土木課の女2
今から2年前――私は王国西部の城塞都市フレヴェールにいた。
フレヴェールは魔族の度重なる攻撃により、防衛設備やインフラ設備に壊滅的な損害が生じていた。
特に城壁の修復は急務だった。
フレヴェールが落ちれば、エルネ地方全体を失う恐れすらあった。
私も土木課の職員として修復作業に加わった。
工夫たちと一緒に昼夜を問わず働いた。
確かに魔族とまともに戦えるのは勇者だけだ。
だけど、命を懸けたのは勇者だけじゃない。
勇者を支援する一般兵も、街を整備する人も、商売をする人も、役所で働く人も、自分が関わる分野で命を懸けた。
みんな必死に戦争を生き抜こうとしていた。
それでも魔族の侵攻は苛烈だった。
あの日、フレヴェールは陥落寸前だった。
魔族の攻撃に倒れる勇者や兵士たち。
そんな中、私たちは少しでも城壁や大門を持ちこたえさせようとした。
侵入してきた魔族に仕事仲間が次々に殺された。
空を見上げると、翼を持つ魔族の大群が舞っていた。
もうダメだと思った。
あの猛吹雪の日は運よく助かった。助けられた。
でも、今日はもう助からない。どこにも逃げ場はない。
三匹のガーゴイルが私の前に舞い降りた。
いよいよ死ぬのか。自分でも驚くほど冷静にそう覚悟したのを憶えている。
だけど、死ななかった。
いきなり魔法の光が炸裂した。ガーゴイルは跡形もなく吹き飛んだ。
気づくと、目の前に黒ずくめの女が立っていた。
それがクレア・アイオーンだった。
南方の拠点を取り返すことに成功した勇者軍がフレヴェールに駆け付けたのだ。
私は灰皿にタバコの灰を落とした。
クレアが命を救ってくれたことには感謝しかない。
だけど、あの日の夜に起こった出来事――
それが今も私の記憶の隅に刺さっている。
それが原因で今もクレアと向き合うことができない。
私はタバコを咥えて、深く吸い込んだ。
深く吐く。もう手は震えていない。
「まあ、いいさ」
クレアが小さく笑った。短くなったタバコを灰皿で揉み消す。
「会議には遅れないようにね」
そう言って、喫煙室を出て行こうとする。
「あの……」
私は思わずクレアを呼び止めた。
立ち止まったクレアが振り向く。
「私以外の出席者は誰ですか?」
私の質問に、クレアは小さく首を傾げた。
「いないよ。君だけだ」
「そう、ですか……あの、もうひとつ」
「何だい?」
「会議の議題は何ですか?」
「それはまだ秘密だ」
「はあ……」
「じゃあ、あとでね」
そう言い残し、クレアは喫煙室を出て行った。
静まり返った喫煙室。
私は壁にもたれかかり、そのままずるずると床に座り込んだ。
俯いて、大きく息を吐く。
嫌な予感がますます大きくなった。
あの人はいったい私に何をさせようとしているんだ……
扉が開く音がした。
土木課の先輩が入ってきた。
「お疲れさん」
「お疲れ様です」
立ち上がって、軽く頭を下げる。
先輩がランタンでタバコに火を点けた。
「課長から聞いたよ。特別顧問に呼び出されたんだって?」
「はい……」
「何の会議?」
「さあ……」
先輩が笑う。
「災難だね、君も」
「はあ……」
先輩が煙を深く吐き出す。
「あの人って年いくつ?」
「さあ……30くらいじゃないですか?」
「ふーん。俺と同じか。それで特別顧問とは、ホントいい御身分だよ」
「でも、元勇者ですし……」
先輩がもじゃもじゃ頭を掻く。
「それとこれとは話が別でしょ」
「まあ……」
私は短くなったタバコを指先で弄んだ。
先輩が灰皿にタバコの灰を落とす。
「彼女、なんでウチに来たんだろうな」
「さあ……」
「王立軍の顧問なら誰も文句を言わないだろ。むしろ、どこの国軍でも歓迎してもらえるさ」
「確かに……」
先輩の言うとおりだ。
魔族との戦争が終わったとはいえ、クレアほどの大魔法使いなら軍のポストに就くくらい簡単なはず。
だけど、あの人はそうしなかった。
「先輩、あの人と話したことあります?」
「一度もないなあ。土木課で課長と話してるのを見かけたことはあるけどね」
「そうですか……」
「君は?」
「何度か。さっきもここで」
先輩が顔をしかめる。
「え、ここにいたの?」
「はい」
「なんで?」
「知りませんよ……」
私は小さく肩をすくめた。
短くなったタバコを人差し指と親指で挟む。
深く吸い込む。煙を吐きながら、灰皿でタバコを揉み消した。
「じゃあ、お先に失礼します」
先輩がひらひらと片手を振る。
私は扉を開け、喫煙室を後にした。
廊下を歩きながら、ネクタイを整える。
会議までまだ2時間ほどある。
そういえばまだ昼食をとっていなかった。あまり食欲は湧かないけど、何か腹に入れておこう。
私は階段を降り、食堂へ向かった。
次回『土木課の女3』