机上3
結局、私とクレアが酒場を出たのは2時間ほど経ってからだった。料理はどれも美味しかった。飲食代はクレアが支払ってくれた。
クレアとはプライベートの話をたくさんした。生まれ育った環境とか、友人関係とか、今住んでいる場所とか、趣味とか、休日の過ごし方とか、そんな話題をたくさん。仕事の話はあまりしなかった。
親睦が深まったかどうかは分からない。だけど、クレア・アイオーンという人間への理解は少しだけ深まった気がする。たぶんクレアは世界の捉え方が私と根本的に違う。考え方とか価値観とかそういうのじゃなくて、もっと根っこの部分。その前提を見誤ると手痛いしっぺ返しをくらう。そんな予感が強くなった。
それはさておき、酒場で驚かされたのはクレアが呑んだエールの量だ。私の数え間違いじゃなければ樽ジョッキ5杯は呑んだはず。なのに、最後までクレアの顔の色は変わらなかった。呂律が回らなくなることもなかった。酔わないんですかと訊いたら、酔えないんだとクレアは笑った。どこかつまらなそうな笑顔に見えた。
「ナギコ」
「はい」
クレアがスーツのジャケットを羽織り、タバコを咥える。
「まだ時間はあるかい?」
「ありますけど……」
「少し歩こうか」
私は頷いた。二軒目に行こうと言われなくてちょっと安心した。
賑やかな夜のシャリビアン通りをクレアと並んで歩く。
通りはたくさんの人で溢れていた。三百年戦争が終結して以降、この通りは本当に華やかになった。大声で呼び込みをする人たちも、それに誘われる人たちも、どの店に入ろうか悩む人たちも、すでに酔っ払っている人たちも、みんなの表情が明るくなった。私はお酒が好きじゃないからプライベートでシャリビアン通りに来ることはほとんどないけど、この雰囲気は嫌いじゃない。改めて平和になったと感じる。
「どうだい、ナギコ」
「何がですか?」
「通りの様子だよ」
「どうだと言われても、賑やかだなって……」
「それだけかい?」
「はあ」
「そうか」
ほんと何が言いたいんだ、この人は……
そのとき、昨日の会話が頭に浮かんだ。
『あそこは吹き溜まりだ』
クレアはそう言った。
私はくしゃりと頭を掻いた。
「やっぱり私にはよく分かりません」
クレアが小さく笑う。
「かもな」
気に障る言い草だった。露骨にバカにされている気がした。
「あの、バカにしてます?」
「いや、気に障ったのなら謝るよ」
「はあ……」
クレアが指に挟んだタバコをくるりと回した。
「1年、2年後もこの賑やかさを維持できればいいんだが」
「できないと思ってるんですか?」
「通りに遊びに来る客の五割が元勇者だ。さっきの酒場もそうだった。特需みたいなものさ。それを狙って新しい店も増え続けてる。だが、元勇者の懐にも限りはある」
「元勇者じゃないお客さんたちも増えてますよ。みんなの生活も安定してきてますし。きっと1年後にはもっと」
「君はお役所の人間みたいなことを言うね」
「お役所勤めですし。それにクレアさんも今はお役所の人間じゃないですか……」
「そういう話をしてるんじゃないよ」
「はあ……」
じゃあどういう話をしてるっていうんだ……
私は地面に視線を落とした。
「クレアじゃないか」
不意に男の声がした。
足を止めて顔を上げると、目の前に長身の男が立っていた。金髪碧眼、彫刻のように整った顔。年齢はクレアより少し下で私より少し上、20代後半に見えた。クレアを見て微笑む顔が嘘くさいほど爽やかだった。
「カイルか」
クレアが煙を吐く。声のトーンが一段低い。
カイルが笑った。
「久しぶりだね、クレア」
「故郷に戻ったんじゃないのか?」
「気が変わってね。王都に住むことにしたんだ」
「だから言ったじゃないか」
「はは、そうだね」
小さく鼻を鳴らすクレア。
カイルが僅かに眉をひそめた。
「そんなことより聞いたよ。協会を抜けたんだって?」
「ああ」
「報奨金も返還したらしいね」
「ああ」
「理由を聞かせてくれないか?」
「嫌だね」
コキリと首を鳴らしたクレアが、カイルを置き去りにして歩き出す。
私はカイルに頭を下げてから慌ててクレアを追った。
一度だけ振り向くと、カイルが悲しそうな表情でクレアの背中を見つめていた。
カイル……まさかあの人は……いや、それよりも……
私はクレアの横顔をちらりと見た。
クレアが協会を脱会した? 何のために? 協会――勇者協会は四つの国家から独立した組織だ。戦争中は勇者を管理する組織として機能し、現在もすべての元勇者が所属している。各国との報奨金を巡る交渉を一手に引き受けたのも協会だった。その報奨金をクレアは返還した? クレアほど実績のある元勇者なら報奨金の額は億を超えてもおかしくない。それを全額? 意味が分からない。
「あの、クレアさん……」
「何だい?」
「いくつか訊きたいことが……」
「どうぞ」
「カイルさんって、もしかして……」
「ああ。カイル・メルベルだよ」
「やっぱり……」
カイル・メルベル。オルゴス攻略戦で魔族の総大将を討ち取った勇者の中の勇者。史上最強の剣士と名高い男。クレアの戦友。そのはずなのに、クレアのカイルに対する態度には疑問が残る。カイルの態度には親しみが籠っていた。クレアは煩わしさを隠そうとしなかった。
「クレアさんはカイルさんのことが嫌いなんですか?」
「好きじゃないね」
「そ、そうですか……」
「次」
「え、あの、協会を脱会したんですか?」
「ああ」
「いつですか?」
「半年前だね」
クレアが国土省に入った時期だ。
「どうしてですか?」
「抜けたかったからだよ」
説明になってない。
「次」
「報奨金を返還したって本当ですか?」
「ああ」
「全額……?」
「ああ」
「どうしてですか?」
「後腐れはないほうがいいからさ」
やっぱり意味が分からない。かといってこれ以上は何を質問しても、まともな答えを期待できそうになかった。
その後、私もクレアもしばらく無言で歩き続けた。
シャリビアン通りの端まで来ると、クレアが立ち止まった。新しいタバコを咥えて火を点ける。
「ナギコ、今夜は楽しかったよ。ありがとう」
「あ、いえ、こちらこそご馳走様でした」
「私はあっちだから。じゃ、お疲れ」
「お疲れ様です」
クレアと別れた私は職員宿舎に向かって歩き出した。今夜クレアと話したいろいろなことが頭の中でぐるぐると渦を巻く。クレア・アイオーンのことが少し分かったような気もするし、ますます分からくなったような気もする。結局のことろ、あの人はいったい何なんだ。ダメだ、考えがさっぱりまとまらない。
切り替えよう。仕事に集中するほうが気が楽だ。明日に備えて早く寝よう。
私は歩く速度を少し上げた。頬を撫でる風がひんやりと冷たかった。
次回『机上4』




