土木課の女3
そろそろ時間だ。
昼食をとった後、雑務をこなしていた私は土木課を出た。
議題が分からないのだから予め準備しておく資料もない。メモを取るためのノートだけを持つ。
念のためトイレの鏡で身だしなみを整えてから、庁舎の最上階に上がった。
最上階は一般職員には縁遠いフロアだ。入庁して5年、このフロアに来たのなんて片手で足りるほどしかない。1年に一度あるかないか。公共事業部の偉い人たちの執務室と、偉い人たち専用の会議室しかないフロアだから、当然と言えば当然だけど。
それしても静かだった。自分の足音しか聞こえない。職員が走り回っている下のフロアとは大違いだ。
クレアの執務室に辿り着くまで、誰ともすれ違わなかった。
扉の前で立ち止まり、深呼吸を一度。
ノックを3回。
『どうぞ』
中から声がした。
「失礼します」
私は扉を開け、執務室に足を踏み入れた。
意外だった。クレアの執務室にはほとんど物がなかった。窓際に飾り気のないデスクがひとつ、中央に飾り気のないテーブルと二人掛け用のソファが一組あるだけ。他には何もない。洒落たインテリアや高そうな調度品もなければ、壁に絵画もかかっていない。他の偉い人の執務室とは雰囲気が全く違う。ただとてもヤニ臭かった。
クレアが手に持っていた書類をデスクに置いた。立ち上がり、窓を開ける。
「何か気になるものでもあるのかい?」
「いいえ、別に……」
私は口籠った。
クレアがソファに座るよう片手で促す。
私は軽く頭を下げ、ソファに腰を下ろした。ノートをテーブルに置く。
クレアも向かいのソファに座った。長い足を組み、徐にタバコを咥える。パチリと指を鳴らすと、タバコの先に火が点いた。魔法を使える人は便利で羨ましい。
ていうか、この人、会議中にタバコ喫うんだ……
「君もご自由に。私の部屋だ。遠慮はいらないよ」
「いや、さすがにそれはちょっと……」
クレアが小さく笑った。
「つれないね」
「はあ……」
クレアがテーブルの真ん中に置いてある灰皿を手前に引き寄せた。
「では、始めようか」
「はい。お願いします」
クレアが深く煙を吐く。
「ナギコ、仕事は楽しいかい?」
いきなり何の話だ?
「やりがいは感じています」
「質問に答えてないね」
「……復興事業は未だ道半ばですから」
この大陸には4つの国家が存在する。
東のグリジアナ連邦、南のゾルト共和国、西のニルヴァ公国、そして中央と北を統べるユリィカ王国。
ニルヴァ公国は魔族の侵攻により全地域が焦土と化した。ゾルト共和国の西半分も同様に焦土と化した。
ユリィカ王国の西部も甚大な被害を受けた。
ざっくり言うと、大陸の西側半分が魔族によってグチャグチャにされたのだ。
三百年かけてグチャグチャにされた土地を、これから長い時間かけて元に戻していかなければならない。
道半ばなんてものじゃない。戦争が終わって1年。ニルヴァ公国内に至っては未だ物流網すら復旧していない。
戦後復興は一大事業だ。
四つの国家が力を合わせなければ前に進めない。魔族と戦ったときと同じように。
「クレアさんは……」
私は小さく息を吐いた。
「魔族と戦うのは楽しかったですか?」
「楽しかったねえ」
「そう、ですか……」
クレアがタバコの灰を灰皿に落とす。
「私たちは魔族と戦うためだけに生み出され、三百年かけて進化してきた人種だよ」
「はあ……」
それくらい知っている。だからといって……
「今のは意趣返しのつもりかい?」
「そういうわけでは……」
小さく笑うクレア。
「まあいいさ。ともかく、元勇者が問題になっていることに変わりはないからね」
私は思わずクレアの顔を見た。それが会議の議題か。
でも、だったらなおさら訳が分からない。元勇者の問題なら管轄は国防省になるはずだ。どう考えても国土省の、しかも公共事業部の一般職員が関わる事案じゃない。
クレアが足を組み直した。
「ところで、君はシャリビアン通りによく行くのかい?」
シャリビアン通り――王都随一の歓楽街。呑む打つ買うがしたいなら、あそこに行けば困ることはない。
「いいえ。下戸なので」
「そう。私は毎晩通っているよ」
「はあ……」
お酒は好きじゃない。一口飲んだだけで頭が痛くなる。
「今度一緒に行こうか」
「お、お断りします……本当に下戸なので」
「本当につれないね」
クレアが煙を深く吐く。
「だが、その眼で一度じっくり見たほうがいい。あそこは吹き溜まりだ」
「どういう、意味ですか?」
「そのままの意味だよ」
「はあ……」
クレアがタバコの灰を灰皿に落とした。
「本題に入ろう。今、各国の議会の裏で本格的に持ち上がっている共通の議題がある。元勇者たちの再雇用問題だ。戦争で生き残った勇者は大陸全土で約10万人。そのうち再就職を果たした者は1割もいない。私の調べだと、よくて3パーセントといったところか。ほとんどの元勇者が報奨金を食い潰しながら暮らしているのが現状だ。だが、それも無理はない。さっきも言ったとおり、元勇者は魔族と戦う以外に能がない戦闘狂だからね。とはいえ、静かに暮らしている限りは特に問題になることもないんだが……」
こめかみをカリカリと掻くクレア。
「先日、ユリィカとゾルトの国境付近でキャラバンが襲撃された。盗賊の仕業だと公表されたが真相は違う。犯人は元勇者の集団だ。こういう言い方はアレだが、勇者としての実力は低い連中だった。それでも魔族との戦いを生き抜いた猛者に違いはない。普通の人間が敵うわけがない。死者こそ出ていないが、物資金品はすべて奪われた。この手の事件は今後も増えると予想されている」
クレアが足を組み替えた。
「魔族が大陸の西端に最初のゲートを開き、侵略を開始してから三百年、経済は戦争を中心に回ってきた。だが、平和になった今、あらゆる経済活動が形を変えつつある。それは復興事業に関わっている君も現場で実感しているはずだ。そして、普通の人間はその変化に適応している。食っていくためにも。しかし、ほとんどの元勇者は違う。変化に適応できないんだ。そういうふうに作られてないからね」
クレアが煙を深く吐く。
私は頭を掻いた。元勇者が強盗を働いたという事実には正直驚いたが、クレアの話は概ね理解できる。それでも不思議に思うことがある。元勇者の再就職はそんなに難しいんだろうか。ユリィカ国内はともかく、西側なら……
「ん、何だい? 気になることがあるなら言ってくれ」
「その、ニルヴァやゾルトには魔族の捕虜収容所がたくさんあります。二国の負担を分散させるために、ユリィカ西部やグリジアナにも新しい収容所がいくつも建設中です。管轄が違うので詳しいことは分かりませんが、それらの施設や捕虜になった魔族にまつわる諸問題になら元勇者の方々にも仕事が……」
「ないよ。ほとんどない。魔力の供給源であるゲートをすべて失った魔族は、今や少しばかり力持ちの人間と何ら変わりがない存在だ。ゲートがないから魔界に帰ることもできない。魔力がないから固有の力も使えない。ある意味、普通の人間より脆弱と言ってもいい。実際、多くの収容所は各国の一般兵によって管理運営されている。新しい収容所が増えたところでそれは変わらないさ。まあ、あちらはあちらで問題が山積みなんだがね」
「はあ……」
だから何だ……結局何の話をしているんだ……
こんな話をわざわざ会議という形で私に聞かせて、何になるというんだ……
ああ、私もタバコが喫いたくなってきた……
クレアがニヤリと笑った。
しまった。視線に気づかれた。
「喫いたければいつでもどうぞ」
「け、結構です。続きをお願いします」
クレアが小さく肩をすくめる。
「我慢は身体に毒だよ。まあいい。続きを話そう。少し前に国防省の知人から、元勇者の再雇用問題について私にも相談が来た。そこで私も一肌脱ごうと思ったわけだ。あくまで公共事業部の特別顧問として」
「はあ……」
「だが、ここまで話したとおり、現状では元勇者の再就職は難しいと言わざるを得ない。だから発想を変える必要がある」
「発想……?」
「元勇者に新しい目的を与えてやればいいのさ。魔族と戦う以外の目的をね」
「はあ、目的……」
「そこでだ、ナギコ」
「はい」
「ダンジョン作ろうか」
「は?」
何を言ってるんだ、この人は……?
次回『土木課の女4』