第11話 いつものこと
ルシアとレテルは先ほどいた広場から少し離れた屋根のあるベンチテーブルに移動し、屋台で購入したお酒とおつまみを広げながら会話をしている。
随分と購入したため二人で消費できるか怪しい量ではあったが、他愛無い話をしながら呑み食いしているといつの間にかほとんど無くなってしまった。
「ルシア、二人との旅は楽しい?」
雪のような白肌を薄っすら桜色に染めるレテルは珍しく上機嫌だ。
普段から機嫌が悪いわけではないが、気の置けない友人だけのときしかあまり身の上話はしたがらない。誰に聞かれるかもしれない公共の場はあまり好きではないようだ。
どうやら今日はそうではないらしい。それを不思議に思いながらもルシアは指摘せず、聞かれたことに答える。せっかくの穏やかなひと時を無粋な好奇心で壊したくない。
「楽しいわよ。娘とラミア石を探すために始めた旅だったけど……今ではあの子たちの成長を見るのが楽しくて仕方ない。ずっと意識的に避けてたからかな……。苦労も多いけど、子供を育てるってこんなに楽しいものだなんて知らなかった」
「私だってそう。あの子を見てると本当に眩しくて愛おしい。少し前までこんな感情とは無縁だったんだけど……これが年を取ると言うことなのかしらね」
「いつまでも若者の気持ちでいたいけど、これじゃあの子らにおばさんって言われても仕方ないわ」
そう言って笑い合う。それはまさに親としての立場からの言葉だ。でもねえ、と言ってレテルが話を続ける。
「いつかはあの子たちとの別れが必ず来る。それは明日かもしれないし、五年後かもしれない。だからこそ……悔いが残らないよう目一杯あの子たちと楽しまなくちゃね。そのためには自分のことをよく知ってもらわなくちゃ」
「あら、それは説教かしら?」
「アドバイスよ。年長者からの」
「年長者って一歳上なだけでしょ」
ルシアは酒の缶を振って空であることを確認する。それを見たレテルは空の缶を受け取り、代わりに飲みかけの酒をルシアに手渡してきた。
「それと生きる術はしっかり教えておいたほうがいいわ。ルシアだから知識のほうはしっかり身につけさせてるんだろうけど、魔術のほうはまったくじゃない。才能はあるから教育したらきっと伸びるわ。生きる術を教えることは保護者として、親としての責任よ。甘やかして優しいだけの教育は教育じゃない。牙を研がせて獲物を狩る方法を教えなければいつまで経っても子どものまま。親がいなければ生きていけない、有事に何もできない大人になってしまうわ」
「何よ……やっぱり説教じゃない。わかってるわそんなこと。近いうちにちゃんと教えるつもり。でもまだその時期じゃないと思っただけ」
ルシアは渡された酒を飲みほして机に置いた。
「わかってるのなら結構」
会話がひと段落して、ルシアは周囲に気を配ると辺りが騒がしいことに気づいた。
住民や観光客が走り回りながら騒いでいる。その中にイズの姿があった。
「イズ、何かあったの?」
近づいてきたイズは気持ちが高ぶっているのか、その場で足踏みをしながら留まっている。
「おお! ルシアにレテル! 実は坊主のおっさんがスゲー面白くて今は中年デブを探してるんだ!」
「あらそう。何か手伝うことある?」
「ない! それじゃ俺急ぐから」
「はいはい。それじゃあ気をつけるのよ」
「任しとけー!」
イズは楽しそうに手を振りながら走り去っていった。その後ろ姿をルシアはいつも通りだと眺め、レテルはクスクスと笑っている。
次にシンクが住民たちと走って来るのが見えたため、ルシアは呼び止めた。
「シンク、何かあったの?」
「ルシアにレテル! それが街のシンボル像中年デブが何者かに盗まれたらしい。それで俺たち村長に探すの手伝うって話したらそのおっさん凄くキャラの立った面白い奴でさ。そんで今みんなと一緒に探し回ってんだよ。観光客はこの騒ぎを祭の一環だと勘違いして一緒に走って騒いでるだけなんだけどな」
「あらそう。何か手伝うことある?」
「大丈夫! 二人はゆっくり喋ってて。じゃあな」
「はいはい。それじゃあ気をつけるのよ」
「おう!」
シンクは楽しそうに片手を上げて走り去っていった。その後ろ姿をルシアはいつも通りだと眺め、レテルはクスクスと笑っている。
続いてエリウェルが集団から少し距離を取り、頬を染めながらうつむいて走って来る姿があり、レテルは呼び止めた。
「あらエリウェル。この騒ぎのことは聞いたけど、何だか恥ずかしそうね?」
「あ、レテル様にルシア様。実は恥ずかしすぎてこのお祭り騒ぎの雰囲気に混ざれないんです。でもこの騒ぎに混ざらないと空気の読めない子って思われるかもしれないので頑張ってます。それでは私は後を追います。お二人はごゆっくりしていてください」
「あらそうなの。それじゃあ頑張ってね、エリウェル」
「はい。行ってきます」
エリウェルは恥ずかしそうに会釈をして走り去っていった。その後ろ姿をルシアはクスクスと笑い、レテルはいつも通りだと云わんばかりに頬に手を当てて微笑んでいる。
それから数分も経たずに数人の住民たちに追いかけられているイズが二人の前を横切った。その後を追いかけているエリウェルが横切ろうとしたためルシアは呼び止めた。
「あ、エリウェル。急いでるところごめんね。うちのイズが何かやらかしたの?」
「はい。みんなが必死にシンボル像を探している最中、イズが屋台に落書きしていたんです」
「あの子……なんでそんなことを」
「シンボル像を見つけて安心して屋台に戻ったら「落書きされていた」ってときのリアクションを見たかったそうです」
「本当にあの子は……それでエリウェルはイズを追いかけて?」
「はい。イズが心配ですし。それに……一緒にいると楽しいので」
そう言ってエリウェルは笑顔を見せた。さきほど会ったときはこんな笑顔をする女の子だとは思わなかった。これはイズの手柄かな、と妙な誇らしさを感じながらルシアも笑みを返した。
「そう。ありがとうエリウェル。面倒かけるけどイズをよろしくね」
「はい。それでは」
エリウェルは会釈してイズと住民を追いかける。少しすると遠くで「痛て!」というイズの声と「なんで俺まで!」というシンクの声が聴こえた。ルシアとレテルは互いに顔を合わせ、声を上げて笑う。
「あなたの子どもたちはやんちゃで賑やかね。いつもこんな感じなの?」
「ええ。いつも大騒ぎでてんてこ舞い。一緒にいて本当に飽きないわ」
そう答えたルシアは心地よい風が吹いていることに気づいて空を見上げる。夕方にはまだ早いがいつの間にかだいぶ日が傾いていた。ふとイズたちと出会ってから二か月間のことを思い返し、満ち足りた愉しい日々を過ごしているのだと改めて実感した。
その幸せを噛みしめるのと同時に歯がゆくもあった。この満ち足りた時間に娘もいてくれたらどんなに幸せなことだろうか。
目的の一つは達成した。けれど一人で世界中を旅しても娘の居場所は未だわからない。そして仮に居場所がわかったところでその後の計画は何もない。
ルシアは娘を連れ出してアクソロティ協会から逃げようと考えている。
その行為がどれだけ難しいのか。今日、友人の死を知らされてルシアはつくづく実感した。きっと一人では始めから無理なのだろう。きっと多くの仲間が必要だ。そう。仲間を集める必要が。
そして――いや、止めよう。無理だ。そんなことできるはずがない。大それたことを考えるのはやめよう。
そう結論を出すと同時に自分の奥底にはまだこれほどまでの反骨心が眠っていたのかと驚いてルシアは吹き出した。
「なに一人で笑ってるのよ、ルシア」
「ちょっと夢を見て笑っただけ。起きて見る方の夢をね。まあ……叶わない夢だけど」
「ねえ、ルシア。その夢……私も一緒に叶えてあげようか?」
酔っ払いレテルの突拍子もない話が始まった。夢の内容すら話していないのに一緒に叶えようかと誘われても答えようがない。けれどこれは真面目に答えようとするならばの話だ。
今日はレテルも上機嫌だしルシアも気分が良い。真面目に酔っ払いの相手をしてもいいほどに。
「本当に叶えてくれるの?」
「ええ。叶えるわよ。私とルシアの仲じゃない」
「そんな調子の良いこと言って。酔いから醒めたら忘れてるんじゃないの?」
「忘れないわよ。醒めることはないもの。この酔いからは。――かく言う私も夢があってね。叶えようと地道に努力の途中だったりするのよね。そして絶対……私とルシアの夢は同じよ?」
妙な言い回しも、不確実なことへの断言も、酔っ払っている影響だろうか。いつものレテルらしさがないな、と不思議に思いながらも話を続ける。
「ふーん。絶対ってことはよほど自信があるのね。そんなに言うならレテルから喋ってよ。私は後で言うから」
「先に言ってもいいけど……聞いたら絶対に最後まで付き合ってよね? 私たちの夢のために絶対に協力し合うって約束するなら先に喋るわ。――ってもういやよ。恥ずかしいわ、この会話。なんか恋の駆け引きしてるみたいで。緊張して久しぶりにこんなに汗かいちゃったもの」
そう言ってレテルは扇子を仰ぎながら頬を染めている。頬が染まっているのはお酒のせいだが、それにしてもレテルは確定的に酔っ払っている。こんな乙女みたいなことを言う女ではない。慎ましい笑みで、上品な言葉遣いで、相手を罵る腹黒女だ。
だから適当に対応すればいい。そうルシアは考えた。
「はいはい。絶対に最後まで付き合ってあげるから話してごらんなさい? 思春期真っ盛りのレテルお嬢さん?」
皮肉ったつもりだったが目を輝かせたレテルは急に立ち上がり、足早にルシアの元に近寄ると隣の席に座る。腕を絡め、体を密着させ、レテルの唇が耳元に近づいてきた。
呆気に取られているうちにここまで接近を許してしまったルシアは唇から距離を取りながら硬直する。
「え!? いや!? その! レテルは一番の友人だと思ってるけどそういうのはちょっと私の許容範囲外と言うか! いいえ! 決して拒否してるわけじゃないんだけど! でも私そういう趣向ないから! 申し訳ないのだけどその一線を越えてしまったらもう友人として接することができないのではと私は大変不安で――」
「――ねえ、ルシア。一度しか言わないからよく聞いてね?」
今までになく甘い声を出すレテル。これはもう覚悟を決めて逃げ出すしかないだろうか。そう考えるルシアの耳にレテルの声が届く。
「私、アクソロティ協会もアレン・ローズもこの世界の間違ったルールも何もかも全部ぶっ壊してやろうと思ってるの。そして誰もが暴力と恐怖に悩まない世界を創り上げる。今はその仲間集めの真っ最中。ルシアもその仲間に加わってね?」
「えっ?」
思ってもいなかったレテルの言葉。その言葉が冗談ではないと言わんばかりにレテルは不敵な笑みを浮かべている。
「何故か驚いているようだけれど……絶対って約束したわよね? 絶対に私と夢を叶えてもらうわよ。逃げようとしても絶対に……逃がさないから。思春期真っ盛りの大人ぶったルシアお姉さん?」
やはりレテルは腹黒女だ。初めからこの話を持ち出して約束を取り付けようと画策していたようだ。
嵌められたレテルの策略を目の当たりにし、ルシアは引きつった笑みを返すことしかできなかった。