プロローグ
寒い。もう指先の感覚がない。
視界は真っ白だ。猛吹雪で数メートル先も見えない。
息を吸おうとしても吸えない。凍てついた空気が喉の奥を刺す。
せめて馬のところまでまで戻ることができたら……
だけど、雪の重みで身体が動かない。立つこともできない。
木材の調査でこの森林地帯に入ったのは数刻前。
北方の大地を甘く見ていた。
天候が荒れる気配なんて少しもなかったのに……
いきなりの猛吹雪に視界を奪われ、方向感覚を失い、馬まで戻る道も分からなくなった。
大きな樹木の根元で吹雪をやり過ごそうとしたけど無駄だった。
一瞬で体温を奪われた。防寒具はほとんど役に立たなかった。
酷く寒い。
瞼が重くなってきた。
私、死ぬのかな……
こんなところで……
いやだ、死にたくない……
右手を伸ばす。雪を掻きむしる。
ダメだ。指に力が入らない。
それでも手を伸ばした。
ああ、もう限界だ……
本当に指一本動かせない。
いよいよ目の前が暗くなる。
意識が途切れかけた、その時――
不意に手首を掴まれた。
強い力で引かれた。
雪の中から引きずり出された。
誰かが助けてくれた。
でも、この猛吹雪の中、いったい誰が私を……
私の手首を掴んでいる手……
大きくて白い手……それに長くて鋭い爪……
爪……? 人間の、手じゃない……
「……っ!?」
人間じゃない……?
じゃあ、私の手首を掴んでいるのは……
「よかった、まだ生きてる」
そう声をかけて私を覗き込む、それは……
上半身は女性、下半身は大蛇のラミア。魔族だった。
あまりの恐怖に喉が引きつった。同時にひとつの疑問が頭を過る。
どうしてこんなところに魔族が……
北方はまだ魔族に侵略されていないはずなのに……
だけど答えなんて出ない。諦めが頭の中を塗り潰していく。
今さら考えたって意味がない。どの道、結末は変わらない。
凍死するか、魔族に食い殺されるか、そのどちらかだ。
だったら、もういっそひと思いに……
「あなた、こっちよ! 早く来て!」
風の音に紛れて、足音が近づいてくる。
「やれやれ。馬を見かけたときはまさかと思ったが……」
しゃがれた声。
別の魔族が来る……
「こんな辺境で行き倒れとはな」
ところが、ぼやけた視界の中に現れたのは分厚い防寒具を着込んだ老人だった。
魔族じゃない……
人間……?
どう見ても人間にしか見えない……
普通の、どこにでもいそうな、人間の男の人だ……
でも、どうして人間と魔族が一緒に……
だって、人間と魔族は三百年も戦争を続けているのに……
訳が分からない……
なんとか状況を整理しようとしたけど頭が回らない……
もう何も考えられない……
そして今度こそ、私は完全に意識を失った。
次回『土木課の女1』