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土木課の女5

「聞こえなかったのかい? そいつを抱えて、どこへ行くつもりなのかと訊いてるんだ」

 クレアが一歩前に進み出た。

 私は魔族の身体を支えながら一歩後退った。

 魔族が血を吐いた。

「もういい……離せ……」

 ごぼごぼと喉を鳴らしながら掠れ声で言った。

 私は首を横に振った。あと少しで城壁を越えられる。だけど、そのあと少しが遠い。

 クレアがタバコを指に挟み、深く煙を吐いた。

「だんまりか。まあいい。弁明は後で聞くとしよう」

 そう言うと、タバコを持った手を無造作に薙いだ。

 閃光と共に耳元で何かが破裂した。大量の液体がばしゃりと顔に降りかかった。

 恐る恐る横を見た。

 魔族の頭が消し飛んでいた。

 私は膝から崩れ落ちた。

 頭を失った魔族の身体が地面に転がった。

 血の海が広がっていく。

 足音が近づいてきた。

 顔を上げると、クレアが冷たい眼で私を見下ろしていた。


 気がつくと手が震えていた。大きく息を吐く。

 窓の外に眼をやった。穏やかな青空と鳥の囀り。もう一度息を吐く。

 私は視線をクレアに戻した。

 クレアの眼――この状況を楽しんでいる。

 舌打ちしたくなる気持ちを何とか抑え込んだ。

 クレアがコキリと首を鳴らした。

「私は戦場で魔族に情けをかけた人間を見たことがない。君以外はね」

 足を組み替えるクレア。

「私が勇者として初めて戦場に出たのは12のときだ。それから終戦までの18年間、数々の戦場を渡り歩き、数万の魔族を殺してきた。それらすべての戦場で、君のような行動をした人間はひとりもいなかった」

 私は唇を噛んだ。

「フレヴェールで君は最後まで何も話さなかったな。仲間を殺され、自分も殺されかかったというのに、その日の夜に君は瀕死の魔族を逃がそうとした。なぜあんなことをしたのか、今でも理解に苦しむ」

 しょうがないじゃないか。自分でも上手く説明できないのに……

 クレアがタバコを灰皿に押し付け、次のタバコを咥えた。指を鳴らして火を点ける。

「だが同時にとても興味深かったよ。さて、これで君を呼んだ理由は納得してもらえたかな?」

「はい……」

「結構。では続けよう。まず君にやってもらうことは、改修するダンジョンの選定、現地調査、改修にかかる費用と工期の算出だ。予算の申請は私が通す。その後は魔族の雇用、資材調達の手配、そして改修工事が始まれば現場監督も――」

「ま、待ってください!」

「何だい?」

「それ、全部私がやるんですか……?」

「そうだよ」

 そんなバカな話があるか。身体がいくつあっても足りやしない。

 クレアが煙を吐く。

「言っておくが、この件はダンジョンの改修工事が完了するまで他言無用だ。上司にも同僚にもね。私と君だけの極秘プロジェクトというやつだよ」

「で、ですが……」

 無理だ。私が黙っていても予算申請の段階で絶対に露見する。誤魔化せるような金額じゃない。それくらいは計算しなくても予測できる。

「君には明日からここで仕事をしてもらう。情報を漏らしたくないからね。デスクは夕方までに用意させる。今日中に私物をまとめておくように。土木課の課長には明日、私から話を通しておくよ。いや、面倒だな。今から一緒に行こうか」

 クレアがタバコを灰皿で揉み消す。ソファから腰を上げ、窓際へ歩み寄った。

 私は溜め息を漏らした。もう何を言っても無駄っぽい。何のコネもツテもない一般職員の私にはどうしようもできない。省庁とはそういうところだ。まあ思い返してみれば、上司からの無茶振りは別に初めてじゃない。猛吹雪で遭難しかけた木材調査の仕事も大概だった。ともかく上から言われたからにはやるしかない。

 だけど、せめて自分の仕事はきっちり終わらせてからにしないと。

「クレアさん」

 窓を閉めたクレアが振り向く。

「ここに来るのは明日の午後からにさせてください」

「分かった」

「ありがとうございます」

 私はノートを手に取り、立ち上がった。

「じゃあ行こうか。あ、戻る前に一本喫ってくかい?」

「結構です……」

「本当に?」

「はい……」

「そう、つれないね」

 クレアが扉を開け、先に出るよう促す。

 私は執務室を出た。

 クレアが扉を閉めて鍵をかける。

 私はクレアと一緒に土木課へ戻った。

 自分のデスクに戻る。ノートをデスクに置き、小さく息を吐いた。

 タバコが喫いたい……

 背後に人の気配。

 振り返ると、もじゃもじゃ頭の先輩が立っていた。

「お疲れ」

「あ、お疲れ様です」 

 先輩が課長のデスクを指差す。

「何あれ?」

 課長とクレアがこそこそと話し込んでいる。困惑した表情を浮かべた課長が何度も首を横に振る。クレアが課長の肩を何度も叩く。ここからクレアの顔は見えないけど、どんな表情をしているかは何となく想像がつく。

「面倒ごと、ですかね……」

「会議に関係ある?」

「まあ……」

「何の会議だったの?」

「いや、それは、その……」

 私は言葉を濁した。クレアのニヤけた顔が頭に浮かんだ。

「言えないカンジ?」

「まあ……」

「そっか。ま、無理しなさんな」

「ありがとうございます」

 私は軽く頭を下げ、バッグを右肩に担いだ。

「ちょっと菓子折りを買いに行ってきます」

「いってらっしゃい」

 先輩がひらひらと片手を振る。

 私は土木課を出て、喫煙所へ向かった。

 喫煙所で顔見知りの職員と取り留めのない会話をしながらタバコを一本喫った。

 その後、庁舎を出て、大通りの焼き菓子店でクッキーの詰め合わせを3箱買った。一番大きいサイズを選んだ。

 土木課に戻ってくると、もうクレアはいなかった。

 菓子折りの箱をデスクに置く。次は私物をまとめないと……

 もしかして、このデスクも片付けられちゃうのかな……

 土木課に配属されてから5年、ずっとこのデスクで仕事してきたのに……

「ちょっといいかな?」

 顔を上げると、課長がデスクの脇に立っていた。

「あ、課長、お疲れ様です」

「何だか面倒なことになってしまったね」

「はあ……あの、課長はどこまで聞きました?」

「どこまでも何も、君が明日から特別顧問の部屋で仕事をするということしか」

「仕事の内容は聞きました?」

 首を横に振る課長。

「君にも絶対に訊くなと釘を刺されたよ」

「そう、ですか……」

「すまんな。僕の立場では彼女に意見するにも限界がある」

「いいえ、大丈夫です」

「まあ、君の籍は土木課のままだし、デスクも残しておくから」

「ありがとう、ございます……」

 少しだけ泣きそうになった。

 よかった。またここに帰ってこられるんだ……

 頑張ろう。クレアの無茶振りがいつまで続くか分からないけど、頑張るしかない。

 私は目尻に滲んだ涙を拭って、デスクの整理を始めた。


次回『机上1』


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