とある介護職員の日記帳
介護職員の驚きに満ちた日常のお話し。穏やかに過ごされるおばあちゃん、笑顔をふりまくおじいちゃん、ちょっと不思議なおばあちゃんにやらかしてしまったおじいちゃん。ワリと色々な事が起こりがちな介護施設の日常をちょっとお話ししています。
私は何をするにも人の2倍時間がかかる。
サボっている訳ではないが《だいたいこの位》が出来ない。
『水とお茶は1人150ccね。』と言われると、人数分キッチリ計量カップで計る。
ほうきと塵取りを持つと、どこまでも掃き続けて姿が見えなくなる。
そんな私でもお年寄りには喜ばれた。遅くとも丁寧な仕事が好まれた。
施設の介護職員には、大きく分けて2種類の人が居る様に思う。
一方はお年寄りが好きで、とにかく親身に介助する人。
もう一方は家事が得意で手早くこなす人。
どちらが良し悪しではなく、互いの長所と短所を理解してサポートし合う施設こそが、最良と言えるのではないだろうか。
スケジュールをこなす為にザクザクと作業を進める人が居る。
介助の際にふとした汚れに気が付いて、マメに掃除する人が居る。
どちらも必要であり、より良く機能すべく舵を取る上司が居れば、その施設は安泰である。
そこは、とある田舎のケアハウス。
ケアハウスとは、殆どの事は自分でこなされるもウッカリが増え、火の始末など独り暮らしには不安のある人が入居される施設。
ただそこに《特定施設》の枠が加わると介助の必要がある人も入居出来る幅広いニーズに対応した施設となる。
私が介護の資格を取って、初めて介護に携わった施設がケアハウスだった。
施設の建っている小高い丘は、眼下に広がる街並みのその奥に、ひとすくい程の海が見える美しい景観で、バス通りに面していて便利が良いが、近くに建物は少なく、ご家族連れと思われる鹿の群や狐やタヌキが姿を見せる自然豊な所だった。
普通のケアハウス部分に住むお年寄りは、ご自身で散歩に出掛けたり、時にはバスに乗って遠出する事もあった。
帰設時間を守れば何をされても自由。なんなら連絡すれば外泊すら出来る。
施設外での飲酒や喫煙も家族同意の上であれば不問とされていた。
みなお元気なので、施設の庭で家庭菜園も楽しまれていた。
最初は花壇の端を利用していが、徐々に勢力を増し、遂には立派な畑となった。毎日せっせと手入れをするも、作物が食べ頃になると野生動物に食い散らかされる。
日向ぼっこと称してベンチに座り、時折バケツを箒で叩く姿はおなじみの光景でとなった。
お元気さんはみなそれぞれ自分の部屋を自分で掃除し、お風呂は好きな時に入る。
毎晩2度の巡回、週2回の職員による検温と生活状況の聞き取り以外は、自宅生活と何ら変わりない。
しかし、しっかりしているからこそ起こる問題がある。いつの世も、どんな世代もそれぞれに抱える問題、イジメである。
杉原さんは、入居者の中でも中心的人物で、皆の信頼も厚い。
簡単な漬物を漬けて振る舞ったり、面白おかしく昔話に花を咲かせたり、他者の相談役にもなった。
しかし、ひとたび杉原さんの気を損ねるとえらい事になる。ちょっと肩が触れただけで遠くへ吹っ飛んで行き『あいだだだだー!』と大げさに痛みを訴える。目が合っただけで『睨みつけられた!恐ろしくて暮らせない!』と職員に泣いて訴える。果ては『貰ったオヤツが腐っていた』と病院へ通う始末。
普段、手のかからない皆さんだが、こうなると手に負えない。
人生の大先輩。言い回しも言葉選びも相手の方が数段上なのである。
なにより、当の杉原さんは本当に自分が虐められていると思い込んでいる。
都度、仲裁を行うも訴えは後を絶たず、矢面に立たされた人は憔悴していく。
更には杉原さんの家族から『ウチの母は優しいからイジメられやすい』と苦情が来る始末。
職員の仲裁虚しく、揉め事の相手は堪らず施設を変えてしまった。
残った入居者は杉原さんに『良かったね。これで安心して暮らせるね』と肩をなでつつ喜びを分かち合う。
しかし、その中の1人が数週間後にはイジメのターゲットになるのだった。
確固たる証拠は無く、対処にあぐねいていた時、つまらない事から看護職員が杉原さんの怒りを買ってしまった。
その日から杉原さんのターゲットとなった看護職員は、まるで飽きさせぬ様にたまに火種を蒔いている。
看護職員曰く火種を蒔くタイミングと蒔き具合が上手くいくと、ちょっとしたストレス解消になるのだとか。
上の階には介助の必要な方々が住んでおられる。
全室1人部屋で、お貸ししている家具もあるのだが、使い慣れた家具の持ち込みも受け入れている為、各室それぞれ個性豊かである。
そのお部屋は、造り付けの様にピッタリした家具で整えられ、芳香剤漂う、まるで特別室の様な設えだった。
入居者の山田さんは、羞恥心が強く、抑鬱傾向がみられ、空を見つめながら意味の汲み取れない言葉を呟く事が多かった。
それでも家族様とマメに通院し、薬の調整をされていたので、意識がクリアになり、かつてのお姿を垣間見る事もあった。
失礼ながら、私達職員は、そんな瞬間を《スイッチが入っている》と表現していた。
その日の山田さんは家族様の用意された吠える犬のぬいぐるみを撫でつつ『あんたは賢いねぇ』と目を細めておられた。
しばし穏やかな時間がながれるも、突然車椅子を立とうとされ職員に緊張が走る。
トイレを目指されている様子があり、介助に入るも《スイッチが入っている》状態の為、激しく拒否をされる。
『離してちょうだい!あんたには関係ないでしょ!』と体を支える手を必死で払い除ける。
しかし、足に力が入らないので自力でトイレに移動する事が出来ない為、介助せざるを得ない。
『おトイレにお連れしますよ。そこまではお手伝いさせて下さいね。』と声掛けし、居室のトイレへ。
次第に便臭が漂い山田さんの声も荒々しくなる。
職員は車椅子を押しつつ、気が付かれぬ様にゴム手袋を着用する。
トイレに着くと『良いから!早く出てって!』と職員の手を払いつつ怒鳴る山田さんに『大丈夫ですよ。おトイレに座るお手伝いだけさせてください。そしたら退室しますからね。』と声をかけ、滑らかに懐に滑り込み車椅子からトイレへと移乗する。
座る前にズボンとリハビリパンツを下ろした時、山田さんの羞恥心が爆発した。
『いやー!やめてって!』山田さんが、掴んでいた手すりに力を込め、反対の手で職員の服を引っ張ったり叩いたりされる。
予想外の方向に力が入り踏ん張っていた足がよろめく。
途端に山田さんの体も便座を外れ、今にも崩れそうな体勢となる。
咄嗟にとった安定の姿勢は、自分の膝に座らせる事だった。
安定した為、何とか手を伸ばしてコールボタンを押す。程なく応援の職員が到着すると、安堵すると共に、足に生暖かいジワジワと染みるものを感じる。
山田さんは、すっかり大人しくなり、先程とは別人の如く指示に従って下さる。
同僚の『個浴空いてるから着替えな』の声に後を任せ居室を出る。
ズボンに付着した便を落とさない様に気を付け、途中の共同トイレで除去する。
さすがにズボンに直うんこは堪える。
置いてあった入浴介助用のズボンを持って個浴で着替える。
ズボンを脱ぐと、なんと足にはクッキリ便の色が染みついている!
慌ててボディソープを擦り込む。何度こすっても臭いが取れない気がする。
足もズボンも心もヨレヨレだ。
山田さんの所に戻ると、すっかりきれいになり、リビングに戻られていたその姿は空を見つめ、意味の汲み取れない言葉を呟いておられた。
丁度その時、息子様ご夫婦が面会に来られた。
山田さんの目に力が戻り『兄ちゃん!かーさんなんのバカ?』と涙を溢れさせ悲しみに満ちた表情で問われた。
認知症と言う言葉が出なかったのか、自分に当てはめるのには抵抗があったのか。
『何のバカって、そんな顔して面白い事いっても笑えないって』息子様が背中をバンバン叩いて笑って見せる。
事の顛末を説明させて頂くと『母がすいませんでした。』と穏やかに話されるお嫁様に、こちらからも不安にさせてしまった事をお詫びさせて頂く。
『温かくも厳しい母でしたから、粗相をした自分が許せないんでしょうね。そんな部分ばかりが残って…』と涙された。
お嫁様は山田さんに優しく声掛けし、居室へと連れて行き、家族の時間を過ごされた。
リビングへ戻って来られた山田さんは、お嫁様の押す車椅子のスピードに文句を言いつつ《スイッチが入っている》凛とした表情をされていた。
吠える犬のぬいぐるみを掴み『お前は少し黙んなさい!』と一喝し頭を小突いていた。
かつての上司から《認知症とは玉ねぎの皮を剥く様な物だ》と教わった。
この世に生を受け、成長する中で苦労して身に着けた社会性や倫理観が否応無しに剥かれていく様な物だと。
『玉ねぎって、全部剥いたら無くなりません?』と不用意なツッコミを入れる私に
『剥いてやろうか?』と頭上から凄みつつ『全部剥いたら何も無くなるのかも知れないねぇ。魂見たって人あんまり居ないしね。』と。遠くを見ながら重く呟いた。
玉ねぎを剥いて残る物があるとしたら、それはとても美しいのではないかと思った。
認知症によって剥がされてしまった社会性や倫理観。
たとえ人を叩いても、暴言を吐いても、それは認知症のさせた事。だから傷ついたり怒ったりしてはいけない。
なにより、それを行った本人が一番傷ついているのだから、介護職員はその様な行動に至らぬ様に介助しなくてはいけない。
と言うのは詭弁である。
実際、どんなに介助や声掛けに気を配ってもトラブルは起きてしまう。
介護職員とて暴力や暴言には痛みを感じるし傷つく。
しかし責任は問えない。
本人は忘れてしまうし改善を求めても更にヒートアップしてしまう。
職場に相談しても《アプローチの仕方が悪かったのでは?》《言葉遣いに問題はなかった?》と、こちらの対応を責められる始末。
ではどうするのか?
《我慢する》のである。
自分の声掛けが悪かった、アプローチが悪かったのだから。
私はそんな時、悔しさや悲しさを雲の様な形にイメージする。
その雲を手でクルクルと丸め、小さく小さく丸めたら、その小さな粒を親指で潰すのである。
感触や潰れる音までを明確にイメージしながら。
儀式的ではあるが、なかなか諦めがつくのだった。
「あんた、そのスカーフ素敵だねぇ。綺麗にしてお出かけかい?」
「こんなもん安物だわ。あげるかい?」
そんな会話が聞こえて来ると職員は直ぐに介入する。
入居者同士の物のやり取りは揉め事の火種となるのだ。
中でも、あげたのを忘れて《盗られた!》となるのが最も面倒臭い。
「華子さん、そろそろ娘さんがお見えですよ。玄関行きましょうか。」笑顔で階下へ誘導すると、すかさず「美人のお嬢さんはおめかしが大変だ。」と直球過ぎる皮肉が聞こえて来る。
「おめかししないと外も歩けないもの〜。こっちも必死よぉ。」と79歳のお嬢さんが笑顔で答えた。
狐と狸のゴニョゴニョ…。
華子さんは、その名の通り華のある方だった。
この施設では珍しく毎日化粧をされている。
おしゃれも大好きで日に何度も着替えをされ、髪の毛も時間をかけてセットしておられた。
その日は月に一度の美容院の日で娘様の付き添いで出掛けられる。
私など美容院にもう何ヶ月行ってないだろう?
なんともマメな事である。
迎えに来られた娘様は華子さんと同じくフワフワのスカーフを巻かれ《春が来たのか?》と思う程の華やかさだが
「お母さん、このコートじゃなくて若草色のがあったじゃない。」の一言に緊張が走る。
娘様はコーディネートに厳しい方だった。
「お部屋に取りに行来ましょうか?」と尋ねると、少し険しい表情で「うーん、もう時間だから良いわ。無いもの調べといて下さいね。」と華子さんの腕を引っ張って出かけられた。
《無いもの》とは生活必需品であるが、華子さんの場合、これがクセ者だった。
認知症の彼女は日に何度も洗顔をして基礎化粧品をつける。
朝起きて洗って塗って、トイレに行って洗って塗って、テレビを見て洗って塗る。
洗顔の習慣があるが、やった事を忘れるので何度もしてしまう。
これが夜もだから、洗顔料と基礎化粧品は《顔が何個あるんだ?》と言う位の消耗っぷりとなる。
当然、娘様はご立腹だが、状況もご存知な為、毎回苦虫を潰した様な顔をしながらご用意して下さる。
まぁ、某有名化粧品からどんどんランクが下がり、今では量販店で手に入る物になったのだが、それでも大量使用は痛手となった。
「お母さん、使い過ぎないでね!1回で良いんだから。1回で!」別れ際に強めに声を掛けられる。
華子さんは「だってぇ、盗まれるんだもん。」と小さく呟いた。
認知症の周辺症状の《物盗られ妄想》が彼女にはあった。
それも娘様はご理解されていた為
「そんな事言っちゃダメって言ったでしょ!全く!」と更に声を荒げ、そのままプイッと帰ってしまわれた。
その日の夜、
シンと静まり返った真っ暗なフロアーに水の音が響き渡る。
一度寝て、目が覚めた華子さんが洗顔をしているのだろう。
そして、
ドアの開く音に続きペタペタと足の音。
オバケより怖い物が近づいて来る。
「ちょっと、コレもう無いんだけど。」
空の化粧水瓶を持った華子さんが興奮した様子でわなわなと震える手で差し出した。
「貰ったばっかりなのに何で無くなるんだろうねぇ!」と職員を睨みつける。
呟く様に「何ででしょうねぇ。」と答えつつ、お預かりしている在庫をお渡しすると
「何で私ばっかりなの?他の人の使えば良いじゃない!」と怒りを爆発させた。
今回は私が使って無くなったと思われてしまったらしい。
顔が大きな私でも一晩で一瓶使うのは無理がある。
「華子さんと同じ化粧水使ったら、私ももう少し美人になれるんでしょうけど、ほら、見て、ブスでしょ?」と笑いを誘う様に顔を指さすと
「うーん。それ程じゃないけど…」と
哀れみを含んだ返事が返って来た。
少し挫けそうになりつつ
「華子さんお肌ツヤツヤしてるし、今日はもう、つけ終わったんじゃないかな?夜更かしはお肌の天敵だし、今日はもう寝ましょう?」と矢継ぎ早に続ける。
「そう言えば今日は野球やってたと思いますよ?見てました?」
歩きながら徐々に話題を変えていく。
居室のテレビを付けて野球を入れると、気分はすっかり変わっていた。
「おっ!良いぞ!勝ってる勝ってる!」
目立たぬ様に在庫の化粧水をいつもの場所に仕舞って居室を出る。
《今日はもう出て来ません様に》
と願いつつそっとドアを閉めるのだった。
ご自身で服を選ばれる方はあまりおられない。
大体の方は職員が用意した物を着用される。
華子さんと同じく坂本さんもなかなかのオシャレさんだったが、
坂本さんの場合、明日の服を選ぶのが好きだった。
タンスを開けては明日着る服をコーディネートして枕元に置き、またタンスの中身をチェックしてはコーディネートを枕元に。
枕元には綺麗に積まれた服とズボンと靴下が増えてゆく。
そして、枕元に置く場所がなくなると…
なんと!無造作に床に落としてしまうのだった。
そしてなぜか、床に落とした服は無惨にも踏みつけられてしまう。
丁寧なのか大胆なのか?
そんな事を気にしていては、この仕事は続けられない。
と言う訳で、
坂本さんの居室を訪問すると、だいたい部屋が服だらけになっている。
滑って転んでは大変なので、マメに様子を見なければならない。
『あらら、タンスからお洋服が脱走してますね。タンスに戻すの手伝って頂けませんか?』と声を掛けると笑顔でテキパキと畳んで手伝って下さる。
その日は穏やかで、温かな日差しが降りそそぐ自室で居眠りされている方も多かった。
坂本さんもウトウトされているのかと居室を訪問すると、いつも以上に賑やかになっていた。
部屋じゅうに広がった洋服の中から何かを探されている様で拾っては投げ拾っては投げを繰り返されている。
『お探し物ですか?お手伝いしたいなぁ。』と声掛けすると
『靴下がねぇ、無くてねぇ。青いの。』との事。
散らばった服を畳みつつ、一緒に靴下捜索を始める。
坂本さんは『早く見つけないとぉ。』『早く見つけないと日が当たってしまうねぇ。』と呟きながら探している。
『日が当たると色あせちゃいますもんねぇ。』と私も呟く様に返事をする。
『早く見つけないと日が当たってしまう。』坂本さんも呟き続ける。
『早く見つけないと日が当たってクタクタになってしまう。』
『早く見つけないと日が当たってクタクタになって美味しくなくなってしまう。』
『ん?…んー?美味しく…?まぁ、早く見つけなきゃですねー…』
ぽかぽかと西日の差す部屋で、ホッコリ気分に目を細める私と坂本さんは服を畳みつつ
《クタクタになると美味しくなくなる何か》を探し続けるのだった。
老人介護施設には《入居待ち》されている方が多数おられる。
その施設にも300人以上もの入居待ちの方がおられた。
たまにご自身で施設を訪れ『ここに入るにはどうしたら良いんかの?』と質問される方がおられる。
とりあえず応接室にお通しし、はるばるお越しになられたお疲れをお茶と菓子で癒やして頂きつつ、ご家族様に迎えに来て頂く。
そう簡単には入居出来ない。
だがしかし、突如、入居が決まる方もおられる。何らかの事情がある方だ。
3カ月程、入院されていた方が、回復の見込みなく退所となった。
通常、翌月位を目処に新しい方が入居されるが、
退去連絡が入るやいなや、業者による荷物の運び出しや清掃が行われ、
程なく叶さんの入居が告げられた。
荷物は宅配便で送られ、購入したばかりの洗濯物干しに至るまで職員が組み立て、設置を行った。
翌日、息子様と施設に来られた叶さんは、細くて小さく大人しい印象だった。
息子様の他に同行者はなく、息子様も到着後、数分で帰宅されてしまった。
叶さんは、職員や、先に入居されている方々に丁寧に挨拶された。
特に取り乱される事も無く夕食を摂り、パジャマに着替え、布団に入る様に促すと、職員の両の手を取り
『お願いします。ここしかないんです。見捨てないで下さい。』と涙声で話された。
《慣れない場所への不安感かな?》と思った私は『分からない事があったら何でも言って下さいね。安心して暮らして頂ける様にお手伝いさせて頂きます。』と声掛けを行った。
入居されて数日、トラブルを起こす事もなく、叶さんは穏やかに過ごされた。
他者との会話に、時折卑屈な発言が聞かれたものの、別段問題は感じられなかった。
それは昼食後、3時のお茶にお誘いすべく居室を訪れた時だった。
居室内は血生臭く、便と血液にまみれた叶さんが膝の辺りにリハビリパンツとズボンを絡ませ床に倒れ、ギョッとした表情で
『許してください!自分で何とかしますから!許してくださいぃぃぃぃー。』と絶叫されている。
あまりの情報量に一瞬立ち尽くす。
声を聞き付けた入居者が《何事か》と見に来られる。
あの絶叫を聞き付けては仕方ない。
『あんた、何あったか知んないけど、許してやんなー。』との声。
『そうですね~。大丈夫ですよ。それより沖井(職員)さん呼んできて貰えると助かります。』と言いつつ中に入り、覗かれぬ様ドアを閉めて施錠する。
《ん?鍵閉めたら余計に虐待疑われない?》と一抹の不安を抱えつつ叶さんに痛い所はないか確認する。
『痛くない!痛くないから叩かないで下さい!もう大丈夫ですから、自分でしますから!』
絶叫は相変わらず続き、血と便にまみれた姿で居室の奥へ奥へと這いずり移動される。
程なく到着した応援職員も情報処理が追いつかない。
『ナースとケアマネ連れて来るわ』とその場を後にする。
《置いて行かないでー!》
叶さんと一緒に絶叫したい気持ちを抑えて、意を決して歩み寄る。
『大丈夫ですよ。お手伝いしたいだけです。お怪我はないですか?お掃除は得意です!大好きだから嬉しいです。ジャンジャン汚しちゃいましょう!』
と途中、訳の分からない発言になりつつ、努めて優しく冷静に声掛けする。
便と血にまみれた中を突き進み、ドロドロの叶さんを撫でて抱きしめ落ち着かせる。
大きな泣き声を上げられるも涙は出ていない。手や服はドロドロだが、顔を拭う部分はキレイな所を選んでいる。
私には汚れた手で掴まってくる。
取り乱しているのに部分的な冷静さを感じた。
駆け付けたナースにより怪我は見られない事、出血は痔からである事を確認し、他職員と共に個浴へ向って頂いた。
部屋を掃除し、消毒を済ませて居室を出る。自身も着替えを済ませると、何とも言えない脱力感に襲われた。
ココまでの修羅場は初めてだった。
浴室から戻り、キレイになった叶さんに、他の入居者が駆け寄る。
『あんた何があったのさ?大丈夫?叩かれたのかい?』
矢継ぎ早の質問に叶さんは涙声で『良いんです。私が悪いんです。ああぁぁぁ…』と両手で顔を覆い他者の同情を誘うように話されている。
しばらくは私に対する《あの人は鬼だ!悪魔だ!》の話で盛り上がるが、そう長くは続かないので放置する。
この場合は火に油を注がないのが得策である。
汚物にまみれながら優しい言葉をかけ、居室内を掃除したのに、この言われ様は流石に腹立たしいが、
叶さんが時折見せる冷静さと他者に取り入ろうとする必死さ、入居前情報の書類に記された《虐待疑い》の文字。
その時々で自分に肩入れしてくれそうな人に取り入る事で彼女なりに精一杯自分を守っているのだろう。
私は苦い想いを丸めて親指で潰した。
叶さんは排便の都度、処置が必要な程の痔瘻がある。
息子様もご存知ではあるが、高齢の為、医師に相談した上で手術はしないとしている。
居室が凄惨な事件現場の様になり、叶さんが『許してください!』と叫ぶ修羅場はその後、恒例行事となる。
大月さんもまた、急に入居が決まった方だった。
事前情報には《66歳男性、パーキンソン病、歩行にふらつきあり。》とあった。
急に入居が決まる程の問題は見受けられないが、お世話をしていた奥様が急逝され、同居していた息子様ご家族とのトラブルもあり、急ぎ入居する運びとなったのだった。
事前情報で分かっていたものの、驚かざるを得ないそのお姿、
若い!平均年齢90歳のこの施設において66歳は職員に衝撃が走る程の若さだった。
それはご本人も分かっておられ
「どっちかって言うと僕はそっち(職員)だよね。まぁ、病気だから仕方ないんだけどさ。でも見て、この腕!逞しいだろ。ちゃんと鍛えてたのにさ、こんな病気になるなんてね。仕方ない。」と
渋々入居を承諾した話されっぷりだった。
《自分は年齢では無く病気での入居》とのお考えからか、他の入居者とは一切交流されないものの、職員とは友好的に接して下さっていた。
生活が安定してきた頃、男性職員から不安の声が漏れ始めた。
入浴や更衣、排泄介助はできる限り同性職員が介助に当たるのだが、
小さな声で「なんだお前か」と呟いたり「お前ヘタクソなんだよ。誰か他の人居ないの?」と不機嫌さを顕にするらしかった。
入居当初は自分で出来ていた排泄も失敗が増え、着替えの手伝いも増えていった。
その日、遅番で出勤すると男性職員がケアマネジャーと神妙な面持ちで話をしていた。
大月さんの朝の着替えの際、
「痛てぇよ。」「早くしろや」などと呟きつつ更衣介助に当たる男性職員の頭を小突いていた。
男性職員は堪らず「やめてください。」と頭をガードした。
大月さんはそれを
《殴られた!虐待だ!》
と事務所に訴えたのである。
施設長から男性職員に、直ぐに詫びる様指示があり、職員はそれに従ってしまった。
《殴った》が大月さんの拡大解釈であるならば、
謝罪は《殴ったと思わせてしまった》事に対してでなければならない。
が、男性職員は《殴った》事に対して謝罪してしまった。
それは職員の暴力を認めた事となる。
結果、男性職員は介助から外され、
大月さんの悪態については追及されなかった。
それから暫く大月さんは機嫌が良かった。
下着の着替えの際ヘラヘラと
「見られるの恥ずかしいんだぞぉ。」と言って職員の反応を見ていた。
「でしたらご自身でどうぞ。ゆっくりとなされば出来るかと思いますよ。」とリハビリパンツを渡して退室しようとすると
「厳しいなぁ。頼むよぉ。」と猫なで声を出す。
明らかに女性職員への態度が怪しかった。
しかし、だからと言って無下に介助を断る事は出来ない。
本当に困っている可能性がある限り介助に当たらなければならないのだ。
かつて無い状況。
慎重に対策が検討されたのだが、
遅かった。
若い女性職員がリハビリパンツの交換を行っている最中、
職員の手を取り陰部に擦り付けたのだ。
女性職員は一瞬凍り付くも落ち着いて「現行犯です。」と告げた。
程なく到着した施設長、相談員、ケアマネジャーから現状の確認が行われる。
最初は否定していた大月さんだが、言い逃れ出来なくなりセクハラ行為を認めた。
事情を説明された息子様は疑いもせず施設と職員に謝罪された。
大月さんの奥様が逝去されてすぐ施設入居に至ったのは息子様のお嫁様たっての希望だった。
大月さんはその後、驚きの早さで次の施設を見つけて退去された。
施設には平穏が戻ったと言いたい所だが、あちこちに大きな傷が残った。
虐待のレッテルを貼られた男性職員は度々体調を崩す様になり、遂には退職してしまった。
男性入居者に対する介助について色々と検討会が持たれたが、確固たる答えは導き出せず、
施設に対する職員の不信感をあおるだけとなった。
男性職員の謝罪が正しく行われて居れば彼は今も元気に働いていたかもしれない。
女性職員への態度に怪しさが認められて直ぐに対処していれば、もう少し穏やかな結末があったかもしれない。
一般介護職員の《かもしれない》は検討会に響くことはなかった。
車椅子を足漕ぎでちょこちょこと自走する、
自称一番星の良さん。
「ぷぇぷぇ」と独特なクラクションを口で鳴らして軽快にドライブを楽しんでおられる。
「僕はね、若い頃にね、大きなトラックを運転してたんだよ。」と笑顔で話して下さる島田さんは、
他にも某有名企業の営業職、倉庫の警備員、山荘の管理人など華々しい経歴を話して下さる。
たまに《それ、昨日のドラマと同じシチュエーションだな》と思う事もあったが、それは御愛嬌である。
いつも笑顔で皆を楽しませてくれる心優しいお爺ちゃんは他の入居者にも職員にも人気者だった。
ある時と妙な音がし、そちらに目を向けると島田さんが何かを引きずっている。
車椅子に何かが絡まっているのかと思いきや
「おー、よいよい」と目を向け、愛おしむ様にクイクイ紐を引っ張っている。
思わず首をかしげてしまうとはこの事。
彼が引っ張っているのはヒモをグルグル巻にしたカップうどんだった。
「新しいペット飼ったの?」と尋ねると
「昨日ね、病院に行ったらね、先生がね、少し痩せなきゃねってね。」と。
新しいペットのリードをクイクイしながら
「これね、そのまま食べたら太るんでしょ。だからね、運動させてるんだよ。ね。」と満面の笑みで説明して下さった。
「そっちを痩せさせるのかぁ。成る程ねぇ。」
車椅子にヒモが絡むと危険なので止めて頂くべきだったが、
皆を笑顔にしている彼の後ろを、暫くついて歩くのだった。
島田さんは既往症があり、排尿は管を通してバッグに貯めていた。
管は定期的に交換が必要で多少の苦痛を伴うらしかった。
いつも笑顔の彼が、豹変する日である。
「そろそろお医者さんの時間ですよ。お支度しましょう」と伺うと
「キミはね、知らないからそんな事が言えるんだよ。僕はね、行かないよ。このままで良いんだよ。残酷だな」と表情を強張らせている。
暫く会話を続けるも状況は変わらず、通院介助する看護職員が来てしまった。
「何、まだ支度できてないの?何してたの!もう出る時間だよ!」と少々わざとらしい口調で私に怒鳴る。
途端に島田さんが
「僕がね、寒くてね、服が決まらなくてね。もう出るからね。怒るのね、だめだよね。」と慌てて支度を始めて下さる。
自分のせいで職員がこれ以上叱られぬ様に。
ココまでが毎回の恒例行事となっている。
看護職員は《やれやれ》と言わんばかりに車椅子を押すのだった。
通院から帰設した島田さんは、通院状況を説明する看護職員の後ろで軽快に盆踊りを踊っている。
思わず笑ってしまう職員を見て看護職員が振り返ると、膝に手を置き、すんとすました顔をしている。
周りを笑顔にしたら満足そうに
「一番星の良さんお通りだよー。ぷぇぷぇ」とクラクションを口で鳴らして去っていくのだった。
大月さんが退去して暫くは空室となっていたお部屋に荷物か搬送された。
程なく入居された国原さんはもうすぐ100歳を迎えるおばあちゃんだ。
他の施設で暮らしておられたが、色々と不満があり、この施設に申し込んでいて、やっと自分の順番が来たと喜んでおられた。
「嬉しいねぇ。ココは良い所だね。死ぬ前に入れて良かったよ。」と口にされていた。
小声で早口で穏やかそうな口ぶりだが、気に入らない事に対しては驚くほど口汚く罵るのだった。
糖尿病がある為、医師からオヤツは控える様にとの指導があり、病院では本人も承知していたが、施設に戻るとお菓子が足りないと大騒ぎする。
「もう年なんだから、もうすぐ死ぬんだから好きに食べさせてや。」
「腐れ女がオヤツ隠して!年寄虐めて楽しいのか!」と
電話で家族に訴え、事務所の相談員に訴える。
その言葉は次第に酷くなり、「ぶっ殺されるんだからな!」とまで言った。
思わず「誰に?」と聞きたくなったが、こう言う話題は引き伸ばさないに限る。
医師の指示を守って仕事をしているのに口汚く罵られるのは流石に堪える。
認知症の方に叩かれたり蹴られたりは日常茶飯事で今更気にもならないが、言葉は鋭利な刃物となり心に刺さる。
これは仕事なんだし医師の指示通り。自分は間違っていない。同僚も気にする必要はないと言ってくれる。それでもやっぱり傷ついた心はなかなか癒えない。
家族と施設とで対応について相談するもなかなかまとまらず、本人の不満は募り、ついには「呪ってやるからな!」とまで言われてしまった。
もうすぐ100歳を迎える方の《呪ってやる》はリアリティがあり過ぎて怖い。
お菓子の摂取量で、そこまて言うの?と思いつつも、
ご本人がそこまで希望しているのだから希望通りにすべきではないのか
との疑問も湧いてくる。
《医師の指示だから》《決まりだから》が途端に自分が振りかざす武器の様に思えてくる。
ご本人の意思を尊重すべきではないのかと上司に相談するも《施設なのだから、医師の指示に従うのが当然》と。
頭では分かっていても、国原さんの不満が膨れるのと同じく私の疑問も膨れ上がる。
ケアマネジャーに相談してみると家族に話してくれる事となった。
国原さんを大事に思っておられる家族様だから、きっと分かって下さるだろうと安堵の思いが広がる。
そして数日後、国原さんのお菓子要求は、拍子抜けする程ピタリと収まった。
ご家族との面会の際「死にたくないなら医者の言う事聞け!」と一喝されたらしい。
こんなにあっさり終わるとは。
言い表せない思いが沸々と沸き上がるが納得するしか無い。
まぁ、3日後にはお菓子要求が再燃し、家族に一喝される《国原ルーティン》が始まるのだった。
介護の仕事は楽しい。
人生の大先輩との会話には多くの学びがある。
感謝の言葉を頂けると《もっと頑張ろう!》と思える。
時には不調や不満をぶつけられたり当たられる事もあるが、
解消すべく落とし所を見つけたりして、より良く暮らして頂ける努力をする。
それが喜びであり、やり甲斐なのだ。
しかし、
心ない言葉や理不尽な訴え、口汚い罵りは、
職員の心をいっぺんに蝕んでしまう。
介護職でなければカスハラとして対処して貰えるのだろうが
現時点では、あらゆるハラスメントは、職員の忍耐力で凌ぐしか無い。
同僚に「もう無理!明日施設長に辞めるって言うわ!」と何度言った事か。
そして、同僚の口から何度聞いた事か。
しかし、その翌日、
坂本さんと《クタクタになる何か》を探したり、
島田さんとカップうどん散歩したりすると
《こんな幸せもあるんだよなぁ》とほだされてしまう。
かくして私は今日も楽しく翻弄されてしまうのだった。
《明日辞めてやる!》と叫びながら。
介護職員の日常を脚色したお話しです。個人名は全て架空の物です。