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土木課の女1

 終わった。ようやくひと仕事。

 人間と魔族の三百年戦争が終結してから早1年。

 ユリィカ王国西部のエルネ地方を流れるシドニ川に掛かる五つの橋、そのすべての修復工事がようやく完了した。

 私は書き終えたばかりの最終報告書を丁寧に揃え、紐で束ねた。

 一部資材の調達に手間取ったため予算をオーバーしてしまった箇所もあったけど、工期は何とか守れた。

 土木課の職員として任された仕事を最後までやりきったという充足感が溢れてくる。

「ナギコ・ストラーダ!」

 不意に名前を呼ばれた。声のしたほうに眼を向ける。

 部屋の奥のデスク。立派な口髭の課長が私を見ながら人差し指をくいくいっと曲げた。

 私は報告書の束を抱えて立ち上がった。

 課長のデスクに早足で歩み寄る。

「はい、何でしょう?」

「忙しいところすまんな」

 手元の紙切れに視線を落としながら、立派な口髭を撫でる課長。 

「いいえ、大丈夫ですよ。ちょうど最後の報告書を書き上げたところですし」

 そう言って報告書を課長のデスクに置く。

「こちら、確認をお願いします」

「ああ、ご苦労だった。これで西側への物流もだいぶ改善されるな」

「はい。それで、あの……」

 私が言い澱むと、課長は慌てて顔を上げた。

「おお、すまんすまん」

 課長が紙切れを指先で弾いた。

「君、午後は空いてるかね?」

「いいえ」

「予定の中身は?」

「施工業者への挨拶回りに行ってきます。無茶なお願いもたくさんしてしまったので、改めてそのお礼もしたいですし」

「そうか……それ、明日以降に変更できるかね?」

「はあ……できます、けど……」

「では、そうしてくれると助かる」

「はあ……あの、どうしてですか?」

 課長が頭を掻く。

「クレア・アイオーンが緊急の会議を開きたいとのことだ。君も出席してくれ」

「私も、ですか……?」

 クレア・アイオーン。元勇者。三百年戦争で活躍した大魔法使い。

 人間側の勝利を決定づけたオルゴス攻略戦において、魔法使いの勇者部隊を率いて戦った英雄。その実力は約10万人いる勇者の中でも十本の指に入ると言われている。めちゃくちゃ強い。というか、あれは人の域を逸脱している。

 そして戦争が終わった現在、その偉大な元勇者クレアはいつの間にか、ユリィカ王国国土省公共事業部の特別顧問として庁舎の一室に居座っていた。

「私、あの人のこと、ちょっと苦手なんですけど……」

 戦争中の苦い思い出が一瞬頭を過る。

 課長が眉をひそめた。

「君、そういうことは言うもんじゃないよ……」

「はあ……」

 はっきり言って、クレアは公共事業部の多くの職員から疎まれていると思う。

 特別顧問という大層な肩書を持っているのに何の仕事もしないからだ。朝から夕方まで、庁舎の最上階にある彼女専用の執務室に籠っている。たまに部屋から出てきたと思えば、庁舎の中をぶらぶら散歩するだけ。定時になると速攻で庁舎を出て、歓楽街に消えていく。何のための特別顧問なのか、さっぱり分からない。

 私は小さく溜め息を漏らした。

「それで、何の会議なんですか?」

「さあ……」

「え……?」

 課長が手に持っていた紙切れを私を見せた。

 本日の午後3時から緊急会議を開く。ナギコ・ストラーダを私の執務室に呼んでくれ。クレア・アイオーン。

 紙切れにはそう書き殴ってあった。

「え、クレアさんの執務室で……? え、もしかして私だけ、ですか……?」

「ああ、少なくとも土木課からの出席者は君だけだ」

「課長は?」

「呼ばれてないね」

「どうして……?」

 課長が立派な口髭をいじくる。 

「僕に訊かれても困るよ」

 私は軽く唇を噛んだ。鼻から息を抜く。

「断ったら、どうなります……?」

「勘弁してくれ。嫌味を言われるのは僕なんだ……」

 そう言って紙切れを私に差し出す課長。

 私はその紙切れを渋々受け取った。

「分かりました。午後の予定は全部キャンセルします……」

「すまんな」

「とりあえずタバコ喫ってきます……」

「うん、いってらっしゃい。報告書はちゃんと読んでおくよ」

「お願いします……」

 私は踵を返し、扉へ向かった。

 土木課の部屋を出る。

 庁舎の廊下を歩きながらネクタイを緩めた。

 溜め息をひとつ。

 クレア・アイオーン。あの人は苦手だ。課長にはちょっと苦手と言ったけど、本当はすごく苦手だ。

 他の課からの出席者はいるんだろうか。もし呼ばれたのが私ひとりだけだったら……

 嫌な予感がする。ものすごく嫌な予感がする。ロクでもない会議になりそうな気がする。

 私は今日何度目かの溜め息を漏らしながら喫煙室の扉を開けた。

 ヤニ臭い空気が鼻孔に流れ込む。

「おや、ナギコ・ストラーダじゃないか」

 あ……

 喫煙室内には背の高い女性がひとりだけ。

 ストレートロングの黒髪。黒いピアス。黒縁の眼鏡。黒いパンツスーツ。黒いネクタイ。黒い指輪。黒い革靴。

 タバコを咥えた薄い唇が他人を小馬鹿にするように歪んでいる。

「クレアさん……」

 せっかく……

「お疲れ様です……」

「お疲れ」

 私は視線を合わさないようにしながら、クレアと反対側の壁際に移動した。

 スーツのポケットからタバコを取り出す。一本咥える。

 カウンターテーブルに置いてあるランタンを持ち上げて、タバコに火を点けた。

 深く吸い込む。深く吐く。

 沈黙。自然と背中が丸くなる。

 気持ちが休まる時間のはずなのに居心地が悪い……

 大体どうしてクレアが一般職員用の喫煙室にいるんだ……

 タバコなら自分の執務室で好きなだけ喫えるだろうに……

 誰でもいい。誰か顔見知りの職員が来てくれないかな……

 吐き出した煙にこっそり溜め息を混ぜる。

「つれないね」

 小さく笑うクレア。

「まだあの時のことを根に持っているのかい?」

 あの時のこと――2年前のとある出来事。

 私は咥えていたタバコを指に挟んだ。手が少し震える。

「別に、そんなことは……」

 根に持っているワケじゃない。本当だ。

 なぜなら2年前のあの日、クレア・アイオーンは私の命を救ってくれたのだから。


次回『土木課の女2』


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