメイルがこちらを威嚇していた。
「ナイトメイル! キングメイル! あなたたちは観客よ! 私とガブリエルの聖戦を大いに盛り上げなさい!」
地鳴りのような遠吠えが世界を支配する。女王気取りのバランドーアはオーディエンスに応えるように笑顔で両腕を広げると体から赤黒いオーラを放出した。
「最高に上がってきたわ! さあ、美しく染まりなさい! メーディア・ヴァーチャー!」
オーラはバランドーアを中心に大きな渦を巻き、次第に嵐のような猛々しさを作り出す。赤黒いオーラは山地を抉って土と樹木を上空に巻き上げ、瘴気に浸食されて存在を消失する。
赤黒い闇に包まれた悪夢のような世界。そんな世界で宝石のように眩い光の結晶に包まれるイズとシンクは安全地帯で嵐が過ぎ去るのを待つことしかできない。
そのうちぶつかり合う光と闇が激しい亀裂のような音を立て、突然視界が明るくなった。
空を見上げると本当に亀裂が出来ており、瓦解したガラスのような破片がパラパラと落ちてくるのを眺めていると一気に崩れ落ち、世界に茜色の夕焼けが眩く広がっていく。
「あら? 結界が壊れたわ。――けれど、もう時間切れみたいね。少しだけど楽しめたわ。機会があればもう一度戦いたいものね。今度は本気のあなたと」
バランドーアの目線には半透明になっているガブリエルの姿。魔術がどんなものかわからなくても推測できる。時間切れとは現世に滞在できる時間のことだろう。
ガブリエルは重ねていた手を解き、翼を折りたたんだ。
「もう終わりの時間とは少々残念ですが……バランドーア。あなたが再びエリウェルの前に立ちはだかるのなら、次は容赦しません」
「神の子供達計画のセカンドチルドレンは皆殺し。皇帝から命令が出てるのよ。泣いてばかりで自分で生きることもできないお嬢ちゃんが既にこれだけの力を有している。ディアタナにとって間違いなく脅威だわ。――そういった理由で残念だけどあなたたち二人は二度と会うことはない。エリウェルちゃんは……ここで死ぬのよ!」
バランドーアは指を鳴らしてナイトメイルとキングメイルに号令した。眼前の敵を抹殺しろと。
迫り来る驚異の中、ガブリエルは小さくほくそ笑む。
「ええ。本当に残念です。あなたの始末を誰かに頼むしかないなんて」
「負け惜しみかしら? それはそれで面白いけどあなたらしくない――」
「――術式対象者捕捉。亡霊の隠匿」
突如、爆発的に広がった紫炎の光は全ての物体を透過して駆け抜けるとイズ、シンク、エリウェルの体表にぼんやりと薄い紫色の膜を張った。それに合わせてガブリエルの姿は消え、バランドーアは目を見開く。
「あら⁉ これは冥府の――」
バランドーアの言葉に別の言葉が重なる。
「冥府の勅令」
世界に白黒入り混じった斑点状の光景が広がり、ノイズのように景色が歪む。その一瞬でイズ、シンク、エリウェル以外の生命が色を持たぬ灰と化し、風に吹かれて塵となった。
「レテル・ミラージェ! 相変わらず美しくない魔術。死をまき散らす冥府の魔女! エリスの娘に手を出した私が憎いかしら⁉」
粒子となったバランドーアの拡散した声が収束していく。肉体の再生を始めるようだ。
「愛弟子を虐められてキレそうだったけど。私以上にキレ散らかしてる人がいてね。おかげで私の心は至って平穏よ」
いつの間にかエリウェルの隣に寄り添うレテル。美しい真珠色の長髪は紫炎のオーラで揺れている。
「レテル様!」
エリウェルは飛ぶようにレテルへと抱き着いた。レテルは相変わらずおっとりとした優しい顔でエリウェルの頭を撫でる。
「もう大丈夫。後は怖いおばさんがやっつけてくれるから」
そう告げた後、聞き慣れた女性の声が聴こえた。
「術式対象者捕捉。神界の刻限」
言葉の終わり。世界が停止した。
風に吹かれる木の葉も、舞い上がる砂埃も、倒壊しようとする木々も、そして再生しようと肉体の構築を図るバランドーアも。
そんな停止した世界で眩い輝きを放ちながら悠々と歩いて来る女性はイズとシンクに寄り添ってきた。その体は黄金の炎が激しく燃え上がり、荘厳な女神の如き異彩を放っている。
「「ルシア!」」
怒りに溢れるルシアはバランドーアを睨みつけている。
「ルシア・フェルノールじゃない。あなたもいたのね。――ってことはもしかして私。ディアタナに帰還確定?」
世界が停止してもバランドーアは会話できるようだ。そんなバランドーアの肉体は再生しておらず、顔色こそ伺えないが声色は悲しげだ。
「あなたは仕留めきれない。けれど量子化した状態ならこの世界から弾き返すのも容易よ。――さっさと帰りなさい。あちらの世界に」
「あーあ。失敗しちゃった。成果なしで帰ったらオルティアナ様に失望されちゃう」
そう言いながらもバランドーアの声はどこか楽し気だ。その直後、黄金の光が粒子化したバランドーアを包み込み、一つの点に収束を始めると僅か数秒で全てが飲み込まれて何もかも消えてしまった。
事態が収束し、全てが終わったことを認識したイズはシンクと一緒に歓声を上げながらルシアの体を掴み、高ぶる感情のまま激しく揺さぶった。
「「すげー! 超すげー! なんだこれ⁉ これが魔術なのかー!」」
ルシアは困ったような笑みを浮かべ、イズたちの頭を優しく撫でてきた。
「あんたたちは相変わらず元気そうで安心したわ。――でも話は後。この騒ぎの首謀者だと思われる前に素知らぬ顔で街に戻りましょう」