土木課の女4
「ダンジョンを、作る……?」
元勇者に新しい目的を与えるという話とダンジョンを作るという話がどう繋がるのか、さっぱり分からない。
クレアがタバコの灰を灰皿に落とした。
「まあ、正確にはイチから作るわけじゃない」
「はあ……」
「君はユリィカ王国内にダンジョンがいくつあるか知ってるかい?」
ダンジョン……いくつ……いくつだ……?
「分かりません……」
「大小合わせて約30だ。大陸全土で見れば100は下らないだろう。誰がいつどうやって作ったのかも不明。文献もロクに整理されちゃいない。三百年ずっと戦争に明け暮れていたせいで、ダンジョンや遺跡の調査をしてる余裕なんてなかったから致し方ないがね」
「はあ……」
「おや、まだピンとこない?」
「はあ……」
元勇者にダンジョンの調査をさせるというのはまだ理解できる。だけど、『作る』というのが理解できない。
クレアが煙を吐く。
「最奥に何があるかも分からんダンジョンを調査させたところで、その成果を誰がどう判断できるというんだい? 宝石がありましたと持ってこられて、はいそうですかありがとうございますと君は認定できるのかい? その宝石がダンジョンの最奥に眠っていたものだと誰が保証してくれるんだい? そもそも調査した元勇者が本当にダンジョンに潜ったと誰が証明してくれるんだい?」
「え、あ……は、はあ……」
「だから、こちらですべて用意してやる必要があるんだよ。適度に難しく、簡単には最奥に辿り着けない、何度も挑みたくなるような攻略しがいのあるダンジョンをね」
「ちょ、ちょっと待ってください」
私は頭をぐしゃぐしゃと掻いた。
「つまり、既存のダンジョンを改修する、ということですか?」
「ああ」
「いくら、かかるんですか? 想定予算は?」
「知らないよ。計算するのは君だ」
「え?」
「そうそう、元勇者に入場料は払ってもらうつもりだよ。それに選定するダンジョンは街の近くがいい。元勇者がたくさん来れば、宿泊やら何やらで街の活性化にも繋がるからね」
「でも、それってやらせですよね。そんなので――」
「だから秘密裏にやるんじゃないか」
「む、無理ですよ! ダンジョンを改修するのに、どれだけの人手がいると思ってるんですか? どう少なく見積もっても百人単位です。工期だって何ヶ月もかかります。継続的な運営、維持管理にも人がいります。業者の募集だってかけなきゃいけないんですよ? 絶対にバレますよ!」
「人間を使えばバレるだろうね」
「はあ?」
人間を使えば……?
じゃあ、誰を使うんだ……?
「魔族を使うんだよ」
クレアがタバコを咥えたままニヤリと笑った。
『まだあの時のことを根に持っているのかい?』
あ……まさか……もしかして、それで私を……ここに、呼んだ……
記憶の扉が開く。
2年前のあの日。
勇者の援軍が陥落寸前のフレヴェールから魔族を完全に撃退したあの日。
クレアに命を救われたあの日の夜。
私は瓦礫と化した街を歩き回っていた。
動けない生存者や怪我人が残っていないか、建物をひとつひとつ確認しながら歩き回った。
衛生兵が立てたテントや教会は負傷者でいっぱいだった。遺体は広場に集めて燃やされた。
ほとんど灯りの消えた街を、松明を掲げて歩き回った。
それに気づいたのは偶然だった。
足を止めて耳を澄ました。
近くの半壊した屋敷の中から、何かが崩れる音がした。
生存者がいる。
私は壊れた扉を押しのけて、屋敷の中に入った。
松明で周囲を照らした。
今にも天井が崩落しそうだった。急がないと。
大声で呼びかけてみたけど反応はなかった。
耳を澄ました。
奥の部屋で微かに音がした。
倒れた家具や穴の開いた床に注意しながら奥へ走った。
間違いなく誰かいる。気配がする。
私は松明で部屋の中を隈なく照らした。
いた。見つけた。
床に座り、壁にもたれかかる人影。
荒い呼吸。上下する肩。滴る血。右腕と左脚がない。重傷だ。
私は生存者に駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
生存者が顔を上げた。
松明がその人の全身をはっきりと照らした。
爬虫類のような瞳。唇の隙間から見える鋭い牙。頭に生えた二本の角。
魔族の男だった。勇者との戦いに敗れ、ここに逃げ込んだ魔族。
魔族がごぽりと血を吐いた。
「ここまでか……」
魔族はそう呟いて、自嘲気味に笑った。
私は動けなかった。
怖かったからじゃない。どうするべきか判断に迷ったからだ。
魔族には恨みがある。いや、恨みなんて表現じゃ生温い。
今日も仕事仲間がたくさん殺された。私も殺されかかった。
魔族に殺された人をたくさん見てきた。魔族に家族や友人を殺されて涙を流した人をたくさん見てきた。
魔族と戦って命を落とした勇者や兵士をたくさん見てきた。
魔族は侵略者だ。魔族は滅ぼさなければならない。そのために人間は三百年戦い続けてきた。
だけど、今にも死にそうな魔族を目の前にした私は……
あの猛吹雪の日の出来事が脳裏に浮かんだ。
凍死しかけた私を助けてくれたのは魔族だった。
人間と魔族の夫婦が私の命を救ってくれた。
あの後、二人が私を連れて行ってくれた辺境の隠れ里……
今でも感情の整理がつかない。あんなことが……人間と魔族があんなふうに笑顔で……
どうして……私は、どうすれば……今この瞬間、何が正解になるのか……
「どうした……?」
魔族が私を見た。再び血を吐いた。
「早く殺せ……」
私は唇をきつく噛んだ。握り締めた拳が震えた。
分からない。どう行動すればいいのか分からない。
魔族は殺さなければいけない。今すぐ勇者か兵士を呼びに行かなければならない。
だけど、それでも……ダメだ。頭の中がぐちゃぐちゃだ。もう何も考えたくない。
私はしゃがみ込んで、魔族の左腕を肩に回した。
「貴様……何を……」
魔族がごぼごぼと血を吐きながら呟く。
すごく重い。腹の底に力を込めて立ち上がった。
「どういう……つもりだ……」
「うるさい……!」
そう叫んだ。自分でも何をしているのか分からなかった。
魔族を引きずるように支えながら屋敷を出た。
周囲を見渡す。誰もいない。
城壁までの距離とルートは……大門は無理だ。警備兵がいる。
破壊された西側の城壁ならどうだ。この時間帯と暗さなら、こっそり通り抜けられるかもしれない。
私は慎重に暗がりを進んだ。
地面に魔族の身体から血が滴り落ちる。
私の服にも魔族の血が染み込む。
瓦礫を避けながら、誰にも見つからないよう注意しながら進んだ。
魔族の身体が重い。体力を奪われる。汗が眼に入る。それでも魔族の腕を離さなかった。
時間はかかったが、何とか崩れた城壁の近くまで辿り着いた。
やっぱりここにも警備兵がいる。ここから先、松明は使えない。気づかれる。
私は松明を地面に捨てた。
魔族の身体を支え直した。
巡回する警備兵の隙を見つけて、崩れた城壁を上り、街の外へ――
「どこへ行くんだい?」
不意に背後で聞き覚えのある声がした。冷たい声音だった。
私は唾を飲み込んだ。魔族の身体を支えながら、ゆっくりと振り向いた。
地面に捨てた松明の灯りが黒ずくめの女を浮かび上がらせた。
タバコを咥えたクレア・アイオーンが立っていた。
次回『土木課の女5』