『災厄の魔王アーヴィン、世界で最も恐れられている』
その名を聞いただけで、村の子どもは泣き叫び、兵士たちは青ざめ、王国の使者ですら震えながら命乞いをする。
──魔王、アーヴィン。
白銀の髪を揺らし、褐色の肌に浮かぶ魔紋は、災厄そのものの証。
その存在が目撃された地は、いずれも数日以内に灰と化した。
“黒雷の指先”“万魔を従える覇王”“災厄の呼び声”──それらの異名は誇張ではなかった。
ノクターラ魔王城。
その城門をくぐった者の九割が帰還せず、戻ってきた者の証言は揃ってこうだ。
「魔力が空を焦がしていた」
「目が合っただけで、心臓が止まりかけた」
「これは戦ではなく、天罰だ」
魔王アーヴィンは、あらゆる種族にとって“超えてはならない一線”だった。
彼を討つ者は神にも等しき英雄となる。
逆に、命を落とせば名も残らず魔物の糧となる。
そうして、千年以上。
アーヴィンは玉座の上で、たったひとり、不滅の時を睥睨していた。
──しかし。
「……ふっ、ふへへ……ころぶなよ、ミリア……段差あるよ……あああっ!?えっ、ウソッ!?」
部屋の奥。漆黒の石材で囲まれた広間、その中央に据えられた巨大な水晶。
中に映っているのは、むっちりとした肢体を揺らして魔王城の廊下を進む、小さな女の子。
──転生勇者、ミリア。
魔王を倒せば元の世界に帰れると信じて、無謀にもこの地に足を踏み入れた存在。
アーヴィンは、その姿を水晶越しに見つめ、やわらかく笑んだ。
「……かわいいな……今日も火魔法が自分に当たった。パンツまで焦がしてる……最高……」
恐怖の象徴、世界を蹂躙する魔王。その本性は、
──ガチ恋全開のストーカー気質。
「でも……まだ中層か……迷ってるな。うーん、スライム隊を1/3に減らして、床の罠もオフに……よし」
魔王直々に魔城のルートを最適化。
罠を消し、魔物を休暇に出し、通路の魔力濃度を下げる。すべては彼女が「自力で辿り着いた」ように見せるための、完璧な導線作り。
「……君のためなら、なんでもする。だって……この先で“俺を倒す”ために、来てくれるんだろ?」
水晶の中、ミリアがふらりと階段に座り込み、「もう無理ぃ……」と泣きべそをかく。
アーヴィンは、胸を押さえてベッドに倒れ込んだ。
「だめだ……もう限界……今すぐ抱きしめてあげたい……」
──恐れられし魔王アーヴィン。
その実態は、推しが迷子になるたびに魔力で階段を整備し、自作の非常口ルートを作るほどの激甘オタク魔王だった。
「君に会える日が……待ち遠しいよ、ミリア」
それが、誰も知らない“災厄の王”の、ひとりきりの独白だった。
──次回、第2話『むっちり勇者、魔王城の回転扉に2時間ハマる』。