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第9話 旧友との出会い

 街の中央広場に建てられた黄金像を取り囲む飲食スペースでは、沸き立つ温泉の熱気に負けない観光客たちが飲んで食べては大騒ぎする光景が広がっている。


 そんな愉し気な雰囲気を味わう余裕のないルシアの瞳には同僚の女性レテル・ミラージェが映る。


 薄桜色の唇。真珠色の長髪。雪のように白く輝く美しい肌。ゆったりとしたワンピースドレスに身を包むレテルの指先には桜色の蝶が羽を休めており、その蝶の羽が微動だにしないほど静かに手を動かして遮っていた視界を確保する。


「なんであなたがこんなところにいるのよ」


「あなたこそ可愛い男の子を二人も連れて何してるわけ? まさか誘拐したわけじゃないわよね? 刻限の聖天大魔導士ルシア・フェルノール様ともあろうお方が」


 皮肉めいた笑みを浮かべるレテル。昔から変わらぬ腹黒女に懐かしさと嬉しさの感情を織り交ぜながらルシアも笑みを浮かべた。


「それはこっちのセリフ。なら勿論、東方の三賢者にして冥府の聖天大魔導士レテル・ミラージェ様は可愛い女の子を誘拐してないのよね?」


 レテルは羽を休めていた桜色の蝶に優しく息を吹きかけると、蝶は湯気で薄ぼやけた視界を薄桜色に染め上げた。そして空いた手で胸元に納めた扇子を取り出し、優雅に仰ぎながら右隣に座る少女に目を向ける。


「この子はエリウェル・ブラックベル。西方で英雄と呼ばれた創造の聖天大魔導士エリス・ブラックベルの娘よ」


 ルシアは透き通った鮮やかなアクアマリン色の髪をした小柄な少女エリウェルと目が合ったので微笑んだ。


 エリウェルは気恥ずかしそうに小さく会釈してボブヘアーを揺らし、左右非対称の虹彩を覗かせた。左目の虹彩は水色。右目の虹彩は紫色。前髪をいじるふりをして必死に右目を隠しているようだが、それが逆に目立つ要因となっている。


「西方ってアストリーク大陸のことだよな? つまり東方のオウロピア大陸と同じく西方でもマレージョから大陸を救った英雄たちがいるってことか?」


 シンクの問いかけにレテルは「そのとおりよ」と言って優しい眼差しを向ける。


「ところであなたたち……シンクとイズだったわね。二人はなんでルシアと旅をしているの? もしかしてたぶらかされたのかしら?」


「たぶらかしてない! 私を抜きに二人に話しかけないで!」


「あらあらルシア。もしかしてやきもち? 大丈夫よ。二人を取ったりしないから」


「そんなこと思ってないわ!」


 このやり取りが面白かったのかイズは笑いながらレテルに親指を突き立てた。


「ルシアを言葉でうろたえさせるなんてやるじゃん。レテルすげーんだな!」


 レテルは扇形に広げた扇子を口に当てて上品に笑う。


「褒めてくれてありがとう。お礼にもっとルシアの動揺した姿を見せてあげるわ」


「ちょっとやめてよレテル! ――そしてイズはなんでレテルの隣にいるのよ! あんたはこっち来なさい!」


「やだ! だってレテル面白いんだもん!」


 レテルの隣で楽し気に喋るイズ。悪戯っ子と腹黒女を一緒にさせるのは非常にまずい。旧友であるレテルには若気の至りも知られている。ルシアにだって口外してほしくない話の一つや二つはある。


 そんなルシアに助け舟の如く、シンクが会話に混ざってきた。


「なあ、会うの久しぶりなんだろ? 俺たち席外すから二人でゆっくり喋ってくれよ。俺ら三人は屋台を巡ってるから」


「あらあらシンク。そんなに気を使わなくていいのよ。私とルシアは全然――」


「――そ、そうね! レテルと二人で話したいこといっぱいあるし、あんたたちは屋台巡ってなさい! 仲良く三人でね! これで好きな物買って食べていいから!」


 そう言ってイズにお札を手渡した。


「マジ!? よっしゃー! ――そんじゃ三人で食い倒れようぜ!」


 イズの性格を熟知しているルシアは先んじて手を打つことにした。どうせルシアの動揺する姿を見たいと頑なに席を外さないだろうから。


 こうして三人を見送った後、レテルは扇子を閉じて微笑んできた。


「これで二人っきりになれたわね、ルシア」


 レテルとの付き合いは長い。ひと芝居打って二人になる口実を作ったのだとルシアも理解している。こういうひと癖ある性格は本当に昔から変わらない。


「ええ。でもまさかこんなところでレテルに会うとはね。あなたはまだディアタナにいると思っていたわ。アクソロティ協会長アレン・ローズ様からの特命を受けてマレージョたちの皇位継承権争いの動向を探っていたわよね?」


「四ヶ月前まではね。調査が終了したからメルトリアに帰還したの。想定通りではあるけどハルマトラン、ファイーナ、オルティアナによる三つ巴になりそうよ。それと現皇帝の容態も芳しくなくてね。あと五、六年生きるかどうかってところ。また十年前の超常の災害規模の争いがメルトリアに襲い掛かるかも」


 アクソロティ協会は階級ごとに与えられる任務が異なる。魔術師の最高位階級である聖天大魔導士はアクソロティ協会長アレン・ローズより命令を受け、世界規模の任務を遂行する。


 レテルに与えられた任務は未だ戦争状態にあるディアタナの敵情視察。病床に伏せるマレージョの皇帝。その跡目争いを把握することだ。


 そもそもこの戦争が始まった一番の原因はディアタナの環境悪化、資源枯渇、人口増による移住可能な惑星を探していたことが発端となっている。


 だからマレージョの皇帝はメルトリアとの戦争を止めない。子供達に自身の跡目を継がせるためにも。ディアタナで生きるマレージョたちのためにも。他の惑星を占拠して移住しなければマレージョたちに未来はないからだ。


 だからレテルは敵地に潜入して情報を探っていた。情報戦を制する者がこの終わりなき戦争を制する。どれほど危険だとしても、自身の命を懸けて任務を遂行する価値はある。


 ルシアは過酷な任務を終えたレテルに労いの意味を込めて微笑むと、温泉の湯気で薄ぼやけた青空を見上げた。


「次にあの規模の争いがメルトリアで起こったら人類はもう終わりかもね。生き残ったとしても魔術師たちが今の為政者に成り代わって暴力と恐怖で新たな世界を統治するだけ。戦争の駒を補充するためにアクソロティが広まったこの十年。国も土地も人も文化も何もかも大きく変わったわ。こうなってくるとドナ先生が言っていたとおり、人類は本当に地球への移住を考えなきゃならないかもね」


「そうね。――けど、だからこそ。この世界で今の時代を生きる人たちのためにも、力を持つ私たちが立ち上がるべきなのよ」


 レテルは先ほどまでエリウェルが座っていた椅子に目を向ける。ルシアもその目線の先を追った。


「エリウェルって名前だったわね。我が子の所在すら関心のないあなたが、エリスの娘と旅してるなんてびっくりよ。今の正義感溢れる言葉もそうだけど、レテルはそんなキャラじゃないでしょ? 私も人のこと言えないけどさ……」


「そうよね。私自身もびっくりしてる。世の出会いってのはわからないものね。つくづく実感したわ」


 それで、と言ってルシアはテーブルに肘を置き、頬杖をついた。


「なんでレテルがエリスの娘と旅してるの? まさか師弟関係とか?」


「ピンポーン。大当たり。さすがはルシア。私との付き合い長いだけあるわね」


 レテルは小さく拍手し、ルシアはテーブルに置いていた肘を滑らせた。


「あなたが弟子を持ったの? 一体どういうことよ」


 レテルは遠くから聴こえる祭囃子の音に耳を傾けながら虚空を見つめているようだ。その表情がまさに子を想う親の表情をしており、本来なら微笑ましく思う場面だろうが、何故か不安が脳裏をよぎってルシアの顔がこわばった。


「まずはこれを見てもらったほうが早いわね」


 レテルは懐に指を滑らせる。そしてすぐに抜き出した白い指の間には汚れた手紙が挟まっている。その手紙をレテルは優しい顔で差し出してきた。


 付き合いが長いのでその顔がどんなときに見せる感情なのかルシアにはわかっている。これから嫌なことが待ち受けているけど落ち着きなさい、となだめるときの顔だ。だからルシアは恐る恐るその手紙を受け取った。


 乾いた血が点々と染みつく手紙。それを見て心がざわつく。この手紙には人の死の匂いが纏わりついている。


 嫌だ開きたくない、と自我を持った指が四つ折りになる手紙を開こうとしない。けれどルシアの脳は、心は、魂は、恐怖から絶対に目を背けては駄目だと命令する。


 錆びついた機械のように重くぎこちない動きで四つ折りの手紙を開く。そこには学友時代から変わらない達筆な文章が広がっていた。


 ルシアは心に落とし込むようにゆっくりと文字の一つ一つを目に焼きつけながら、学友の言葉を声に読み起こす。


「この手紙を読む見知らぬあなたへ。私は魔道の父アレン・ローズ様の偉大な計画に泥を塗り、大恩を仇で返す無礼者です。私は間もなくかつての仲間たちによって粛清されるでしょう。それは避けられぬ運命だと理解しております。ですが、一人の母としてこれ以上娘をあの場所に置いておくことはできませんでした。どうか、この哀れな母親の最後の頼みとして、娘エリウェルをお救いください。そして娘を自由な世界へと連れて行ってください。――エリウェル。私の可愛い娘。世界で一番愛しております。どうか幸せになってください。母は天国であなたを見守っております」


 友人の命を懸けた切実な想いが綴られた手紙を読み起こしたルシアは心に溜まるどす黒い感情を吐き出すように息をして瞳を閉じた。


 アクソロティ協会には暴力と恐怖と死が満ちている。小さい頃からその世界で生きているとそれらは日常となって何も感じなくなる。心が感じることを拒否してしまう。脳が考えることを放棄してしまう。


 そんな暴力と恐怖と死が満ちる世界で生き続けた人が未来へと続く小さな光を手にしたら。人はきっと命を懸けてもその小さな光を守るだろう。


 未来へと続く小さな光とは我が子のことだ。真っ暗闇の道を歩き続けて、心を無いものとして命令されるがまま歩き続けて、生きている意味もわからずただひたすら生きるために歩き続けて、その先に小さな光があったら。そうしたら人は必ず手を伸ばす。奪われまいと必ずその光を守る。


 神の子供達計画の地獄のような教育課程を修了してもまだ、命のやり取りが続く世界で生きることを強いられる大人にとって子供とはそういう存在だ。


 ルシアにはそれが痛いほどよくわかる。だからルシアも娘のために行動を起こそうと決めたのだから。


 ルシアは項垂れて複雑な心境を必死に整理した後、顔を上げて手紙を折りたたみ、レテルに返した。レテルは受け取った手紙を再び胸元にしまう。


「私たちと同じ神の子供達計画の一環で英才教育を受ける子供。その中でも教育期間を満了した両親から生まれたセカンドチルドレンがエリウェル。魔術師としての高い素養を持って生まれた子よ。アクソロティ協会が見逃すはずもない。――だから私が師となることを条件に外界を連れ回す許可を得ているの」


 楽しそうに祭りに興じる観光客たちの声。その声が煩わしいとさえ思うルシアは拳を硬く握りしめた。


「魔術師として高い素養を持つ子供たちを世界中から強引に連れ去り、教育施設チャイルドヘイブンで非人道的な魔術教育を行う。教育課程を修了したファーストチルドレンを強制交配させてセカンドチルドレンを産ませる。生まれた子供たちは直ぐに魔術適正を検査され、優秀な子供は三歳になると親元から引き離されて非人道的な魔術教育を受ける。こんな最低最悪の――」


「――ルシア。言葉に気をつけなさい。誰が聞いてるかわからないわ。もしアレン・ローズ様の背信者だと判断されればあなたでも粛清されるわ。エリスのようにね」


 怒りに身を任せて怒鳴り散らし、全てを吐き出してしまいたい。そう思っているとルシアの顔を涼やかな風が撫でた。目線を上げるとレテルが扇子で仰いでくれている。


「少しは頭冷やしなさい。あなただけならともかく、あの坊やたちも粛清されるわよ。――セカンドチルドレンなんでしょ、あの二人も。私たちにすら秘密になっているチャイルドヘイブンの居場所をどうやって探して、連れ出したかわからないけど」


 ルシアは首を横に振った。


「あいつら、私の子供じゃないわ」


「知ってるわ。あなたが産んだのは女の子だったものね。一体誰の子なのよ。他の連中はともかく私は能力適性を分析できるんだから。あれだけの身体能力を有している子供は――」


「――わからないのよ。セカンドチルドレンなのは間違いない。でもあいつらとは七聖鳥を探してレイムズガルド地方辺境の港町ペンデュラムに立ち寄った時、偶然出会っただけで。話を聞く限りチャイルドヘイブンで育ったわけじゃなさそうだし……」


「ペンデュラムってオウロピア大陸でも最果ての地よね。――そう言えばペンデュラムの南海岸に七聖鳥が飛来するって目撃談を聞いたことあるわ。なんでも遥か南方に七聖鳥も立ち寄る天国に一番近い島『ラミアーヌ島』があるって噂よ」


「へえ。そんな噂話あったんだ。それならイズとシンクが言ってた話は本当だったのね。まあ噓ついてるとは思ってなかったけど。あいつら純粋だし」


「どういうこと? 詳しく話しなさいよ」


 普段なら他人にあまり興味を示さないレテルが今日は随分と食いつきがいい。そう思いながら目線を逸らし、ふと考える。


 いくら一番仲の良い友人といえどイズとシンクの生い立ちを他人のルシアが簡単に漏らしていいものなのだろうか、と。


 二人は普通の子供じゃない。しかも何らかの事情でチャイルドヘイブンに送られることなく、ほとんど誰も知らない島で育てられたという秘密もある。これは十中八九、親の仕業だ。


 セカンドチルドレンは産まれてすぐ魔術師適性検査を受け、才能があれば三歳で強制的にチャイルドヘイブンへと送られ、才能がなければ親が情を抱かぬうちに処分する。これはアレン・ローズが指揮する最上位計画だ。誰も拒否することはできない。


 しかしごく一部、アクソロティ協会の目を盗んで我が子を遠く辺境の地に孤児として預ける者たちもいた。


 チャイルドヘイブンはその教育の厳しさから死者が後を絶たず、仮に教育課程を修了しても命の保証ができない過酷な世界に身を投げ出される。リスクを負っても我が子には魔術や争いのない世界で生きて欲しいと思う者たちは多い。


 そのことを誰も責めることはできない。このためアクソロティ協会から魔術教育を受けた生徒たちは可能な限り、我が子を逃がす親の存在を黙認している。


 もっとも発覚を免れて親子ともに無事だった例は一度も見たことはないが。


 だからルシアはこの話をレテルに言うか迷ったのだが、既に二人がセカンドチルドレンだと知られている以上、話でも大丈夫だと判断した。


 素っ気ない割に人情深いレテルに事情を話した方が、何かあったとき味方になってくれるかもしれないとルシアは考えた。


「イズとシンクはラミアーヌ島出身らしいのよ。その証拠ってわけじゃないけどラミアーヌの雫……じゃなかった。ラミア石も持ってるし」


 仰ぐのを止め、扇子を閉じたレテルの目線が近くの屋台へと向いた。 


「ルシア。旧友との久しぶりの出会いを祝してお酒でも飲みましょうか」

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